映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」

「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」
新宿ピカデリーにて。2017年8月1日(火)午前9時20分より鑑賞(シアター8/F-9)。

昔、アメリカに「ザ・マミー」という覆面レスラーがいた。全身を包帯で覆った格好で、ホラー映画のミイラ男をネタにしたものだった。昔の写真か何かで見た記憶があるのだが、不気味さ満開のレスラーだった。

そんなミイラ男ならぬミイラ女が登場する映画が「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」(THE MUMMY)(2017年 アメリカ)である。ユニバーサル・スタジオが昔のモンスターたちを再生させる “ダーク・ユニバース” プロジェクトの第一弾で、1932年の「ミイラ再生」をリブートしている。

ちなみに、この「ミイラ再生」は、1999年の「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」でもリブートされている。

いかにも謎めいた出だしの映画だ。まず描かれるのは12世紀のイギリスで、十字軍の兵士たちが埋葬されるところ。続いて、現代のイギリスで地下の鉄道工事中に、その墓所が発見される。

さらに話は飛んで、5000年前の古代エジプト。王女アマネット(ソフィア・ブテラ)は次期女王になるはずだったのに、王に王子が誕生したため約束が反故にされる。怒り狂った彼女は死の神“セト”と契約を交わし、王や王子を殺害するが、セト神を蘇らせる儀式の途中に捕えられ、生きながらミイラにされてしまう。

そして、舞台は再び現代へ。今度は激しい戦闘中の中東イラクだ。米軍関係者でありながら、古代の遺品の横流しに手を染めるニック(トム・クルーズ)は、相棒とともに反政府軍の真っただ中に飛び込んで、遺物をかっさらおうとする。

というわけで、ニックを演じるのはトム・クルーズ。とくれば、これはもうアクション全開と相場が決まっている。弾丸飛び交い、爆発も起きる中、体当たりのアクションを披露する。この映画の最大の見どころは、このド迫力のアクションだ。

そんな中、地中に埋もれていた古代の遺跡が偶然現れる。ニックが考古学者のジェニー(アナベル・ウォーリス)とともに探索すると、そこは何やら墓のようだ。そうである。そこには生きながらミイラにされた古代エジプトの王女アマネットの棺があったのだ。

ジェニーとニックは、その棺を調査するために飛行機でイギリスに運ぼうとする。しかし、突然、飛行機に異常が起きてしまう。あわや墜落という中、ここでもトム・クルーズとジェニーを演じるアナベル・ウォーリスによる、ハラハラドキドキ感満載のアクションが展開する。

とはいえ、アクションだけの映画ではない。さすがに“ダーク・ユニバース”というだけに、ホラー的な要素もタップリある。飛行機が墜落して死んだはずのニックだが、なぜか無傷のまま遺体安置所で目を覚ます。そして、彼は幻覚のようなものの中で王女アマネットと遭遇し、その言葉に導かれるように行方不明になった棺の行方を捜す。

そして、そして、ついにアマネットの復活だ!!! ただし、ミイラ男のような包帯姿ではない。5000年の眠りから甦った彼女の容貌ときたら、この世のものとは思えない気色の悪さだ。ミイラというよりは完全にモンスター。まさにホラー映画にふさわしい造形なのだ。

気色悪い容貌といえば、毒蜘蛛に噛まれたニックの同僚も恐ろしい姿に変身する。その姿はまるでゾンビだ。さらに、アマネットによって甦った死体たちも、完全にゾンビ軍団である。というわけで、ホラー的な要素もちゃ~んと追求されている映画なのである。

中盤から後半にかけては、考古学者ジェニーの背後にある秘密組織のボス、ジキル博士(ラッセル・クロウ)も登場し、事態をますます複雑にさせる。

ドラマ全体の柱は、ニックVSアマネットの対決だが、単純な善悪で括れるものではない。もっと複層的な様相を呈している。アマネットが持つセトの剣と宝石の話なども絡んでくるなど、ディテールもかなり凝っている。

ただし、いろんな話が詰め込まれているので、ボーッとしているとよくわからなくなるかもしれない。正直、オレもよく理解できないところがあった。それはラッセル・クロウ演じるジキル博士のキャラクターだ。彼はいったい何を狙っていたのだ??? 何だか変な注射をして変身するようなのだが、そのあたりのキャラがイマイチ理解できなかったのである。

ともあれ、クライマックスは盛り上がる。もちろん、アマネットとニックの決戦だ。ニックはアマネットを倒して瀕死のジェニーを救えるのか???

ちなみに、最初はモンスターのようだったアマネットだが、徐々に王女っぽいルックスに戻ってくる。そのあたりの加減がなかなか良い。演じるソフィア・ブテラが、エロいオーラを出していたりもするので、なおさら怪しさが漂っている。

正直観終わっても何も残らないし、ドラマ的な深みがあるわけでもない。ホラー映画として突き抜けた怖さも感じられない。

それでもアクションとホラーを巧みにブレンドしたエンタメ映画として、難しいことを考えずに観れば十分に楽しめそうである。そういう意味で夏休みにはピッタリかも。テーマパーク感覚で、お気楽にご鑑賞くださいませ。

●今日の映画代、1100円。毎月1日はたいていの映画館がサービスデー料金。

「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」

「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」
角川シネマ有楽町にて。2017年7月29日(土)午後1時10分より鑑賞(F-9)。

マクドナルドにはよく行く。平日の比較的空いた時間を狙って行き、ハンバーガーを食べつつ新聞を読んだり、パソコン仕事をするのである。なんせノマドワーカー(もう死語?)なもので。

しかし、ずっと疑問だったのだが、ケンタッキーフライドチキンでは創業者のカーネル・サンダースがドッシリ存在感を示しているのに対して、マクドナルドの創業者はどうなってしまったのだろう? 店名から推測するにマクドナルドさんが創業していそうではあるのだが……。

映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」(THE FOUNDER)(2016年 アメリカ)を観て、そんな疑問が一気に氷解した。この作品はまさにマクドナルドの“創業者”レイ・クロックの伝記ドラマなのである。

映画の冒頭で、そのレイ・クロック(マイケル・キートン)の顔が大写しになる。52歳の営業マンの彼は、自分が扱うシェイクミキサー(シェイクを作る機械)を必死で売り込むセールストークを展開しているのだ。だが、あっさり客に断られる。いろんな職を転々としてきたレイだが、今の仕事もあまりうまくいっていないらしい。

ところが、まもなく意外な事態が発生する。なんと一度に8台もの注文が舞い込んだのだ。相手はどんな客なのか。レイがカリフォルニア州南部に車を飛ばすと、そこにあったのは大繁盛のハンバーガーショップ「マクドナルド」だ。経営するのは、マック(ニック・オファーマン)とディック(ジョン・キャロル・リンチ)のマクドナルド兄弟である。

兄弟の案内で店を見たレイは驚愕する。システマティックな調理で、注文からわずか30秒で商品が出てくる。バーガーやポテトは高品質だ。その代わり、皿やフォークはナシ。ウェイトレスも不在という合理的サービスでムダを削減。なにからなにまで、当時としては画期的な店だった。

「これは商売になる!」と直感したレイは「絶対にフランチャイズ化すべきだ!」と兄弟に提案する。しかし、兄弟は全店で質を維持するのは困難だと断る。それでもあきらめられないレイは、必死で頼み込み、ついに契約を取り交わす。こうして彼はフランチャイズ化に乗り出すのだった。

前半の見どころは、マクドナルド兄弟がレイに語る創業物語だろう。ハリウッドでホットドッグ屋を営んでいたものの、店を半分に切ってトラックに積んで移転するなど、面白いエピソードがテンコ盛りだ。開店前にテニスコートに図を描いて、そこでスタッフ総出でシミュレーションするエピソードも意表をついている。

そんな兄弟の波乱万丈のドラマを、「しあわせの隠れ場所」「ウォルト・ディズニーの約束」のジョン・リー・ハンコック監督が軽妙に描いていく。

それにしても、このままなら創業者はマクドナルド兄弟のはずではないか。なにゆえレイ・クロックは“創業者”となったのか。それが描かれるのが後半だ。

フランチャイズ化に乗り出したレイは、妻レセル(ローラ・ダーン)に内緒で家を抵当に入れて金を借り、店をオープンさせる。友達にも声をかけて出店させる。しかし、何だか変な店も出てきたりして思うようにいかない。そこで、自ら気に入ったオーナーをスカウトして店を出させる。

実のところ、マクドナルド兄弟とレイの間には、最初から隙間風が吹いているのだが、それでもこの頃までは、兄弟同様にレイにも、店の質を落としたくないというこだわりが感じられる。

だが、問題はその後だ。店はどんどん増えるものの、利益が思うように上がらないレイ。ついに、借金が返せずに家を取られそうになる。妻にも知られて険悪な雰囲気になる。そんな苦境を背景に、彼はコスト削減のため低品質の商品を売ろうとする。それが兄弟を激怒させ、ますます両者の関係は悪化する。

そして決定的だったのが、レイが新たなビジネスを始めたことだ。ある男のアドバイスで、自分で土地を買ってリースするビジネスモデルをつくり上げたのである。こうなると飲食店というよりもはや不動産業だ。

ドラマが進むにつれて、レイはどんどん強引に、どんどん容赦なくビジネスを展開していく。何かと尽くしてくれた妻も捨てて若い女に走る。それとともに、単なる伝記映画を越えた作り手の意図が見えてくる。それは金さえ稼げれば何でもありの、弱肉強食の資本主義の究極の姿だ。

レイがいつも自己啓発まがいのスピーチのレコードを聞いて、自分を鼓舞しているのも、アメリカンドリームを追う者たちの生態を象徴しているようで興味深い(ちなみに、そのスピーチはトランプ大統領の座右の書らしい)。

そして、ついにレイはマクドナルド兄弟と全面対決し、彼らから「マクドナルド」を奪って、自ら“創業者”を名乗ったのである。ここに至って、彼が「“ ”」つきの創業者である理由が明らかになるのである。

単純なビジネスマンの成功物語ではない。はたしてレイは偉大なビジネスマンなのか、それとも血も涙もない資本主義の怪物なのか。観る人によって解釈が異なりそうな映画である。

作り手も、そのあたりは断定的に描かない。おまけにレイを演じるのはマイケル・キートンだ。かつては「バットマン」でブレイクし、最近になって「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、奇跡の再ブレイクを果たした彼の演技が圧巻である。もともとワルから正義のヒーローまで、何でもこなしてしまうだけに、善悪の境界をいく演技が絶妙だ。

無表情のままマクドナルド兄弟に高圧的に対するレイの態度からは、まさに怪物的な怖ささえ漂ってくる。これがビジネスというものなのか。こうした成功物語には、どす黒い影の部分がつきものとはいえ、個人的にはやっぱり、うすら寒いものを感じてしまったのである。

とはいえ、レイ・クロックという人物がいなければ、日本にマクドナルドは進出しなかったかもしれないわけで……。

そんな一筋縄ではいかない複雑さを持つ見応え十分な映画である。マクドナルドに行かない人も見て損はないはず。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金にて。

夏風邪と映画館マナー

映画の上映前には、必ず映画館マナーを呼びかけるCMが流れる。携帯電話の電源OFF、前の座席を蹴らない、おしゃべりをしない、大きな音で飲食しない等々だ。最近は、公開前の映画の内容とリンクさせた、マナーの呼び掛けと映画のPRを兼ねた映像などもあって、なかなか面白いものである。

それにしても、これだけ呼びかけても、マナーを守らないヤツがいるから困ったものだ、基本中の基本の携帯電話の電源OFFでさえ、平気で無視したりする。数か月前など、上映中に堂々と携帯でメールチェックしやがるヤツがいて、「最近の若いヤツは!」と思ってよく見たら、けっこうな年のオッサンだったのでビックリしたものだ。ええ、もちろん睨みつけてやめさせてやりましたとも。

ところで、上映中に咳ばかりしているというのはマナー的にどうなのだろう。実際、何度かそういう観客に遭遇したことがある。まあ、たいていはマスクをしているのだが、それでも個人的には大いに気になってしまう。咳の音も気になるし、こっちにも風邪が移るのではないかと気になって映画どころではなくなってしまうのだ。

だいたい体調の悪い時に映画館に来たところで、ますます悪化するのが関の山で、回復が早まることなどないと思うのだが……。

などと思っていたら、ついにオレ自身が夏風邪をひいてしまった。喉痛と熱発で、いや苦しい、苦しい。夜なんて、この暑いのに寒気がしてぶるぶる震える始末だもの。しかも症状がひどくなったのが土日なもので、病院にも行けない。休み明けにようやく耳鼻科の医院に行って処方薬をもらってきて、だいぶ良くなってきたのではあるが、まだ咳が続いている。ずっと咳をしているわけではないが、いったん始まるとなかなか収まらない。

これで映画館に行ったら、他の観客に迷惑がかかるだろう。オレ自身も映画に集中できない可能性が高い。映画を愛する者として、そんな無謀な行為は断じてできないのであるッ!!!

などと大げさに語ってしまったが、要するに、ここのところずっと映画館に行けてません。なので映画レビューも書けません。咳が収まるまで、もうしばらくお待ちください。という言い訳のブログなのであった。

まあ、何にしても映画館でのマナーはちゃんと守りましょうね。

「ヒトラーへの285枚の葉書」

ヒトラーへの285枚の葉書
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年7月20日(木)午後6時35分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

暑くてたまらない。油断すると熱中症になりそうだ。おまけに風邪まで引いてしまったらしい。

こんな時には爽やかな映画を……と思わないでもなかったのだが、諸般の事情により、ナチスものの映画を鑑賞してしまった。

ヒトラーへの285枚の葉書』(ALONE IN BERLIN)(2016年 ドイツ・フランス・イギリス)。

今までもたくさん作られてきたナチスをテーマにした映画。「もうネタ切れでは?」と思うかもしれないが、そんなことはない。この映画もなかなかユニークな映画だ。

1947年に出版されたドイツ人作家ハンス・ファラダの小説「ベルリンに一人死す」を俳優としても活躍するヴァンサン・ペレーズ監督が映画化した。とはいえ、まったくのフィクションではない。その小説は、ナチス時代のベルリンで実際に起きた事件の記録をもとに書かれたものだからである。

映画の冒頭では、1人の兵士が森の中で射殺されてしまう。何ともあっけない死だ。

続いて、舞台は戦勝気分に湧き立つナチス政権下のベルリンに移る。工場の職工長のオットーブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のもとに、出征したひとり息子ハンスが戦死したという報せが届く。そう、冒頭であっさり殺されたあの兵士だ。

夫婦は悲嘆にくれる。特にアンナの落胆ぶりは痛々しいほどだ。それに対して、オットーはアンナほど感情を表に出さない。しかし、実は彼の心の中は、悲しみと怒りが渦巻いていたのだ。

その思いをぶつけるように、彼は葉書にヒトラーへの批判を綴る。「息子はヒトラーに殺された」と。そして、その葉書を公共の場所にそっと置いてこようとする。オットーはそれを一人で実行するつもりだったが、アンナも協力を申し出る。こうして夫婦は危険な行為を続けていくのである。その数なんと285枚!

単に葉書を書いて置いてくるだけのシンプルな展開だが、これが意外に面白い。何しろ世間はナチス一色だ。もしも見つかったら大変だ。死刑は免れない。それでも夫婦は人の目を盗んで何とか葉書を置き続ける。まさにハラハラドキドキのサスペンスフルな展開が続くのだ。

そして、もう一つスリルを高めるのが、ゲシュタポのエッシャリヒ警部による捜査である。地図に旗を立てて葉書が置かれた場所を示し、犯人像をあぶりだし、真相に迫ろうとする。その経緯が緊迫感を煽る。

というわけで、スリリングで面白い展開ではあるのだが、これだけではナチスを描いた映画としては物足りない。やはり、そこには深い人間ドラマが欲しい。それがなければ、ナチスへの批判もうわっ滑りになってしまうだろう。

そんな思いを満たしてくれるのが、オットー役のブレンダン・グリーソン(「ハリー・ポッター」シリーズ、「未来を花束にして」など)とアンナ役のエマ・トンプソン(「ハワーズ・エンド」「いつか晴れた日」など)の演技だ。2人ともセリフはそんなに多くないのだが、それ以外の目の演技、手の動かし方などで多くのことを表現する。亡き息子への思い、ナチスへの怒り、夫婦愛などなど。抑制的でありながら味わいに満ち、極めて雄弁な2人の演技が、この作品を奥深いものにしているのである。

ちなみに、ナチスの映画であるにもかかわらず、この映画の言語は英語。最初は、やや違和感を持ったのだが、この2人の演技が、それを消し去ってしまっている。

それにしても恐ろしく哀しい話だ。権力者の批判をしただけで、罪に問われてしまうわけだから。その理不尽さが、スクリーン全体を支配している。前半では、ひっそり隠れて暮らすユダヤ人の老女が、死に追いやられるエピソードが描かれる。そこでは彼女を救おうとする判事なども登場するのだが、彼らにしても自分を曲げなければ生きていけない。

自分を曲げなければいけないのは、エッシャリヒ警部も同じだ。彼は有能な捜査官たらんとして捜査を続けるのだが、親衛隊の幹部はそんなことにお構いなく、理不尽で屈辱的な態度を示す。それによって、彼はある人物を死に追いやることになる。エッシャリヒ警部を演じたダニエル・ブリュール(「グッバイ、レーニン!」「僕とカミンスキーの旅」など)の存在感も見逃せない。

はたして、オットーとアンナにどんな運命が待っているのか。詳しいことは伏せるが、お気楽な救いなどはない。用意されるのは苦く、重たい結末だ。しかし、最後の最後には意外な展開が……。

自分の心に従って、愚直に小さな抵抗を続けたオットーとアンナの思いは、エッシャリヒ警部の心も打ち鳴らし、そして市民にも波及し始めたのかもしれない。そう信じたいラストシーンである。

二度とあの息苦しい時代に戻ってはならないという、作り手の強い思いが感じられる作品だった。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金にて。

「ハートストーン」

「ハートストーン」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2017年7月17日(月)午後1時30分より鑑賞(F-6)。

青春というとキラキラ輝くまばゆい日々というイメージがあるが、実際は影の部分だってたくさんある。感受性豊かな時期であるがゆえに、思わぬ方向に人生が転がってしまうことだってあるだろう。それによって傷つく人も現れるはずだ。青春には残酷な側面も存在するのである。

「ハートストーン」(HJARTASTEINN)(2016年 アイスランドデンマーク)という映画は、そんな青春の光と影の両面を切り取った作品だ。アイスランドの漁村を舞台にした思春期を迎えた少年少女たちのドラマである。

アイスランドの小さな漁村に暮らすソール(バルドゥル・エイナルソン)とクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。幼なじみの彼らは、いつも一緒に行動する大親友だった。そして今、彼らは思春期を迎えている。

映画の冒頭では、彼らを中心に数人の子供たちが魚の群れを発見して、魚を捕まえる。だが、ソールがその魚を家に持って帰ると、母親は「どうせ盗んだんでしょ」と相手にしない。このシーンを観ただけで、かなり屈折した青春ドラマであることがわかるはずだ。思春期の子供たちの無邪気さと、思うにまかせない現実がそこに見える。

ソールとクリスティアンは、特別な子供ではない。捨てられた廃車を壊し、ワルぶってツバをはきまくり、そこにあったエロ写真ではしゃいだりする。あの年頃の子供にはよくある行動だ。そして、いかにも思春期らしく、自分の体の変化に戸惑ったり、性的な興味が高まったりもする。

この映画では、彼らと家族との関係も描かれる。ソールの父は家を出てしまい、母親はいろいろな男たちとつきあうものの、うまくいかないようだ。また、ソールは自由奔放なラケルと芸術家肌のハフディスという対照的な2人の姉妹に囲まれて暮らしていて、彼女たちとの関係も一筋縄ではいかない。

一方、クリスティアン父親は暴力的な男で、妻や息子を殴ることも珍しくない。しかも、彼はゲイを毛嫌いしているようだ。このことも、クリスティアンの行動に大きな影響を与える。

そして、このドラマの大きな転機になるのがソールの恋だ。ソールは大人びた美少女ベータ(ディルヤゥ・ヴァルスドッティル)に恋をするが、なかなか告白できない。それを親友であるクリスティアンが後押しして、何とかうまくいかせようとする。クリスティアン自身も、ベータの女友だちのハンスから好意を持たれ、4人は行動を共にするようになる。

こうして4人の少年少女の青春の日々が瑞々しく描かれる。そこで目を引くのが、繊細な心理描写である。何気ない日常のちょっとした表情やしぐさから、思春期の彼らの揺れ動く心情を余すところなく描き出す。例えば、ただのゲームでキスをする時の表情の変化で、心の内にあるものを映し出したり……。

監督は本作が長編デビューとなるアイスランドのグズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン。自身の少年時代にインスピレーションを得たそうだが、それにしても才気あふれる演出だと思う。

そんな繊細な心理描写を通して、観客はある事実に気づくことだろう。クリスティアンにはソールに対するある秘めた思いがあったのだ。それをチラリと見せるカメラワークが心憎い。それがあるから、後半に用意された急展開が不自然に感じられない。

雄大な自然、どんよりした空など、アイスランド独特の気候や風土も、このドラマに味わいを加えている。

同時に、どこかに死の匂いがつきまとうのも、この映画の特徴かもしれない。映画の冒頭の魚を捕るシーンでは、子供たちがカサゴを「醜い」と罵倒してグチャグチャにする。その後も、野犬に襲われた羊など、ところどころに死と密接に結びついたシーンが登場する。

やがて、死の匂いはソールにもふりかかる。クリスティアン父親によって、半ば強制的に急な崖を下らされて、そこで死の恐怖を身近に感じる。

そうやって不穏な空気が積み重なる中で、終盤には事件が起きる。ソールの姉たちが開いたホームパーティーで、姉ハフディスがソールとクリスティアンをモデルに描いた絵が見つかり、そこに居合わせた友人たちが騒然となる。そして……。何とも重たく、切ない展開である。

ソール役のバルドゥル・エイナルソンとクリスティアン役のブラーイル・ヒンリクソンのキャストが素晴らしい。小柄で黒髪でリヴァー・フェニックスを思わせるエイナルソンと、金髪の北欧系美少年のヒンリクソンのコンビが、この映画をさらに輝かせている。

映画のラストには、カサゴが海に放たれて泳ぎだすシーンが用意されている。それは、心のままに生きることができなかったクリスティアンを投影したものなのだろうか。もしかしたら彼だけでなく、息苦しさを抱えながら生きるすべての思春期の子供たちを象徴しているのかもしれない。

青春の輝きと残酷さが繊細な心理描写で綴られた、心を揺らす一作である。


●今日の映画代、0円。ユナイテッド・シネマの貯まった6ポイントで無料鑑賞。

「逆光の頃」

「逆光の頃」
新宿シネマカリテにて。2017年7月12日(水)午後12時より鑑賞(スクリーン1/A-9)。

暑い夏はなるべく上映時間の長い映画が観たい。だって、その分、涼しい映画館に長くいられるのだから。

などと思いつつ観に行ったのは、なんと上映時間が66分しかない映画なのだった……・

「逆光の頃」(2017年 日本)は、上映時間66分、つまり1時間6分。どうしてそんな映画を観に行ったのかというと、脚本と撮影も兼ねる小林啓一監督に惹かれたからである。

小林監督は「ももいろそらを」(2012)、「ぼんとリンちゃん」(2014)と、魅力的な青春ストーリーを紡いできた。女子高生たちのちょっとした冒険を全編モノクロ映像で描いた「ももいろそらを」は心にしみる作品で、オレのその年のベスト映画の一つになった。また、腐女子の女子大生と幼なじみのアニオタ浪人生を描いた「ボンとリンちゃん」も、なかなか面白い映画だった。いわば青春映画の名手なのである。

で、今回の「逆光の頃」はどうなのか。これまた、まがいもない青春ストーリーである。京都で生まれ育った男子高校生が、幼なじみとの恋、同級生たちとの友情やケンカなどを経験しながら、成長していく姿を描いている。

原作は漫画家のタナカカツキの初期のコミック。ちなみに、タナカカツキはフィギュアの「コップのフチ子さん」の原案者でもあるそうだ。

主人公の赤田孝豊(高杉真宙)は、京都に住むどこにでもいそうな高校2年生。まじめでよい子だが、ちょっと抜けたところがある。そして、当然ながら人並みに悩みもあったりする。

冒頭は彼の独白とともに、目にしたものの残像に関する話が飛び出す。何やら難しいドラマなのだろうか……と思ったら、遅刻しそうになって慌てて家を飛び出す孝豊。そう、やっぱり彼は普通の高校生なのだ。

そんな彼の日常が、いくつかのエピソードを積み重ねる形で描かれるこの映画。ただし、とりたてて大きなことは起きない。

前半で描かれるのは、彼にとって憧れと羨望の的であるらしい同級生の公平(清水尋也)とのエピソード。バンド活動をする彼は模擬試験を受けずに、ライブハウスに出演する。それを観客席から見つめる孝豊。そして、その後、河原で無邪気に水遊びする2人。まさにキラキラ輝く青春だ。しかし、まもなくライブハウスは閉店が決まり、マスターの勧めもあって公平は学校をやめて上京してしまう。

中盤では、孝豊と幼なじみの、みこと(葵わかな)の恋が描かれる。夏休みにわざわざ学校に行き、毎日英単語を覚えることにした孝豊。しかし、夜になっても家に帰ってこない。そのことを孝豊の姉(佐津川愛美)から聞いて心配したみことが、学校に行ってみると、孝豊はつい居眠りしてしまっていたのだ。

警備員に見つかるとまずいからと、2人は隠れる。その間の交流が描かれる。それは実に初々しい恋だ。宇宙人がいるかどうかという他愛もない話をしたり、2人で並んで美しい満月を眺めたり。同時に、そこで、ほんのちょっとした奇跡を起こして見せる。この映画の中で最も心にしみるシーンだ。青春のきらめきが、これ以上ないほど生き生きと活写されているのである。

後半では、今までケンカなどしたこともない孝豊が、自分とみことのことをからかう不良の小島(金子大地)に対して、初めてのケンカを挑む。そこには「あんな奴一発殴ればいいのに」というみことの言葉や、孝豊の父親(田中壮太郎)の昔のエピソードなどが絡んでくる。激しい雨の中、素手同士のゴツゴツした殴り合いが続く。これもまた青春なのだ。

その後、孝豊は父親から仕事である伝統工芸の手ほどきを受ける。彼の成長を物語る出来事だ。

こうしてほのかな恋愛、親子関係、友人関係など、青春時代の様々な側面を瑞々しく切り取る小林啓一監督。さすがである。何よりも映像が魅力的だ。アニメなども織り込みつつ、美しく鮮度の高い映像を生み出している。

今回は京都が舞台ということもあって、その風景も印象的に使われている。孝豊とみことが学校から帰る河原のシーンは、この世のものとは思えないほど幻想的だ(鴨川の納涼床?)。五山の送り火や満月の映像も素晴らしい。観ているうちに、すっかり京都に行きたくなってしまった。

青春ど真ん中の映画でありながら、ノスタルジーの香りも漂わせている。すでに青春がはるか遠くになってしまったオレのような観客も、孝豊たちを見ているうちに、「そういえば、自分にもあんなことがあったっけ」と共感するはずだ。

いや、実際は、あんなにかわいい子とつきあうことなどなかったし、そもそもあんなイケ面高校生ではなかったわけだが、そういうことを忘れさせるマジックが、この映画には存在しているのだ。

孝豊役の高杉真宙、みこと役の葵わかな矢口史靖監督の『サバイバルファミリー』に出演していて、NHKの朝ドラのヒロインに選ばれたとか)の初々しさも特筆もの。どちらもピッタリの配役だった。

しかし、66分はいくらなんでも短すぎでしょう。もう一つか二つエピソードを重ねて、あと20分ぐらい長くしても良かったと思うのだが……。

とはいえ、キラキラ輝く瑞々しい青春映画で、このクソ暑い夏を心地よく爽やかにさせてくれたのだった。青春真っ只中の人も、すでに過ぎ去った人も、どちらの胸にも響きそうな良作である。

●今日の映画代、1000円。シネマカリテの毎週水曜のサービスデー料金。

「ライフ」

「ライフ」
新宿ピカデリーにて。2017年7月10日(月)午前11時30分より鑑賞(シアター6/E-10)。

連日暑くてたまらない。こう暑いと、できるだけ涼しい場所に避難したくなる。そういうわけで、ますます映画館に行く回数が増えて、ますます貧乏になるオレなのだった。

そして、これだけ暑いと観たくなるのが、背筋ゾクゾクもののスリラー映画だ。そこで観に行ったのがSFスリラー映画「ライフ」(LIFE)(2017年 アメリカ)である。監督は「デンジャラス・ラン」「チャイルド44 森に消えた子供たち」のダニエル・エスピノーサ

冒頭に描かれるのは宇宙空間の映像だ。星々がひしめくその姿は美しいというよりも、何やら不気味だ。まもなく、そこに飛んでくる飛行物体。しかし、何かの物体と衝突する。

続いて登場するのは国際宇宙ステーション(ISS)である。そこでは、世界各国から集められた6人の宇宙飛行士が活動している。

宇宙に473日間も滞在しているアメリカ人医師デビッド・ジョーダン(ジェイク・ギレンホール)、疾病対策センターから派遣された検疫官のミランダ・ノース(レベッカ・ファーガソン)、エンジニアのローリー・アダムス(ライアン・レイノルズ)、ロシア人女性司令官のエカテリーナ・“キャット”・ゴロフキナ(オルガ・ディホヴィチナヤ)、日本人システム・エンジニアのショウ・ムラカミ(真田広之)、宇宙生物学者のヒュー・デリー(アリヨン・バカレ)。

ある日、彼らは火星から帰還した無人探査機を回収するミッションに挑む。そう。それが冒頭に登場した飛行物体だ。しかし、冒頭で描かれたように、その探査機は衝突により軌道が変わってしまう。そのため、デビッドが船外に出て、ロボットアームを操作してキャッチしなければいけない。それはかなり危険な任務だ。はたしてデビッドは無事に帰還することができるのか???

ハラハラドキドキ感あふれる展開である。しかし、これはまだ序の口だ。続いて、その無人探査機が採取した火星の土壌の分析が始まる。そして、そこに生命体が存在していることが判明する。とはいえ、いわゆる宇宙人のようなものではない。肉眼では見えない細胞だ。

その細胞は全く動かない。死んでいるのか? 担当のヒュー・デリーは温度を変えたりして、何とか動かそうとする。はたして生命体は動くのか???

こうしてまたまたハラハラドキドキの展開になるわけだ。それは映画の最初から最後まで続く。このハラハラドキドキ感の波状攻撃こそが、本作の最大の魅力なのである。

「火星で生命体発見!」のニュースは、地球で大反響を巻き起こす。宇宙飛行士たちは中継でテレビにも出演する。彼らは勇んで研究に着手する。ところが、まもなく、またしてもハラハラドキドキの展開が訪れる。しかも、今度はけた外れだ。

最初はただの単細胞と思われた生命体。しかし、もっと複雑であることがわかる。その生命体は宇宙飛行士たちの予想を遥かに超えるスピードで成長し、高い知性も見せ始める。そんな中、生命体はひょんなことからまた動かなくなってしまう。それを動かそうとして、乗組員が電気ショックを加えたところ……。ギャー!!!

そこから始まる恐怖のドラマ。生命体はどんどん成長し、凶暴化して、ISSの船内はもちろん、船外でも宇宙飛行士たちを襲い始める。それに対して様々な方法を駆使して、必死に逃げようとする宇宙飛行士たち。

何といっても生命体のビジュアルが強烈だ。最初はミクロの細胞だったのが、クリオネのような小動物になり、やがてヒトデかタコのような怪異な外見へ変貌を遂げていく。どんな攻撃をしても彼らは死なない。まさに不死身の怪物だ。その魔手から逃れようと、密閉されたISS内をあの手この手で逃げ回る乗組員たち。しかし、あまりにも無敵で何をやっても死なない生命体によって、1人、また1人と殺されていく。

正直、この映画を観る前は、それほど期待はしていなかった。何しろ襲いくる謎の宇宙生命体VS人類のバトルというネタは、「遊星からの物体X」(1982年)や「エイリアン」(1979年)といった過去のSF映画と同じようなもので、既視感は否めない。

それでも最新のビジュアルを使いつつ、あの手この手でノンストップの緊張感と恐怖を生み出している。その手際が実に鮮やかだ。そして密閉されたISS内のドラマということで、「ゼロ・グラビティ」(2013年)と共通するヒリヒリするような緊張感にも満ちているのである。

その一方で、深い人間ドラマこそないものの、軍人としてシリアに赴いた経験を持つデビッド、子供が誕生したばかりのムラカミ、難病で下半身マヒのデリーなど、宇宙飛行士たちが背負ったものを少しだけ見せて、彼らのその後の言動に説得力を持たせるあたりも、なかなか抜かりのない演出だと思う。

観終わってあとあとまで残るような作品ではないし、よく考えればツッコミどころもありそうだ。だが、それでも観ている間は余計なことを考えさせずに、スクリーンにずっと釘付けにしてくれるのだから、見応えは十分だろう。少なくとも入場料分ぐらいは元が取れる映画だと思う。

この映画で最も怖いのは、エンディングかもしれない。なにが起きるかは伏せるが、「おいおい勘弁してくれよ!」と言いたくなるような結末だ。最近、人類の注目が火星に集まり、移住計画まで進行しているらしい。だが、はっきり言おう。火星に移住するのはやめた方がいい。そこには絶対に何か恐ろしいものがいる!……な~んてことを思ってしまう映画なのだった。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入済み。