映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ウィーアーリトルゾンビーズ」

「ウィーアーリトルゾンビーズ
池袋シネマ・ロサにて。2019年6月16日(日)午後1時25分より鑑賞(シネマロサ2/D-7)。

~ぶっ飛んだ映像で描く“感情を失くした”子供たちのバンド冒険譚

タイトルだけで、ほぼ一発で映画の内容がわかってしまう作品もあれば、そうでない作品もある。「ウィーアーリトルゾンビーズ」(2019年 日本)(上映時間2時間)は、間違いなく後者だろう。どう考えてもタイトルを見ればゾンビ映画だ。だが、実際はそうではない。自分たちをゾンビみたいだと思っている子供たちの冒険譚なのである。

その子供たちとはヒカリ(二宮慶多)、イシ(水野哲志)、タケムラ(奥村門土)、イクコ(中島セナ)の4人。いずれも13歳だ。映画は火葬場から幕を開ける。ヒカリは両親を亡くす。そんな中、ヒカリは、火葬場で同じ境遇のイシ、タケムラ、イクコと出会う。

この映画は実にユニークな作風の作品だ。全体の構成はRPGゲームのスタイルを取っている。いくつものSTAGEがあったり、アイテムをゲットしたりする。ただし、最新のゲームというよりは少し前のゲームの感じだ。

そして、それ以上に驚くのが映像である。全ての映像がポップでぶっ飛びまくっている。例えば、人物が冷蔵庫を覗くシーンでは冷蔵庫の中から人物の顔を映す。あるいはヒカリが飼う観賞魚を巨大にして画面に登場させたりする。そんなふうに現実をデフォルメしたり、非現実の世界を現出させたり、登場人物の空想や妄想を映像化したりとアートのような映像が飛び出すのだ。色彩も鮮やかなのを通り越して凄まじいほどだ。まるで全編がトンガッたCMかMVのようである。

この映画の長久允監督はもともとCMを手がけていたという。その後、「そうして私たちはプールに金魚を、」で第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門グランプリを受賞し、本作が長編デビュー作となる。

そんな経歴から連想したのは「下妻物語」「嫌われ松子の一生」「来る」などの中島哲也監督だ。中島監督もCM出身で、ぶっ飛びまくった映像で衝撃を与えた。とはいえ、長久監督の映像はそれを上回る鮮烈さかもしれない。

さらに、今どきの子供らしさはあるもののなぜか棒読み調のセリフや、無表情の役者の演技なども、他にはあまり見られない本作のユニークな特徴である。

さて、4人の子供たちが知り合ったのち、今度はそれぞれの家を巡りつつ彼らの事情が明かされる。ヒカリの両親はバス事故で亡くなっていた。イシの親はガス爆発で焼死。タケムラの親は借金苦で自殺。イクコの親は他殺だった。それにもかかわらず、彼らは悲しいはずなのに全く泣けない。そして、自分たちを感情を失ったゾンビのようだと思うのである。

まもなく彼らは、ゴミ捨て場で「LITTLE ZOMBIES」というバンドを結成する。そこで撮影した映像は社会的に大きな話題を呼ぶ。ゴミ捨て場で知り合った望月(池松壮亮)という男がマネージャーになり、彼らはライブ、テレビ出演、アルバム発売と活躍を続けていく。

4人が集いバンドを始めた原点には、大人社会への違和感や反抗心があるように思われる。突然両親を亡くし、自分の思惑とは裏腹に進むべき道を強制されたことから、それを嫌って自分たちだけで冒険に出たわけだ。

同時にその冒険は、自分たちの心を取り戻すための冒険でもある。彼らの感情を失わせたものも、家族をはじめとする大人社会に違いない。ならば、その手から離れて自由になれば、心も取り戻せるのではないか。そう考えたのかもしれない。

そして、この点に関して面白いことがある。無表情で棒読みのセリフを話す4人の子供たちは一見、本当に感情を失くしているようだ。だが、よくよく見ているとその表情や言動の端々からは、確かな感情の存在が感じられる。つまり、彼らは感情を失くしているのではなく、その表現の仕方がわからないだけではないのか。観ていて、そんなふうに感じられた。

それに対して、周囲の大人たちは見事に自分の役割を演じている。葬式の場面では、当然ながら悲しみに暮れた態度を示す。ヒカリたちとは正反対だ。だが、彼らはどこまで本当に悲しんでいるのか。そうした様々な大人たちの言動に対して、ヒカリたちが違和感を抱くのは当然かもしれない。

大ブレイクした「LITTLE ZOMBIES」だが、やがてその活動は突然終焉を迎える。それもまた大人社会の事情によるものだ。しかも、そこには現代社会を象徴するように、ヒカリの両親の事故をめぐるSNSでの騒動が絡んでくる。

やたらに映像が目につく映画ではあるが、そうした子供たちの反抗と挫折、成長の軌跡が、社会の現状も織り込みつつ描かれているのである。

とはいえ、さすがに終盤はやや疲れてしまった。全編ああいう映像が続くと厳しいものがある。個人的には、もう少しメリハリをつけた方がよかったと思う。そのほうが、子供たちの心理ももっと深く掘り下げられたのではないか。

それでもラストはなかなか印象深い。社会との距離を少しだけ縮め、生まれてきたことの喜びや日常の大切さを見つめ直す4人。そう。4人はわずかながら確実に成長したのだ。それを美しい緑の風景を使ってキッチリと見せる後味の良い結末だった。長久監督は間違いなく、彼らに対して温かな視線を送っている。

4人の子供たちの演技に加え、超豪華脇役陣の顔ぶれもこの映画の魅力。下記にあるように、大量にクレジットされたバラエティーに富んだ出演者の中には、チラリとしか登場しない人も多い。誰がどこに出ているのか探すのも一興だろう。

この映画は、第69回ベルリン国際映画祭ジェネレーション(14plus)部門でスペシャル・メンション賞(準グランプリ)、第35回サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドラマティック・コンペティション部門で審査員特別賞オリジナリティ賞を受賞したとのこと。確かに才能のある監督だと思う。今後さらに素晴らしい作品が生まれることを期待したい。

 

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◆「ウィーアーリトルゾンビーズ
(2019年 日本)(上映時間2時間)
監督・脚本:長久允
出演:二宮慶多、水野哲志、奥村門土、中島セナ佐々木蔵之介工藤夕貴池松壮亮初音映莉子村上淳西田尚美佐野史郎菊地凛子永瀬正敏康本雅子、夏木ゆたか、澤本嘉光利重剛、シシヤマザキ五月女ケイ子山中崇、並木愛枝、佐藤緋美、水澤紳吾、黒田大輔忍成修吾、るうこ、長塚圭史池谷のぶえ戌井昭人虹の黄昏赤堀雅秋清塚信也山田真歩、湯川ひな、松浦祐也、渋川清彦、かっぴー、いとうせいこうCHAI菊地成孔、今田哲史、森田哲矢、柳憂怜、ぼく脳、三浦誠己、前原瑞樹、吉木りさ(声の出演)
*TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
ホームページ https://littlezombies.jp/

「旅のおわり世界のはじまり」

「旅のおわり世界のはじまり」
シネ・リーブル池袋にて。2019年6月15日(土)午後3時55分より鑑賞(スクリーン1/H-9)。

黒沢清監督+前田敦子で描く異国の地で惑う女性の心模様

前田敦子は不思議な女優だ。いわゆる強烈なオーラを放つタイプではない。かつてAKB時代に仕事の関係で間近で見たことがあるのだが、見た目はどこにでもいそうな普通の女の子だ。

ところが、これが数々の有能な監督に指名されて、彼らの作品に出演すると、その言動や佇まいが抜群の存在感を発揮する。演技の巧拙などは関係がない。それを越えてしまっているのだ。「苦役列車」「もらとりあむタマ子」「Seventh Code セブンス・コード」「さよなら歌舞伎町」「散歩する侵略者」など印象深い映画を挙げればきりがない。

そんな前田敦子を主演に迎えて、黒沢清監督が日本とウズベキスタンの合作で製作した作品が「旅のおわり世界のはじまり」(2019年 日本・ウズベキスタン)である。前田敦子は黒沢作品では上記の「Seventh Code セブンス・コード」で主演を務め、「散歩する侵略者」にも出演している。

冒頭、テレビ番組のレポーターの葉子(前田敦子)が湖に入り、「みなさんこんにちは、今、私はユーラシア大陸のど真ん中、ウズベキスタン共和国に来ています!」と明るく視聴者に呼び掛ける。彼女は、巨大な湖に棲むという“幻の怪魚”を探す番組でウズベキスタンを訪れていたのだ。

ロケ隊の他のメンバーは、撮れ高ばかり気にして内容は二の次のディレクターの吉岡(染谷将太)、淡々と仕事をこなすベテランのカメラマン岩尾(加瀬亮)、気のいいADの佐々木(柄本時生)、そして現地のコーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ)。

だが、ロケは思うようにいかない。肝心の幻の魚は現れず、現地の漁師は「女を船に乗せるからだ」などと言い出す始末。食堂でグルメレポートをしようとすれば、「薪が足りない」と生焼けの料理を出される。それ以外にもトラブルが続出だ。ロケ隊の面々はだんだん苛立っていく。

そんな中でも、葉子はレポーターの仕事をきちんとこなす。遊園地では乗り物で気持ちが悪くなりながら、それでも最後まで仕事を続ける。とはいえ、見知らぬ異郷の地で彼女の心の中は波立っている。ホテルに戻って、日本にいる恋人とスマホでやりとりする時間だけが彼女の安らぎだった。

そんな葉子の心の内を黒沢監督は巧みに描いていく。それを象徴するのが彼女が一人でバザールに行くシーンだ。全く言葉も通じず、周囲の何もかもが怪しく危険に思えて、葉子は次第に焦っていく。それを見ているこちらも、まるで自分が葉子であるかのように心がざわついてくる。

ちなみに、この映画では現地の言葉に一切字幕がつかない。せいぜいコーディネーターのテムルが通訳する程度だ。それもまた葉子の心の中を、より不安定に見せる効果を発揮している。

黒沢清監督の過去の作品はホラー的だったり、サスペンス的だったりする作品が多い。そのものズバリのホラーやサスペンスでなくても、どこかにそうしたテイストが感じられる作品がほとんどである。そして、本作にもそれが見て取れる。簡単に言えば、葉子の自分探しのドラマなのにもかかわらず、全編が予測不能で、不穏な空気が流れているのである。

葉子の心を揺らす大きな原因は、彼女が歌手を夢見ているという事実だ。帰国後にはミュージカルのオーディションを受ける予定もあるという。だから、今の仕事との落差に悩み、「自分は何をやっているのか?」と暗澹たる気持ちになるのだ。

中盤では、そんな彼女の心がもたらしたであろう不可思議な場面が登場する。葉子は歌声に誘われてある美しい劇場へ足を踏み入れる。そして、そこでオーケストラをバックに「愛の讃歌」を歌う自分自身を客席から見つめるのだ。

黒沢作品では、生者と死者、現実と非現実が入り混じる構成がよく登場する。今回もまた現実とも非現実ともつかない場面が現出し、独特の世界を生み出している。そして、葉子の心の奥底にあるものを象徴的に示すのだ。

混迷のウズベキスタンロケ。その混迷は終盤になっても続く。幻の魚が見つからないまま、今度は葉子自身がハンディカメラを手にバザールを巡る。だが、そこで予想もしないことが起こる。これまたホラー的で、サスペンス的な展開だ。さらに、その後に唐突ともいえる事件が起きて、葉子は完全な錯乱状態となる。ここもまた、彼女の心理が手に取るように伝わってきて、何とも不安な気持ちにさせられた。

この映画ではウズベキスタンの美しい自然があちらこちらに織り込まれている。それが最大限に効果を発揮しているのがエンディンクだ。そこで中盤で伏線として登場したヤギが再び姿を現し、葉子が「愛の讃歌」を熱唱する。それはまさに圧巻の映像と歌声で、彼女の新たな「世界のはじまり」を明確にスクリーンに刻み付ける。この素晴らしいエンディングだけでも、観る価値のある映画といえるかもしれない。

それにしても、今回も前田敦子の魅力が健在である。そこに黒沢節ともいえる独特の世界観が加わり、さらにウズベキスタンという異国の要素が加わることによって、単なる自分探しのドラマを超えた魅力が生まれている。黒沢監督にとって新境地ともいえる作品だが、過去の黒沢作品を観たことがある人にとっても納得の映画ではないだろうか。

 

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◆「旅のおわり世界のはじまり」
(2019年 日本・ウズベキスタン)(上映時間2時間)
監督・脚本:黒沢清
出演:前田敦子加瀬亮染谷将太柄本時生、アディズ・ラジャボフ
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://tabisekamovie.com/

伊藤蘭ファースト・ソロ・コンサート

6月11日(火)にTOKYO DOME CITY HALLで開催された伊藤蘭ファースト・ソロ・コンサート」に行ってきた。そう、あのキャンディーズ伊藤蘭である。

若い人にとっては伊藤蘭といえば、女優というイメージしかないかもしれないが(あるいは水谷豊の奥さん、趣里の母親)、その伊藤蘭は1970年代に超人気だった女性アイドルグループキャンディーズのメンバーだったのである。

キャンディーズのメンバーは、伊藤蘭(ランちゃん)、田中好子(スーちゃん)、藤村美樹(ミキちゃん)の3人。人気絶頂期の1977年、「普通の女の子に戻りたい」と突如解散を発表。翌年4月4日、後楽園球場でお別れコンサートを行い解散したのである。

その後、ミキちゃんは芸能界を引退(ただし1983年にソロ歌手として期間限定で復帰)。ランちゃんとスーちゃんは女優として復帰したが、スーちゃんは2011年に乳がんのため55歳で死去した。

などと書くと、まるでオレのことを熱狂的なファンのように思うかもしれないが、そんなことは全然ない。あれだけの人気グループゆえに、その存在もヒット曲も当然知ってはいたのだが、特別な思い入れがあるわけではなかった。

そんな中、伊藤蘭が41年ぶりに歌手活動再開」というニュースが飛び込んできた。41年ぶり? なんだか凄いぞ。というので、とりあえず「My Bouquet」というアルバムを聴いてみたら、これが素晴らしかったのである。全11曲の楽曲はどれもレベルが高いし、伊藤蘭の声も心に染み通ってくる。そして、聴いているうちに、近いうちにコンサートもあるという話を思い出し、思わずネットでチケットを買ってしまったのだ。

当日、会場に行くと早くも長蛇の列、当然ながら平均年齢は高そうだが、二千数百人が入る会場がほぼ埋まっているのだから立派なものである。きっと熱狂的なファンはこの日を待ちに待っていたのだろうなぁ。

そんな人々とはやや距離のあるオレではあるが、まもなくコンサートが始まるとすっかり入り込んでしまった。さすがに「ランちゃーん!」と掛け声をかけたりはしなかったが、手拍子をしながら最後まで楽しんでしまったのだ。

それはそうでしょう。バックを固めるバンドはキーボードの佐藤準をはじめ腕達者ばかり。ダンサーも登場するなど曲ごとに様々な演出が施され、大いに盛り上げてくれる。そして、生で聴いた伊藤蘭の歌声もなかなかのものであった。最初こそ緊張が伝わってきたが、ステージが進むにつれて、のびやかでしなやかな歌声が全開。

自分的にはやはり「My Bouquet」の曲たちが良かったのだが、会場が最高潮に達したのは終盤のキャンディーズ時代の曲。春一番」「その気にさせないで」「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」。ええ、もちろん全部知っていますとも。インタビュー等で歌うことをにおわせてはいたが、ここまでとは……。

全17曲、2時間弱のステージ。実のところ、チケット代はそれなりにしたのだが、無理してでも「行ってよかった!」とつくづく思う次第。それぐらい見応えがありました。どうやら、今後も音楽活動を続けるようなので、今後も注目したいところ。

それにしても伊藤蘭、64歳。若い! 少しは見習わなくては。

 

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「エリカ38」

「エリカ38」
池袋シネマ・ロサにて。2019年6月9日(日)午後1時35分の回(シネマ・ロサ2/G-11)。

浅田美代子の好演が光る底知れぬ顔を持つ女の壮絶な人生

浅田美代子といえば、テレビの「時間ですよ」のお手伝い役でデビューして以来、明るく可愛い女の子というイメージが定着した。その後も映画「釣りバカ日誌」の浜ちゃんの奥さん役やバラエティー番組でのトークなどで、明るくひょうきんなイメージは、年をとっても変わらない。そんな中、イメージを覆す悪女役に挑んだのが映画「エリカ38」(2019年 日本)である。

実はこの映画、2018年9月に他界した樹木希林が生前、プライベートでも親交が深かった浅田美代子のためにと、自ら企画を手がけた作品だ。樹木はかねてから、ワイドショーなどで取り上げられる悪女を見て、「こういう役をやればいいのよ」と浅田に勧めていたという。おそらく、浅田の持つ役者としての奥の深さを評価して、それを発揮する場を作ってあげたいと感じたのではなかろうか。

実年齢を20歳以上も詐称し、巨額の投資詐欺に手を染め、最後は異国で逮捕された女の半生を描いた、実話をもとにしたドラマである。タイトルにある「エリカ」とは主人公の聡子が自称した名前。そして「38」は自称した年齢だ。

水商売をしながらネットワークビジネスを手がける渡部聡子(浅田美代子)は、喫茶店で偶然知り合った女性・伊藤(木内みどり)の紹介で、平澤(平岳大)という男と出会う。平澤は国境を超えたビジネスを展開しているという。そして、途上国への支援事業の名目でたくさんの人を集めて、投資話で大金を集めていた。

この平澤の話が面白い。いかにももっともらしい理想を語り、人々の投資の後押しをする。冷静になって考えれば、中身は空っぽで実体のない話なのだが、その場で聞いている者たちはつい引き込まれてしまう。なるほど、実際の詐欺もこうして行われるのだろう。

聡子もそれに引き込まれて、平澤を手伝うようになる。彼と親密な関係にもなる。だが、やがて平澤が複数の女と付き合い、自分を裏切っていることを知ったエリカは、平澤との連絡を絶つ。そして、今度は自ら支援事業の名目で金を集め始める。さらに、金持ちの老人をたらし込んで豪邸を手に入れ、老人ホームに入っていた母(樹木希林)を呼び寄せるのだ。

日比遊一監督の作品は初めて観たが、映像&演出に関して、様々な細かな仕掛けが施されている。何よりも特徴的なのが、ちょっと古びた感じの映像だ。本作のモデルとなった事件の時代性を意識したのかどうかは知らないが、それによってこのドラマの出来事がリアルな出来事というよりも、ある種の非現実的でファンタジー的な要素を持つ出来事に思えてくる。そして、それは主人公・聡子の人物像をより複雑で屈折したものに見せる効果も発揮しているのである。

終盤に用意された仕掛けも面白い。架空の投資話が行き詰まり、被害者たちから糾弾されながら、聡子がのらりくらりとそれをかわそうとする場面。そこを長回しの舞台劇のような構成で見せる。聡子の人生の破たんの前兆にふさわしい緊迫感に満ちた場面である。聡子の多面性もさらに際立つ。

本作の全体の構成は、ジャーナリストの男(窪塚俊介)による事件の関係者へのインタビューが随所に挟み込まれる形を取っている。それを通して、聡子の得体の知れなさを印象付ける狙いがあるのだろう。できれば「羅生門」のように、それらの証言が食い違っていたりすればなお効果的だったのだろうが、そこまで徹底されてはいない。

とはいえ、聡子の得体の知れなさはハンパではない。彼女は本当の悪女なのか、それとも憐れな女なのか。少女時代の彼女の家庭のエピソードなども盛り込みつつ、その人物像に迫るのだが、わかりやすい結論にたどり着くことはない。最後まで彼女の内面は複雑で底が知れない。

そんな人物を演じたのが浅田美代子である。これがまあ凄い演技なのだ。タイで愛人としてかこった若い男の前では本当に38歳のような若さと可愛らしさを見せる。一方、最後に逮捕されて接見室に現れたその顔は、老婆といってもよいほど老け込んでいる。そんなふうに場面場面で全く違う表情、たたずまいを見せるのだ。とても同一人物とは思えないほどの多様な姿を、きっちりと演じ切っている。

失礼ながら、浅田美代子がここまで演技力のある俳優だとは気づかなかった。ゴメンナサイ。その演技力にあらためて脱帽である。今頃、天国の樹木希林が言っているかもしれない。「ほーらね。美代ちゃんって本当はみんなが思っているよりもずっと凄い女優なのよ」と。

ついでに言えば、脇役たちもなかなか味のある使い方がされている。特に詐欺師たちを演じた平岳大木内みどりが怪しすぎる!

エンドロールでは、事件の実際の被害者の証言が流れる。そこでは聡子は加害者でありながら、被害者でもあったことが語られる。結局のところ、どちらの側面も持っていたのだろう。いずれにしても、聡子をはじめ加害者も被害者も、金に踊らされ、人生を狂わされてしまったわけだ。いつの時代も、金というものは恐ろしき存在である。

とにもかくにも、浅田美代子の演技が必見の映画だ。彼女の演技を通して、樹木希林の役者としての生き方、考え方も伝わってくる。

 

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◆「エリカ38」
(2019年 日本)(上映時間1時間43分)
監督・脚本:日比遊一
主演:浅田美代子樹木希林平岳大窪塚俊介山崎一山崎静代小籔千豊、WORAPHOP KLAISANG、菜葉菜、鈴木美羽、佐伯日菜子真瀬樹里中村有志黒田アーサー岡本富士太小松政夫古谷一行木内みどり
*TOHOシネマズシャンテ、シネマ・ロサほかにて全国公開中
ホームページhttp://erica38.official-movie.com/

「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」

「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年6月8日(土)午後2時30分より鑑賞(スクリーン3/D-3)

~大人になれない父親としっかり者の娘の絆と自立を描く音楽映画の佳作

音楽映画には様々な名作がある。最近では、2015年の「シング・ストリート 未来へのうた」あたりが印象深い。そして、またここに素敵な音楽映画が誕生した。

ニューヨーク・ブルックリンの海辺の小さな街、レッドフックがドラマの舞台だ。そこでレコード店を営む元ミュージシャンのフランク(ニック・オファーマン)。だが、経営不振から17年間続けてきた店を閉めることにする。彼が男手一つで育ててきた娘のサム(カーシー・クレモンズ)は、ロサンゼルスの医大への進学が決まっていた。

というわけで父娘の物語である。その父娘のキャラクター設定が効いている。父のフランクはいまだに昔の夢を捨てられず、商売にも不熱心な大人になれない大人。一方、娘のサムは自分の進路を明確に見据えたしっかり者。大人と子供が逆転したような、この2人が巻き起こすあれこれをユーモアたっぷりに、シニカルなセリフなどを盛り込みつつ描いている。

やがて2人に転機が訪れる。フランクは以前から娘の音楽の才能を感じ、一緒にバンドをやりたがっていた。そして、ある夜、勉強中のサムの邪魔をして「セッションしよう」と誘うのだ。この時の2人の距離感が絶妙だ。サムはフランクに対して「やめてよ!」と迷惑がっている。だが、それでも最後は一緒に曲を作りレコーディングする。サムも本当は音楽が好きで、心の底で父娘がつながっていることをさりげなく示すエピソードだ。

そして、そこでレコーディングした曲をフランクは、勝手にSpotifyにアップロードしてしまう。すると、それが結構な反響を巻き起こしたのだ。それに気をよくしたフランクは、本気で娘とバンド活動をしようと考える。だが、サムはあくまでも街を出て医大に進学しようとする。

中盤以降は、こうした父娘の思いのすれ違い、対立を描いていく。そこにはサムの恋愛(同性が相手だというのが今どき)、そしてフランクと店の大家の女性との微妙な関係なども絡んでくる。彼らやフランクが通うバーの店主など、すべての登場人物が魅力的なのもこの映画の特徴だ。

そして何よりも、音楽映画は楽曲が良くなければ話にならない。その点、この映画の楽曲は素晴らしい。Spotifyにアップロードした曲、サムが恋人のことを思って作った曲、フランクがかつて事故死した妻とサムのことを思って作った弾き語りの曲など、いずれもが心に刺さってくる。それらの曲を聴くだけでも、この映画を観る価値があると思う。観終わってサントラ盤が買いたくなった。これまた素晴らしい音楽映画につきものの現象だろう。

ブレット・ヘイリー監督は、過去に日本公開作はないようだが、そうした楽曲を効果的に使いながら、音楽映画らしいテンポの良い鮮やかな手際の演出を見せている。

ドラマが進むにつれて様々なことがわかってくる。フランクはただの困った父ちゃんではなく、過去を引きずっているのだ。彼は妻とともにバンド活動をしていたが、サムが幼い頃に彼女は事故死してしまった。彼がサムとのバンド活動に執着する思考は、その延長線上にあるのだろう。そんなフランクにも悩みや苦しみがあり、同時にサムにも迷いがあることが伝わってくる。

クライマックスは閉店当日のレゴード店でのライブだ。この演奏が素晴らしい。フランクのギター以外は打ち込みなのだが、何よりもサムの歌声が圧巻。「さよなら、僕のマンハッタン」などに出演していたカーシー・クレモンズが、吹替なしで自分で歌っているというから見事だ。この子、歌手としても十分に売れるんじゃなかろうか。

フランク役は「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」などのニック・オファーマン。こちらも、味のある演技を披露している。その他にも、テッド・ダンソン、トニ・コレットなどの脇役が十分な存在感を示している。

ラストに描かれるさりげない後日談もよい。邦題通りにそれぞれの「たびだち」を印象付ける。父と娘の自立、そして何よりも2人の絆の強さをクッキリとスクリーンに刻み付けて、ドラマは終焉を迎えるのである。

音楽映画の新たな佳作の誕生だ。「シング・ストリート 未来へのうた」をはじめ、過去の音楽映画の名作に心を動かされた人なら、必見の作品といえるだろう。

◆「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」(HEARTS BEAT LOUD)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間37分)
監督:ブレット・ヘイリー
出演:ニック・オファーマン、カーシー・クレモンズ、テッド・ダンソン、サッシャ・レイン、ブライス・ダナー、トニ・コレット
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページhttp://hblmovie.jp/

「長いお別れ」

「長いお別れ」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年6月1日(土)午前11時30分より鑑賞(スクリーン6/C-8)

認知症の父がもたらす家族の再生と絆の物語

認知症は身近な問題だ。そして何よりも深刻な問題だ。有吉佐和子原作の「恍惚の人」をはじめ、これまでに認知症を描いた映画には、その悲劇的な側面に焦点を当てたものが多い。

だが、それらとは違う視点から認知症を取り上げた映画が登場した。宮沢りえ主演の「湯を沸かすほどの熱い愛」が高い評価を受けた中野量太監督の新作「長いお別れ」(2019年 日本)である。原作は直木賞作家・中島京子の同名小説。認知症になった父と家族の7年間の軌跡を描いている。とはいえ、これは認知症のドラマではない。

冒頭に登場するのは遊園地のシーン。幼い妹を連れた女の子が回転木馬に妹を乗せようとする。だが、係員は大人が一緒でなければだめだと拒否する。そこで女の子は周囲を見回す。そこに昇平(山崎努)という老人が通りかかる。

この冒頭のシーンは原作通りだ。ただし、映画では、中盤でこのシーンを効果的に使い家族のかつての楽しい思い出に結びつける。そんなふうに、原作の大枠を踏襲しつつあちらこちらに細かなアレンジを施している。それが絶妙なアレンジで、ドラマにメリハリが生まれ、テーマ性も明確になっているのである。

実は昇平は認知症にかかっている。70歳の誕生日に、母・曜子(松原智恵子)に呼ばれて久々に顔を揃えた娘たちは、そのことを告げられて動揺する。かつて中学校の校長をしていた厳格な昇平だけに、なおさらショックは大きかった……。

とくれば、認知症の深刻さや悲惨さが描かれるかと思いきや、実のところそれが前面に出てくることはない。いや、それどころかこの映画、笑いが満載なのだ。認知症になった昇平の素っ頓狂な言動が、自然な笑いを生み出す。さらに天然ボケともいえる明るい曜子の態度も、それに輪をかける。終始笑いの絶えない明るい映画なのである。

友人の葬儀に出席しながら、全く事情が理解ができず、しばらくしてから「○○は死んだのか?」と仰天する昇平。描き方によっては哀れさを誘うシーンだが、本作ではおかしみを際立たせる。また、終盤で目の手術をした曜子が快癒に向けて、ひたすらうつぶせになるシーンも、実際に映像で見せられると笑わずにはいられない。

とはいえ、ただ笑えるだけの映画ではない。そこにはきちんとした人間ドラマがある。次女の芙美(蒼井優)は、カフェを開く夢を抱きながらも、恋愛につまずくなど悩み多き日々を送っている。一方、夫の転勤でアメリカ暮らしの長女・麻里(竹内結子)は、いまだに現地の生活に馴染めず、夫との関係もギクシャクし、思春期の息子のことも悩みの種だった。

そんな2人が、徐々に記憶を失っていく昇平と向き合ううちに、それぞれが自分自身を見つめ直していくのである。

中盤で芙美はキッチンカーで商売を始めるものの、まったくうまくいかない。ところが、昇平の突飛な行動によって客が列をなす。さらに、そこで彼女は新しい恋と出会う。

そんなふうに、認知症の昇平が娘たちに力を与えるという構図が面白い。認知症にもかかわらず、いやそれだからこそ、娘たちは父の前でありのままの心情をさらけ出し、父のとぼけた言動に心を和ませ、力を与えられるのだ。

控えめながらストレートに涙を誘う場面もある。特に、記憶を失った昇平が、もう一度曜子にプロポーズするシーンは感動もの。下手をするとあざとく感じられる場面だが、そうは感じさせない。素直にホロリとさせられた。

終盤になるにつれて、昇平の病状はどんどん進行する。娘たちの人生も決して順風満帆とは言えない。それでも、最後の最後まで昇平の存在に力をもらい、前を向いていく。終盤の病室での誕生パーティーのシーンが傑作だ。まるでコントのような爆笑の場面でありながら、家族の絆をしっかりと印象付ける。そうなのだ。これは認知症のドラマではなく、家族の再生と絆のドラマなのである。

そういえば中野監督の前作「湯を沸かすほどの熱い愛」も、死にゆく母が家族を再生させるドラマだった。図らずも衰えゆく人が家族をつなぐドラマが続いたわけだが、そこから感じられるのは、死はけっして終わりではないということだ。昇平が無意識のうちに紡いだ家族の絆は、次の世代にも確実に受け継がれていくだろう。映画のラストに登場するのが麻里の息子・崇なのも、それを象徴しているように思える。

この映画のキャストはいずれも素晴らしい。特に山崎努松原智恵子の両ベテランの演技は必見だ。山崎努は、ほとんど言葉を失くしてもなお、その表情やしぐさだけで多くのことが伝わる演技だった。そして松原智恵子のかわいらしさ! まるで天使のような天真爛漫さが、家族の再生を自然なものに見せてくれる。

ちなみに、中野量太監督は役者に細かな演技指導をするらしい。だが、いずれのキャストも、それをまったく感じさせないごく自然な演技を披露している。

優しくて、温かくて、とても素敵な映画である。笑って、ちょっぴり涙して、最後には前向きになれる。実際の認知症はこんなに甘いものではないという人もいるだろうが、そういうこととは全く違う次元で、見事な作品に仕上がっていると思う。

 

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*映画のチラシが見つからなかったので原作の文庫本の表紙を載せました。

 

◆「長いお別れ」
(2019年 日本)(上映時間2時間7分)
監督:中野量太
出演:蒼井優竹内結子松原智恵子山崎努北村有起哉中村倫也、杉田雷麟、蒲田優惟人
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/

「嵐電」

嵐電
テアトル新宿にて。2019年5月31日(金)午前11時40分より鑑賞(C-11)

~リアルとファンタジーを行き来しながら描く電車と3組の男女の恋愛模様

色々と忙しくて1週間ぶり以上の映画館。それがまたミニシアターというのが、いかにも……なのだが。

鉄道を素材にした映画はたくさんある。列車や駅は、それだけで画になるから魅力的な素材なのだろう。今回鑑賞した「嵐電」(2019年 日本)は、京都市四条大宮、嵐山、北野白梅町を結ぶ路面電車京福電鉄嵐山線嵐電=らんでん)を舞台にした作品だ。

同じく関西地区の鉄道を舞台にした映画といえば、「阪急電車 片道15分の奇跡」(2011年)あたりを思い浮かべるが、本作は実にユニークな作品になっている。もちろん電車や駅、さらには嵐山などの周辺のスポットの様々な表情が見られる映画なのだが、けっして単純な電車映画でも、観光映画でもないのである。

ドラマは3組の男女の恋愛模様を描く。鎌倉からやって来た作家の平岡衛星(井浦新)は、嵐電の線路のそばに部屋を借りて、嵐電にまつわる不思議な話について取材を始める。彼と妻・斗麻子(安部聡子)は、かつて一緒に京都を旅行したことがある。だが、現在の夫婦関係には何やらギクシャクしたものがあるようだ。

一方、電車を8ミリカメラで撮影する地元の少年・有村子午線(石田健太)は、修学旅行で青森から来た女子学生・北門南天(窪瀬環)に好意を寄せられる。子午線がいくら邪険に扱っても、南天はあきらめようとしない。

そして、太秦撮影所の近くにあるカフェで働く小倉嘉子(大西礼芳)は、撮影所に弁当を届けたことをきっかけに、東京から来た俳優・吉田譜雨(金井浩人)に京都弁の指導をすることになる。譜雨は嘉子を嵐山に誘うのだが……。

鈴木卓爾監督は役者としても活躍しており、最近では瀬々敬久監督の「菊とギロチン」で、韓英恵扮する女相撲の力士に入れあげる魚売りを好演していた。監督としては、「私は猫ストーカー」「ゲゲゲの女房」などの作品がある。

本作は、ありふれた日常を描きつつも、そこに留まらない自由なタッチが印象的な作品だ。現実と非現実、過去と現在の境界が曖昧な独特の世界が展開する。

例えば、平岡が鎌倉に残してきた斗麻子からの電話を受けていると、いきなり斗麻子がその部屋に出現する。どうやら、かつて2人で京都旅行した時の回想のようだが、現在と過去の間にまったく境界線はない。

あるいは、嘉子と譜雨が電車で隣り合って座っていると、次の瞬間、譜雨が目の前から消えてしまう。終盤近くでは、嘉子の肉体から心が離脱してしまうような場面まで登場するのである。そんなふうに全編に渡って、リアルとファンタジーの境目が曖昧な作品なのだ。

路面電車が舞台ということもあり、全体がノスタルジックで温かな空気感に包まれた映画だ。その一方で、恋愛絡みでドキッとさせられたり、ハッとするほど美しいシーン(駅頭でのラブシーンは絶品の美しさ)、そして悲しいシーンなどもある。

思わず笑ってしまうユーモラスなシーンもある。譜雨が出演するのは破天荒なゾンビ映画だし、そこにはなぜかウェイトレス役で嘉子が出演していたりもする。また、嵐電の不思議な話に絡んで登場する謎の電車には、キツネ女とタヌキ男が乗務している。物の怪の妖しさを漂わせると同時に、そこでなぜか夫婦漫才が繰り広げられ、思わず笑ってしまうのだ。

こうして詰め込まれた様々な要素にも、明確な境目はないように思われる。一見、雑多に並べられたようにも思えるのだが、そこから登場人物たちの心の機微がしっかりと伝わってくる。以前とは変わってしまった妻との関係に戸惑う平岡。ほとんどストーカーにも近い南天のアタックにどうしてよいかわからない子午線。

そして何よりも、嘉子の揺れ動く心が繊細に描かれる。明確には語られないのだが、彼女は家族に関して何かを抱えているらしい。そんな中、自分に自信がなくて他人との関係がうまく築けない彼女の前に、突然、不思議な魅力を持つ譜雨が現れる。彼の一挙手一投足に、嘉子の心は千々に乱れ変化する。その思いがヒシヒシと伝わってきて、こちらの心も一喜一憂させられるのである。

嘉子を演じた大西礼芳(あやか)は、前述の「菊とギロチン」でも女相撲の力士として存在感を見せていたが、今回は繊細な感情表現が光る素晴らしい演技だった。

かつての嵐電の風景などの映像も織り込みつつ、ドラマは終幕へと向かう。そこに登場するのは、ある種の後日談だ。3組の男女の恋愛模様に新たな変化がみられる。それがまた驚きの展開だったりするところも、いかにもこの映画らしい。そして、よくよく考えれば、この後日談もまた、現実のものとも非現実のものとも、いかようにも解釈できるように思われるのだ。

本作は、2016年より鈴木監督が准教授を務める京都造形芸術大学映画学科のプロジェクト“北白川派”により製作されたという。だからこそ、これほど自由でおおらかな映画ができたのかもしれない。

日常と非日常を絶妙のバランスで行き来しながら、人々の心の機微を描き出した味のある作品だ。他の作品にはない魅力がある。小品ながら一見の価値はあると思う。

 

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◆「嵐電
(2019年 日本)(上映時間1時間54分)
監督:鈴木卓爾
出演:井浦新大西礼芳、安部聡子、金井浩人、窪瀬環、石田健太、福本純里、水上竜士
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.randen-movie.com/