映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「blank13」

blank13
シネ・リーブル池袋にて。2018年2月28日(水)午後2時30分より鑑賞(シアター2/H-6)。

家族の死後に、思いもしない事実が明らかになるというのはよくある話。それが長期間音信不通の人物だったりしたら、それはもう意外な事のオンパレードだろう。

blank13」(2017年 日本)は、まさにそんな作品だ。俳優・斎藤工(監督名は齊藤工)の長編初監督作品(ショートフィルムなどは過去にも監督しているようだ)で、放送作家のはしもとこうじの実話を基にした家族の物語である。

ドラマはある男の葬儀から始まる。主人公のコウジ(高橋一生)の父親・雅人(リリー・フランキー)の葬儀。その受付に来る参列者。だが、それは隣の寺で行われている別人の葬儀の参列者だった。亡くなった人物が同姓だったため、間違えてしまったのだ。向こうは盛大な葬式が営まれている。一方、こちらの葬儀は実に寂しいもの。葬儀場が簡素なら、参列者もわずかしかいない。

前半に描かれるのは、過去に起きた出来事である。ギャンブルに溺れて多額の借金を作った雅人。借金取りが家に押しかけ、母の洋子と兄のヨシユキ、コウジ、そして雅人は隠れるようにひっそりと暮らす。まもなく雅人は失踪する。残された洋子は、2人の子供を育てるために身を粉にして働く。家族は大変な辛酸をなめる。

それから13年後(「blank13」というタイトルはそこから来ているようだ。ずっと音信不通だった雅人が見つかる。だが、がんを患った雅人の余命はわずか3カ月だった。雅人に苦しめられた母の洋子(神野三鈴)と兄のヨシユキ(斎藤工)は、どうしても彼を許すことができず見舞いに行かない。

それに対して、コウジだけは病院を訪ねる。父の失踪当時はまだ幼くて、一緒にキャッチボールをしたり、甲子園に行った思い出があるのだ。母と同様に父を嫌悪しつつも、心のどこかで愛着も残すコウジ。

そんな家族の姿を齊藤監督は抑制的に描く。最低限のセリフだけで、人物の表情やほんのわずかなしぐさから、その微妙な心理の機微を映しとっていく。特に、病院で久々の再会をした親子が屋上で対面するシーンが秀逸だ。2人の心の動きがリアルに伝わってくる。コウジがバッティングセンターで何かを振り払うかのように必死にバットを振ったり、恋人のサオリ(松岡茉優)に妊娠を告げられた時の複雑な表情なども印象深い。

本作は長編とはいえ70分の尺。その中盤あたりで、ようやく「blank13」のタイトルがスクリーンに映し出される。

そこからは作風が一変する。落ち着いたトーンの配色の映像こそ前半と共通するものの、映画のタッチはまったく違う。そこでは何が描かれるのか。葬儀場での参列者による思い出話だ。遺された家族の前で、数少ない参列者たちは故人である雅人との思い出を語っていく。

麻雀仲間、仕事仲間、同居していた男(?)、病院で同室だった者などなど。彼らは雅人の意外な一面を語る。スナックのママの悩みを聞いてあげたり、知人の母の手術代を工面したり、困っている知人を同居させたり。

どうやらこの場面、役者たちはアドリブで演技しているらしい。しかも、演じるのは佐藤二朗村上淳織本順吉神戸浩ら個性派揃いである。その突き抜けた演技が笑いを誘う。例えば、村上淳演じる男が雅人の遺体からプラチナの歯を抜こうとするなど、完全にコメディの世界だ。

ただし、オバカ映画にはなっていない。役者たちのはじけた演技が暴走の域に突入する前に、齋藤監督はうまく寸止めしているのだ。

それによって、彼らの話を聞いたコウジとヨシユキが心を惑わせられる様子が、リアルに伝わってくるのである。自分の知らなかった父の意外な側面を知り、それぞれの心の中で固く塗り固められていた父に対する思いが、少しずつ崩れていくのだ。葬儀の最後でのコウジとヨシユキの挨拶が、彼らの素直な感情を吐露していて胸に響く。

そして、喪服を着て家を出ながらも、なかなか葬儀場へ足が向かない洋子の最後の表情が余韻を残す。その胸に去来するものはどんな思いなのか、あれこれと想像してしまうのである。

役者陣がいずれも素晴らしい映画だ。リリー・フランキー松岡茉優らはいつも通りの見事な演技だし、高橋一生、神野美鈴、斎藤工らの繊細な感情表現も見逃せない。福士誠治蛭子能収をはじめ有名人がちらりとだけ出てくるのも楽しいところ。

70分の尺だし、ほぼ二部構成の実験的な作品だが、観終わった余韻はなかなかのものだった。齊藤監督の思いは充分に伝わってきたのである。

●今日の映画代、1100円。水曜サービスデーで。

◆『blank13
(2017年 日本)(上映時間1時間10分)
監督:齊藤工
出演:高橋一生松岡茉優斎藤工、神野三鈴、大西利空、北藤遼、織本順吉、川瀬陽太、神戸浩伊藤沙莉村上淳、岡田将孝、くっきー、大水洋介、昼メシくん、永野、ミラクルひかる、曇天三男坊、豪起、福士誠治大竹浩一細田香菜、小築舞衣、田中千空、蛭子能収、杉作J太郎、波岡一喜森田哲矢榊英雄金子ノブアキ、村中玲子、佐藤二朗リリー・フランキー
シネ・リーブル池袋ほかにて公開中
ホームページ http://www.blank13.com/

「ザ・シークレットマン」

「ザ・シークレットマン」
新宿バルト9にて。2018年2月24日(土)午後3時より鑑賞(シアター2/F-8)。

リーアム・ニーソンったら、相変わらず大活躍だなぁ~。今年66歳だというのに出演作が途切れないものなぁ~。

というわけで、そのリーアム・ニーソンの最新主演作が「ザ・シークレットマン」(MARK FELT: THE MAN WHO BROUGHT DOWN THE WHITE HOUSE)(2017年 アメリカ)である。

この映画を語るには、まずウォーターケート事件について説明しなければいけない。1972年6月、ワシントンのウォーターゲート・ビルにあった民主党全国委員会に5人の男たちが侵入し、盗聴器を仕掛けたことが発覚した。ニクソン大統領再選のための工作の一環だった。

ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者は、このウォーターゲート事件を徹底的に追及し、その結果、ニクソン大統領は1974年にアメリカ合衆国史上初めて任期半ばで辞任に追い込まれたのだ。

その2人の記者を描いた映画が、1976年製作のアラン・J・パクラ監督、ダスティン・ホフマンロバート・レッドフォード共演の「大統領の陰謀」である。

そして、そんな記者たちの活躍の陰には、彼らに情報を提供したFBI内部の人間がいたのだ。そのことは以前から知られていたのだが、“ディープ・スロート”と呼ばれるその情報提供者がいったい誰だったのかは、長い間謎だった。

それが事件からおよそ30年後の2005年に、事件当時FBI副長官だったマーク・フェルトが、自分がディープ・スロートだと名乗り出たのだ。本作はそのマーク・フェルトの自伝を基にした実録政治ドラマである。

1972年、長年FBIに君臨してきたフーバー長官が死去し、長官代理にニクソン大統領に近いパトリック・グレイが就任する。そんな中、ワシントンの民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした男たちが逮捕される事件が発生する。捜査に当たったFBI副長官マーク・フェルトリーアム・ニーソン)に対して、ホワイトハウスは、グレイ長官代理を通じて捜査に圧力をかけてくる。反発したフェルトは、マスコミに捜査情報をリークし始める。

本作のポイントの一つは、なぜフェルトは情報提供者になったのかという点にある。それについて一面的ではなく、幅のある描き方をしているのが印象深い。

冒頭でホワイトハウスに呼ばれたフェルトは、FBIをコントロールしようとする大統領側近に対して、毅然とした態度を取る。そう。彼には「FBIは何ものにも支配されない独立した組織だ」という強い自負と誇りがある。だから、それを侵害しようとするホワイトハウスに怒りをおぼえて、情報提供者になったと見ることができるのだ。

ただし、それだけではない。フェルトの言動にはフーバー長官亡きあとは、自分が後継になると信じていた節がうかがえる。それをないがしろにして、自分の息のかかった人物を送りこんできたホワイトハウスに対する意趣返しの意味も、そこにはあったのかもしれない。

また、単純な正義感や、ニクソン大統領に対する政治的な嫌悪感が根底にあった可能性もある。要するに様々な思いの果てに、情報提供者となったフェルトの人物像を厚みをもって描いているのである。

フェルトの娘が、音信不通で消息不明となっているエピソードも、彼の人物像を膨らませる。フェルトの妻(ダイアン・レイン)は、夫が職権を使って娘を探すことを望むが、フェルトはそれを拒否する。だが、彼は本当はそれとは違う行動を取っていたのだ。

そのフェルトを演じるのがリーアム・ニーソン。今回は白髪で登場。アクションもなしだが、さすがにもともと演技派の役者だけに、フェルトの人物像を魅力的かつ厚みのあるものに見せてくれる。常に無表情で何を考えているのかわからない彼のミステリアスさが、この映画の大きな魅力になっている。

妻役のダイアン・レインをはじめ、ブルース・グリーンウッドエディ・マーサンら地味だが実力派の脇役も味がある。あのテレビドラマ「ER」でおなじみのノア・ワイリーも顔を見せている。

政治ドラマというと、小難しい印象を持つかもしれないが、そんなことはない。単純にサスペンスとして観ても面白い映画である。捜査を進めようとするフェルトとその部下たち、長官代理のグレイを通じて捜査情報を入手し、圧力をかけてくるホワイトハウス。両者の攻防がスリリングで見応え十分だ。周囲の目を盗んで情報をマスコミに提供するフェルトの行状も緊張感たっぷりで目が離せない。

「大統領選まであと何日」といったテロップを随時提示したり、当時のニュースフィルムや大統領演説などを挿入する仕掛けなども、緊迫感を高めている。

ラストはフェルトの自己犠牲的態度によってやや英雄的存在の色合いが強まるものの、「あなたがディープ・スロートなのか?」という質問に対する彼の態度で余韻を残し、一連の出来事に深みを持たせている。

さて、この映画には妙なリアリティがある。そこには実録ドラマというだけでなく、アメリカの今の政治に直結するものがあるからだ。

ロシアゲート疑惑をめぐって徹底捜査しようとするFBI、それを阻止しようとするトランプ大統領たちホワイトハウスの人々。そうなのだ。ウォーターゲート事件で起きたことは、今のアメリカでもそのまま続いているのだ。だからこそ、本作がよりリアルで、スリリングに感じられるのである。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入。

f:id:cinemaking:20180301221257j:plain

◆「ザ・シークレットマン」(MARK FELT: THE MAN WHO BROUGHT DOWN THE WHITE HOUSE)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間43分)
監督:ピーター・ランデズマン
出演:リーアム・ニーソンダイアン・レインマートン・ソーカス、アイク・バリンホルツ、トニー・ゴールドウィン、ブルース・グリーンウッド、マイケル・C・ホール、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、ジョシュ・ルーカスエディ・マーサン、ウェンディ・マクレンドン=コーヴィ、マイカ・モンローケイト・ウォルシュトム・サイズモア、ジュリアン・モリス、ノア・ワイリー
新宿バルト9ほかにて全国公開中
ホームページ http://secretman-movie.com/

「The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ」

「The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ」
TOHOシネマズ新宿にて。2018年2月24日(土)午後12時より鑑賞(スクリーン4/E-12)。

親の七光りを活用して世に出る業界人は多いが、それが長続きするかどうかは本人次第だ。フランシス・フォード・コッポラ監督の愛娘ソフィア・コッポラは幼い頃から父の作品に端役で出演。その後映画監督に転身した。

もちろん最初は親の七光りによるところが大きかったろう。だが、監督デビュー作「ヴァージン・スーサイズ」をはじめ「ロスト・イン・トランスレーション」「マリー・アントワネット」といった評価の高い映画を作り続けているのだから、もう父ちゃんの威光とは関係のない実力派監督である。

そのソフィア・コッポラ監督が1971年のクリント・イーストウッド主演の「白い肌の異常な夜」の原作であるトーマス・カリナンの小説を、再映画化したサスペンス・ドラマが「The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ」(THE BEGUILED)(2017年 アメリカ)だ。「白い肌の異常な夜」は男性が主人公の男性目線の映画だったが、こちらは女性目線の映画になっている。

ソフィア・コッポラ監督といえば、おしゃれでポップな映像で知られるが、今回はポップさこそないものの、独特の美意識に基づいた美しい映像が見られる。

冒頭のシーンからその美意識が炸裂する。舞台になるのは南北戦争中のバージニア州。ある森が映し出される。そこでは一人の少女が鼻歌を歌いながら、キノコ狩りをしている(このキノコ狩りという設定がクライマックスで大きく効いてくる)。それを神話のような世界観で描いた映像が印象的だ。

少女はまもなく敵である北軍の負傷兵を発見する。女子寄宿学校に住む彼女は、そこに負傷兵を連れていく。寄宿学校では世間から隔絶された環境の中で、園長のマーサ(ニコール・キッドマン)、教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)と5人の生徒が静かに暮らしていた。

マーサは、仕方なくその北軍兵士のマクバニー(コリン・ファレル)を治療する。そこでの彼女の態度が何とも意味深だ。突然現れた男性、しかも北軍兵士という異邦人を警戒し戸惑いつつも、何やら胸の奥に秘めていた欲望がチラリと顔をのぞかせている。その心の乱れっぷりを繊細に見せる。

教師のエドウィナや年長の生徒アリシアエル・ファニング)も同様に、マクバニーの存在に心乱されていく。それぞれの態度やマクバニーとの接し方は異なるが、これまで胸の奥底に隠れていた思いが表出してくる点は共通している。放題にある「欲望のめざめ」というのは、まさに言い得て妙である。その他の生徒たちもまだ幼いながらも、マクバニーの出現によってかつてない思いにかられる。

マーサ、エドウィナ、アリシアの3人には、欲望と同時に嫉妬の情も芽生え始める。誰かがマクバニーと親しくする姿を見れば、心穏やかではいられなくなる。ただし、それをドロドロの愛憎劇として描かずに、抑制的に見せていくところがいかにもコッポラ監督らしい。どんな場面でも、そこに品性が感じられるのである。

学園のたたずまいや白を基調とした女性たちの衣装などにも、そうした品性が反映されている。それがまた、このドラマの美しさ、危うさ、妖しさなどを際立たせてくれるのだ。

本作は女性たちのドラマであり、彼女たちの心理描写が秀逸なのは当然だが、同時に唯一の男性であるマクバニーの描き方も巧みである。彼は最初のうちは、負傷して介抱されているという事情もあって、実に紳士的で穏やかな人物として描かれる。

だが、その一方で、それとは違う雰囲気もわずかながら漂わせる。特に女性への接し方には、何やらジゴロ的な資質も感じさせる。「お前、そのケガでナンパしてんじゃねえよ!」と言いたくなるような言動まで見えるのだ。さらに、何やら彼が恐ろしいものを抱え込んでいるようにさえ思えてくるのである。

そして、ついにある大事件が起きてドラマが大きく動く。女たちの嫉妬の果てに起きたその出来事は、マクバニーを極限の心理状態に追い詰め、今までとは全く違う姿を暴露する。なにせ起きたことが起きたことだけに、彼がそうなるのも理解できないわけではないが、それにしてもやはり恐ろしい姿である。それによってマーサは、ついにある決断をすることになる。

このあたりの描き方もなかなかのものだ。一歩間違えば、狂気に走った女たちの蛮行に見えてしまいそうだが、けっしてそうはしない。それまでの彼女たちの心理の変遷がきっちりと描かれているから、当然の帰結として受け入れられるのである。

いや、それどころか、これはある種の女たちの自立なのではないか。南部の保守的な土地柄、女性の地位がまだ低い時代、その中で世間から隔絶された女たちが、男という異邦人に翻弄され、最後は敢然と自らの運命を切り開くべく強硬手段に打って出た。そんなふうにさえ感じてしまったのである。

いわゆる普通のサスペンスとしてはインパクトが弱いのは事実。だが、コッポラ監督の狙いは最初からそこにはなかったのだろう。描きたかったのは女性たちの心理であり、その点で大きな魅力を持つ作品なのは間違いない。「ヴァージン・スーサイズ」以来、女性の心理を描くのが巧みなコッポラ監督らしい映画だと思う。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入。

◆「The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ」(THE BEGUILED)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:ソフィア・コッポラ
出演:コリン・ファレルニコール・キッドマンキルステン・ダンストエル・ファニング、ウーナ・ローレンス、アンガーリー・ライス、アディソン・リーケ、エマ・ハワード
*TOHOシネマズ新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://beguiled.jp/

「リバーズ・エッジ」

リバーズ・エッジ
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年2月23日(金)午後2時30分より鑑賞(スクリーン2/F-8)。

数日前に暇だったので無料動画サイトを探索していたら、2001年製作の行定勲監督作品「GO」を見つけてしまった。公開当時かなり評価が高かった映画だが、あいにく見逃したままになっていたのだ。さっそく観てみたのだが、これが素晴らしい青春映画だった。行定監督の演出、宮藤官九郎の脚本、窪塚洋介柴咲コウらのキャスト、どれも良かった。

その行定監督の新作「リバーズ・エッジ」(2017年 日本)が公開されたので、観に行ってきた。原作は、1993年に雑誌『CUTiE』に連載された岡崎京子の伝説的コミックとのこと(残念ながら未読)。

舞台になるのはある高校。若草ハルナ(二階堂ふみ)は、彼氏の観音崎(上杉柊平)にイジメられていた山田(吉沢亮)を助けたのがきっかけで、彼の秘密の宝物について打ち明けられる。それは河原に放置された死体だった。ハルナの後輩で摂食障害を抱えるモデルのこずえ(SUMIRE)も、その死体を愛していた。ハルナ、山田、こずえの3人は、不思議な友情で結ばれていく。

一方、山田は同性愛であることをひた隠しにしていた。そんな山田に過激な愛情を募らせるカンナ(森川葵)、そして父親の分からない子どもを妊娠するルミ(土居志央梨)たちも、心に闇を抱えていた。

要するに、屈折した複雑な心理を抱える6人の高校生たちの青春群像劇なのだ。ただし、その描き方がかなりトンガっている。

まず驚くのが映像だ。全編スタンダードサイズの画角の狭い映像で描かれる。つまり、映画館のスクリーンの両端がかなり余白になるワケ。なぜこういう映像にしたのか。あくまでも想像だが、行定監督は、若者たちが抱えるやり場のない欲望や焦燥感をそこに凝縮しようとしたのではないか。

もう一つ、驚くことがある。本作で描かれるのは6人の若者たち。その全員のドラマに深みを持たせるのは至難の業だ。そこで行定監督はユニークな仕掛けをする。本作には通常のドラマとは違うパートがある。それぞれの登場人物にインタビューした映像が、ところどころに挟み込まれているのである。そこで彼らは自らの背景や心情を語る。最初はちょっとあざとい仕掛けにも思えたが、最後まで観るとこれが実に効果的だった。

こうした仕掛けによって、6人の若者が抱える複雑な心理がよりクッキリと見えてくることになる。たとえば、セックス依存症で軽薄な女に見えるルミだが、実は心の奥に空疎さや今の自分への苛立ちを抱えこんでいることが、チラリと見える。他の人物も、けっしてひとことでは語れない複雑な心理を抱えているのがわかる。

ハルナ、山田、こずえが親しくなるきっかけが死体だというのも面白い。彼らはどうにもならない焦燥感を抱え、生きているという実感を持てずにいるのである。死体という存在は彼らのそんな思いのある種のメタファーなのではないか。だからこそ、なおさら彼らの心の闇が浮かび上がってくるのだと思う。

全体を包む不穏でヒリヒリした雰囲気も印象深い。青春ドラマというと、キラキラと輝いているイメージがあるが、それとは対極の暗さと危うさに満ち満ちた映画である。

途中まではそれほど大きな事件は起きない。いじめ、暴力、セックス、ドラッグ、摂食障害など、個々人が抱える様々な問題は見えてくるが、ドラマに大きな波乱をもたらすほどの出来事はない。しかし、中盤以降には「新たな死体」の存在をきっかけに、ドラマは急展開を見せる。まさに青春の持つ危うさが暴走していくのである。

というわけで、やり場のない欲望や焦燥感を抱えた若者たちの青春ドラマとして、なかなかの秀作だと感じたのではあるが、それにしても主人公のハルナの存在感が薄いなぁ~。さすがに二階堂ふみが演じているから、スクリーン上の印象は強いものの、ドラマ的には影が薄い感じ。

と思ったら、ラスト近くになってようやく納得した。結局のところ、ハルナは何物とも密接な関係が築けず、生きている実感が持てず、醒めた思いを心に抱えて生きていたのだ。いつもダルそうにタバコをスパスパ吸う姿にも、観音崎とのセックスの時の無表情さにもそれがよく現れている。

そんな彼女が、今回の一連の出来事を通して、ようやく変わり始めたことが、最後のインタビュー映像を通して伝わってくる。喜んだり、悲しんだり、傷つきながら、生きて行こうという前向きな意欲を、彼女は初めて獲得したのだろう。つまり、青春群像劇である本作の核心は、ハルナの新たな旅立ちを描く成長物語だったのだ。

それにふさわしいシーンが、そこから終幕に向けて積み重ねられる。ハルナと観音崎の別れ、山田との夜の散歩とそこで語られるウィリアム·ギブスンの詩、そしてラストのUFO召喚。いずれも心にしみるシーンだ。あまりにもヒリヒリしたドラマではあるが、ラストのあと味はけっして悪くない。ハルナをはじめ登場人物の未来をかすかに感じさせる終幕である。

本作は1993年の連載当時とほぼ同じ時代設定になっているようだ。オリジナルラブの話をはじめ当時のカルチャーなどから、それがわかる(小沢健二が主題歌を担当しているのも興味深い)。なるほど、あの時代の若者たちには、本作の登場人物と共通するものがあったに違いない。

同時に、それは今の若者たちにも通底するものかもしれない。はたして、今の若者たちが本作を見てどう思うのだろうか。それがとても気になった。

ちなみに、本作は第68回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で、革新性の高い作品に贈られる国際批評家連盟賞に輝いた。確かにエッジの効いた作品で、しかも濃密な世界が展開する。誰もが満足する映画ではないかもしれないが、個人的にはかなり心に刺さったのである。

●今日の映画代、1000円。毎週金曜はユナイテッド・シネマの会員サービスデー。

f:id:cinemaking:20180225192858j:plain

◆「リバーズ・エッジ
(2017年 日本)(上映時間1時間58分)
監督:行定勲
出演:二階堂ふみ吉沢亮、上杉柊平、SUMIRE、土居志央梨、森川葵
*TOHOシネマズ新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://movie-riversedge.jp/

「パディントン2」

パディントン2」
TOHOシネマズ日本橋にて。2018年2月21日(水)午後7時10分より鑑賞(スクリーン1/E-10)。

ふだんは一人で映画を観るので、作品も自分一人で選ぶことになる。だが、ほぼ月に一度、仕事関係で知り合った2~3人と一緒に鑑賞する催しがある。その際には、上映中の映画のリストをオレが挙げて、他の誰かがそこから選ぶことが多い。そのため自分一人では観ないであろう作品が選ばれることもある。

今回もまたそんな映画がセレクトされてしまった。「パディントン2」(PADDINGTON 2)(2017年 イギリス)である。真っ赤な帽子をかぶった英国紳士の“パディントン”の活躍を描いたマイケル・ボンドの児童小説を実写映画化して、世界的な大ヒットとなった前作の続編だ。

ていうか、ただのクマのぬいぐるみ映画だろ。前作も観ていないし、イマイチ気が乗らないなぁ~。そんな気分で観たのだが、いやいや、これが素直に面白かったのである。

まず冒頭では、幼いパディントンが川を流されている時に、親切なクマの夫婦に拾われるエピソードを披露。前作を観ていないオレにも、パディントンの出自が理解できた。

そんなパディントン(声の出演ベン・ウィショー)はペルーの奥地からやってきて、イギリスのロンドンに住んでいる。ブラウンさん一家と幸せに暮らし、都会暮らしがだいぶ板についてきたところだ。そんなある日、大好きなルーシーおばさん(冒頭でパディントンを決死の覚悟で拾ってくれた女性)の100歳の誕生日プレゼントを探していたパディントンは、骨董品屋で世界に一冊しかない飛び出す絵本を見つける。その絵本を買うためにアルバイトを始めるパディントン

このパディントンときたら、見た目は小さくて可愛いものの、何ともドジなクマなのだ。理髪店のバイトでは、店主のいない間に大騒動を起こして首になり、新たに始めた窓ふきのバイトでもドタバタの連続だ。その様子が無条件に笑いを誘う。

パディトンが世話になっているブラウン家の個性的なキャラも笑いを誘う。「中年の危機」を迎えた父親、想像力豊かな母親、SLオタクだがダサいからと内緒にしている長男、失恋のショックを乗り越えて今は新聞作りに生きがいを見出す長女、口が悪くて不愛想な親戚のおばあさん。彼らのキャラはストーリーの伏線にもなっていて、最後にちゃんと回収されているから見事なものだ。

まもなく、プレゼント費用を稼ごうと奮闘するパディントンを嘲笑うように、骨董品屋に強盗が押し入り、絵本が何者かに盗まれてしまう。おまけに、現場に居合わせたパディントンは犯人と間違われて、逮捕されて刑務所に入れられてしまうのである。

いったい真犯人は誰なのか? それが初めからバレバレなのだ。絵本を盗んだのは、ブラウン家の向いに住む落ち目の俳優ブキャナン(ヒュー・グラント)。彼は、絵本にお宝の秘密が隠されていたのを知って、それを目当てに盗み出したのである。

しかし、真犯人がバレバレでも、いや、だからこそ、この映画の大きな魅力が生まれている。何しろ、あのヒュー・グラントの敵役としての大活躍ぶりが楽しめるワケだ。絵本に書かれたお宝のヒントを探るため、騎士や尼僧などに扮して大暴れ。おまけに出演しているドッグフードのCMでは、犬の着ぐるみまで身に着ける。二枚目イメージの強い彼が、嬉々としてこういう役を演じているので、観ているこちらまで楽しくなってしまうのだ。

パディントンが刑務所に入れられてからも、楽しい場面が満載だ。特に食堂のシェフを務める凶暴な囚人との関係を通して、超まずい刑務所の食事を改善する一件は、笑いどころが満載の楽しいエピソードだ。

同時にしんみりさせる場面もある。ブキャナンの家に侵入するためにユニークな策略をめぐらすなど、ブラウン家の人々は必死でパディントンの無実を証明しようとするのだが、その過程ではパディントンとのすれ違いが起きる。そのあたりでは思わず悲しい気分にさせられる。

終盤にはスペクタクルシーンまで用意されている。並走する列車を舞台にパディントン、ブラウン家の人々、ブキャナンが入り乱れて、ハラハラドキドキのシーンが続くのだ。まさか、ここで列車の上を走るヒュー・グラントの姿を見ようとは。ただし、そんな場面でも笑いは忘れない。ブラウン家の父親のヨガのネタにはまたまた大爆笑。

その後の水中でのシーンも印象的だ。絶対絶命の状況で哀愁を漂わせ。そこに思いもよらぬ助っ人を登場させる心憎い仕掛け。さらに、ラストはパディントンとルーシーおばさんとの強い絆を示して、ホッコリさせてくれる。

俳優陣では、ヒュー・グラントだけでなく、ヒュー・ボネヴィル、サリー・ホーキンス、ジュリー・ウォルターズ、ジム・ブロードベントブレンダン・グリーソンなども存在感ある演技を見せてくれている。そういえば、サリー・ホーキンスギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー主演女優賞にノミネートされたんだっけ。

いやぁ~、クマ映画だとバカにして申し訳ございませんでした。爆笑の連続に加え、アクションシーンやそこはかとない感動も用意された上質のエンタメ映画である。

さーて、満足満足。おっと、早まって席を立ってはいけないのだ。エンドロールには、またまた見せ場が用意されている。意外な場所でスポットライトが当たったヒュー・グラントが本当に楽しそうだ。最後までぜひお見逃しなく。

●今日の映画代、1400円。数日前に慌ててムビチケ購入。

◆「パディントン2」(PADDINGTON 2)
(2017年 イギリス)(上映時間1時間44分)
監督:ポール・キング
出演:ヒュー・ボネヴィル、サリー・ホーキンスブレンダン・グリーソン、ジュリー・ウォルターズ、ジム・ブロードベント、ピーター・キャパルディ、マデリーン・ハリス、サミュエル・ジョスリン、ヒュー・グラントベン・ウィショー(声の出演)、イメルダ・スタウントン(声の出演)、マイケル・ガンボン(声の出演)
*TOHOシネマズ日本橋ほかにて全国公開中
ホームページ http://paddington-movie.jp/

 

「長江 愛の詩」

「長江 愛の詩」
シネマート新宿にて。2018年2月17日(土)午前9時30分より鑑賞(スクリーン1/E-12)。

中国・青海省チベット高原を水源とし、華中地域を流れ、やがて東シナ海へと注ぐ全長6,300km(世界3位の長さ)の長江。日本では揚子江という名前でも知られているが、最近は中国本国に倣って長江と呼ぶことが多いようだ。

その長江を舞台にした映画も多い。オレ的には、2006年製作のジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」あたりが特に印象に残っているが、雄大大自然や刻々と姿を変えるその表情、そして2009年に完成した巨大な三峡ダムなど、映画の舞台にもってこいの場所なのは間違いないだろう。

北京電影学院出身で、これが長編2作目だというヤン・チャオ監督の「長江 愛の詩」(長江図/CROSSCURRENT)(2016年 中国)も、長江を舞台にしたドラマである。亡くなった父の後を継いで、小さな貨物船の船長となったガオ・チュン(チン・ハオ)による長江を遡る旅を描いている。

本作で最も素晴らしいのが、圧倒的な映像である。上海を出発して源流にたどり着くまで、千変万化する雄大大自然、絶景や歴史的な建築物、沿岸の村などがド迫力の映像で描かれている。撮影監督は、ホウ・シャオシェン作品などで知られる名カメラマン、リー・ピンビン。ただ美しいだけでなく、暗さや荒々しさなども含めて、長江の様々な表情をキッチリとスクリーンに映しとる手腕が見事である。

とはいえ、普通の旅のドラマではない。出発前にガオは、船の機関室で父の手書きの詩集『長江図』を見つける。そこには長江の旅の各地で作られた短い詩が書かれている。その詩がスクリーンに随時映し出される。ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」と似た仕掛けだ。

その詩の根底にあるのはペシミスティックな感情のようにも思える。そこには後悔や怒り、達観など、様々な感情が読み取れる。ガオはその詩集に導かれるように長江の旅を続けるのだ。

そして、本作のもう一つの特徴は、行く先々でガオがアン・ルー(シン・ジーレイ)という女性と愛を育んでいくこと。というと、ベタな恋愛ドラマのように思うかもしれないが、そうではない。

そもそもアン・ルーの存在そのものが何者かわからない。上海で目撃した彼女は疲れた中年女性のようだったが、その後、次第に若返ったようになり、最後の頃にはまるで女子学生のようになっている。

登場の仕方もその都度異なっている。彼女は不思議なことに、『長江図』に地名が記された場所に現れるのだ。それもまるで娼婦のように登場したかと思えば、ごく普通の農家の主婦のような登場もある。最後のほうでは川岸にそそり立つ山をずんずん登っていく場面もある。

寺院では僧に問答を投げかけ、修行中だという話も出てくる。見知らぬ男が彼女の周辺に出没したりもする。ガオとの会話によれば母は医者だったという。突然、川に消えたかと思ったら、魚のように泳ぎ回るシーンもある。いったい彼女は誰なのか。もしかしたら、この世の存在ではないのかもしれない。

そのあたりは、観客が想像力を働かせるしかない。ヤン監督は明確なことは何も示さない。様々なヒントをばらまくのみだ。解釈は何通りでもありそうだ。それこそが、わかりやすいエンターティメント映画とは違う本作の魅力ではないだろうか。

ちなみに、アン・ルーを演じたシン・ジーレイは初めて見る女優だが、何とも言えない妖しい魅力を持っている。

観客の想像力を刺激する要素は他にもある。ガオが長江を遡るのは、ただの旅ではない。違法と思われる魚の稚魚らしきものを運ぶ仕事なのだ。ガオはそれを運ぶにあたって、依頼者の社長に料金のアップを求める。さらに、その積み荷をめぐって、同乗する老船員や若い船員も絡んで、何度かショッキングな出来事が起きる。

おそらく、そうした出来事には、人生や社会に関するヤン監督の様々な思いが投影されているのだろう。しかし、それも明確には描かれない。こちらが想像力を働かせるしかない。深読みすればいくらでも深読みできそうだ。

旅のハイライトは、何といっても三峡ダムだ。無機質で怪物のようなシップドッグ。そこを経て再び雄大な姿を現す長江。そして、そのはてにガオが目にするものは……。

いったいヤン監督は、この映画で何を描きたかったのか。ラスト近くでは、長江のかつての姿とそこに集う人々の姿が古いフィルムで提示される。そして、不思議な石碑と謎の老人(ガオの亡き父?)。さらにオーラスに映る仏像らしきもの。

それを観て、オレは勝手に結論づけた。本作は、失われたものに対するレクイエムなのではないのか。ガオの父をはじめ亡くなった人々。今はもう見られないかつての長江の姿と、そこに生きる人々。そして、失われてしまったアン・ルーとの愛。それらに対する鎮魂の思いを感じ取ったのだが……。

まあ、そのへんも含めて、観た人それぞれが自由に感じ取ればいい。あまり頭の中で小難しく考えるよりも、感性に委ねたほうが、かえって想像力が刺激されて伝わってくるものがあるかもしれない。いずれにして壮大で、幻想的で、謎に満ちた映像詩である。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金。

f:id:cinemaking:20180219214302j:plain

◆「長江 愛の詩」(長江図/CROSSCURRENT)
(2016年 中国)(上映時間1時間55分)
監督・脚本:ヤン・チャオ
出演:チン・ハオ、シン・ジーレイ、ワン・ホンウェイ、ウー・リーポン、チァン・ホワリン、タン・カイ
*シネマート新宿、YEBISU GARDEN CINNEMAほかにて公開中
ホームページ http://cyoukou-ainouta.jp/

 

「犬猿」

犬猿
テアトル新宿にて。2018年2月12日(日)午後12時20分より鑑賞(C-11)。

兄弟、姉妹というのは面倒なものだ。幼い頃から一緒に育ち、何かと比較されるうちに、お互いに様々な感情が渦巻いてくる。ただし、どんなにお互いを嫌悪していても、そこは肉親であるだけに簡単に関係を切れるものではない。

そんな兄弟、姉妹、2組の愛憎劇を描いたのが吉田恵輔監督の「犬猿」(2017年 日本)である。

吉田監督といえば、「純喫茶磯辺」「さんかく」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」「麦子さんと」「銀の匙 Silver Spoon」「ヒメアノ~ル」など様々な映画を監督してきた。オレも何本かは観ているが、なかなか面白い作品を撮る監督だ。本作は、その吉田監督による4年ぶりのオリジナル作品である。

まず映画の冒頭が気が利いている。いきなり映画の予告編が始まる。オレは一瞬「あれ、まだ本編始まらないのか?」と思ったのだが、これも立派な本編だった。ベタな恋愛映画の予告編で、観客が「感動しました!」などと言うベタベタなヤツだ。その予告編を車の中で見ているのが、主人公の一人、金山和成(窪田正孝)である。

和成は地方都市の印刷会社の営業マンとして働いている。父親が連帯保証人になって作ってしまった借金をコツコツ返しながら、慎ましい生活を送る真面目な青年だ。

その和成が、ヤクザに因縁をつけられる。ところが、和成の兄の名を知ったヤクザは急にビビってしまう。そうなのだ。和成の兄・卓司(新井浩文)は、そのへんのヤクザもビビる乱暴者なのだ。おまけに金遣いも荒い。和成とは対照的な人物なのである。

まもなく強盗事件で刑務所に入っていた卓司が出所してきて、和成のアパートに転がり込む。相変わらず乱暴で、金遣いが荒いまま。気に入らない相手をボコボコにしたり、部屋にデリヘル嬢を呼んだり、和成に金をたかるなどやりたい放題。そんな兄に和成は振り回されていく。

一方、和成に思いを寄せる女性がいる。取引先の印刷所を営む幾野由利亜(江上敬子)だ。親から引き継いだ会社を切り盛りする彼女は、有能で仕事のデキる女だが、残念ながら容姿に難がある。

そして彼女にも対照的な妹・真子(筧美和子)がいる。事務を手伝っている彼女だが、要領が悪くて仕事ができない。ただし、容姿は姉と似ても似つかない美人で、仕事の傍ら芸能活動もしていた。ちなみに彼女は、冒頭に登場した予告編にも客の役として出演している。

というわけで吉田監督は、この2組の好対照な兄弟、姉妹の日常から、彼らが抱える様々な感情をすくい取っていく。トラブルメーカーの兄を嫌う和成。そんな弟を小さい奴だと見下す卓司。仕事も出来ないのに見た目で周囲からチヤホヤされる真子に苛立つ由利亜。ぶくぶく太りオシャレにも気を使わない姉を小バカにする真子。

コンプレックスや軽蔑、嫉妬など兄弟、姉妹間に渦巻く複雑な感情を、セリフはもちろん、ちょっとしたしぐさや視線なども使って巧みに表現していくのである。焼き肉やチャーハンなどの料理、洋服、車といった様々なアイテムを効果的に使っているのも印象深い。

笑いどころが満載なのも、いかにも吉田監督の作品らしい。特に、今回は由利亜を演じるお笑いコンビ“ニッチェ”の江上敬子のキャラで笑わせてくれる。和成とデートした時のダメっぷりや、妄想を膨らませて一人で踊りまくるシーンなど思わずニヤついてしまう。和成役の窪田正孝、卓司役の新井浩文(イヤな奴をやらせたらピカイチ!)もハマリ役だし、真子役の筧美和子の「いかにも」という感じの演技も素晴らしい。兄弟、姉妹それぞれの丁々発止の会話も笑いを生み出している。

ドラマの進行とともに、どんどんイラつきを増幅させていくのが和成と由利亜だ。和成の兄・卓司はなぜか羽振りがよくなり、父親の借金を返したり、和成に車を買い与えようとする。そんな兄に対して、和成はイラつきを募らせていく。

一方、真子は姉が思いを寄せているのを知りながら、和成とつきあうようになる。それを知った由利亜は、表面的には平静を装いつつも、妹に対するイラつきをどんどん増幅させていくのである。

ただし、そうした負の感情を抱えつつ、完全には切れないのが兄弟、姉妹の仲。肉親ならではのそうした微妙な関係性も含めて、兄弟、姉妹という存在の面倒臭さをキッチリと描き出しているのが本作だ。

とはいえ、どうしても我慢できない感情もある。終盤には、ついに兄弟、姉妹がそれぞれぶつかり合う。そこではセリフによるバトルを展開するのだが、途中でそれをストップして無音のバトルに転換するところが面白い。それぞれの胸中の複雑な思いをより際立たせる仕掛けである。

そして、その後に待っているのは驚きの展開。兄弟、姉妹それぞれの大事件をリンクさせて、ある場所に両者を集結させる。そこでは、兄弟、姉妹の幼少時代が、光に満ちた映像で挿入されたりもする。

正直なところ、ここは定番寄りというか、ちょっとあざとさも感じてしまった。あそこまでストレートに感情に訴えるような展開には、しなくてもよかったのではないだろうか。

ただし、ラストのオチを見て「なるほどなぁ」と思ったのも事実。あの終盤の定番寄りの展開からすれば、「やっぱり兄弟って素敵」というようなオチに持っていくのが常道だろうが、吉田監督はあえてそれをはずす。「しょうがねえなぁ。コイツら」とつい苦笑してしまうラストなのである。

面倒臭い兄弟や姉妹の関係を、実にうまくとらえた映画だと思う。特に兄弟、姉妹がいる人は納得してしまうのではないだろうか。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金。

f:id:cinemaking:20180214214320j:plain

◆「犬猿
(2017年 日本)(上映時間1時間43分)
監督・脚本:吉田恵輔
出演:窪田正孝新井浩文江上敬子筧美和子阿部亮平、木村知貴、後藤剛範、土屋美穂子、健太郎、竹内愛紗、小林勝也角替和枝
テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://kenen-movie.jp/