映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「バハールの涙」

「バハールの涙」
新宿ピカデリーにて。2019年1月20日(日)午後1時25分より鑑賞(シアター10/D-9)。

~ISと闘う母の苦悩とたくましさをリアルに見せる

2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんは、過激派組織イスラム国(IS)の性暴力から生還し、その非道さを世界に告発した。彼女と同様にISの犠牲者となりながら、脱出後には自ら戦闘に参加してISと闘った女性たちがいる。

そんな女性たちをモデルに描かれた映画が、「バハールの涙」(LES FILLES DU SOLEIL)(2018年 フランス・ベルギー・ジョージア・スイス)である。物語自体はフィクションだが、実際にあった出来事をもとにしているうえに、エヴァ・ウッソン監督が相当に念入りな取材をしたようで、描かれていることすべてにリアリティがある。

物語の語り手は戦場記者のマチルド(エマニュエル・ベルコ)だ。彼女は同じく記者の夫を戦場で亡くし、小さな娘と離れ、戦地で取材を続けている。自らも戦場で爆弾の破片で片目を失い、そのトラウマを抱えている。

そんな彼女が見た戦場らしきシーンが冒頭に登場する。埃まみれになった女性の顔、高く舞い上がる煙など鮮烈な映像だ。そこから一気にスクリーンに引きずり込まれた。それ以降も、印象的な映像が次々に飛び出す。

まもなくマチルドは、イラククルド人自治区に入る。そこで彼女はISと闘う女性部隊のリーダーのバハール(ゴルシフテ・ファラハニ)と出会う。彼女は元弁護士で、夫と息子と幸せな日々を送っていたが、ある日突然ISの襲撃を受ける。男性は皆殺しとなり、バハールの息子は人質としてISに連れ去られ、バハールは妹とともに捕らわれる。やがて脱出に成功したバハールは、女性部隊を結成して戦いの最前線に身を投じたのだ。

ちなみに、ISの戦闘員たちは「女に殺されたら天国に行けない」と信じている。バハールたち女性部隊は、それを逆手にとって闘っているわけで、単にISの犠牲者というだけでなく、たくましさを感じさせる存在でもある。

前半は、戦場での緊迫した場面が描かれる。いつ敵であるISが襲ってくるかわからない中、バハールたちは待機する。本当は、今すぐにでも敵の拠点に向かって進撃したいのだが、男性の司令官は「連合軍の空爆を待て」と反対する。このあたりの男女の対立劇も興味深いところだ。いずれにしても、スクリーンに異様な緊迫感が漂い、観ているこちらもジリジリしてくる。

そうした場面の合間に挟まれるのは、過去にバハールの身に起きた出来事だ。ISの襲撃、夫の殺害、息子の連れ去り、そしてバハールと妹は性奴隷にさせられる。ただし、このあたりの回想場面の描き方は比較的控えめだ。残虐さや非道さを「これでもか!」と煽るようなことはしない。だが、それでも十分に胸をえぐられるような出来事だ。どんな理由付けがあろうと、許されるはずがない。そう実感させられる。

中盤はようやく司令官の許しが出て、バハールたちは地下道を通って敵の拠点に向かう。そこには地雷が仕掛けられている。バハールたちは、捕虜にしたIS戦闘員を先頭に立たせて進んでいく。暗闇の中わずかな光を頼りに進む彼女たち。ハリウッド映画のサスペンス大作も真っ青のとびっきりスリリングな場面が続く。

その後は敵の拠点での銃撃戦が展開する。ここもまた手に汗握る攻防だ。そうなのだ。この映画は、世界の過酷な現実を取り上げたメッセージ性のある作品であるのと同時に、エンターティメントとしての魅力も十分な備わった作品なのである。

スリリングな場面はまだ続く。今度は過去の回想シーンだ。性奴隷となったバハールたちの脱出劇が描かれる。自分を買った男たちの目を盗んで、携帯電話を駆使し、外部とコンタクトを取り脱出を試みる姿は、これまたハリウッド映画顔負けのスリリングさである。しかも、そこでは1人の女性の出産劇も巧みに絡ませる。

その後に描かれるのは親子の情愛だ。はたして、バハールはどうして戦闘員になったのか。そこには大きな目的が存在していた。それは、幼い娘と離れて暮らす女性記者マチルドの境遇とも重なり合う。

それを胸に臨む最終決戦。こここまた破格のスリリングさである。冒頭のシーンとリンクするケレンにあふれた場面には、誰しも感動してしまうはずだ。過酷すぎるバハールの運命だが、そのたくましい生き様と温かな親子愛に触れて、最後は清々しい気持ちになることができた。

とはいえ、この映画はやはりただのエンタメ映画ではない。エンドロールでは、マチルダがバハールについて記した文章が読み上げられる。どうしようもない世界の現状、それを見て見ないふりをする大衆、それでも抗い続ける人々……。「これが今の世界だ!」と叫ぶエヴァ・ウッソン監督が叫ぶ声が聞こえてきそうなエンディングだった。

バハールを演じたゴルシフテ・ファラハニは、アスガー・ファルハディ監督の「彼女が消えた浜辺」で注目され、最近ではジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」でアダム・ドライヴァー演じる主人公の奥さん役を務めていた。今回は、その瞳の奥から悲しみ、怒り、愛情など様々な感情を表現する演技が印象的だった。

一方、女性記者マチルドを演じたエマニュエル・ベルコは、カンヌ国際映画祭女優賞受賞歴のある演技派女優。今回も、深みのある演技で過去の傷を背負いつつ前に進もうとする女性記者を演じていた。

過酷な「世界の今」を活写しつつ、エンタメ性にも配慮した見応えある作品である。

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◆「バハールの涙」(LES FILLES DU SOLEIL)
(2018年 フランス・ベルギー・ジョージア・スイス)(上映時間1時間51分)
監督・脚本:エヴァ・ウッソン
出演:ゴルシフテ・ファラハニ、エマニュエル・ベルコ、ズュベイデ・ブルト、マイア・シャモエビ、エビン・アーマドグリ、ニア・ミリアナシュビリ、エロール・アフシン
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://bahar-movie.com/

「夜明け」

「夜明け」
新宿ピカデリーにて。2019年1月18日(金)午後2時より鑑賞(シアター7/E-7)。

~過去の傷を抱えた青年と中年男の交流と破綻を繊細に

是枝裕和監督と西川美和監督といえば、たいていの映画ファンなら知っている有名監督だが、その2人が「文福」という制作者集団を起ち上げていたことはまったく知らなかった。その分福に所属し、是枝、西川作品で監督助手を務めた経験を持つ広瀬奈々子監督のデビュー作が「夜明け」(2018年 日本)である。企画協力には、分福とともに是枝、西川両監督の名前もクレジットされている。

映画の冒頭、明け方の橋の上で1人の青年(柳楽優弥)が朦朧とした状態で、河に花束を投げている。それから間もなく、釣りをするためにやってきた哲郎(小林薫)が、河辺に倒れていた青年を見つけ、自宅に連れ帰って介抱する。

やがて回復した青年は、東京の渋谷から来たといい、自らを「ヨシダシンイチ」と名乗る。河辺で足を滑らせたというが、どうやらワケありらしい。哲郎は、特に行く先のあてもないらしいシンイチを引き留め、自分が経営する木工所に連れて行く。哲郎はシンイチに技術を教え、2人は次第に心を通わせていく。

この映画の最大の特徴は繊細な心理描写にある。冒頭から手持ちカメラを多用して、シンイチや哲郎をはじめとする登場人物の心理を、セリフに頼りすぎずに見せていく。手持ちカメラというと、被写体と接近した映像を連想するが、そればかりではない。1人の人物の背中越しにもう1人の人物を映し出すなど、その場に応じた映像を繰り出していく。それがとても効果的だ。

映画の序盤から、哲郎はシンイチを実の息子のように扱う。それもそのはず、彼には暗い過去があったのだ。8年前に彼の妻と息子は交通事故で亡くなっていたのである。青年が名乗った「シンイチ」という名前は、哲郎の今は亡き息子「真一」と同じ名前だった。哲郎はシンイチを息子が使っていた部屋に住まわせる。

哲郎の心には悔恨の思いがある。妻に対しても、息子に対してもわだかまりを抱えたまま、2人は突然目の前から消えてしまった。それゆえ彼の心には、「もっと違う行動をとっていれば・・・」という痛切な思いがあるのだ。だからこそ、息子と同じ名前のシンイチに過剰なほどの愛情を注ぐのである。

一方、シンイチは家族とのトラブルを抱えていることが示唆される。自立できない彼は、哲郎と疑似家族のような生活を送る。髪を真一と同じ色に染め、彼が残した服を着るなど、シンイチは哲郎の息子になり切ろうとする。

ありがちなドラマなら、シンイチと哲郎との絆が次第に強まり、やがてそれぞれが再生していく展開が予想される。だが、本作はそうはならない。待ち受けているのは安易な大団円ではない。

シンイチには過去のまつわる大きな秘密があった。それが噂となって身近な人々の間に流れるようになる。それでも哲郎は徹頭徹尾シンイチに愛情を注ぐのだが、シンイチはその愛情を十分に受け止めきれなくなる。おまけに、シンイチは自らの過去が暴かれる恐怖も抱える。

中盤から後半にかけても、繊細な心理描写が冴えわたる。広瀬監督の演出ももちろんだが、柳楽優弥小林薫の演技が、それに大きく貢献している。ベテラン小林の演技は貫禄タップリだし、柳楽の演技も進境著しい。どちらも、セリフ以外のところで様々な心情を表現する演技であり、彼らなしに本作は成立しなかったといってもいいだろう。

ドラマの大きなポイントの一つは、哲郎の再婚話にある。彼は木工所で事務員をしている子連れの宏美(堀内敬子)と交際しており、結婚も間近だった。だが、その一方で哲郎の心の中では、死んだ妻子のことがいまだに大きなウエイトを占めている。宏美にとってそのことが不安でならない。

そこには当然ながらシンイチも絡んでくる。哲郎はシンイチに息子の影を見て、本物の息子のように接している。それもまた過去にしがみつく哲郎の姿である。

クライマックスは、木工所での哲郎と宏美の結婚パーティーだ。様々な思いを抱えつつも、何とか絆を保ったまま終わるかと思えたドラマだが、突如として大きな破綻を迎える。哲郎とシンイチの思いがすれ違う。

はたして、シンイチはどうしてああした行動を取ったのか。偽物の自分に耐えられないという思いによる行動なのは間違いない。だが、それだけではないような気がする。シンイチがそばにいる限り、哲郎は過去にしがみつくことをやめないだろう。それは哲郎にとって、宏美にとってどういう意味を持つのか。シンイチはそれを考えたのかもしれない。

その後のシーンも鮮烈だ。ひたすら歩くシンイチ(もうそこではすでに彼はシンイチではないのだが)。海に向かって見せる彼の表情があまりにも切ない。

結末は明確ではない。だが、個人的にはけっして暗澹とした結末ではないように思えた。「夜明け」というタイトルも含めて、これから新たな何かが始まることを予感させるラストだった。

正直なところ、これといった驚きや新味のある脚本ではない。物語的にはもうひとヒネリあったほうがよかったとも思う。だが、演出、映像、演技などすべてにおいて、デビュー作としては上々の作品と言えるだろう。今後の広瀬監督に注目したい。

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◆「夜明け」
(2018年 日本)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:広瀬奈々子
出演:柳楽優弥、YOUNG DAIS、鈴木常吉堀内敬子、芹川藍、高木美嘉、清水葉月、竹井亮介、飯田芳、岩崎う大小林薫
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://yoake-movie.com/

「未来を乗り換えた男」

「未来を乗り換えた男」
新宿武蔵野館にて。2019年1月17日(木)午後12時10分より鑑賞(スクリーン1/B-8)。

ファシズムの時代のミステリアスな愛と逃亡のドラマ

お金も時間も限られた中、未見のまま通り過ぎていく映画がたくさんある。ドイツのクリスティアン・ペッツォルト監督が、2012年の第62回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した「東ベルリンから来た女」も、そんな映画の1本だ。公開時に気になったものの、結局観ないままだった。続く「あの日のように抱きしめて」も同様だ。

そして、今回、ようやく観たのが2018年の第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作「未来を乗り換えた男」(TRANSIT)(2018年 ドイツ・フランス)である。ナチス・ドイツの迫害を逃れてメキシコに亡命した作家アンナ・ゼーガースが1942年に執筆した小説『トランジット』を映画化した作品だ。

ただし、この映画、舞台を現代に置き換えている。原作は未読だが、おそらくナチス・ドイツによるユダヤ人迫害がテーマとして取り上げられているのだろう。それに対して、こちらはより幅広い難民(不法滞在者)などに対する迫害が描かれる。今の時代性ともマッチして、その分、観客にとってよりリアルなテーマに感じられるのではないだろうか。

とはいえ、ストレートなメッセージが込められた映画ではない。ファシズムの台頭は、ドラマの背景として描かれるにすぎない。

冒頭の舞台はフランス・パリ。主人公の青年ゲオルク(フランツ・ロゴフスキ)は、どうやら台頭するファシズムを逃れてドイツからフランスにやってきたらしい。だが、パリも占領軍(ドイツ軍)による迫害が激しさを増す。そんな中、ゲオルクは仲間から亡命作家ヴァイデル宛の手紙を預かる。そこでヴァイデルが滞在しているホテルに行ってみるが、すでに彼は自殺していた。

その後、ゲオルクは重傷を負った仲間の看病をしつつ、列車に隠れて港町マルセイユに向かう。だが、途中で仲間は死んでしまう。一人でマルセイユに着いた彼は、現地のメキシコ領事館にヴァイデルの遺品を返そうとするが、領事館は彼をヴァイデル本人と勘違いしてビザとメキシコ行きの乗船券を支給する。ゲオルクは作家になりすましてメキシコに渡ろうとする。

こうしてゲオルクが、メキシコ行きの船に乗るまでの日々が描かれる。中盤でゲオルクは、旅の途中で亡くなった男の妻と息子と交流する。まるで家族のように親しく交わるが、ゲオルクがまもなくこの地を去ることがわかると、彼らとの間にわだかまりが生まれる。難民である彼らは、ゲオルクのように簡単に国外に出ることはできない。

それ以外にも、ゲオルクがメキシコ領事館で出会った指揮者や犬を連れた女性など、いかにもワケありふうな人物の運命が描かれる。それらを通してファシズムの恐さ、迫害された人々の孤独や疎外感、そして究極の選択を余儀なくされる中での良心の呵責などが示されていくのである。

この映画は、ゲオルクをはじめとする人々の逃亡のドラマである。同時に愛のドラマでもある。この映画には、いかにも謎めいた雰囲気が漂っている。音楽や映像も含めて、ミステリアスさに満ちている。その中で最もミステリアスな存在が、黒いコートの女・マリー(パウラ・ベーア)だ。

ゲオルクは街で何度も彼女と遭遇する。最初は誰なのかよくわからないままに、彼女に心惹かれていく。そして、やがて彼女があるドイツ人亡命医師の恋人であることがわかる。さらに、彼女は夫を捜しているという。その夫とは誰なのか。

それはネタバレになるから伏せておくが、そのことでゲオルクは大きな苦悩を抱えることになる。ゲオルク、マリー、医師の三者が絡み合い、愛の迷宮に深く迷い込んでいく。はたして、ゲオルクは作家ヴァイデルに成りすましたまま、メキシコへ逃れるのか。それとも……。

大きな悲劇が訪れるラストを含めて、悲しくて暗い話である。だが、それを情感過多に流れることなく、一歩引いた視点からミステリアスな雰囲気を漂わせて描くことで、3人の男女をはじめ迫害された様々な人々の苦悩をリアルに映し出すことに成功している。漂流する男女の愛のドラマとして、なかなか観応えがある。そして、それを通してファシズムの恐さも押しつけがましくなく伝わってくるのである。

基本的に巻き込まれ型の行動を取りながら、クライマックスで重い決断をする主人公ゲオルクを演じたフランツ・ロゴフスキ、そして3人の男を惑わす妖しさを漂わせたマリー役のパウラ・ベーアの演技も印象深い。

ちなみに、この映画、全体でナレーションが多用されている。その語り手は、ゲオルクではなく彼が通う店の店主。この絶妙の距離感もまた、この映画に独特の空気感を与えている。まあ、やや説明がくどいところもあるにはあるのだが。

ついでに言えば、ネットをはじめ情報が氾濫し権力による監視も厳しい今の時代、ゲオルクのような成りすましが可能なのか疑問もあるのだが、それを言ったら物語が成立しないからやめておきましょう。

何にしてもファシズムの台頭を真正面から描くのではなく、からめ手から描いたユニークで不思議な魅力を持つ映画である。

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◆「未来を乗り換えた男」(TRANSIT)
(2018年 ドイツ・フランス)(上映時間1時間42分)
監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト
出演:フランツ・ロゴフスキ、パウラ・ベーア、ゴーデハート・ギーズ、リリエン・バットマン、マリアム・ザリー、バルバラ・アウア、マティアス・ブラント、ゼバスティアン・フールク、エミリー・ドゥ・プレザック、アントワーヌ・オッペンハイム、ユストゥス・フォン・ドナーニー、アレックス・ブレンデミュール、トリスタン・ピュッター
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://transit-movie.com/

「この道」

「この道」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年1月14日(月・祝)午後1時40分より鑑賞(スクリーン2/E-8)。

~破天荒な詩人・北原白秋の人生に反戦への思いをこめて

詩人の北原白秋といえば、作曲家の山田耕筰とのコンビで数々の童謡の名作を送り出したことで知られている。「この道」「からたちの花」「ペチカ」「待ちぼうけ」「あわて床屋」。誰でも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。中山晋平作曲の「雨降り」、草川信作曲の「ゆりかごのうた」なども白秋による詩だ。

そんな北原白秋の伝記映画が「この道」(2018年 日本)である。山田耕筰との友情を軸に描いてはいるが、けっして教科書に載るような偉人の伝記ではない。

何しろ冒頭に登場するのが、膝枕で女性に耳を掃除してもらっている北原白秋大森南朋)のニヤけた姿である。傍らには赤ん坊がいる。白秋の妻子か? いや、実はこれがそうではないのだ。

続いて登場するのは、山田耕筰AKIRA)だ。昭和27(1952)年、神奈川県小田原市で、「北原白秋 没後十周年記念コンサート」が開かれる。そこで指揮をしたのが耕筰なのだ。コンサート終了後、若い女性記者(小島藤子)から白秋について尋ねられた耕筰だが、当初は何も語りたがらない。それでも、やがて重い口を開く。こうして耕筰の証言という形でドラマが進む。

いったい白秋とはどんな人物だったのか。これが、とんでもない男だったのだ。冒頭で妻かと思われた俊子(松本若菜)という女性。実は隣家の人妻だった。白秋は人妻に入れあげていたのである。知り合いの歌人与謝野晶子羽田美智子)の忠告に対しても、「かわいそうな女の人が隣にいたら、放っておけない」と言い放つ始末。

だが、それが間違いのもとだった。せっかく詩人として人気を獲得しかけた白秋なのに、俊子の夫から姦通罪で告訴され、逮捕されてしまうのだ。このスキャンダルによって、彼の名声は地に落ちてしまう。

それだけではない。白秋は雑誌の詩人の人気投票で裏工作をして、自分を1位にするという汚いことまでやっているのだ。

いやはや、大変な人物である。ただし、けっしてワルではない。その行動の根底にあるのは無邪気さだ。のちに彼が近所の子どもたちと遊ぶシーンが出てくるのだが、これがとにかく楽しそうなのだ。つまり、彼は子供がそのまま大人になったような男であり、だからこそどこか憎めないのである。

そして何よりも文学的才能は抜群だ。劇中の出版記念会で与謝野鉄幹松重豊)は、白秋の作風を高く評価し、特に「リズム」の良さを指摘する。それが、やがて童謡詩人としての成功をもたらす。

ちなみに、本作には与謝野晶子、鉄幹夫妻以外にも、鈴木三重吉柳沢慎吾)、高村光太郎(伊嵜允則)、萩原朔太郎(佐々木一平)ら著名な文学者が登場する。

その後、白秋は俊子と一度は結婚するものの、まもなく逃げられてしまう。続いて二度目の結婚にも失敗。ようやく菊子(貫地谷しほり)という女性と結婚し、それなりに落ち着いた家庭を築く。

そして、まもなく白秋に転機が訪れる。大正7(1918)年に鈴木三重吉が児童文芸誌「赤い鳥」を創刊する。白秋はこの雑誌を舞台に、童謡詩人として活躍するようになる。さらに、三重吉の仲介でドイツ帰りの作曲家・山田耕筰と出会う。

この出会いのエピソードも面白い。お互いに自分の作品に自信を持つ2人は、会った早々にぶつかり合い、大げんかしてしまうのだ。

それでも関東大震災後に、「僕の音楽と君の詩とで、傷ついた人々の心を癒やす歌をつくろう」という耕筰の言葉で、2人は共同作業を始める。

そんな2人の友情とともに、大正14(1925)年に、日本初のラジオ放送で流された「からたちの花」をはじめ、「この道」などの名作の誕生秘話が語られる。白秋のリズミカルな言葉と、耕筰の叙情あふれるメロディーが融合する様が心地よい。このあたりも、本作の見どころだろう。

この映画の監督は、「半落ち」「チルソクの夏」「陽はまた昇る」など数々の作品で知られるベテランの佐々部清。奇をてらうようなところは全くなく、オーソドックスながら丁寧でツボを心得た演出で物語を引っ張っていく。ユーモアも散りばめつつ、白秋という稀代の人物を魅力的に描く手腕はさすがである。前出のラジオ放送で、「からたちの花」を由紀さおり安田祥子姉妹に歌わせるあたりも心憎い仕掛けだ。

終盤は意外な事実が描かれる。戦争の足音が色濃くなり軍部の力が強まり、自由に物が言いにくくなっていく中で、白秋も耕筰も心ならずも戦意高揚の国策に協力するはめになるのだ。けっして過酷な弾圧にあったわけではないし、時代に流されたととらえられなくもない。

それでも、佐々部監督は2人の苦悩や無念さを描いて、戦争のむなしさや恐ろしさを観客に提示する。特に、縁側で夕日を浴びながら「いつかまた自由な時代が来たら一緒に歌を作ろう」と語る2人の姿には切なさがあふれ、そこから反戦のメッセージがさりげなく伝わってきた。本作で佐々部監督がどうしても描きたかったのは、この部分だったのかもしれない。

北原白秋の伝記としても、山田耕筰との友情物語としても、反戦の思いを込めた作品としても、なかなか充実している。幅広い観客が安心して楽しめる映画だと思う。

やんちゃだが憎めない白秋を演じた大森南朋、いかにもマジメ人間の耕筰を演じたAKIRAEXILE)に加えて、白秋を取り巻く女たちを演じた松本若菜貫地谷しほり羽田美智子の味わいある演技が、白秋をより魅力的に見せている。

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◆「この道」
(2018年 日本)(上映時間1時間45分)
監督:佐々部清
出演:大森南朋AKIRA貫地谷しほり松本若菜小島藤子由紀さおり安田祥子津田寛治菊池寛升毅稲葉友、伊嵜充則、佐々木一平、近藤フク、松本卓也柳沢慎吾羽田美智子松重豊
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://konomichi-movie.jp/

「迫り来る嵐」

「迫り来る嵐」
新宿武蔵野館にて。2019年1月8日(火)午後12時25分より鑑賞(スクリーン1/B-9)。

~時代に翻弄され破滅へと突き進む男の哀しみ

毎年開催される東京国際映画祭。だが、その上映作品が必ず日本公開されるとは限らない。映画祭の花形のコンペティション部門で賞を獲得した作品でさえ、日本公開されないケースも珍しくない。

そんな状況だから、2017年の第30回東京国際映画祭コンペティション部門に出品された「迫り来る嵐」(暴雪将至/THE LOOMING STORM)(2017年 中国)も、はたして公開されるのか心配だったのだが、このほど無事に公開の運びとなった。

本作は、東京国際映画祭で最優秀男優賞(ドアン・イーホン)と芸術貢献賞をW受賞。アジア・フィルム・アワードでも新人監督賞を受賞するなど高い評価を得ている。それもうなずける秀作である。東京国際映画祭に続いて今回2度目の鑑賞となったが、超ヘヴィー級の作品であることを再確認した。

映画の冒頭、ある男が刑務所を出所する。いったい彼は何をしたのか。その過去が描かれる。

1997年。中国の小さな町の国営工場で働くユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)。彼は保安部の警備員として、工場内で起きる小さな犯罪を取り締まって実績を挙げてきた。その一方で、秘かに本物の刑事になる夢を抱き、知り合いの警部の手伝い(といっても、現場の交通整理みたいなことだが)までしていた。

そんなある日、近所で若い女性の連続殺人事件が発生する。どうやら同一犯の仕業らしい。現場を訪れたユィは、それをきっかけに勝手に捜査に首を突っ込み始める。警部から捜査情報を手にいれたユィは、頼まれもしないのに自ら犯人を捕まえようと奔走するのだ。

この映画でまず目を引くのは、ほとんどが雨の中のシーンだということだ。それが陰鬱な雰囲気を醸し出し、フィルム・ノワール的な世界がスクリーンに展開する。

とはいえ、前半のユィは多弁で軽妙さも感じられる。自分のことを「師匠」と呼ぶ若者を相棒に、前のめりに捜査に首を突っ込む姿からは、バディムービー的な魅力も感じ取れる。

ドラマが大きく動くのは、中盤以降である。そのターニングポイントになるのが、工場から操車場へかけての追跡劇だ。自己流の捜査を続けるうちに、ユィは怪しげな人物と遭遇してその男を追跡する。降りしきる雨。ぬかるみの中を逃げる男。必死で後を追うユィ。スリリングな攻防が展開する。ここでも雨が緊迫感を煽る。

だが、この追跡劇の中でユィは事故で相棒を失ってしまう。そこから先は映画全体のトーンが一気に暗く重たくなる。ユィは次第に事件にからめとられ、そこから逃れられなくなる。それとともに彼の口数は極端に少なくなる。そんな寡黙になったユィの心情を、新人のドン・ユエ監督が繊細に描き出していく。とても新人監督とは思えない手腕だ。

このドラマの背景には、当時の時代の変化が刻み込まれている。それまでの共産主義的な世界から、資本主義へと舵を切る中国経済。各地の工場では経済合理性が優先され、大規模なリストラが行われる。劇中では、それをきっかけに夫婦関係が険悪になり、殺人事件に発展したエピソードも飛び出す。

その波は当然ながら、ユィの工場にも押し寄せる。彼もまた多くの工員たちとともに首を切られてしまう。こうした時代の波が、独特の哀愁や切なさを生み出して、ユィのその後の行動に大きな影を落とす。このあたりの描き方が実に良い。

後半は、ある女性が大きな役割を果たす。ユィがチンピラから助けたことで知り合ったというイェンズ(ジャン・イーイェン)という女性だ。過去の暗い影を背負っているような彼女にユィは惹かれ、2人は距離を縮めていく。そして、ユィは彼女に美容院を開かせる。だが、イェンズが殺人事件の犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向に進んでいく……。

終盤に向かうにつれて、ユィの心は狂気を帯びてくる。もはや殺人犯を捕まえることしか彼の頭にはないのだろうか。それともそこに何がしかの愛はあるのだろうか。その心理を余すところなく描くのではなく、余白を残しながら観客の想像力を刺激する描写が見事だ。重厚さと繊細さを併せ持ったタッチである。

だが、いずれにしてもユィの行動はイェンズを絶望させてしまう。それをきっかけにユィの暴走が始まる。一瞬、唐突にも思える暴走だが、実はその直接的な原因となった悲劇が存在したことが提示される。ユィ、イェンズ、それぞれの心情が心に突き刺さって息苦しささえ感じてしまった。

最後に描かれるのは冒頭からつながる後日談だ。時代は2008年。かつての工場が爆破されることが決まる。そんな中、ユィの運命を狂わせた殺人事件の真相が明かされる。あまりにも切なく残酷な事実だった。

ちょうど、その頃、かつてユィが模範工員として表彰された事実を、否定するような証言が飛び出す。あれはすべて幻だったのだろうか。あの一連の事件さえも夢の中の出来事だったのだろうか。そんなことまで思わせられる展開だった。

2008年の大寒波の襲来を告げてドラマは終幕を迎える。重く、苦い余韻が残る映画だった。ほんのわずかなボタンの掛け違いから、若さゆえの野心、愛、そして時代に翻弄されてしまったユィとイェンズ。その哀しみが上映の終わったスクリーンに漂っていた。

前半と後半、さらに老境の主人公の変化を演じ分けたドアン・イーホンに加え、ファム・ファタール的な妖しい魅力を振りまいたジャン・イーイェンの演技も見事だった。

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◆「迫り来る嵐」(暴雪将至/THE LOOMING STORM)
(2017年 中国)(上映時間1時間59分)
監督・脚本:ドン・ユエ
出演:ドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ、チェン・チュウイー
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ http://semarikuru.com/

「22年目の記憶」

「22年目の記憶」
シネマート新宿にて。2019年1月7日(月)午後2時35分より鑑賞(スクリーン1/F-13)。

~笑いにまぶして描く金日成の代役にさせられた男と息子との絆

2019年の新年1本目に鑑賞した映画は「22年目の記憶」(MY DICTATOR)(2014年 韓国)。2014年製作の韓国映画がなぜに今頃? という思いはあるのだが、お蔵入りにならなかっただけでも喜ぶべきことかもしれない。何しろこれが予想以上に面白い映画だったのだ。

朝鮮半島の南北分断をネタにした映画である。この手の映画は数々あるが、どれもなかなかの作品揃いだ。本作もヒネリのきいた設定と役者の熱演を中心に、いかにも韓国映画らしい充実した娯楽作品に仕上げている。監督は「ヨコヅナ・マドンナ」「彼とわたしの漂流日記」のイ・ヘジュン。

物語の出発点は1972年。北朝鮮と韓国との間で南北共同声明が発表される。これを受けて近いうちに初の南北首脳会談が実施されることが予想された。そこで韓国は会談に備えた予行演習を行うことを計画した。

どうやら、このあたりまでは歴史的事実に基づいているらしい。だが、そこから先はフィクションを交えて大胆で奇抜な設定を繰り出す。韓国の情報部は南北首脳会談の予行演習のために、なんと北朝鮮の最高指導者・金日成の代役を仕立てようと考えるのだ。そこで白羽の矢が立ったのが、売れない役者のキム・ソングンソル・ギョング)だった。

南北分断を背景にしたドラマというと、何やら社会派のお堅い映画を連想するかもしれないが、そんなことはない。本作は、全編に笑いが満ちた映画なのだ。まずは、金日成の代役候補の役者たちを集めたオーディションで笑わせる。登場する役者たちは、いずれも珍妙な演技を披露して笑いを誘う。

このオーディションによって抜擢されたソングンの訓練風景もユーモラスだ。演劇の教授と反体制派の青年の指導のもと厳しい訓練を受けるのだが、「ジャージャー麺!」と叫びながら金日成を演じるソングンの姿は爆笑モノだ。

その一方で、拷問まがいの態度でソングンに接する情報当局の様子からは、国家権力の恐ろしさも伝わってくる。当時の韓国は、まさに独裁的な政権に向かおうとしているところだけになおさらだ。

ただし、この映画の大きな肝は父子の絆のドラマにある。ソングンはなぜ必死でこの代役にしがみつき、理不尽な訓練にも耐えるのか。それは、ひとえに息子のためなのだ。彼の幼い息子のテシクは、父のことで友達からバカにされていた。おまけに、ようやくつかんだ舞台「リア王」の代役で大失敗し、テシクを落胆させてしまう。だから、「今度こそは」と金日成の代役で名誉挽回を図ろうとしたのだ。

ソングンは必死で役作りに取り組む。ひたすら金日成になり切ろうとする。その挙句に、金日成が乗り移ったような振る舞いを見せるようになる。それはほとんど人格破壊に近いような状況で、観ているうちに背筋が寒くなってくる。だが、会談は幻に終わり、ソングンの努力は水泡に帰すのだった。

後半は、それから22年後のドラマが描かれる。年老いたソングンは過去の記憶を失い、自分を金日成と思い込んでいた。一方、成長した息子テシク(パク・ヘイル)はマルチ商法を展開中。だが、思うようにいかないらしく借金まみれで、取り立て屋に追われる毎日だ。

そんなテシクは当初、父のソングンを完全に無視していた。それには過去のある出来事が関係しており、それが後々明らかになる。だが、ある時、彼はソングンを老人ホームから引き取り、同居生活を始める。それには金にまつわるある目的があったのだ。そこにはテシクの恋人も絡んでくる。

というわけで、後半もユーモア満載だ。言動が金日成そのままの父と、資本主義にどっぷりつかった息子との同居生活は、摩擦だらけの破天荒なもの。父は自給自足を説いて息子にヤギを飼わせたり、スーパーに乗り込んで店長に説教したりする。息子はそれに振り回されて右往左往しながらも、目的達成のために金日成の息子・金正日(今の金正恩の父ちゃんね)のふりをする。これまた無条件に笑えるシーンの連続である。

ソングンを演じた実力派ソル・ギョングの演技は必見だ。外見はまったく似ていないのに、金日成らしさを全身から醸し出す怪演ぶりである。

だが、ただ笑えるだけではない。父ソングンの姿からは、息子への思いが空回りして国家に翻弄された男の悲哀が漂うし、息子テシクの姿からは、親子の断絶を抱えたまま身動きできない男の孤独が感じられる。

はたして2人が絆を結び直す日は来るのか。終盤、テシクは父のことをそれまでとは違った目で見始める。となれば、ストレートに絆の再生を描くのかと思いきや、そこには粋な仕掛けが用意されていた。

クライマックスでは、かつて日の目をみなかったソングンの役者としての花道が用意され、そこから幼き日のテシクと父とのある記憶へとつながっていく(邦題の「22年目の記憶」とはこのことなのだろう)。一世一代の熱演で、あまりにも壮絶な役者魂を息子に示すソングン。それを受け止めるテシク。ここは誰しも感動必至の場面である。

こうして父子の絆の再生を描いてドラマは大団円・・・かと思いきや、その後には後日談も用意されている。そこではもう一つの父と子の絆が提示される。多くの観客が温かく心地よい気持ちになれるエンディングである。

南北分断という悲劇をネタにしながら、笑いにまぶして父と子の絆を描き、涙と感動、そして温かな心持ちを与えてくれる映画だ。やや強引な展開や非現実的な描写などもあるのだが、それもあまり気にならない。払ったお金の分はきっちり元を取らせてくれるのだから、さすが韓国映画である。

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◆「22年目の記憶」(MY DICTATOR)
(2014年 韓国)(上映時間2時間8分)
監督:イ・ヘジュン
出演:ソル・ギョング、パク・ヘイル、ユン・ジェムン、イ・ビョンジュン、リュ・ヘヨン
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.finefilms.co.jp/22nenme/

 

2018年ベスト映画

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

実のところ、年末年始はインターネット環境のないところにいたため、ブログも更新できなかったのである。おまけに、映画館に行ける状況でもなかったので、映画レビューのネタにも事欠く始末。なので、本日はこれにて失礼!

いやいや。それでは、さすがに手抜き過ぎだろう。というわけで、今回は昨年観た映画のベストを発表しようと思う。正直なところ、映画に順位などつけるのは無粋で無茶なことだと思うのだが、あくまでも座興ということで・・・。

1. 「菊とギロチン
2. 「スリー・ビルボード
3. 「生きてるだけで、愛。」
4. 「きみの鳥はうたえる
5. 「レディ・バード
6. 「万引き家族
7. 「鈴木家の嘘」
8. 「愛しのアイリーン
9. 「ビューティフル・デイ
10. 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない

ついでに、それ以外で上位にランクされるのは、「止められるか、俺たちを」「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」「1987、ある闘いの真実」「焼肉ドラゴン」「孤狼の血」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」「タクシー運転手 約束は海を越えて」「女は二度決断する」「シェイプ・オブ・ウォーター」「犬猿」あたりだろうか。

上記の作品名を見て「ボヘミアン・ラプソディ」も「カメラを止めるな!」も入っていないじゃないか、と怪訝に思うかもしれないが、まあ、そんなものです。これ以外の映画がつまらなかったわけではない。「何度でも見返したい映画」という基準で判断したら、そうなってしまっただけの話。当然ながら見逃した映画も多いので、そのあたりもご容赦を。いずれにしても、いわゆるメジャー作品がほとんど入っていないのがオレらしいところかもしれない。

以下に、簡単に各作品のコメントを。
1. 「菊とギロチン
瀬々敬久監督の構想30年(だっけ?)の渾身の青春群像劇。凄まじいパワーに満ち満ちている。スタッフ、キャストの熱い思いがダイレクトに伝わって心を揺さぶられた。大正時代の話だが、確実に今につながっている。

2. 「スリー・ビルボード
~娘を殺された母親を中心に、様々な人物の内面を描写する手腕が出色。アメリカの現状を背景に、数多くの要素を詰め込んでいるのに窮屈さがまったくない。脚本、演出、演技ともに一級品。

3. 「生きてるだけで、愛。」
~不器用で生きづらさを抱えた現代の若者たちをリアルに描き出した秀作。一見、エキセントリックに見える主人公の言動だが、そこには多くの人々と共鳴するものがある。主演の趣里の演技が素晴らしい。

4. 「きみの鳥はうたえる
~3人の若者のいとおしく切ないひと夏の出来事を描いた青春ストーリー。青春のきらめきと終焉をスクリーンの中に巧みに刻み込んでいる。柄本佑石橋静河染谷将太の演技も印象深い。

5. 「レディ・バード
~揺れ動く少女の日常を、テンポよく、生き生きと描いたグレタ・ガーウィグ監督の演出が光る。シアーシャ・ローナンのヴィヴィッドな演技も魅力。等身大の主人公が観客の共感を呼ぶはず。

6. 「万引き家族
~日本社会の現状を背景に、家族とは何かを問う。是枝裕和監督の集大成的な作品。すべてにおいて完成度が高い。シビアな側面もある映画だが、全体を包む温かく、優しい空気感が心地よい。

7. 「鈴木家の嘘」
~長男の自殺というシリアスな話を、笑いにまぶして描くところが面白い。それを通して家族の実像に迫るさじ加減が絶妙。「菊とギロチン」で主演を務めた木竜麻生の演技は、ここでも特筆もの。

8. 「愛しのアイリーン
~ダメ人間たちの破天荒な行状が渇いた笑いを生み出すと同時に、単純な善悪を越えた人間存在の複雑さをあぶりだす。吉田恵輔監督らしい作品。安田顕はじめキャストの怪演ぶりも見もの。

9. 「ビューティフル・デイ
~絶望を生きる男と心が壊れた少女の魂の共鳴を、リン・ラムジー監督が鮮烈かつ美しく描き出す。無駄なシーンがまったくなく、想像力を刺激され続けた。ホアキン・フェニックスの演技もさすが。

10. 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない
~吃音と音痴。それぞれにコンプレックスを抱えた少女の輝きと心の叫びが、瑞々しく描き出されている。光を効果的に使った映像、2人の若手女優の自然体の演など、どれをとっても一級品の青春映画。

と10作品を振り返ってみたら、青春映画が目立つ結果となってしまった。自分が青春映画好きであることを再確認した次第です。

それにしても今年の日本映画は充実していたなぁ。特にインディーズ作品に素晴らしい映画が多かった。予算をはじめ厳しい環境にある中で、これだけの作品が生み出されていることは驚異的なことかもしれない。

はたして今年はどんな映画に出会えるのだろうか・・・。