映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ボヘミアン・ラプソディ」

ボヘミアン・ラプソディ
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年11月15日(木)午後1時50分より鑑賞(スクリーン3/F-16)。

~楽曲の持つ力が感動を呼ぶ圧巻の音楽伝記映画

伝説のバンド“クイーン”。熱狂的なファンというわけではないが、あれだけヒット曲がたくさんあるのだから、それなりに親しみはある。アルバムも数枚だが持っている。

そのクイーンの軌跡とリード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリーの人生を描いたのが、「ボヘミアン・ラプソディ」(BOHEMIAN RHAPSODY)(2018年 イギリス・アメリカ)である。監督は、もはや「X-MEN」シリーズのイメージが強いブライアン・シンガー。ただし、撮影最終盤に降板して、製作総指揮にクレジットされているデクスター・フレッチャーが後を引き継いだとか。

そんな面倒な話はともかく、映画のスタート前からぶっ飛んでしまった。場内に流れる20世紀FOXのファンファーレ。なんとそれが、完全にクイーンのサウンドにアレンジされているのだ。何という心憎い演出!

映画は、伝説のチャリティ・イベント“ライブ・エイド”の当日からスタートする。家を出て会場に向かい、スタンバイするフレディ・マーキュリーラミ・マレック)。いよいよステージに登場!

と言いたいところだが、いったん時代をさかのぼる。1970年のイギリス。若き日のフレディが空港で働いている。インド系移民という出自と容姿によるコンプレックスを抱えつつ、自分で曲を作り、いつかバンドを組む日を夢見ている。家に帰れば母や姉とは良好な関係だが、父親との間には確執がある。

そのあたりの事情をコンパクトに、過不足なく描く手際が鮮やかだ。なにせ冒頭近くなので、これはブライアン・シンガー監督による演出なのだろう。何にしても、全編がとてもテンポよく描かれているのが、本作の大きな長所である。

さて、フレディは毎夜のようにバーに出かけて、バンド演奏を聴いているらしい。その日の出演バンドを気に入り、演奏終了後に声をかける。すると、なんとバンドはたった今ボーカルが抜けたところだというではないか。

そんな都合のいいことがあるのか? と思わないでもないが、メンバーのブライアン・メイロジャー・テイラーが全面協力しているらしいので、実際の出来事に近いのだろう。まさに事実は小説より奇なり。こうしてフレディは、ブライアン(グウィリム・リー)、ロジャー(ベン・ハーディ)と出会うのだ。

出会いといえば、ここでもう一つの大きな出会いがあった。フレディは洋服店の店員のメアリー・オースティン(ルーシー・ボーイントン)とそのバーで出会うのだ。彼女こそがフレディが「運命の人」と呼んだ女性である。

まもなくフレディ、ブライアン、ロジャー、そしてジョン・ディーコン(ジョセフ・マッゼロ)の4人はクイーンとして演奏活動を始める。転機になったのは、車を売って金を捻出して、レコーディングを行ったことだ。たまたまそれを目にしたレコード会社の関係者が彼らを評価し、メジャーデビューと相成る。

そんなふうに、バンドが栄光をつかむまでの経緯が、様々なエピソードとともに描かれる。そこには興味深い裏話が満載だ。例えば、タイトルにもなっている『ボヘミアン・ラプソディ』という曲。レコード会社のボスが、今までと同じような曲を求めたのに対して、フレディは断固拒否。ロックとオペラを融合させた斬新な曲を完成する。だが、6分という当時としては異例の長さに、「ラジオでかけられない!」とボスは猛反発。最初はマスコミの評価も散々だった。

『ウィ・ウィル・ロック・ユー』の誕生秘話も面白い。後年、成功をつかんだものの、次第に生活が荒れていくフレディ。もともと遅刻魔の彼は、この日も他のメンバーの前になかなか姿を現さない。業を煮やしたブライアンは、他のメンバーや家族をドラムセットの台に上げて、手拍子と足拍子を取らせる。それこそが、あの名曲のイントロのもとになったのである。

そんなふうにクイーンの軌跡を描くのと並行して、フレディの壮絶な人生を描き出す。その最大のポイントは、彼が同性愛者だということだ。最初はメアリーと恋人同士として過ごしていたフレディ。だが、まもなく男性への関心に目覚めていく。そうなれば、普通はメアリーと別れるものだが、彼はそうしなかった。隣の家に住まわせ、頻繁に連絡を取る。メアリーへの愛はずっと変わらなかったのだ。

ある時、メアリーは新しい恋人(もちろん男性)を連れてフレディの前に現れる。その時のフレディの態度が印象的だ。「何で他の男を連れてくるんだよ!」とでも言いたげな表情で、明らかに不機嫌になっている。とはいえ、自分は異性としてメアリーと関係することができない。心と体の狭間で苦悩し、複雑な感情が渦巻いているのだ。

そしてフレディは孤独だった。ロックスターにありがちな展開だが、連夜のパーティーで、酒とドラッグに浸る毎日が続く。それも孤独ゆえのことだ。恋人(男性)がいるにはいるのだが、けっして満たされていない。しかも、その相手が仕事のスタッフだけに、何かと面倒なことがある。

そんな中で、他のメンバーとの軋轢も表面化していく。もともとクイーンは全員が曲を書くという異色のバンドだった。それが様々なぶつかり合いを生むのだが、当初はクリエイティブでポジティブな方向に進んでいった。しかし、やがて決定的な局面が訪れる。そこには、フレディのソロアルバムの話も絡んで、抜き差しならない状態へと突入していく。

本作で特徴的なのは、音楽で多くのことを語らせている点だ。純粋なドラマ部分だけを取り出せば、物足りなく感じるかもしれない。だが、それが音楽と一体化することで、なまじのドラマよりも奥深い世界が広がる。フレディの苦悩にしても、よりリアルに伝わってくるのである。

何せ登場するのは名曲ばかりだ。「地獄へ道づれ」「伝説のチャンピオン」「アンター・プレッシャー」「キラー・クイーン」「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」「RADIO GAGA」などなど。それらが実にタイミングよく使われ、タイミングよく終わる。

それらの楽曲は、基本的にクイーンの原曲を使っている。歌声も基本はフレディの歌声だ。だから、役者たちはそれに合わせて演技したり、演奏をするわけだ。だが、不自然さはまったく感じない。まるで劇中の役者たちが、自ら演奏しているかのようである。これは、相当な特訓をしたに違いない。

フレディを演じたラミ・マレックは、TV「MR. ROBOT/ミスター・ロボット」で有名らしい。そのなりきりぶりはもちろん、フレディの苦悩を繊細に演じたところも見事だった。他のメンバーも、実によく雰囲気を出していた。

ちなみに、フレディの「運命の人」メアリーを演じたのはルーシー・ボーイントン。「シング・ストリート 未来へのうた」で主人公のマドンナ役を演じた彼女である。あの頃からキラリと光るものがあったが、ますます良い女優になっている。

圧巻はラストの21分。そう。冒頭にも登場した“ライブ・エイド”のステージが再現されるのだ。しかも完全再現である。ここでも、メンバーを演じた役者たちのなりきりぶりが半端ではない。「これが正真正銘のクイーンです」と言われても違和感がないぐらいだ。

すでにフレディの最期については誰もが知っているからバラしてしまうが、この時、彼はエイズにかかり、余命わずかであることを自覚していた。そんな中で、一度は離れたメンバーたち=家族とのもとに再び帰ってきたのだ。それがわかっているからこそ、ますますこの圧巻のステージが感動的なものになる。まさに感涙もののステージである。

音楽の力を信じてクイーンの楽曲を十二分に生かし、ドラマと見事に融合させた音楽伝記映画だ。クイーン好きでなくても、きっと楽しめるはず。

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◆「ボヘミアン・ラプソディ」(BOHEMIAN RHAPSODY
(2018年 イギリス・アメリカ)(上映時間2時間15分)
監督:ブライアン・シンガー
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボーイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョセフ・マッゼロエイダン・ギレントム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズ、アーロン・マカスカー、ダーモット・マーフィ
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

「人魚の眠る家」

人魚の眠る家

東京国際映画祭P&I上映にて(TOHOシネマズ六本木ヒルズ)。2018年10月28日(日)鑑賞。

~母の異常な愛脳死とテクノロジーをめぐるミステリー

今年も参加したぞ! 東京国際映画祭。ありがたいことに関係者向けのパスをもらい、関係者向けのP&I上映にて15作品を鑑賞。今年はいろいろと忙しくて昨年よりは鑑賞本数が激減したものの、さすがに選りすぐりの映画だけにどれも充実した作品だった。感謝、感謝。

本当は、鑑賞した映画はすべてきちんとレビューを書きたいところだが、なかなかその余裕がないのが残念。それでも、なるべく日本公開される作品はレビューを書きたいと思っている。

というわけで、今回取り上げるのは特別招待作品として上映された「人魚の眠る家」(2018年 日本)。東野圭吾の小説を堤幸彦監督が映画化した。脳死と心臓死、臓器提供など死をめぐる問題は難しい。簡単に結論など出せない問題だ。それをミステリードラマの形で取り上げた作品である。堤監督はありとあらゆるジャンルの映画を撮ってきたが、基本的にはエンタメ作品中心の監督。それでも時には、こうした社会派の要素を持った作品を撮っている。

堤監督の映画といえば、映像のこだわりが半端でないのが特徴だ。それが時にはやりすぎに思えることもある。今回も冒頭で野球をしていた少年たちが、ある1軒の家(門扉に人魚のデザインが……)にボールを取りに入るシーンから堤ワールドが全開。とはいえ、全編を通してみればそれほど過剰には感じられない。むしろ抑制的といえるかもしれない。

さて、舞台になるのは少年たちが入った家である。そこに暮らすのは、播磨薫子(篠原涼子)と2人の子供。夫であるIT機器メーカー社長の和昌(西島秀俊)は別居中で、娘・瑞穂の小学校受験が終わったら、薫子と和昌は離婚することになっていた。

そんなある日、瑞穂と兄は祖母たちに連れられてプールに行く。そこで瑞穂は事故に遭い意識不明となってしまう。医師(田中哲司)からは回復の見込みはないと言われ、夫婦は一度は脳死を受け入れて臓器提供を決断する。だが、薫子は「この子は生きている!」という強い思いから直前になって翻意する。

早くもここで脳死と心臓死というテーマが浮上してくる。ドラマの中で、医師からは臓器提供なら脳死が死となり、そうでない場合には心臓死が死となる不思議な日本の制度が告げられる。日本では死は二つあるのだ。

こうして瑞穂は薫子が見守る中、眠ったまま命を長らえる。そんな瑞穂を現代の最新テクノロジーがサポートする。最初は横隔膜ペースメーカー。自発呼吸ができない瑞穂に対して、横隔膜に電気刺激を与えて、自分で呼吸できるようにするのだ。

そして続いて行われるのが、和昌の会社の研究員・星野(坂口健太郎)の研究に基づく処置だ。それは電気信号を使って機械的に手足を動かすというもの。意識不明のはずの瑞穂の手足が、電気信号によって動き出すのである。

科学に疎いオレには、こうした研究がどこまで現実に近いのかよくわからない。もしかしたら、まったくのフィクションなのかもしれないが、最近のテクノロジーの進化を考えれば、けっして絵空事とは思えない。

こうして瑞穂の状態は、ずいぶん改善したように見える。意識は回復しないものの、健康状態はかなり良好になる。薫子は未来に希望を感じて、星野もさらに成果をあげようと研究にのめり込む。だが、そんな星野に婚約者(川栄李奈)は疑念を持ち、薫子の家まで尾行する。

何やら、このあたりで一瞬、ドラマの様相が変化する。薫子と星野の関係を邪推した川栄李奈の目がアブナイ。死やテクノロジーをめぐる重いテーマのドラマだと思ったのに、これはもしやチープな殺人サスペンスに突入か? と思ったのだが、そうではなかった。その先に待つのは、さらに深い問題提起だった。

ひたすら瑞穂の回復を信じる薫子。そして自らの研究を信じて疑わない星野。その2人の思いが共鳴して、事態はエスカレートする。瑞穂は意識がないままに、電気刺激によってさらに別の反応を示す。それはもはや完全に生きた人形である。

このシーンを観て、オレは背筋が凍り付いた。それまでは瑞穂の様子を好感を持って見守っていた観客も、ここに至って疑問を感じるのではないだろうか。はたして、倫理的にこんなことが許されるのか、と。それは和昌も同様だ。自社の星野の研究に期待し、薫子同様に瑞穂の変化を喜んでいた彼も、さすがに疑問を感じ始める。

だが、それでも薫子と星野はどんどん突き進んでいく。その果てに起きたことは……。

薫子を演じる篠原涼子の演技が素晴らしい。情念のままに暴走していく薫子の姿には、背筋ゾクゾクものの恐さがある。それでもリアルさは失わない。母の思いを体現した説得力に満ちた演技のお陰で目が離せなくなる。

クライマックスの舞台劇のような演技も印象的だ。観ているうちに胸がヒリヒリと痛んできた。そして、その後に訪れるファンタジックな展開では、薫子と瑞穂の心の通い合いに素直に涙腺が緩んできた。

というわけで、母の思いを描いた人間ドラマとしてもなかなかの作品だと思う。そこに、人間の死や臓器提供、テクノロジーの進化などのテーマ性もしっかりと盛り込まれている。そのバランスがとても良い。実に観応えのあるドラマだった。

これまでにも東野圭吾の小説は何作も映画化されているが、消化不良だったり、テーマ性が薄っぺらな作品も多く、がっかりした経験も一度や二度ではない。そうした中で、本作は個人的にベストの部類に入る作品だと感じた。本日(16日)より全国公開です。

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◆「人魚の眠る家
(2018年 日本)(上映時間2時間)
監督:堤幸彦
出演:篠原涼子西島秀俊、坂口健太郎川栄李奈山口紗弥加田中哲司斉木しげる大倉孝二駿河太郎、ミスターちん、遠藤雄弥、利重剛稲垣来泉、斎藤汰鷹、荒川梨杏、荒木飛羽、田中泯松坂慶子
丸の内ピカデリーほかにて11月16日(金)より公開
ホームページ http://ningyo-movie.jp/

「生きてるだけで、愛。」

「生きてるだけで、愛。」
シネ・リーブル池袋にて。2018年11月11日(日)午後2時35分より鑑賞(スクリーン2/G-5)

~生きづらさを抱えて苦悩する若者の姿をリアルに描く

劇作家で、演出家で、小説家としても芥川賞を受賞している本谷有希子。おい、その才能を少しでいいから分けてくれ(笑)。と言いたくもなるわけだが、その本谷有希子の小説を映画化したのが、「生きてるだけで、愛。」(2018年 日本)である。

この映画の主人公は、自ら「うつ状態」と「そう状態」を繰り返すと語っている。それは確かに彼女の言動に、大きな影響を及ぼしているように見える。だが、そうした病気との戦いを主眼に置いた映画ではない。それは彼女の一つの側面にしか過ぎない。

また、本作のPRコピーには「ラブストーリー」であることがうたわれている。確かに全体の構図は、男女のラブストーリーに違いない。だが、それもまた一つの側面にしかすぎないように思える。

ならば、何を描いた映画なのか? 不器用で生きづらさを抱えた現代の若者たちの姿こそが、この映画の最大の肝だと感じる。

寧子(趣里)は過眠症になり、引きこもり状態が続く。もちろん仕事もしていない。現在は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木(菅田将暉)の部屋で暮らすが、自分で感情をコントロールできず、津奈木に当たり散らす。

その当たり散らし方が尋常ではない。「自分が買ってあげた手袋をしていない」と津奈木をなじり、彼が手袋をすると「そんなわざとらしいことをするな」とまたなじるのだ。これだけを見れば、彼女はとんでもない女にしか思えない。だが、ドラマが進むにつれて、そんな単純な話ではないことがわかってくる。

その寧子を、津奈木はひたすら静かに受け止める。怒ることもなく、反論することもなく、寧子のわがままにつきあっている。何と優しく思いやりのある男なのだろう。最初はそう思ったのだが、こちらもドラマが進むにつれて、少し違う部分が見えてくるのである。

そんな中、寧子に変化が訪れる。ある日、彼女の目の前に津奈木の元恋人・安堂(仲里依紗)が現れる。安堂は津奈木とヨリを戻したいから、彼の家を出て行ってくれと寧子に要求する。そのために、寧子にカフェのバイトまで世話するのだった。

寧子は強烈なキャラだが、この安堂も同様だ。自分の思いだけでどこまでも突っ走る自意識過剰な女性。自意識過剰という点では、寧子と似たり寄ったりである。ここにも、現代の若者のひとつの姿が現れているのだろう。

安堂が世話したカフェでは、若者に理解のあるオーナー夫妻(田中哲司西田尚美)や、元引きこもりのウェイトレス(織田梨沙)が、寧子のことを家族同様に思って接してくれる。もともと自分自身も「変わりたい」という思いを持っていた寧子は、失敗を繰り返しながらも少しずつ良い方向に向いていく。だが、ほんのちょっとしたことが、彼女を再びつまずかせる。

ドラマが後半に進むにつれて、最初はとんでもない女に見えていた寧子が、生きづらさと周囲との違和感を抱えて、もがき苦しんでいることが伝わってくる。それは、「うつ状態」や「そう状態」のせいだけではないだろう。「生きてるだけで、ほんと疲れる」。それは現代の若者、いや若者だけでなく現代に生きる多くの人が感じていることではないだろうか。それゆえ彼女の言葉に共感する観客も多いように思える。

それはオレに取っても同じだ。店のオーナー夫妻や同僚と食事している最中に、幸福感と感動を味わいつつ、次の瞬間にはほんの何気ない会話から違和感をぬぐえなくなり、ついには壊れてしまう寧子の姿は、とても他人事には思えなかった。ぼんやりした違和感。それを常に抱えて生きている自分に、改めて気づかされてしまった。

一方、津奈木は自殺者まで出しても平気でゴシップ記事を垂れ流す仕事に対して、「どうせすぐにみんな忘れる」とやり過ごしている。それは寧子に対しても同様だった。彼は寧子を受け止めていたのではなく、ただやり過ごしているだけだったのだ。だが、ドラマの終盤、津奈木は今までとは違う姿を見せる。

そんな2人のぶつかり合いが、クライマックスで描かれる。壊れた寧子は服を脱ぎ棄てながら街を疾走する。その後を追う津奈木。そして、初めて正面から向き合う2人。この一連の展開は、言葉にならないほど衝撃的で美しく、そして激しいものだった。

やはりこの映画は、単なるラブストーリーを超えた映画である。寧子、津奈木、さらには安堂。不器用で生きづらさを抱えた若者の姿をリアルに描いたところにこそ、この映画の真骨頂がある。しかも、あと味はけっしてシビアなだけではない。お手軽なハッピーエンドは用意されていないが、それでもジンワリと温かな風が吹いてきた。

映画の最後には、「わかり合えたのは一瞬だけかもしれない」という主旨の寧子の独白がある。そう。人間はそんなに簡単にわかり合えるものではない。ほんの一瞬だけでもわかり合えれば幸運かもしれない。大切なのは、わかり合えたかどうかではなく、わかり合おうとしたかどうかではないだろうか。そんなことを考えているうちに、「生きてるだけで、愛。」というタイトルの意味が少しだけ理解できた気がした。

この映画の関根光才監督は、CMやMVを中心に活躍してきたらしい。ハッとさせられるような鮮烈な映像など、その片鱗があちこちに見られる。脚本についても原作と本気で格闘したあとが見て取れる。

それにしても本作で何よりも素晴らしいのは、主演の趣里である。常に揺れ動く寧子の心理をセリフ、表情、しぐさのみならず全身で表現するその演技には脱帽だ。いや、もはやこれは演技の領域さえ超えているのではないだろうか。それほどリアルで自然体の演技だった。

これまではテレビドラマの出演が多いようで、映画では「勝手にふるえてろ」の金髪店員のイメージ程度しかなかったが、何だか空恐ろしい女優になりそうな予感がする。彼女の演技だけでも観る価値のある映画だと思う。今年の日本映画は、本当に充実している。

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◆「生きてるだけで、愛。」
(2018年 日本)(上映時間1時間49分)
監督・脚本:関根光才
出演:趣里菅田将暉田中哲司西田尚美松重豊石橋静河織田梨沙仲里依紗
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://ikiai.jp/

「華氏119」

「華氏119」
TOHOシネマズ新宿にて。2018年11月8日(木)午後1時より鑑賞(スクリーン11/D-8)。

アメリカの政治と社会の状況を鋭く、かつ面白おかしくえぐる

どーなってんだ?トランプ大統領。どーなってんだ?アメリカ。

というわけで、先日、アメリカで中間選挙が行われたが、それを前に公開されたのが「華氏119」(FAHRENHEIT 11/9)(2018年 アメリカ)である。アメリカの銃社会の暗部を描いた「ボウリング・フォー・コロンバイン」、医療問題を取り上げた「シッコ」、ジョージ・W・ブッシュ政権を痛烈に批判した「華氏911」などで知られるマイケル・ムーア監督が、トランプ大統領を誕生させたアメリカ社会の混迷ぶりを描くドキュメンタリーだ。

タイトルの「華氏119」は、トランプ大統領が勝利宣言した2016年11月9日に由来する。もちろん、「華氏911」に呼応したタイトルでもある。

映画の冒頭は、大統領選挙前日の様子。ヒラリー陣営は勝利を確信し、マスコミもヒラリー大統領誕生を確実視していた。ところが、いざ開票してみると結果は大方の予想を覆してトランプの勝利。ヒラリー陣営やマスコミはもちろん、トランプや支持者にとっても「まさか」の事態だった。

何しろトランプときたら、テレビ出演のギャラアップの目的で、大統領選挙に立候補したのというのがムーア監督の見立てだ。最初から当選しようなどとは思っていなかったわけだ。

おまけにトランプという男、娘のイヴァンカを異常なほどに溺愛し(とても娘と接している感じではない)、人種差別的な発言を繰り返し、女性にセクハラを繰り返す男なのだ。それなのに、「なぜ?」こんなことになったのか。ムーア監督は、トランプ勝利の原因を探っていく。その「なぜ?」は、やがてアメリカの現状に対する疑問へと広がっていくのである。

トランプ大統領誕生の原因として、ムーア監督は様々な要因を指摘する。トランプ陣営の巧妙な作戦、それを金になるからと面白おかしく取り上げるマスコミ、ヒラリー陣営の油断、さらに支持率でも総得票数でもヒラリーを下回ったトランプが当選する不思議なアメリカの選挙制度などなど。

なかでもムーア監督が厳しく指摘するのが、民主党の右傾化だ。全米規模でアンケートを取れば、リベラル色の強い政策を支持する国民が多いにもかかわらず、なぜか彼らは共和党寄りの政策に寄って行く。そこで頻繁に使われるのは「譲歩」という言葉だ。

はては大統領選挙の予備選で、サンダース候補が勝利した州の結果を不正まがいの手を使ってひっくり返してしまったのだ。「何なんだ、コイツら?」。ムーア監督は、民主党エスタブリッシュの連中に対して痛烈な批判を加えているのである。

そして、ムーア監督自身にも批判の刃が向けられる。かつてトランプ氏とともにテレビ出演した時のことなどを例に挙げ、もっときちんとトランプ批判をしていれば、こんなことにならなかったのではないかと自省しているのだ。

ムーア監督は、トランプの古くからの友人であるスナイダーという大富豪の行状も大きく取り上げる。2010年にムーア監督の故郷であるミシガン州の知事に就任した彼は、緊急事態を宣言して市政府から権限を奪い、代わりに自らの取り巻きを送り込んだ。

さらに、スナイダーは金儲けのために、黒人が多く住むフリントという街に民営の水道を開設する。ところが、この水には何と鉛が混じっていたのだ。スナイダーはそれを隠蔽し、問題ないと主張し続けたのである。

この「ミニ・トランプ」ともいうべき人物の悪行を通して、ムーア監督はトランプの政治が何をもたらすかを暗示する。

とはいえ、難しい顔をして描くわけではない。そこでは、ムーア監督お得意の直撃場面も登場する。スナイダー知事を逮捕すると称して役所に乗り込んだり、スナイダー知事の豪邸に鉛入りの水を放水したり。取り上げる素材はシリアスでも、ちゃ~んとエンターティメントとして見せる工夫を忘れないのが、ムーア監督のドキュメンタリーなのである。

ちなみに、映画の後半ではこの問題の解決にオバマ大統領が乗り出す場面が映される。市民は彼に大いに期待する。だが、何のことはない彼は壇上で水を飲むパフォーマンスを行っただけで、人々を落胆させてしまうのだ。

トランプに乗っかる共和党ばかりか、民主党もダメとくれば絶望的な気分にもなりそうだが、けっして落胆する必要はない。その後に描かれるのは新たな胎動だ。今回行われた中間選挙民主党の候補として、今までには考えられなかったような人物がたくさん立候補したのだ。例えば、オカシオ=コルテスという女性はつい最近までレストランで働き、非常にリベラルな政策を掲げている。そして、今回の選挙で見事に当選した。

また、ウエスバージニア州で、教師たちが低賃金などに抗議するために、組合のボスの意向を無視してストを決行し、見事に要求を勝ち取った事実や、フロリダ州パークランドの高校銃乱射事件で生き残った高校生エマ・ゴンザレスの銃規制への訴えが、全米に拡大していった様子を映し出す。行動すれば必ず世の中は変わる。そのことをムーア監督は強く訴えているのである。

映画の終盤では、トランプ大統領ヒトラーとの共通点が指摘される。かつてのヒトラーの演説風景とトランプの声をオーバーラップさせたり、学者に分析させたり、ここもあの手この手で示していく。

事態はそこまで切迫しているのだ。手遅れになる前に行動すべきだ。ムーア監督は、明確にそう訴えている。

日本の観客にとってもけっして無縁ではない映画だ。まあ、何よりも政治や社会をここまで面白くおかしく、かつ鋭くえぐった映画はそうそうないわけで、それだけでも観る価値はあるだろう。

◆「華氏119」(FAHRENHEIT 11/9)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間8分)
製作・監督・脚本:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーアドナルド・トランプバーニー・サンダース
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/kashi119/

「search/サーチ」

search/サーチ
TOHOシネマズ新宿にて。2018年11月6日(火)午後2時50分より鑑賞(スクリーン5/F-11)。

~すべてのドラマがPC画面上で展開する! 異色のサスペンス・ミステリー

東京国際映画祭の最中は、一般の映画館に足を運ぶことができず、レビューもストップしていたわけだが、ようやく今回から再開です。

その一発目の作品は、「search/サーチ」(SEARCHING)(2018年 アメリカ)。突然失踪した娘を必死で探す父親のお話。この構図自体は、サスペンス・ミステリーとしてけっして珍しいものではない。だが、本作はとびっきり変わった映画である。

冒頭に登場するのはパソコン画面(OSはWindows)。そこに様々な映像が映し出される。それは主人公一家の過去を記録したもの。デビッド(ジョン・チョー)と妻、そして幼い娘マーゴットの楽しそうな生活が登場する。マーゴットは順調に成長する。だが、妻はまもなく重い病にかかる。それでも家族は明るさを失わず、妻の病も一時は回復する。だが、残念ながら再発し、亡くなってしまう。

以上はすべてがパソコン画面の映像で描かれたエピソードだ。「うーむ。味なことをするわい。でも、ここから先は普通にドラマが展開するんだろうな」と思ったら大ハズレ。何とビックリ。これ以降のドラマも、すべてがパソコン画面の映像で描かれるのだ。つまり、本作は最初から最後まで、パソコン画面の映像のみでドラマが進行するのである。

妻の死からしばらくして、デビッドは16歳の女子高生になったマーゴット(ミシェル・ラー)と暮らしている。だが、ある日、マーゴットは父にFaceTimeで勉強会に行くと伝えたきり姿を消してしまう。最初はそれほど気にしていなかったデビッドだが、彼女がピアノのレッスンを半年前に内緒でやめてしまったことなどを知り不安になる。

マーゴットの行方はまったくわからず、デビッドは警察に失踪届を出し、担当刑事のヴィック(デブラ・メッシング)が捜査を開始する。

デビッドはヴィックと連絡を取りながら、今度はマーゴットのパソコンにログインする。手がかりを求めて、ツイッターFacebookInstagramなどあらゆるSNSを探り、娘の交友関係を洗い出そうとする。するとそこには、明るくて友人の多い優等生と思い込んでいた娘とは別の姿があった。デビッドは衝撃を受けるとともに、不安と焦燥感が高まっていく。

当然ながら、それらもすべてパソコン画面の映像のみで描かれる。SNS以外にも、検索サイト、YouTube、メッセージアプリ、スカイプ通話やショートメッセージ、地図ソフト、監視カメラなど、あらゆるデジタルツールが使われる。例えば、必死で娘を探すデビッドの姿もパソコンのカメラで映し出されるのだ。

その効果は絶大だ。パソコン画面上という限定された空間。そこに観客の視線は否が応でも集中させられる。余計な事を考えずにドラマに入り込めるから、自然にスリルが倍加していくのである。何という意表を突いたアイデア!!

監督のアニーシュ・チャガンティは弱冠27歳のインド系の新人監督。過去にも、スマホやパソコンなどのデジタル世界を効果的に使った映画は存在したが、ここまで徹底的に、そして効果的に使用した映画は観たことがない。

まあ、「すべてがパソコン画面上」という縛りにこだわるあまり、終盤にたびたび登場するテレビのニュース番組までパソコン上で表示するのは、やや不自然な感じもしたが、その程度は許容範囲かもしれない。実際に、最近はテレビを持たない人も多いようだし。

さて、事件の顛末だが、捜査を進めるうちにヴィック刑事は「マーゴットは逃亡したのではないか」と言い出す。彼女はピアノのレッスン料を貯め込んで、それをどこかに送金していた。だが、デビッドは娘が逃亡したなどとは信じられずに、さらに独自に調査を続ける。その結果、マーゴットがかつて配信した映像からある場所を割り出し、デビッドはそこに急行する。

そこから先は二転三転する予測のつかない展開が待っている。ネタバレになるので詳しくは伏せるが、デビッドの身近な意外な人物の疑惑が浮上し、その後はまた意外な事実が明らかになる。

とはいえ、「なるほどこれで一件落着か。しかし、何だかモヤモヤするなぁ」と思ったのはオレだけではないだろう。デビッドにとっても、そこで出された結論はモヤモヤしたものだった。

それが一挙に解消するのが、その後のさらなる大どんでん返しによってだ。まさか、まさかのあの人が!!! 観客は確実にカタルシスを味わえるはずだ。

同時に、そこでは巧妙に張られてきた伏線が見事に回収されている。だから、不自然さはあまり感じない。ここに至って、「PC画面のみ」という仕掛けだけでなく、脚本自体がサスペンス・ミステリーとしてなかなか充実したものであることがわかる。

そこには、父と娘の葛藤のドラマも刻まれている。母の死以降、何の問題もなく暮らしているように見えた父と娘だが、そこには大きな壁が存在していた。それが波乱の事件の顛末を経て和解へと向かったことが、最後の最後に確認できるのである。

また、デジタルツール満載の映画ということで、本作にはデジタル社会の光と闇もクッキリと刻まれている。パソコン前に陣取っただけで様々な情報を取得できる半面、バッシングやなりすましなど危うい側面も垣間見える世界。まさに、今の時代ならではの作品といえるだろう。

父親役の「スター・トレック」のジョン・チョー、娘役のミシェル・ラーなどアジア系俳優を中心人物に据えたのも、最近のハリウッド映画らしい傾向といえるかもしれない。やっぱりこれは、今の時代ならではの映画なのである。

◆「search/サーチ」(SEARCHING)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間42分)
監督:アニーシュ・チャガンティ
出演:ジョン・チョー、デブラ・メッシング、ジョセフ・リー、ミシェル・ラー
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.search-movie.jp/

「東京国際映画祭」が終了

第31回東京国際映画祭が本日3日で閉幕。関係者向けの上映は昨日で終わっているので、オレの参戦も昨日まで。前回のブログの後に鑑賞した映画の感想を簡単に。

11月1日
コンペティション部門「大いなる闇の日々」
~第二次大戦中に、徴兵を逃れてカナダからアメリカに避難しようとする男の数々の受難を描く。主人公がチャップリンのものまね大会の優勝者というのがユニーク。ダークホラー的な側面もあるコワい寓話。それを通して、戦争の狂気や世界の現状に対する痛烈な批判が聞こえてくる。

コンペティション部門「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」
ハンガリー青年の父親捜しの話に、宇宙SFや米軍の陰謀(謎の兵器実験)まで組み込んだユニークすぎる作品。圧巻なのがその映像。オープニングタイトルからエンドクレジットまで、次にどんな映像が飛び出すのか全く予測不能で、最後まで目が離せず。良い意味で監督のやりたい放題の怪作。

コンペティション部門「愛がなんだ」
角田光代の小説を今泉力哉監督が映画化。28歳のOLを中心に様々な「片思い」を描く。リアルな登場人物のリアルな会話を聞いているうちに、「ああ、こういう人いるよなぁ」と納得。ついでに、自分にも共通点があることに気づいてドッキリ。恋愛の複雑さがよく伝わってくる。主演の岸井ゆきのはじめキャストの演技も自然体。

11月2日
・ワールド・フォーカス部門「ある誠実な男」
~かつて愛した女性とその息子、そして若い女に振り回される男。ユーモアたっぷりにテンポよく描かれるいかにもフランス映画らしいラブコメ。監督は主演も兼ねるルイ・ガネル。女性のしたたかさとコワさがヒシヒシと伝わってくる。主人公を振り回すレティシア・カスタ、リリー=ローズ・デップ(ますます父親そっくり!)の演技も魅力。

・ユース部門「蛍はいなくなった」
~将来の夢もなく、地元や周囲の人々の何もかもが気にいらない少女が、年上のギタリストとの出会いや実父との再会などを通してほんの少しだけ変わる。ティーンのあまりにもリアルな心情が繊細に描かれた青春ドラマで共感する人も多そう。主演のキャレル・トレンブレイ、そしてギタリスト役のピエール=リュック・ブリアンも存在感がある。

・ユース部門「ジェリーフィッシュ
~病気の母と幼い妹弟を抱えてどん底の生活を送る15歳の少女が、教師から勧められたスタンダップ・コメディに喜びを見出す。優しさとたくましさを同居させた主演のリヴ・ヒルの演技が圧巻。クライマックスのステージで素の自分に戻った姿が印象的。ラストで主人公にそっと寄り添う教師の姿も心に染みる。

というわけで、会期中に足を運べたのは4日だけだったが、できるだけハシゴして何とか15本の映画を鑑賞することができた。どれも面白い作品だったが、コンペ作品の全16作品中8本しか鑑賞できず、最優秀芸術貢献賞の「ホワイト・クロウ(原題)」、審査員特別賞の「氷の季節」、東京グランプリの「アマンダ(原題)」などを見逃してしまったのが残念。

そんな中、若手キャストに送られる東京ジェムストーン賞を「菊とギロチン」で主演を務めた木竜麻生が受賞したという嬉しいニュースも。近いうちに公開になる「鈴木家の嘘」にも出演しているのでぜひ注目を。これからどんどん活躍する女優だと思うので。

さーて、オレにとって今年最大のイベントもこれにて終了。来年はどうなるかわかりませぬが、とりあえずこれからも映画を観続けて感想を書いてまいりますので、何卒よろしくお願いいたしまする~。

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「東京国際映画祭」もあと少し・・・

前回のブログに書いたように、現在、六本木を中心に第31回東京国際映画祭が開催中。会期は3日までなのであと少しというところ。

今年は仕事その他でスケジュールが厳しくて、あまり足を運べないのが残念だが、前回報告した26日に続いて、28日(日)と30日(火)にも顔を出してきた。28日には4本、30日には1本の映画を観たので、その感想を簡単に紹介しておく。

28日
・アジアの未来部門「ミス・ペク」
韓国映画。母親から虐待された過去を持ち心に傷を抱えて生きる女性が、同じ境遇の少女と出会い、やがて彼女を救おうとするのだが……。ハン・ジミン演じる主人公の揺れ動く心理描写が絶品。少女とのぎこちない交流が心に染みる。テーマは深刻だが韓国映画らしく見せる工夫も随所にある。ラストの後日談には思わず感涙。ぜひ日本公開を!

コンペティション部門「翳りゆく父」
ブラジル映画。母を亡くした幼い娘と父親。2人の傷心のドラマだが、それを呪術や霊などの不可思議な世界と融合させているところがユニーク。古いホラー映画なども散りばめながら、不穏で妖しい雰囲気を醸し出している。憔悴していく父を前に、呪術による母の再生を願う娘の姿がひたすら哀しい。

・ワールド・フォーカス部門「靴ひも」
イスラエル映画。母の急死によって、離婚して疎遠だった父親と暮らすことになる発達障害の青年。最初はギクシャクしていた父と息子が心を通わせていく姿をユーモアたっぷりに描く。タイトルの「靴ひも」をはじめ様々な伏線も効果的に使われる。ハートウォームなドラマだがラストは少しビター。それでもあと味はさわやか。

・特別招待作品人魚の眠る家
東野圭吾の原作を堤幸彦監督が映画化。脳死状態になった幼い娘と両親の姿を通して、人間の死とは何なのか、テクノロジーの発展は人間を幸福にするのかを問う。狂おしいほどの親の情愛を余さずに描いた人間ドラマでありながら、テーマ性も明確。切ないクライマックスも見もの。何よりも篠原涼子の渾身の演技に心を動かされた。

30日
コンペティション部門「半世界」
阪本順治監督によるオリジナル作品。山村を舞台に40歳を目前にした旧友三人組と、周囲の人々の人間模様を描く。それぞれに悩みや葛藤を抱えつつも、ささやかな日常を紡いでいくことの大切さが伝わってくる作品。主人公の炭焼き職人を演じた稲垣吾郎をはじめキャストの演技も魅力的。悲劇も起きるが後味は温かい。

ちなみに、「半世界」は阪本監督と稲垣吾郎による記者会見も拝見。阪本監督は、日中戦争の従軍カメラマン、小石清氏が中国で撮影した写真集にインスパイアされてこの映画を作ったとのこと。タイトルもそこから取っている。一方、稲垣吾郎は男3人の友情を描いた作品であることに関連して、「新しい地図」の香取慎吾や草彅剛との絆の話をするなど、なかなかに興味深い会見であった。

それにしても、「半世界」の感想をtwitterでつぶやいたら、「いいね」が400回以上、リツィートも200回以上あった。ふだんのオレのつぶやきなんて、せいぜい10回程度しか反応がないのだから驚異的な数字だ。稲垣吾郎の人気の高さと、この映画に対する注目度の高さを改めて実感した次第である。公開は来年2月だそうです。

さぁーて、残りの会期中にあと3本ぐらい観たいとは思うものの、どうなりますやら。