映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「あまろっく」

「あまろっく」
2024年4月23日(火)新宿ピカデリーにて。午後1時55分より鑑賞(スクリーン8/
D-9)

~定番の人情喜劇だが、江口のりこ中条あやみ笑福亭鶴瓶のキャスティングが絶妙

「あまろっく」。何だかヘンテコなタイトルの映画だなぁ~。と思ったら、実はこれは通称「尼ロック」と呼ばれる「尼崎閘門(こうもん)」のこと。水門を開け閉めすることで、兵庫県尼崎市を水害から守ってくれているのだ。

映画は謎のシーンから始まる。ウェディングドレス姿の2人の女性が並んで登場する。なぜに2人???

続いて映るのは、小学生の近松優子(後野夏陽)が父の竜太郎(松尾諭)、母の愛子(中村ゆり)とともにスワンボートに乗って、尼ロックを見学している場面。彼女は学校の作文コンクールで尼ロックを取り上げるのだ。

というわけで、1994年からドラマが始まる。近松家では、鉄工所を経営する竜太郎が「俺は尼ロックや」を自称し、仕事の実務は人に任せて、ただひたすら能天気に過ごしていた。優等生の優子は、父のようにはなるまいと心に決めていた。

そして時間は飛んで2015年。成長した優子(江口のりこ)は京大を出て、東京の大手企業に就職し、エリート街道をひた走っていた。しかし、会社から成績優秀で表彰される一方で協調性には欠け、いつも周囲から孤立していた。まもなく、それが仇となりリストラの憂き目にあう。仕方なく優子は実家に戻る。

それから8年。39歳の優子は独身で定職にも就かず、ニートのような暮らしを送っていた。そんなある日、父の竜太郎(笑福亭鶴瓶)が、突然、再婚を宣言する。再婚相手として連れてきたのは、なんと20歳の早希(中条あやみ)だった……。

この映画は典型的な人情喜劇である。テーマはズバリ、家族の絆。バラバラだった家族が、様々な現実に立ち向かう中でひとつになっていく姿を描く。

そこには目新しさや驚きはない。脚本にも演出にも特に突出したところはないし、この手のドラマの定番の範囲内でドラマが進んでいく。

しかし、それでもこの映画は面白い。何より主要な登場人物3人のキャラが抜群に立っているし、キャスティングが絶妙なのだ。これが本作の最大の魅力になっている。

まず、父の竜太郎は「人生に起こることはなんでも楽しまな」が口癖で、ひたすら能天気な人物。リストラされて帰ってきた優子を、「祝リストラ」の横断幕と赤飯で笑顔で迎えるのだ。それを演じるのは笑福亭鶴瓶。これはもうどこから見てもハマリ役でしょう。何があってもあの笑顔でやり過ごすのだから。抜群の安定感だ。

一方、娘の優子はいつも不機嫌。めったに笑うことはない。おまけに突然、自分より年下の母が登場したのだから戸惑いは大きい。優子を演じる江口のりこは、その仏頂面がこのドラマ全体の屋台骨を支えている。やさぐれた役をやらせたら右に出る者はいないだけに、こちらもハマリ役だ。

そして、竜太郎の再婚相手の早希。ひたすら平凡な家族団らんを夢見る。年の離れた結婚につきものの打算とは無縁。純粋でまっすぐに生きる彼女を演じた中条あやみも、なかなかの演技なのだ。

ドラマの中盤までは、39歳独身女子の優子と、65歳の父・竜太郎、そしてその再婚相手となった20歳の美女・早希が繰り広げるドタバタな同居生活が描かれる。3人のすれ違いと衝突が笑いを生み出す。

ところが、中盤、ある出来事が起こり、そこからは優子と早希のドラマになる。鶴瓶が消えてしまうのだ。

正直「これは苦しいだろうなぁ」と思ったのだが、なんのなんの。江口と中条のやり取りが予想以上で、ちっとも面白さが失速しないのである。

後半は、かみ合わない共同生活の中、早希が独身の優子を見かねて持ち込んだ縁談がドラマの大きな柱になる。同時に、早希が家族団らんを熱望するに至った悲しい過去も描かれる。さらに、阪神淡路大震災のエピソードを絡めて、竜太郎が「人生に起こることはなんでも楽しまな」を信条にした背景が描かれる。

優子の縁談をめぐる話は進展し、早希にはある大きな変化が起きる。その中で葛藤を抱えた優子は、悩んだ末に大きな決断をする。というのが終盤の展開。そこには笑いだけではなく、優子と早希のシスターフッド的な要素もある。

この終盤はずんずんと感動が押し寄せてくる。しかも押しつけがましくないから、自然に泣けてくる寸法だ。私もつい不覚にも涙してしまった。

ラストには1年後の彼女たちが描かれ、まさしく大団円を迎える。そして、それが冒頭の場面につながるのである。

定番の人情喜劇だが、文字通り笑って、泣いて、感動できるドラマだ。こういう映画も悪くない。それもこれも、このキャストだからこそ。江口のりこ中条あやみ笑福亭鶴瓶の演技を堪能した。

ちなみに、鉄工所の職人役で渋い演技を見せていた佐川満男さんは、4月12日に逝去し、これが遺作となりました。合掌。

◆「あまろっく」
(2024年 日本)(上映時間1時間59分)
監督・原案・企画: 中村和宏
出演: 江口のりこ中条あやみ松尾諭中村ゆり中林大樹駿河太郎、紅壱子、久保田磨希浜村淳、後野夏陽、朝田淳弥高畑淳子佐川満男笑福亭鶴瓶
*新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://happinet-phantom.com/amalock/

 


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「プリシラ」

プリシラ
2024年4月18日(木)シネ・リーブル池袋にて。午後2時30分より鑑賞(シアター2/D-5)

エルヴィス・プレスリーの元妻の孤独と自立への道

 

昨日、大学病院の眼科に行ったら、左目に異常があるというので、目に注射をされて4万8210円も取られてしまった。先日15万円のパソコンを買ったばかりだというのに、どうするんだ、ワシ? 映画なんか観てる場合じゃないだろう。

しかし、まあ、それはそれとして(本当は、それはそれじゃないけど)、今日取り上げるのはソフィア・コッポラ監督の「プリシラ」。エルヴィス・プレスリーと結婚したプリシラプレスリーの回想録を映画化した伝記映画だ。

米軍関係者である父親の赴任地の西ドイツで暮らしていた14歳の少女プリシラ(ケイリー・スピーニー)は、同じく兵役で西ドイツに駐留していたスーパースターのエルヴィス・プレスリー(ジェイコブ・エロルディ)と出会い、恋に落ちる。数年後、兵役を終えて帰国していたエルヴィスはプリシラの両親を説得して、彼女をメンフィスの豪邸「グレイスランド」に呼び寄せ、一緒に暮らし始めるのだが……。

ロスト・イン・トランスレーション」「マリー・アントワネット」などソフィア・コッポラ監督の過去作同様に、全編がポップな音楽と色彩鮮やかで陰影のある映像に包まれた映画だ。美術や衣装も凝りに凝っている。まさにコッポラ監督ならではの世界観といえるだろう。

そこで描かれるのは、エルヴィス・プレスリーの元妻プリシラの物語。14歳でエルビスと出会った彼女はまだ子供。エルヴィスを見る目はハートがキラキラ。夢見るお年頃に憧れのスーパースターに会ったのだから、それも無理はない。

一方のエルヴィスはどうだったのかといえば、こっちもかなり積極的。エルヴィスとプリシラは、身長差もあり、見た目も大人と子供。それだけに、「エルヴィスってロリコンじゃね?」などと言いたくもなるが、まあとにかくプリシラを可愛がるのだ。

それでもまだ2人が西ドイツにいるときは、プリシラの両親が厳しくて、そこには一定の線が引かれていたわけだが、エルヴィスが兵役を終えてアメリカに戻ると、プリシラの恋心は一層燃え上がる。「会えない時間が愛を育てる」ってやつですなぁ~。

だから、エルヴィスから「グレイスランドに来ないか?」と誘われたら、これはもう止められない。両親を説き伏せて、エルヴィスのもとに走るのだ。そして、そこから学校に通うのである。そう。彼女はまだ高校生だったのだ。

プリシラにとって、エルヴィスのところに行くということは、両親の庇護のもとから旅立って、大人の世界に足を踏み入れるということでもあったのだろう。

最初のうちは、豪華なセレブ生活を楽しむプリシラ。その時の彼女は、エルヴィス色に染まることに疑問を持たなかった。エルヴィスは「自分が外から電話をした時に必ず家にいてほしい」と言う。おまけに、プリシラの髪の色や服装、化粧まで自分の好みにしないと不機嫌になる。ある意味、モラハラっぽい男なのだ。

それでもプリシラは、最初はエルヴィスの言うがままに振る舞い、自分を出すことはなかった。エルヴィスが共演女優と浮名を流しても、それを否定する彼の言葉を信じて、平静を装おうとした。

だが、次第にプリシラは孤独と疎外感を感じるようになる。エルヴィスは一時スランプに陥り、精神世界に入り込んだりするが、やがて歌手として復活し精力的に活動するようになる。その間にプリシラは子供を産むが(その子がマイケル・ジャクソンニコラス・ケイジの元妻の故リサ・マリー・プレスリー)、その後はエルヴィスから心が離れてしまう。

本作はプリシラを中心に組み立てられたドラマであり、エルヴィスもプリシラの視点を通して描かれる。エルヴィスのステージシーンや俳優として活躍する場面はほとんどない。その代わり、プリシラと2人でいる時の言動から、彼の弱さや孤独が浮き彫りになる。

それをプリシラに癒してもらおうとするわけだが、ティーンエイジャーの頃ならともかく、成長していくうちにプリシラの内面も成長し、そんなエルヴィスに違和感を持ち始める。結局、プリシラはエルヴィスの孤独を癒せないし、エルヴィスはプリシラの孤独を癒せなかったのだ。

そして、彼女はついに自立を決意する。そこで流れるのはドリー・パートンの「I Will Always Love You」。これがいいんだなぁ~。心に染みますよ。

この映画の欠点といえば、プリシラの決断が少し唐突な感じがするところだろうか。そのあたりはもっと丁寧に描いてもよかった気がするが、自伝がベースだから仕方ないのかもしれない。

というわけで、この物語は、ひとりの少女が成長して自立するまでを描いた物語なのだ。女性の成長というテーマは、コッポラ監督にとって一貫したテーマとも言える。女性ならずとも共感する人は多いだろう。

それにしても、プリシラ役のケイリー・スピーニーの演技がすごい。この人、実際は24歳なのに14歳のプリシラを演じて全く違和感がない。しかも、成長して大人になった彼女も全く自然に演じている。その繊細かつ驚異的な演技に対して、ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞が贈られたのも納得だろう。

一方、エルヴィス役のジェイコブ・エロルディも外見はともかく、しゃべり方などはいかにもという感じ。こちらもエルヴィスという人間の弱さを巧みに表現していた。

◆「プリシラ」(PRISCILLA)
(2023年 アメリカ)(上映時間1時間53分)
監督・脚本・製作:ソフィア・コッポラ
出演:ケイリー・スピーニー、ジェイコブ・エロルディ、ダグマーラ・ドミンスク、アリ・コーエン、ティム・ポスト、オリヴィア・バレット、リン・グリフィン、ダニエル・バーン、ロドリゴ・フェルナンデス=ストール、ステファニー・ムーア、ルーク・ハンフリー
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/priscilla/

 


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「毒親<ドクチン>」

毒親<ドクチン>」
2024年4月15日(月)ポレポレ東中野にて。午後3時より鑑賞(E-7)

~女子高生は自殺か、殺されたのか。ミステリーの中に母と娘のゆがんだ関係を織り込む

 

ポレポレ東中野に行くのは久しぶりだ。ここはドキュメンタリーを中心に上映しているので、なかなかそこまで追いかける余裕がないのだ。しかし、この日に観たのは劇映画。韓国映画毒親<ドクチン>」だ。ホラー映画「オクス駅お化け」(2022)の脚色や「覗き屋」(2022)の脚本を担当したキム・スインの長編映画監督デビュー作だ。

ドラマはある女子高生の死から始まる。河原のキャンプ場でユリ(カン・アンナ)が死体で発見される。車の中で複数の人々ともに死んでいたため、捜査に当たるオ刑事ら警察は集団自殺の可能性が高いと考える。だが、ユリの母親ヘヨン(チャン・ソヒ)は「娘が自殺するはずない」と猛抗議する……。

いうまでもなく、本作の基本はミステリーだ。ユリという女子高生の死の真相をめぐって、警察、ユリの母親、担任、級友などが激しく動き回るさまを、時制を行き来しながら描き出す。

警察は当初は集団自殺だと考えるが、母親のヘヨンは「娘が自殺するはずがない」と警察に抗議し、娘は殺されたのだと主張する。仕方なく、警察は自殺以外の可能性も考えて捜査をする。すると、謎が次々に浮上する。

それと同時に、ヘヨンは思わぬ行動に出る。ユリが死の直前に担任教師ギボム(ユン・ジュンウォン)と2人きりで会っていたことを知り、彼が怪しいと考える。また、優等生だったユリがアイドル志望の級友イェナ(チェ・ソユン)と交流を持っていたことから、彼女も怪しいと考えて2人を告訴するのだ。

断固として娘の自殺を否定し、犯人探しに突き進むヘヨン。その気持ちの根底には娘への強い愛があり、共感する観客も多いことだろう。

だが、次第に明らかになるのは、ヘヨンの異常なまでの娘への執着と拘束だ。彼女は、自分の理想通りに娘を育てようとして、娘を監視し、支配していたのだ。ユリはそのため、精神科クリニックに通い、うつ病の薬を服用していたのである。

ドラマの中盤で、邦題にある「毒親」という言葉が浮上してくる。それはまさにヘヨンのことを指す言葉だろう。

とはいえ、本作の特徴は、彼女のことを完全な悪女として描いてはいないことだ。娘への過剰な愛情がゆがんだ形で表出し、娘に恐怖を感じさせるまでになってしまう。そんな母親の例は、日本でもけっして珍しくはないだろう。つまり、誰でもヘヨンのようになってしまう可能性があることを、示唆しているのである。

暴力的なシーンを極力排除しているのも、ヘヨンを単なる悪女にしない配慮ではないだろうか。また、ヘヨンの言動の背景には、韓国の過度な学歴主義もあるように思える。真面目で優等生の娘を一流の大学に入れる。それこそがヘヨンの願いなのだ。しかし、それが彼女を暴走させる。

ともあれ、ミステリーとしての魅力の詰まった映画だ。SNS、現場から逃げ出した一人の青年、録音された音声、2台の携帯など次々に謎をばらまきながら、観客を混乱の渦に巻き込んでいく。

こういう話は取り立てて目新しいものではないが、それでも二転三転する展開で飽きさせない。そこにはホラー的なテイストも感じられる。刑事のセリフなどがやや定番すぎるきらいはあるものの、それほど気になるものではなかった。

ドラマの終盤、現場から逃げ出した青年が見つかったことから、ドラマは急展開を見せる。果たしてユリは殺されたのか、自殺なのか……。

ラストも秀逸だ。事件が決着したのちのヘヨンの姿を映すと同時に、担任教師ギボムの家族のドラマも映し出す。実は彼も父親から大企業に就職した兄と比較して、不当におとしめられ、罵倒されていたのだ。しかし、それまでは何も言えなかったギボムが、最後に明確な反抗の意思を示す。それはまるで、生前ヘヨンに反抗できなかったユリの気持ちを、代弁するかのような行動だった。

ミステリーという枠の中で、母と娘のゆがんだ関係を描いた本作は、女性監督によるエンタメ性と社会問題を両立させた作品という点で、イ・ソルヒ監督の「ビニールハウス」、キン・セイン監督の「同じ下着を着るふたりの女」などにも通じる作品といえるだろう。その中でも、よりエンタメ性が強いのが本作かもしれない。キム・スイン監督の今後の活躍に期待を抱かせる。

基本はごく普通の母親ながら一線を越えてしまうヘヨンを演じたチャン・ソヒ(ドラマ「ストーリー・オブ・マーメイド」「妻の誘惑」)、その母親に翻弄されるユリを演じたカン・アンナ(ドラマ「ペーパー・ハウス・コリア 統一通貨を奪え」)の演技も見事なものだった。

◆「毒親<ドクチン>」(TOXIC PARENTS)
(2023年 韓国)(上映時間1時間44分)
監督・脚本:キム・スイン
出演:チャン・ソヒ、カン・アンナ、チェ・ソユン、ユン・ジュンウォン、オ・テギョン、チョ・ヒョンギュン
ポレポレ東中野ほかにて公開中
ホームページ https://dokuchin.brighthorse-film.com/

 


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「ブルックリンでオペラを」

「ブルックリンでオペラを」
2024年4月10日(水)シネ・リーブル池袋にて。午後3時20分より鑑賞(スクリーン2/D-3)

~常識外れの人間たちが笑いを巻き起こす上質の夫婦コメディ

公開作品の案内が映画館になかったので近所の桜の写真を・・・。

ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズでブレイクし、「パーフェクト・ケア」「シラノ」などで個性的な演技を披露しているピーター・ディンクレイジ。彼がアン・ハサウェイマリサ・トメイと共演した映画が「ブルックリンでオペラを」だ。

ブルックリンに住むオペラの作曲家スティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は、妻の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)と幸せそうに暮らしていた。だが、スティーブンには悩みがあった。作曲ができずに人生最大のスランプに陥っていたのだ。

ある日、スティーブンはパトリシアのアドバイスで、愛犬を連れて散歩に出かける。その途中に寄ったバーで、一人の女性と出会う。引き船の船長をしているというカトリーヌ(マリサ・トメイ)だ。

彼女に誘われて彼女が船長をしている船を見に行くスティーブン。するとカトリーヌはスティーブンを誘惑する。

その後、スティーブンはこの一件をもとにオペラを書く。その公演は大成功に終わる。だが、公演後のロビーにはカトリーヌ本人が待ち受けていて……。

この映画の全体的なタッチはクスクス笑えるコメディだ。監督・脚本のレベッカ・ミラー(劇作家アーサー・ミラーの娘で、引退した名優ダニエル・デイ=ルイスの妻)は、「スクリューボール・コメディをやりたかった」と語っているという。

スクリューボール・コメディは「1930年代初頭から1940年代にかけてハリウッドでさかんに作られたコメディ映画のサブジャンル。常識にとらわれない登場人物、テンポのよい洒落た会話、つぎつぎに事件が起きる波乱にとんだ物語などを主な特徴とする」(Wikipediaより引用)。

その通り、このドラマに登場するのは、常識にとらわれない人物ばかり。スティーブンはスランプで年中しかめっ面をしているし、パトリシアは病的な潔癖症。カトリーヌは恋愛依存症だ。こういう人物が、あれやこれやと入り乱れ、笑いを巻き起こしていくのである。

中盤まではカトリーヌとの出会いによって、スティーブンとパトリシアの夫婦関係が大きく変化する様子に焦点があてられる。このまま常識的な線で物語が進むかと思いきや、その後は予想もしない意外な方向に物語が進みだす。

映画の序盤で、10代の若いカップルの熱愛場面が描かれる。これがパトリシアの連れ子のジュリアンと、彼女たちの家のハウスキーパーのマグダレナ(ヨアンナ・クーリク)の娘テレザ。2人はラブラブだ。

だが、その恋路を邪魔するものがいる。マグダレナの夫のトレイ(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)だ。テレザもマグダレナの連れ子なので、トレイはテレザの義父ということになる。彼が熱中しているのは、南北戦争再現ごっこ。仮装して本物の銃を持って参加するのだ。この強烈なキャラもスクリューボール・コメディにはピッタリ。

さりとて、この超保守親父が10代の娘の恋愛など許すはずがない。そこでトレイの魔手から逃れて、若い2人のロマンス成就に向けて登場人物が奔走するのが後半の展開というわけ。

とはいえ、ロマンスに突っ走る10代のカップルに、「たぷん高確率で別れる」などと言わせて甘いだけでない現実を突きつけたり、人種差別や移民の苦悩(マグダレナは不法移民)に言及したり、ダイバシティなどの現代社会に対する目配りもしっかり効かせている。もちろん、お説教臭さは微塵もない。

劇中に登場するオペラも秀逸だ。特に最後のSFロマンスもののオペラは、なかなか面白くて見入ってしまった。これも本作の大きな見どころ。

ラストはみんなが落ち着くところに落ち着くハッピーなエンディング。そこで最後に映るアン・ハサウェイの尼僧姿が傑作。

俳優陣の個性的な演技も目を引く。ちょっとやりすぎぐらいにやっていて、それで嫌味にならないのだからバランス感覚が絶妙だ。

ちょっとウディ・アレンの映画を思わせるこの作品。すべてにおいてバランスの良さが光る上質な映画だ。「ただのラブコメかな」とあまり期待していなかったのだが、期待以上の面白さで、観終わって後味さわやかに映画館を出ることができた。ブルース・スプリングスティーンの歌う主題歌もなかなか良い。

◆「ブルックリンでオペラを」(SHE CAME TO ME)
(2023年 アメリカ)(上映時間1時間42分)
監督・脚本・製作:レベッカ・ミラー
出演:ピーター・ディンクレイジマリサ・トメイ、ヨアンナ・クーリク、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、エヴァン・エリソン、ハーロウ・ジェーン、アン・ハサウェイ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/BrooklynOpera/

 


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「パスト ライブス/再会」

「パスト ライブス/再会」
2024年4月6日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後3時30分より鑑賞(スクリーン9/E-10)

~幼なじみの2人の24年目の再会。繊細な感情描写で切なさ最高潮

 

激しいだけが恋じゃない。恋愛には様々な形があるのだ。ハリウッドのロマンス映画といえば、情熱的だったり、とびっきりおしゃれだったりする印象があるが、それとはだいぶ違う恋愛映画が公開されてヒットした。今年のアカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされた「パスト ライブス/再会」である。

映画の冒頭、3人の男女がバーで会話をしている。ノラとその夫アーサー、そしてヘソン。ノラとヘソンは韓国人。アーサーはアメリカ人だ。3人の過去に何があって、どうしてここにいるのか。それがその後に描かれる。

韓国・ソウル。12歳のナヨンとヘソンはとても仲がいい。2人はともに成績優秀だ。ナヨンは無邪気に、「将来はヘソンと結婚する」などと言っている。とはいえ、それは幼い頃のありふれた関係のように思えた。

まもなく、ナヨンの両親がカナダに移住することになり、2人は離れ離れになる。その時のシーンが印象的だ。学校からの帰り道。今まで黙っていたヘソンが「サヨナラ」とだけ言って、分かれ道の片方に去っていく。ナヨンはもう一方の道へ去っていく。その後のドラマに続く余韻の残るシーンだ。

そして、話は12年後に飛ぶ。ナヨン(グレタ・リー)はニューヨークに移り、ノラと名を変えて作家を目指していた。一方のヘソン(ユ・テオ)は韓国で兵役につき、その後大学に進学していた。ヘソンはナヨンをネット上で探す。それを知ったナヨンはヘソンにメッセージを送る。それをきっかけに、2人はオンライン上で会話するようになる。

まるで12年の時がなかったかのように、2人はすぐに打ち解けて親密になる。2人ともお互いの関係が特別なものだと、心のどこかで悟っていたのだろう。だが、それでも乗り越えられないものがある。ニューヨークとソウルの距離だ。

ナヨンはヘソンがニューヨークに来てくれたらと願うが、ヘソンは上海への留学が決まっていてそれは難しかった。ナヨンとて作家への道が開かれつつある中で、ソウルに飛ぶことは難しい。2人はやがて疎遠になる。

それから12年後。つまり、12歳で出会った2人にとって24年後。ヘソンがニューヨークにやってくることになる。だが、ナヨンにはすでに作家の夫アーサー(ジョン・マガロ)がいた。2人は会うことにするが……。

下手なメロドラマならドロドロの三角関係になりそうな話だが、そうはならない。このドラマ全体に言えることだが、ごく抑制的なタッチで描かれている。そして何よりも繊細な描写が目に付く。セリフはもちろんだが、それ以外でもナヨンとヘソンの複雑な感情を実に鮮やかに切り取る。

カメラワークも巧みだ。切り返しの映像はほとんど使わない。例えば2人が会話するときに、片方の人物にカメラを据えて、その感情の揺れ動きをしっかりととらえる。大胆なそのカメラワークが、2人の微妙な距離感まで映し出す。愛する喜び、苦しさ、そして葛藤。

東洋的な情緒が漂うのも本作の特徴だ。ナヨンは「イニョン」の話をよくする。それは日本語では「縁」。「袖振り合うも多生の縁」ではないが、道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだという。もちろん西洋にもこうした考えはあるのかもしれないが、「イニョン」「縁」「前世」「来世」という言葉に東洋的な響きを感じずにはいられない。

ナヨンとヘソンはまさしく「イニョン」の関係だ。特別な人。言葉を変えて言えば「運命の人」なわけだ。お互いにそれを薄々感じてはいたが、ニューヨークでいろいろなところをめぐるうちに、はっきりとそれを自覚したのだろう。生き生きとした2人の姿からそれがわかる。そして「もしもあの時違った選択をしていたら」とつい考えてしまう。

ここで冒頭の場面が再び登場する。バーでヘソンとナヨンは韓国語で親しく会話をする。その時には、英語しか介さないナヨンの夫アーサーは置いてけぼりだ。だから、ナヨンが通訳して意味を伝える。それでもヘソンとナヨンの関係に、特別なものを感じ取ったアーサーは不安だ。

その後、ナヨンは帰国するヘソンを見送る。たとえ「運命の人」だとわかっていても、どうしようもないこともあるのだ。そこで無言で黙々と歩く2人をカメラがとらえる。別れ際、無言のまま抱き合う2人。もしも来世で出会ったなら……。

ヘソンが去った後、同じ道を帰るナヨン。そして彼女の涙。一方、タクシーからニューヨークの街を見つめるヘソン。2人はこれからも、お互いの存在を感じつつ、別々の人生を生きていくのだろう。

「大人のラブストーリー」という宣伝文句で語られている本作だが、そんな言葉が陳腐に感じられるほど深く、じんわりと胸にしみるドラマだった。中盤以降、切なさがどんどん募って、ラストシーンは胸が痛いほどだった。

肉体関係もなく、ずっと離れていた2人がこれほど惹かれ合うのを、不自然に感じる人もいるかもしれない。しかし、これが長編初監督作品のセリーヌ・ソン監督は、そんな2人の関係を不自然さを微塵も感じさせずに描き出している。聞けば自身の経験をもとにこのドラマを描いたという。物語の背景となるソウルとニューヨークの街並みもリアルに映し出されていた。

これと全く同じとは言わないまでも、似たような経験をした人も多いはず。かくいう私も……。というわけで、ますます切なくなってしまった。

ナヨン役のグレタ・リー、ヘソン役のユ・テオはともに素晴らしい演技。セリフとは違う感情を表現する演技は難しいはずだが、2人ともそれを軽々とやってのけている。グレタ・リーは韓国系移民2世で、アメリカで俳優をしているとのこと。ユはドイツ生まれで現在は韓国で俳優をしているとのこと。よくぞこの2人を起用したものだ。アーサー役のジョン・マガロも、妻を取られるのではないかと不安そうな(だからと言って暴力に訴えたりしない)演技が絶品だった。

アカデミー賞はじめいろいろな賞レースをにぎわせたのも納得の作品。製作はまたしてもA24(韓国との合作)。さすが目の付け所が違うよなぁ。過去に私が観た恋愛映画の中でも上位にランクされる作品。何回も観たくなる素晴らしい映画だった。

◆「パスト ライブス/再会」(PAST LIVES)
(2023年 アメリカ・韓国)(上映時間1時間46分)
監督:セリーヌ・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ、ムン・スンア、イム・スンミン、ユン・ジヘ、チェ・ウォニョン
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://happinet-phantom.com/pastlives/

 


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「オッペンハイマー」

オッペンハイマー
2024年4月2日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時35分より鑑賞(スクリーン8/I-20)

~天才物理学者の苦悩と葛藤の日々。映像の力に圧倒される


第96回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィー)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門を受賞した映画「オッペンハイマー」。これは観ないわけにはいかないだろう。というので行ってきたのだ。

原爆を開発した科学者の伝記映画だ。舞台は1920年代から50年代。アメリカは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに先駆けて原子爆弾を開発することを目標に極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を始動させた。そのリーダーには、天才物理学者ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)が任命される。彼はニューメキシコ州のロスアラモス研究所で原爆開発を進め、ついに世界初の核実験を成功させる。その後、広島・長崎に原爆が投下されオッペンハイマーは英雄となるが、戦後は核開発に反対して共産主義者と決めつけられて失脚する……。

本作は、日本の配給会社がなかなか決まらず公開が危ぶまれていた。配給会社が躊躇するのもわかる。原爆実験の成功を歓喜する人々の熱狂ぶりを見た時に、その後の広島・長崎の惨状を想起して背筋が寒くなった。

原爆投下後にオッペンハイマーらが被爆地の映像を見る場面があるが、その惨状は映さない。オッペンハイマーが、ただ目を背けてうつむく様子を見せるだけなのだ。アカデミー受賞式後に、「ゴジラ-1.0」の山崎貴監督が、「日本人として『オッペンハイマー』に対するアンサーの映画を作らなきゃいけないんじゃないか」と言ったのもよくわかる。

ただ、それでもこの映画を観ることができて良かったと思う。アメリカの世論や映画界の限界があったとしても、核の恐ろしさは十分に伝わってくる映画だった。「原爆投下のおかげで多くの命が救われた」というアメリカの常識(?)に対しても、けっして肯定的な描き方はしていない。現代の世界が直面する、核による平和がいかに危険で危ういものかを実感させるつくりだった。

それより何より、オッペンハイマーの人間ドラマとして見応え十分の映画だった。彼の複雑な側面をしっかりとスクリーンに刻み付けていた。

全体の構成は、時制を行き来しながらドラマを構築するクリストファー・ノーラン監督お得意の手法による。そこではカラーとモノクロが巧みに使い分けられている。

その軸になるのは2つの公聴会での会話劇だ。オッペンハイマー共産主義者の嫌疑をかけられた、いわゆる「赤狩り」の公聴会。そして、アメリ原子力委員会の委員長だったストロース(ロバート・ダウニー・Jr.)の公聴会。前者はなぜか狭い部屋で目立たないように行われるが、後になってそれが仕掛けられたものであることがわかる。

その合間に描かれるのは、オッペンハイマーのそれまでの人生だ。若き日にイギリスやドイツの名門大学に留学し、教職に就き、共産主義に傾倒する。その後、軍に請われて原爆開発に乗り出し、ロスアラモス研究所でくせ者揃いの天才たちをまとめて、実験を成功させる。そうした様子をテンポよく描き出す。

その中では彼の女性関係も描かれる。妻キティ(エミリー・ブラント)、元恋人ジーン(フローレンス・ピュー)とのもつれた関係だ。二人の女性ともかなりアクが強い。それに翻弄されるオッペンハイマーの苦悩と葛藤をあぶり出す。

正直なところ前半は、大量の科学者が登場し物理の専門的な話も多く、ついていくのが大変だった。しかし、それを乗り越えると、中盤以降はどんどんドラマに引き込まれた。

オッペンハイマーは天才物理学者であっても、弱さと未熟さを持つ人間だ。若き日の彼は自分を邪険にした人物を毒リンゴで殺そうとする。その後は学問に励み、政府の取り立てで原爆開発に邁進するが、その心は次第に揺れてくる。自分の開発した「大量破壊兵器」の威力におののくようになる。

その描写を支えるのが映像の力だ。序盤からテレンス・マリック監督ばりの美しすぎる映像が目を引くが、何といっても最大の見せ場はトリニティ実験の核爆発の映像である。スクリーンがすさまじい光と炎、そして完全な静寂に包まれる。その破壊力ときたら「とんでもないものを見た」と思わせるほどだ。CGを使わずにIMAX用の65ミリフィルムで撮影したというが、それだけで核の恐ろしさを見せつけられた。

実は今回私が鑑賞したのはIMAX上映。IMAX用に撮影された映画をIMAXのスクリーンで観るのはたぶん初めての経験だと思う(普通の映画をIMAXスクリーンで観たことはあるが)。それだけに、なおさら映像の力を実感した。

終盤、それまでの時制をバラした映像の持つ意味が明らかになり、物語は一つに収斂される。孤独な男の末路は、お気楽な英雄物語とは違い苦さに満ちたものだった。同時に、彼を追い落とそうとしたストロースにもハッピーエンドは訪れない。このエンディングも示唆に富むものだった。

俳優陣の演技もすごい。主演のキリアン・マーフィをはじめ、エミリー・ブラントマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネットケイシー・アフレックラミ・マレックケネス・ブラナーなどなど。観ただけでは「あなた誰?」と思ってしまうほどの化け方をした人も多く、その熱の入った演技に圧倒された。

ちなみに、アインシュタイン役のトム・コンティは、「戦場のメリークリスマス」のロレンス役だった人なのね~。

この超豪華俳優陣も含めて、完全にアカデミー賞を狙ったと思える映画。その思惑通りに受賞してしまうのだから、凄い映画なのは間違いなし。3時間の長尺をまったく感じさせなかった。ノーラン監督の集大成的な作品といえるかもしれない。

天才物理学者の苦悩に満ちた人生を描き出し、核の恐ろしさと赤狩りの恐怖を見せつけた本作。内容に賛否はあるにしても、見逃す手はありませんぞ。できればIMAXで。

◆「オッペンハイマー」(OPPENHEIMER)
(2023年 アメリカ)(上映時間3時間)
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラントマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネットケイシー・アフレックラミ・マレックケネス・ブラナー、ディラン・アーノルド、デヴィッド・クラムホルツ、マシュー・モディーン、ジェファーソン・ホール、ベニー・サフディ、デヴィッド・ダストマルチャン、トム・コンティゲイリー・オールドマン
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.oppenheimermovie.jp/

 


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「12日の殺人」

「12日の殺人」
2024年3月29日(金)新宿武蔵野館にて。午後2時10分より鑑賞(スクリーン2/C-8)

~迷走する殺人事件の犯人探し。刑事たちの人間ドラマに妙味アリ

ドミニク・モル監督の「悪なき殺人」(2021年)は、ある失踪事件を軸にした5人の男女の物語でなかなか面白かった。そのモル監督の新作が「12日の殺人」だ。

2016年10月12日の夜。21歳の女性クララが、何者かにガソリンをかけられ、生きたまま焼き殺される。さっそく捜査が開始され、殺人課の班長に昇進したばかりのヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いるチームが捜査を開始する。ヨアンとベテラン刑事マルソー(ブーリ・ランネール)は聞き込みをするが、その中でクララが複数の男性と関係を持っていたことが明らかになり、相手の男たちが次々に捜査線上に浮上してくる。だが、決定的な証拠はなく、犯人逮捕に至らないまま時間だけが過ぎていく……。

この映画は実際に起きた未解決事件がもとになっている。映画の冒頭でその旨が告げられる。つまり、犯人は見つからないのだ。だから、犯人探しにはあまり期待しないほうが良いだろう。

とはいえ、それなりにミステリー的な魅力もある。ヨアンたち刑事が殺されたクララの交友関係を洗ううちに、様々な怪しい男たちが疑惑の俎上に上る。だが、決定的な証拠は出てこない。刑事たちはどんどん混乱の渦に巻き込まれていく。その経緯を緊迫感たっぷりに描き出す。

しかし、それ以上に重点を置いて描かれるのが刑事たちの人間模様だ。未解決事件を捜査する刑事たちを描いたドラマには「ゾディアック」(2007年)、「殺人の追憶」(2003年)などがあるが、いずれも犯人探し以上に人間ドラマに妙味がある。

本作の冒頭では刑事のヨアンが公道ではなく、トラックを周回しながら自転車を走らせるシーンが映る。彼はストイックで、何もかもキッチリしないと済まない性格だ。

続いて映るのは殺人課の班長が定年で退職するのを、みんなでお祝いするシーン。ヨアンは彼から班長を引き継ぐ。その晴れやかで明るいシーンが、その後の捜査の混乱ぶりと鮮やかなコントラストを成す。

捜査が進むにつれて刑事たちの心理も露わになる。特に、ベテラン刑事のマルソーは妻が不倫をして、離婚を突きつけられている。その苦悩が捜査にも影を落とす。家に帰れないマルソーをヨアンは自宅に泊めるが、そこで両者の性格の違いが明らかになる。

捜査は何度もゴールに近づくが、そのたびに振出しに戻る。ヨアンの焦燥感はどんどん高まっていく。

それ以上に焦り、イラついていたのがマルソーだ。彼は私生活のトラブルも相まって、ついにブチ切れて独断でとんでもない行動に出る。それをヨアンは必死で押しとどめる。

もう一つ、この映画で注目すべきことがある。ジェンダーの問題だ。捜査にあたるチームは全員が男で、配属された新人刑事がからかいの対象にされるなど体育会的な体質を持つ。そんな男優位の状況は捜査の局面でも顔をのぞかせる。

映画の中盤で、クララの友人が刑事たちに何度もクララの男関係を尋ねられて、「彼女は女だから殺されたのだ!」と反論する場面がある。犯人を突き止めるためとはいえ、クララの男性関係が容赦なく暴かれることに異議申し立てをするのだ。

そしてもう一人、男社会に疑問をさしはさむ女性が出現する。クララの事件は犯人が捕まらないまま、予算の関係もあって捜査が打ち切りになってしまう。しかし、その3年後、新任の女性判事が再捜査を命じて再び動き出す。

再捜査にあたるのはもちろんヨアンたちだが、そのチームにはすでにマルソーはいない。代わりに女性刑事がチームに加わっていた。その彼女は捜査の途中でズバリと言う。「警察組織は男社会だ。犯人も男。そしてそれを捕まえるのも男だ」と。これぞまさに今の社会のカタチを的確に言い表した言葉ではないか。本作はジェンダー的視点を持った現代社会を投影した映画だと言える。

その3年後のドラマには、犯人探し的な盛り上げもある。クララの墓に仕込まれたカメラにある男が映っていたのだ。こいつが犯人なのか!? 

そして、最後はヨアンがトラックではなく、公道に初めて自転車を漕ぎだす。それは彼が新たな人生を踏み出そうとしていることに加え、これからの社会もまた新たな展開を見せることに期待しているともとれる場面だ。

犯人探しの妙味はイマイチだが、刑事たちの人間ドラマには見どころがある。背景に男社会の弊害を描いた点も見逃せない。フランスのアカデミー賞と言われるセザール賞で、最優秀作品賞をはじめ6冠を受賞したのも納得。

◆「12日の殺人」(LA NUIT DU 12)
(2022年 フランス)(上映時間2時間1分)
監督:ドミニク・モル
出演:バスティアン・ブイヨン、ブーリ・ランネール、テオ・ショルビ、ジョアン・ディオネ、チボー・エヴラール、ポーリーヌ・セリエーズ、ルーラ・コットン=フラピエ、ピエール・ロタン、アヌーク・グランベール、ムーナ・スアレム
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://12th-movie.com/

 


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