映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年4月3日(火)午後12時より鑑賞(スクリーン2/E-8)。

映画を観ている間は眼鏡をかけている。ただし、ふだんはかけていない。なので、映画が終わると眼鏡をはずして眼鏡ケースに戻す。この日も、その行動をとったわけだが、その瞬間、手が滑って眼鏡ケースが横に飛んで行ってしまった。

どうも隣の席に座っていた客のあたりに落下したっぽかったので、「すいません」といってそちらを見たのだが、その客は特に何の反応も示さない。ということは、別の場所に落ちたのだろうか。オレは必死になって座席の下を捜した。

だが、見つからない。客はすべて劇場から去り、掃除をするためにやってきた劇場スタッフも、一緒にあちこち捜してくれたのだが、それでもどこにも存在しなかった。オレの眼鏡ケースはどこに消えたんだ? 時空の歪みにでも吸い込まれたのか?

そんな惨劇(?)の前に観た映画が「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(THE POST)(2017年 アメリカ)である。ガチガチの娯楽映画を製作・監督しながら、20世紀の様々な社会的事件を描き続けるスティーヴン・スピルバーグ監督。今回題材に取り上げたのは、ベトナム戦争が泥沼化していた1971年の出来事だ。

最初に登場するのは、そのベトナムの戦場。激しい戦闘が行われる中、ある男がタイプライターを叩いている。戦況を分析しにきた国防総省のスタッフのエルズバーグだ。彼は泥沼化している戦争の実情をありのままに報告するのだが、国防長官のマクナマラはそれを無視して、まったく反対のことを記者に語る。これに義憤を感じたエルズバーグが、ベトナム戦争に関する政府の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を持ち出したことが事件の発端となる。

その文書をコピーし、分析して、スクープ記事を発表したのがニューヨーク・タイムズだ。すでにずっと前から政府はアメリカに勝ち目がないことを知りつつ、戦争を継続していることを暴いたこの記事は大きな反響を呼び、ベトナム反戦運動をさらに盛り上げたのだ。

このスクープ記事の掲載に至る経緯が、実にスリリングに描かれている。テンポも良くて、その後の展開に大いに期待を抱かせる。

だが、ドラマの主役は、エルズバーグやニューヨーク・タイムズではない。ワシントンのローカル紙だったワシントン・ポストである。

同社では女性発行人で社主のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が、経営安定化のために株式公開に踏み出そうとしていた。彼女は自殺した夫の後を継いだのだが、当時は新聞の女性発行人は珍しく、周囲は彼女を低く見ていた。彼女自身も、何やら頼りない感じだった。

そのキャサリンを演じるメリル・ストリープの演技が秀逸だ。控えめで経営者らしくなく、普通のおばさん風。それでいて、軽妙でウィットに富んだ会話を繰り広げる。このキャラが、あとあとの重大な場面で生きてくる。

キャラがいいといえば、キャサリンのもとで編集主幹を務めるベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)も同様だ。切れ者で野心家、こちらもシニカルでユーモアに富んだ会話を得意とする。演じるトム・ハンクスが、主役の時とはひと味違う演技を見せている。

ベンは、ニューヨーク・タイムズに先を越されたことを悔しがり、自分のところでも文書を入手しようと躍起になる。それに応えて、ある記者が昔の伝手を頼ってエルズバーグに接触しようとする。そのあたりも、まるでスパイ映画のようなスリリングな展開だ。この映画、普通のサスペンスとして観ても、かなりレベルの高い映画だと思う。

そして、ついにペンタゴン・ペーパーズのコピーを入手。それを飛行機で運んだり、ベンの自宅に記者が集まって大急ぎで読み込む場面が印象的だ。そのさなかに、ベンの娘がレモネードを売るという小ネタを挟み込むあたりも、ドラマに緩急をつけるのに効果を上げている。大きな筋運びから小ネタまで、手際よく配された映画なのである。

こうして、スクープ記事を掲載しようとするベンたちだが、それは危険なことでもある。ニクソン政権は機密文書の暴露に激怒して、ニューヨーク・タイムズの記事差し止めを裁判所に求めていた。もしもワシントン・ポストが記事を掲載すれば、同じ目に遭ってしまう可能性が高い。株式公開直後だけに、それは経営を直撃する。経営と報道のはざまで社内の意見は二分する。掲載すべきか、やめるべきか。

決断するのはキャサリンだ。彼女はマクナマラ国防長官の友人でもある。それに対してベンは自分もかつてケネディ元大統領の友人だったことを引き合いに出して、政治と報道の距離の取り方について語る。このあたりの会話も実に興味深い。

キャサリンの決断は複数の人物との電話での会話を経て行われる。対面による会話はない。つまり、彼女一人に焦点が当たった一人芝居状態で行われるのだ。そこでのメリル・ストリープの演技はまさに名演。仰々しさの全くない、静かな、それでいて毅然とした決断が胸を打つ。それまでのキャラとの差異が、なおさら彼女の決断を印象深いものにしている。

その後もひと悶着があり、新聞の輪転機のタイムリミットを前にした手に汗握る攻防が続く。実際の事件の顛末を知らない人はもちろん、よく知っている人でもハラハラさせられるだろう。

最後の命運は裁判に。そこを派手に盛り上げず、抑制的ながら力強く描く手腕も見事。裁判所で、敵(政府)側のスタッフが、キャサリンを激励する、なんてあたりの小ネタを入れるところも、小憎らしいばかりの仕掛けである。

いったんすべてが終わったように見せて、ラストにその後のニクソンの策略を示すあたりも面白い。ちなみに、そこから続くドラマは、ピーター・ランデズマン監督、リーアム・ニーソン主演の「ザ・シークレットマン」そのもの。本作と合わせて観るのがおススメです。

基本は実録社会派ドラマだが、そこにスクープをめぐるサスペンスや、女性の自立などの人間ドラマもきちんと織り込んだ作品である。これだけいろんな要素をうまく詰め込めるのだから大したものだ。さすがスピルバーグとしか言いようがない。

何よりも、この映画、トランプ政権下の今のアメリカを完全に射程に置いてつくられている。それは日本にも無縁ではない。政治やマスコミに大きな示唆を与える作品だ。まあ、当時のアメリカ政府は都合の悪い文書でもちゃんと残していたわけだが、今の日本は文書自体を改ざんしたり、破棄しているわけだから、もっとヒドイのかもね。

鑑賞直後に発生した眼鏡ケース紛失事件で、それほど落ち込まなかったのは、この映画が素晴らしい映画だったからだ。とはいえ、新しい眼鏡ケースに1600円(税抜き)の出費は痛かったけれど。

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◆「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(THE POST)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間56分)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープトム・ハンクスサラ・ポールソン、ボブ・オデンカーク、トレイシー・レッツ、ブラッドリー・ウィットフォードアリソン・ブリーブルース・グリーンウッド、マシュー・リス
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://pentagonpapers-movie.jp/

 

「レッド・スパロー」

レッド・スパロー
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年4月1日(日)午前11時40分より鑑賞(スクリーン6/E-8)。

ロシアがイギリスで元二重スパイの親子を化学兵器で殺害しようとしたとかで、世界的に騒ぎになっているようだ。真相は知らないが、まあ、そのぐらいのことはやりかねないだろうなぁ~。と思ってしまうのは、たくさんスパイ映画を観てきたツケだろうか。

レッド・スパロー」(RED SPARROW)(2018年 アメリカ)は、そのロシアの女スパイのお話。元CIAの工作員だったジェイソン・マシューズの小説を「ハンガー・ゲーム」シリーズのフランシス・ローレンス監督が映画化した。タイトルにあるスパローとは、敵をハニートラップにかける女スパイのことだ。

主人公のドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は、ボリショイ・バレエ団バレリーナ。彼女が病気の母親の世話をしたのちに劇場へ向かい、ステージに上がるところからドラマが始まる。スポットライトを浴びながら華麗に踊るドミニカ。ところが次の瞬間、ドミニカは事故にあって足に大ケガをしてしまう。

一方、スクリーンにはもう一人の男が登場する。ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)というCIAの工作員。彼はモスクワ市内で情報源の男と接触を試みる。だが、その直後、ナッシュはアクシデントから発砲してしまい、警察に追いかけられることになる。

この2つの緊迫したドラマを同時並行で描いた導入部が秀逸だ。何が何やらワケのわからないうちに、スクリーンの中に引きずり込まれてしまう。

冒頭の事故でバレリーナの道を絶たれたドミニカは、ボリショイ・バレエ団での地位を失う。おまけに、家を追い出され、母の病気治療もままならなくなるピンチに直面する。そこに現れたのが情報機関に勤める叔父だ。生活のために、スパイになるようにドミニカを誘う叔父。しかも、彼はドミニカに様々な仕掛けをして、彼女の選択の余地をなくしてしまう。こうしてドミニカはロシア政府の極秘スパイ養成施設に送られてしまう。

そこからは、スパイ養成施設で訓練を受けるドミニカの姿が描かれる。これがまあ、とにかく理不尽でエゲツない訓練なのだ。スパローになるためには、自らの肉体を使った誘惑や心理操作などを駆使して情報を盗み出すテクニックを学ばなければならない。にしてもだ。「いくら何でもそこまでやるか???」といったことのオンパレードなのである(エロいシーンもそこそこあります)。

その訓練を施すのは、名優シャーロット・ランプリング演じる女教官。まるでバケモノのような冷徹かつ狂気の存在を圧巻の演技で見せる。背筋ゾクゾクもののコワサである。

だが、ドミニカはひるまない。この子、バレリーナというイメージとは裏腹に、最初からけっこう肝が据わっているし、反骨精神旺盛だ(だからこそ、スパイにスカウトされたのだろうが)。自分をレイプしようとした男に向かって、教官や生徒の前で全裸になって脚を広げ啖呵を切るシーンが壮絶だ。彼女の芯の強さを象徴する出来事である。

やがてドミニカはその才能を買われて、ロシア情報庁の内部に潜むアメリカの二重スパイをあぶり出す任務を任される。そして、ブダペストに飛んでCIA工作員への接近を図る。その男こそ、冒頭に登場したネイト・ナッシュである。

ここからはドミニカとナッシュの虚々実々の駆け引きが展開する。互いに惹かれあいながらも、それぞれのキャリアや忠誠心、国家の威信をかけてだまし合いを繰り広げていく。ハニートラップによってナッシュを手なずけ、ロシア情報庁の上層部に潜む内通者を聞き出そうとするドミニカ。

だが、敵もさるもの。ナッシュは早くにドミニカの正体をつかみ、やがて彼女をアメリカの二重スパイにしようと働きかける。複雑な様相を見せ始める2人の関係性。はたして、そこに本物の愛情はあるのか……。

ドミニカの本心がまったく読めないことが、スパイ映画としての面白さを倍加させている。ほぼ無表情を通しながら、微妙な感情の揺れを覗かせるものの、いったい何を考えているのかは最後までわからない。

ドミニカを演じるのは、デヴィッド・O・ラッセル監督の「世界にひとつのプレイブック」(2012)でアカデミー賞主演女優賞を受賞しているジェニファー・ローレンス。「X-MEN」シリーズや「ハンガー・ゲーム」シリーズにも出演しているから、こういうタイプの映画に出ても驚かないが、それにしても今回のタフで堂々たる演技ときたら。例えば同じ女スパイものの「アトミック・ブロンド」のシャーリーズ・セロンのようなキレキレのアクションこそないものの、得体の知れない存在感とタフさでは引けをとらない。

終盤、ドミニカはロシア当局に疑いをかけられて拷問を受ける。スパイ映画にはありがちな場面とはいえ。ここはけっこうエグいシーンが続くので、気の弱い方はご注意を。しかし、まあ、それに耐えるドミニカの姿には鬼気迫るものがある。

そして、クライマックスでは意外な裏切り者の正体が明らかになり、それをめぐってドミニカが大きな罠を仕掛ける。その果てに訪れるのは壮絶な復讐劇だ。

実は、冒頭近くでドミニカはすでにある復讐を敢行している。自身の運命を狂わせたものに鉄槌を下すのだ。そして、ラストでまたしても人生を狂わせた相手に復讐の刃を下す。なるほど。本作はドミニカの復讐のドラマといっても過言ではないだろう。

難を言えばモスクワ、ブタペスト、ウィーンなどドラマの舞台が点々としているのに、それがあまり効果的に使われているように見えない点だろうか。

それから、この映画、あちこちに細かな伏線が張られているので、気を許すと途中でワケがわからなくなる可能性大。そのあたりにも注意が必要かもしれない。

いずれにしても、ジェニファー・ローレンスの度胸の座った演技をはじめ見応えは充分。なかなかのスパイ映画だと思う。

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◆「レッド・スパロー」(RED SPARROW)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間20分)
監督:フランシス・ローレンス
出演:ジェニファー・ローレンスジョエル・エドガートンマティアス・スーナールツシャーロット・ランプリングメアリー=ルイーズ・パーカージェレミー・アイアンズ
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/redsparrow/

「トレイン・ミッション」

トレイン・ミッション
池袋シネマ・ロサにて。2018年3月31日(土)午後12時15分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-8)。

昔から気になっていたのが「ジャンル映画」という言葉だ。何だ? それ。と思っていたのだが、要するにジャンル分けしやすい典型的な娯楽映画のことらしい。「トレイン・ミッション」(THE COMMUTER)(2018年 アメリカ・イギリス)は、まさにそんなジャンル映画である。

どちらかといえば、ただの娯楽映画よりも、もっと深みのある作品が好きなオレだが、それでも有無を言わさず楽しませてくれる娯楽映画だったら、それはもう大満足なのである。そして、この「トレイン・ミッション」は文句なしに面白い! なにせジャウマ・コレット=セラ監督と主演のリーアム・ニーソンがコンビを組むのは、「アンノウン」「フライト・ゲーム」「ラン・オールナイト」に続いて4回目。まさに名コンビと言っていいだろう。

主人公は保険会社に勤めるマイケル・マコーリー(リーアム・ニーソン)。映画の冒頭では、彼が毎朝起床して、家族と食事し、通勤電車で会社に行くシーンが描かれる。

だが、どうも様子が変だ。どうやら1日の出来事ではなく、別々の日の光景を組み合わせているらしい。おそらく毎日同じことを繰り返してきたマイケルの10年間の通勤風景を、端的に表現しているのだろう。こうした細かな工夫が、あちこちに施された映画なのである。

ところが、マイケルは会社を突然リストラされてしまう。住宅ローンを抱え、息子の学費を確保しなければならない彼は茫然とする。そのマイケルが会社を出たところを、高所から見下ろすショットが印象的だ。彼のショックと戸惑いを的確に表現している。

そうなのだ。ジャウマ・コレット=セラ監督の映画は映像も素晴らしい。アクションシーンのド迫力のカメラワーク、怪しさや不安定さを煽る手持ちカメラなど、その場その場にふさわしい映像を巧みに使い分ける。今回もそのワザが健在だ。

マイケルは、いつもの通勤電車で帰路につく。だが、そこでとんでもない出来事が起きる。車内でマイケルの前に現れたジョアンナ(ヴェラ・ファーミガ)と名乗る見知らぬ女が、突然こう話しかけてきたのだ。「トイレの中にお金がある。乗客の中からある人物を捜し出せば10万ドルの報酬を支払う」。

女はすぐに姿を消す。マイケルがトイレに行ってみると、確かに金はあった。会社をリストラされて金に困っているマイケルは、高額な報酬に惹かれて、とりあえず人捜しを始める。そんな中、妻子が人質にされていることが発覚する。これでマイケルは謎の女性の依頼を受けざるを得なくなる。

というわけで前半は、列車の車内という密室を効果的に使い、人捜しに奔走するマイケルの姿がスリリングに描かれる。乗客は約100人。その中から1人の人物を見つけなければいけない。ヒントは、おなじみの乗客ではなく、終着駅で降りる人物、そして通称はプリン。

実はマイケルは元警官だ。この設定がいろんな場面で効いてくる。彼は座席の背もたれに挟み込まれた切符などをヒントに、ターゲットを絞っていく。だが、なかなか問題の人物を特定できない。しかも、乗客は怪しい人物ばかり。高慢な投資ディーラー、タトゥー女、ギターらしきものを抱えた黒人青年など。「きっとこいつだ!」とマイケルが思った人物が、実は無関係だったりする。

おまけにマイケルは監視されている。どうやら敵の仲間が乗客の中に混じっているらしい。列車の車内外では、この一件に絡んだ殺人事件まで起きる。いったい誰が敵で誰が味方なのか。そして、なぜ彼らは問題の人物を捜させるのか。謎が謎を呼び、一瞬も目が離せない。

はかどらない人捜し、犯人からの脅迫、乗客からの嫌疑の視線にさらされ、戸惑い、焦り、怒るマイケル。その心中がリアルに伝わってくる。それはそうだろう。確かな演技力を持つリーアム・ニーソンが演じているのだから。彼の表情の変化だけで、何を考えているかが伝わってきてしまう。もはや、そんな域まで達した貫禄の演技なのである。

そして、近年のリーアム・ニーソンといえば、やっぱりアクション! 一時は年齢的にアクション引退が噂されたりしたが、今のところ本人にその気はないようだ。本作でも、格闘バトルから列車の連結器での大ピンチまで、アクションがテンコ盛りで詰まっている。

途中までは、サスペンス・ミステリー+アクションといった趣の展開。だが、それだけでは終わらない。終盤は列車パニックアクションの様相を呈する。脱線の危機を前にしたハラハラドキドキの展開だ。ここも手に汗握る場面が続く。

そして、それがひと段落した後に、さらなるスリルが襲ってくる。そこから浮かび上がる事件の大きな背景と、予想外の敵側の人物。なーるほど、そういうことだったのか。実は、この映画には数々の伏線が張られている。それがラストに至るまでに、すべて見事に回収されていく。これもまたこの映画の大きな魅力だ。

すべてが決着してジ・エンド。と思ったら大間違い。最後の最後にもうひとネタ残っている。そこでマイケルが示すあるモノ。これまた、その前のある人物のシーンのセリフが伏線になった展開だ。これぞカタルシス。憎いぜ。まったく!

正直なところ、後で冷静になってみれば、やや強引だったり、わかりにくいところもあるのだが、観ているうちはまったくそれを感じさせない。巧みなテクニックと力技で押し切ってしまうのである。

濃密かつスリリングな106分。観客を楽しませるという点で、実にグレードが高い作品だ。ジャウマ・コレット=セラ監督とリーアム・ニーソンの名コンビ、今回もいい仕事してまっせ。

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◆「トレイン・ミッション」(THE COMMUTER)
(2018年 アメリカ・イギリス)(上映時間1時間45分)
監督:ジャウマ・コレット=セラ
出演:リーアム・ニーソンヴェラ・ファーミガパトリック・ウィルソン、ジョナサン・バンクス、エリザベス・マクガヴァン、フローレンス・ピュー、サム・ニール
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://gaga.ne.jp/trainmission/

「ラッキー」

「ラッキー」
新宿シネマカリテにて。2018年3月26日(月)午後2時5分より鑑賞(シアター1/A-8)。

人間はいつか死ぬのである。今さら何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、その当たり前のことになかなか実感が持てないのも事実。それは年をとっても変わらないのかもしれない。

「エイリアン」(1979年)、「パリ、テキサス」(1984年)などで知られる個性派俳優のハリー・ディーン・スタントン。2017年9月に他界した彼の最後の主演作となる「ラッキー」(LUCKY)(2017年 アメリカ)は、死を前にした老人の話だ。

主人公の90歳の男ラッキー(ハリー・ディーン・スタントン)は、ひとり暮らし。一度も結婚したことがなく、家族もいないという。毎朝、彼は目覚めるとコーヒーを飲み、タバコをふかし、ヨガのポーズをする。身支度をすると行きつけのダイナーに出かけて、店主のジョーと無駄話をかわし、クロスワード・パズルを解く。

その後、彼は帰宅途中にある場所にさしかかると「クソ女め」とつぶやく。いつもの店でタバコや牛乳を買った後は自宅に戻り、クロスワード・パズルを解きながら、テレビのクイズ番組を見る。そして夜になると、なじみのバーへ行き、カクテル(ブラッディマリー)を飲み、店主や客と会話をする。

こんなふうにルーティンの毎日を送るラッキー。ほとんど表情を変えず、見るからに偏屈で不愛想な老人なのだが、けっして孤独ではないのである。行きつけの店の人々をはじめ、町の人々は彼のことをよく知っており、気軽に話しかける。老人だからと余計な気遣いを見せることもなく、お互いに減らず口を叩き合ったりして、ごく自然に接しているのだ。その様子がとても微笑ましくて、温かな心持ちになってくる。

ところが、ある日、そのラッキーが倒れてしまう。医者はどこにも異常がなく、加齢によるものだと説明する。そのことがきっかけで、ラッキーは自らの人生の終わりを意識し始める。

そうやって死を意識し始めたラッキーだが、神など信じない現実主義者だから、神に祈ったりはしない。とりたてて何か変わったことを始めるわけでもない。ありがちなドラマなら、別れた家族や友人が突然登場して、ラッキーを癒してくれるかもしれない。だが、本作にはそんな劇的な展開はない。ラッキーは、相変わらずルーティンの毎日を送るだけなのだ。その中で、わずかに起きる変わった出来事といえば、以下のようなもの。

ラッキーの知人の男(映画監督のデヴィッド・リンチが好演)は可愛がっているリクガメに遺産相続させようとする。それを任された弁護士はラッキーに自ら死にかけた過去を話す。ダイナーのウェイトレスはラッキーを心配して家を訪ねてくる。ラッキーは子供の頃に怖かった暗闇の話をする。そして、ラッキーと同様に第二次世界大戦に従軍した元軍人の老人は、沖縄戦で自決を前にした日本人少女の話を語る。

一つ一つは地味で無関係そうなそれらのエピソードを通して、ラッキーの迷いや、それが少しずつ解きほぐされて悟りの境地に近づいていく様子が、ごく自然に描かれている。けっして派手な展開や大仰なセリフはないのだが、それでもラッキーの気持ちが手に取るように伝わってくるのである。

極めつけは、ラッキーがいつも買い物に行く店の女性から招待された、彼女の息子の誕生祝いのシーン。ラッキーは味のある歌声でメキシコの歌を披露する。そこで見せる彼の笑顔が心に染みる。

笑顔のシーンは最後にも用意される。いつものバーでいつもの偏屈さを見せた後に、最上の笑顔を披露するラッキー。それはまさに、彼がすべてをありのままに受け入れる覚悟をしたことを示しているのだろう。

この映画の監督は「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」などの名脇役ジョン・キャロル・リンチ。初の監督作だが、スタントンに当て書きされたという脚本ともども、なかなか見事な手腕を見せてくれる。

しかし、まあ、ハリー・ディーン・スタントンの存在感ときたら。ほんのわずかな表情の変化で多くのことを物語るその演技が圧巻だ。おそらく彼自身も、これが最後の主演作であることを意識して、自身の人生も演技に投影させたのだろう。

本作では、ラッキーの過去の人生が詳細に語られるようなことはない。それでも彼が様々な喜びや悲しみを経験し、それでもラッキーと呼ばれる通りに、幸運な男であったことが伝わってくる。ヒーローでも何でもないごく平凡な老人ラッキー、そして稀代の個性派俳優スタントンを温かく見守る視点が心地よくて、しみじみとした心持ちになることができた。

自分もいずれは、ああいうふうに死んで行けたなら幸せなのではないか。な~んてことまで考えてしまいそうな映画だが、まあオレの場合、結局は最後までジタバタするんだろうな。きっと。

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◆「ラッキー」(LUCKY)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間28分)
監督:ジョン・キャロル・リンチ
出演:ハリー・ディーン・スタントンデヴィッド・リンチロン・リヴィングストンエド・ベグリー・Jr、トム・スケリット、ジェームズ・ダーレン、バリー・シャバカ・ヘンリー、ベス・グラント、イヴォンヌ・ハフ・リー、ヒューゴ・アームストロング
*新宿シネマカリテほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://uplink.co.jp/lucky/

「素敵なダイナマイトスキャンダル」

素敵なダイナマイトスキャンダル
シネマ・ロサ池袋にて。2018年3月24日(土)午前11時45分より鑑賞(シネマ・ロサ2/自由席)。

末井昭という伝説的エロ雑誌編集長がいることは知っていた。残念ながら時代的にはややずれているので、当時のことはよく知らないのだが、後年にパチンコ雑誌の編集長になって自ら女装してCMに出演していた姿はよく覚えている。

その末井昭の自伝的エッセイを基にした青春ドラマが「素敵なダイナマイトスキャンダル」(2018年 日本)である。監督・脚本は、「パビリオン山椒魚」「乱暴と待機」「南瓜とマヨネーズ」などの冨永昌敬。一応、フィクションということになっているが、実在の人物も登場するなどかなり実際に近いと思われるドラマだ。

全体に笑いどころが満載の作品だ。まず冒頭は、主人公・末井昭柄本佑)が警察から注意を受けるシーン。松重豊演じる警察官が、エロ写真について具体的にどこがわいせつか指摘を行い、それに末井が低姿勢で対応する。そのやり取りが実にユーモラスだ。

ところが、その後は場面が一転する。末井の少年時代の出来事。彼の母・富子(尾野真千子)は結核を病み、家出した挙句、隣家の息子とダイナマイトで心中してしまったのだ。散らばった2人の肉体を人々がかき集める壮絶な場面が描かれる。冒頭の軽妙さとの激しい落差! この事件が、末井の人生に大きな影響を与えたことを冨永監督は示唆する。

事件を機に田舎にいづらくなった末井は、高校卒業後に工場に憧れて大阪で就職する。だが、そこの軍隊式管理に嫌気がさして退社する。その後は川崎の工場に勤めていた父を頼って上京し、工場勤務の傍らデザイン学校で学び看板会社へ就職する。

やがて末井はキャバレーの看板描きなどの仕事を経て、エロ雑誌のイラストを描くようになり、そこからエロ雑誌の世界に足を踏み入れる。表紙デザイン、レイアウト、取材、撮影、漫画と、あらゆる仕事をしながら、編集長としてエロ雑誌を創刊。雑誌は軌道に乗るが、その頃から警察とのバトルが始まる。

この映画で感心させられるのは時代のとらえ方だ。高度経済成長期、学生運動の時代、バブル時代など末井の活動の背景になった時代が、巧みに描き込まれている。特に、若き日の彼が影響を受けた反権力の時代やサブカル全盛期の描き方が印象的だ。当時の人気ラジオ番組をそのまま登場させるなど、若者たちの間に浸透していたカルチャーがあちこちに効果的に使われる。

末井はそうした世相に影響されて、前衛アートなどに入れ込み、ひたすらとんがって生きようとする。彼が全身に赤ペンキを浴びてストリーキングに及ぶシーンなど、まさに当時の時代性を象徴した行動だろう。末井が創刊したエロ雑誌では、単にエロだけでなく有名な物書きによる文章をはじめ、多様なネタを取り上げていた。これまたサブカル時代ならではの現象に違いない。

結局のところ、末井は時代に巧みに乗って成功したのではないか。のちに彼はエロ雑誌からパチンコ雑誌へと乗り換えて、そこでも雑誌を成功に導いているが、それもまた時代の変化を巧みに読み取ったがゆえのことだろう。そのあたりが自然に伝わってくるドラマになっている。

エロ雑誌編集部のディテールも面白い。テレホンセックスをでっち上げ、編集部にたくさんの女性を集めて読者の相手をさせるシーンは爆笑モノ。「絶対に脱がない」という女性を巧みに脱がせようとする丁々発止の攻防もユーモラスだ。ちなみに、そこで活躍するのがミュージシャン菊地成孔が扮した荒木さん。そう。写真家・荒木経惟である。

こうして成功を手にした末井の人生だが、そこにはやはり影の部分もある。妻の牧子(前田敦子)がいながら、家庭生活に充たされないものを感じ、あまりにもストレートな感情で別の女性に走る。おまけに、その女性はやがて精神を病んでしまう。

かなりの金を稼ぎながら、それを怪しい投資につぎ込んでしまうあたりの行動も、何やら危うい。それらは彼の貪欲さゆえの行動なのか、それとも幼少時のトラウマのなせる業なのか。

母のダイナマイト心中の話は、劇中でたびたび登場する。末井自身がそれを売り物にしているようなところもある。だが、終盤になって、その事件がやはり彼の人生に大きな影響をもたらしたことが、改めて強く打ち出される。そして同時に、様々な葛藤の果てに彼なりの一つの納得に至ったことも示される。やはり冨永監督は、良くも悪くも、あの事件こそが彼の人生の原点であると考えているのだろう。

とはいえ、あまりにも破天荒でぶっ飛んだ人生なので、そちらの面白さに気をとられてしまうのも事実。末井の心の内面に深く迫るところまでは行っていない気もする。そこがやや物足りないところだろうか。

まあ、難しいことは抜きにして、あまりにも破天荒すぎる男の人生を、その時代背景とともに楽しむほうがよいだろう。末井役の柄本佑のなりきりぶり、牧子役の前田敦子の独特の魅力も見ものである。

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◆「素敵なダイナマイトスキャンダル
(2018年 日本)(上映時間2時間18分)
監督・脚本:冨永昌敬
出演:柄本佑前田敦子三浦透子峯田和伸松重豊村上淳尾野真千子、中島歩、落合モトキ、木嶋のりこ、瑞乃サリー、政岡泰志、菊地成孔島本慶若葉竜也嶋田久作宇野祥平
テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://dynamitemovie.jp/

桜の季節

たまには映画以外の話題も・・・。

家から15分ぐらい歩いたところに石神井川があって、その川沿いに毎年鮮やかな桜が咲き誇るのだ。

写真の通り今年も見事な咲きっぷり!

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ちなみに、この場所から数分のところユナイテッド・シネマ系列のシネコンがあって、昔からよく足を運んでいます。

・・・て、やっぱり映画の話で終わってしまった(笑)。

「メイド・イン・ホンコン/香港製造」

「メイド・イン・ホンコン/香港製造」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年3月21日(水)午後1時50分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

まだオレに多少の経済的余裕があった頃。中国返還前の香港に何度か足を運び、その魅力にはまったのではあるが、その後は貧乏生活ゆえ一度も訪れていない。いったい今はどんな街になっているのだろうか。

フルーツ・チャン監督の「メイド・イン・ホンコン/香港製造」(香港製造/MADE IN HONG KONG)(1997年 香港)は、返還を目前に控えた1997年の作品。香港のダウンタウンに住む少年少女の姿をリアルに描き出した青春映画で、わずか5人のスタッフで製作がスタートした低予算映画ながら香港で大ヒットした。そして、このほど4Kレストア・デジタルリマスター版となってリバイバル公開されたのである。

舞台になるのも1997年の香港。主人公の青年・チャウ(サム・リー)は、中学を中退して、黒社会のボスの下で借金の取り立てを手伝っている。彼は知的障がい者のロン(ウェンダース・リー)がイジメられているのを見かねて、兄貴分となって彼を守っていた。つまり、ヤクザの使いっ走りをしていても、本質的にはいいヤツなのだ。

ある日、チャウは借金の取り立てに行った家で、ベリーショート姿が魅力的な少女・ペン(ネイキー・イム)と出会う。そんな中、ロンは女子学生・サン(エイミー・タム)の飛び降り自殺の現場に偶然立ち合い、彼女の遺書を拾ってしまう。チャウはペンとロンを連れて、サンの遺書を宛名の相手に渡しに行くことを決意する。

そうするうちに、チャウはペンに恋心を抱くようになる。だが、彼女は腎臓病に侵されており、移植手術ができなければ余命はわずかだった……。

全編が若々しいエネルギーに満ちあふれた作品だ。当時の香港の底辺にいる若者たちの青春が、生き生きと描かれている。ただし、それは光だけではない。闇も同時に併せ持つ。青春の光と闇の両面が鮮烈かつスタイリッシュな映像で、スクリーンに刻まれた作品なのだ。

物語の軸になるのは恋愛だ。主人公のチャウは、中国大陸出身の愛人のもとに走った父が家出し、パート勤めの母と二人で暮らしている。その母親も、やがて家を出てしまう。一方、病身で余命わずかのペンも父親が姿を消し、借金取りに追われる母親とともに暮らしている。

社会の底辺で、もがき苦しむそんな2人の恋を、チャン監督はみずみずしく描き出す。最も印象深いのは、チャウ、ペン、そしてロンが自殺した少女サンの墓を探して、高台にある墓地をさまようシーン。眼下に広がる香港の街を背景に、彼らのキラキラした青春の輝きが刻み付けられる。

チャウはペンのために臓器移植のドナーになり、母親から盗んだ金で彼女の手術費と家の借金を肩代わりしようとする。彼にできることは、それぐらいしかなかったのだ。さらに、チャウは彼女のために黒社会の兄貴に言われて、ずっと拒否し続けていた人殺しをついに引き受ける。

人殺しを決意したチャウが銃を手に一心不乱に踊るシーンが鮮烈だ。何かにとりつかれたように踊りまくるチャウを、スタイリッシュな映像で見せるチャン監督。様々な思いが交錯し、それをすべて振り払おうとするかのようなチャウの内面が伝わってくる。

それ以外にも、自殺した少女のイメージショットをはじめ斬新な映像がたくさん登場する作品だ。このあたり、20年前の映画とはいえ、今見てもまったく古さを感じさせない。

終盤は二転三転する展開が続き、チャウはペンへの思いを胸に破滅への道を突き進む。彼にはもう、ああいう運命をたどるしか残された道がなかったのだろう。墓地でのラストシーンが切なく、そして美しい。

最後に紹介される毛沢東の言葉。「世界は君たちのもの、そして私たちのもの。しかし最終的には君たちのものだ。君たち若者は気力旺盛で、活気にあふれている。まるで朝8時の太陽のようだ。私たちの希望を君たちに託したい」。消えていったチャウやペン、ロンを思うとき、何とも複雑に感じられる言葉である。

この映画が香港でヒットした背景には、やはり返還前という状況があるように感じられる。劇中で直接的に返還に触れる場面はほとんどない。だが、チャンとペンの姿にそれが投影されているように思える。

チャンもペンも、今の生活を脱げだしたい思いはあるのだが、現実にはどうにもできないでいる。希望を持ちたくてもなかなか持てない。行き場を失った存在だ。その揺れ動く姿には、当時の香港の置かれた不安定な状況と共通するものがあるように思えるのだ。それが香港の観客を強く惹きつけたのかもしれない。

返還前の時代の空気も反映させた鮮烈な青春映画の傑作だと思う。青春のきらめきと残酷さがクッキリと描かれている。展開などに多少荒っぽいところもあるが、それもまた作り手たちの若々しさを感じさせる。

はたして今の香港はどうなっているのだろうか。サムやペンのような若者は、今何をしているのだろうか。この映画を観て、久しぶりに香港に行ってみたくなったのである。

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◆「メイド・イン・ホンコン/香港製造」(香港製造/MADE IN HONG KONG)
(1997年 香港)(上映時間)
監督・脚本:フルーツ・チャン
出演:サム・リー、ネイキー・イム、ウェンダース・リー、エイミー・タム
*YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
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