映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」

「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」
池袋シネマ・ロサにて。2020年1月13日(月)午後12時25分より鑑賞(CINEMA ROSA 2/E-10)。

~セレブ女性とダメ男、今のアメリカならではのラブ・コメ

セレブ男と身分不相応な女性とのラブ・コメとくれば、「プリティ・ウーマン」をはじめ数々の作品がある。一方、スター女優と本屋の店主の恋を描いた「ノッティングヒルの恋人」のように、男性が高嶺の花の女性に恋をするラブ・コメもある。

「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」(LONG SHOT)(2019年 アメリカ)は、後者に属するドラマといえる。ただし、女性はアメリカ大統領を狙う国務長官で、男性は失業中のジャーナリスト。これほど身分違いの恋はそうはないだろう。

いきなりネオナチの集会から映画が始まる。そこに潜入取材しているのが、ニューヨークのジャーナリストのフレッド・フラスキー(セス・ローゲン)だ。だが、あっさり身分がバレてしまう。必死で窓から飛び降りて脱出するフレッド。

まもなくフレッドは、勤務先の新聞社が高名なメディア王に買収されたことに立腹して、勢い余って退職してしまう。こうして彼は失業してしまう。

そんな中、親友で実業家のランス(オシェア・ジャクソンJr.)からパーティーへ連れ出されたフレッドは、そこで国務長官で次期大統領選への出馬も狙うシャーロット・フィールド(シャーリーズ・セロン)に出会う。実は、シャーロットは学生時代にフレッドのベビーシッターをしており(ベビーと言っても12~13歳だったようだが)、フレッドにとってシャーロットは初恋相手だった。

そんなこともあって、フレッドの書いた記事を評価したシャーロットは、フレッドにスピーチライターになるよう依頼する。戸惑いつつも、失業中の身ゆえ依頼を受けるフレッドだったが……。

というわけで、このシャーロットとフレディのラブロマンスを、たっぷりの笑いとともに描いたのが本作である。才色兼備のシャーロット、失業中で格好もダサダサ、性格もひねくれまくっているフレディ。現実に、こんなカップルはめったにいそうもないが、それはそれ。なかなかハジけた作品になっている。

この映画の大きな特徴は、現在のアメリカ社会を背景に取り込んでいるところ。無能な大統領はトランプを連想させるし、セクハラを平気で垂れ流すテレビ番組、メディアの買収劇なども、いかにも現実にありそうな話が続々と出てくる。

そして極めつけは、地球温暖化をめぐる話。シャーロットは国務長官として画期的な温暖化対策の協定をまとめ、世界をめぐって各国の同意を取り付ける。だが、右派メディア王と結託した大統領は、それを骨抜きにしようとする。これも現実を連想させる出来事。まさに、今のアメリカならではのラブ・コメなのだ。

終盤で、ランスが共和党員だったことをめぐって、フレッドとの間にいさかいが起こるあたりも、現在のアメリカの分断状況を示していると言えそうだ。

とはいえ、基本は王道のラブ・コメである。世界を旅するシャーロット、それに同行してスピーチを書くフレッド。対照的な2人ゆえに何度かぶつかり合いながらも、2人は次第に距離を縮めていく。その途中では、突然外国の反政府勢力の攻撃を受けたりするハプニングもある。

笑いはかなりシニカルだ。なにせフレッドがひねくれものだけに、皮肉だらけの笑いが炸裂する。無能な大統領に加え、強引なメディア王、笑顔が気持ち悪いカナダ首相など脇役も個性派ぞろいで、そこから生まれる笑いもある。

そして、下ネタも満載だ。シャーロットがSM趣味を露呈するなど、あけすけなセックスネタをはじめ、お下劣な笑いがたくさん詰まっている。とはいえ、それほど嫌な感じがしないのは、シャーロット役のシャーリーズ・セロンの演技ゆえだろうか。

それにしても、この人、「モンスター」「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「アトミック・ブロンド」「タリーと私の秘密の時間」など作品ごとにまったく違う姿を見せてくれる。今回は特にビシッと決めたスーツ姿が実にカッコいい。その一方で、いきなりドラッグを買うためにストリート・ファッションに身を包んで街に出るシーンなどもある。「タリーと私の秘密の時間」の疲れた主婦と、同一人物が演じているとは思えないほどである。本当にすごい女優だと改めて実感させられた。

一方、フレッドを演じたセス・ローガンはコメディアン出身。「40歳の童貞男」で映画デビューを飾って以来、コメディーを中心に様々な映画、テレビドラマなどで俳優、脚本家、監督として活躍している。コメディーはお手のものだけに、今回も生き生きと演じている。

そのローガンと「50/50 フィフティ・フィフティ」「ナイト・ビフォア 俺たちのメリーハングオーバー」でタッグを組んでいるジョナサン・レヴィン監督が、本作の監督を担当している。

この手のラブ・コメは、恋の行く手に大きなハードルが立ちふさがる。本作にも当然そうした展開が用意されている。その果てに、クライマックスでシャーロットがぶつ演説が素晴らしい。まるで本物の政治家のよう。堂々たる、そして感動的なスピーチである。これこそスピーチライターではなく、彼女自身の心の叫びが込められた演説だ。

最後に用意された後日談も、ユーモラスで後味が良い。何よりも、いまだに実現していない女性のアメリカ大統領を意識した設定が印象深い。下ネタと皮肉満載のラブ・コメだが、ここには確実にアメリカの今がある。

◆「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」(LONG SHOT)
(2019年 アメリカ)(上映時間2時間5分)
監督:ジョナサン・レヴィン
出演:シャーリーズ・セロンセス・ローゲン、オシェア・ジャクソン・Jr、アンディ・サーキス、ジューン・ダイアン・ラファエル、ラヴィ・パテル、ボブ・オデンカークアレキサンダー・スカルスガルド
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://longshot-movie.jp/

「パラサイト 半地下の家族」

「パラサイト 半地下の家族」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2020年1月10日(金)午前11時30分より鑑賞(スクリーン7/D-7)

~お金持ちに寄生する貧困家族。格差社会を照射した飛び切り面白くて怖いポン・ジュノ作品

韓国のポン・ジュノ監督は、最も好きな映画監督の一人だ。長編デビュー作「ほえる犬は噛まない」以来、「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「母なる証明」「スノーピアサー」など、ほとんどの作品を観てきた(Netfli配信で日本で劇場公開されなかった「オクジャ」は未見ですが)。

そのポン監督が、第72回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を獲得したのが、「パラサイト 半地下の家族」(PARASITE)(2019年 韓国)である。

ポン監督は、ダメ人間の乾坤一擲の反転攻勢を何度も描いてきた。今回もまた社会の底辺にいるダメ人間の反転攻勢を描いているのだが、格差の拡大が顕著な現在の社会だけに、なおさらリアルで痛切にそのテーマが胸に響いてくる。

とはいえ、過去の作品同様に小難しさは全くなし。笑いがたっぷりのエンタメ映画として観客を楽しませるのが、ポン監督の真骨頂だ。

ちなみにこの映画、ネタバレ厳禁。何の予備知識もなしに見た方が良いという声も多いようだ。以下のレビューではネタバレはしないように気をつけるが、最低限のあらすじや内容には触れるので、そのあたりはご注意を。

冒頭に描かれるのは、半地下の部屋の窓から見える風景。窓には洗濯物の靴下がぶら下がり、外の猥雑な街の片隅では酔っ払いが立小便をしようとする。そして、家の中を見ればいかにも格差社会の底辺を象徴するような部屋。

そこに住むキム一家は、父ギテク(ソン・ガンホ)とその妻チュンスク(チャン・ヘジン)、大学受験に失敗続きの息子ギウ(チェ・ウシク)、美大を目指す娘ギジョン(パク・ソダム)の4人家族。全員定職もなく、宅配ピザの箱折の内職でその日暮らしをしていた。ギウとギジョンはWi-Fiが入らなくなったと大騒ぎ。要するに有料のWi-Fiを使う余裕がないため、タダ乗りしているのだ。2人は家じゅう電波を求めて、ようやくどこかの店のWi-Fiをキャッチする。

まもなく窓の外では何かの消毒が始まる。「窓を閉めようか」という子供たちに対して、父のギテクは言う。「ついでに消毒してもらえ。最近便所コオロギがたくさん出没するから」。間もなく部屋は煙だらけになり、家族は大いに慌てる。

この冒頭の数分間を観ただけで、キム一家がどんな境遇にあるのかが一目瞭然だ。彼らの貧困生活が臭い立ってくる。実際、劇中ではお金持ちの社長一家が、キム一家の臭いを気にする場面が何度か出てくる。このあたりは、さすがポン監督らしい見事な描写である。

まもなく長男のギウは、留学する大学生の友人に頼まれて、彼の後任として身分を偽って、お金持ちのIT社長のパク・ドンイク一家の娘の英語の家庭教師を引き受ける。なにせギウときたら、4回も大学受験に失敗している受験のベテランだ。おまけに詐欺師のように口がうまく、たちまち一家に取り入る。

ギウは、社長一家の幼い長男も美術の家庭教師を探していると知り、今度は妹のギジョンを紹介する。もちろん身分を偽り、2人が家族であることは隠していた。ギジョンもまた詐欺師の天賦の才能があるのか、瞬く間に社長一家の信頼を得てしまう。

だが、それだけではない。ギジョンはある策略を巡らせて、一家の運転手を追い出すと、今度は父のギテクを後釜の運転手に据える。続いて、家政婦にも謀略を仕掛けて追い出しに成功すると、母のチュンスクを後釜に据える。

こうして貧困家族が、超お金持ちの家に侵入するわけだ。この手の侵入ネタ自体は珍しくないが、その手口が実に面白い。ポン監督の作品らしくブラックな笑いが満載。運転手や家政婦の追い落とし作戦など、ひたすらおかしくて無条件に笑わせられる。

この手の侵入ものは、侵入の手口に加え、「いつかバレるのでは?」というハラハラ感も大きな魅力だ。この映画にも当然それがある。社長一家が息子のキャンプのために総出で外出したことから、事態は予想外の方向に転がりだす。

ここまでも十分にネタバレ気味なので、これ以上は何が起きるかは書かないが、中盤以降はとにかく予想もしないことの連続だ。「よくもこんなことを思いつく」と呆気にとられるばかり。サスペンスフルでユーモラス。ほとんどサイコホラーのような場面まである。

とはいえ、荒唐無稽な感じはしない。それはやはり格差社会というテーマが、そこに明確に刻まれているからだろう。

半地下のキム一家の家と、高台の社長一家の家。その格差の象徴として使われる坂道が効果的だ。先ほど述べた臭いもまたしかり。階段も象徴的に使われる。そして激しく降る雨が、両者の間にある抜き差しならない差異を際立たせる。雨は、高台から貧しい人々の住む街へと流れ込んでいく。

たいていの映画では、お金持ちはワルとして描かれがちだが、本作はそういうわけではない。社長一家に特に悪意はない。しかし、それでも彼らの言動はキム一家を傷つける。それが終盤のハイスピードの怒涛の展開へとつながっていく。そこに半地下ならぬ完地下が絡む構成にも度肝を抜かれた。

含蓄のある後日談も含めて、この映画は何を語っているのか。感じ方は人それぞれだろう。貧困者にも希望はあるのか。あるいはさらにどん底へと突き落とされるのか。様々なことを想起させる作品である。

この映画、舞台となるのはほぼ2つの家庭のみ。にもかかわらず全くダレるところがないし、観ていて飽きない。ポン監督の過去作と同様テンポが抜群にいいし、映像的にもインパクト充分でキレまくっている。観終わった後でも、全てのショットが頭にこびりついている。

そして名優ソン・ガンホはじめ役者たちの演技が素晴らしい。キム一家の人々はもちろん、IT社長パク・ドンイク一家の人々、そして家政婦夫妻の夢に出てきそうなほどの怪演も見逃せない。

ここまで格差社会を視覚的に見せることに成功した映画はそうはないだろう。その点では社会性たっぷりの映画なのだが、それ以前に単純にエンターティメントとして面白い作品だ。笑えて、ハラハラドキドキして、そのパワーに圧倒される。文句なしに素晴らしい映画である。やっぱりポン・ジュノ監督は凄い!

 

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◆「パラサイト 半地下の家族」(PARASITE)
(2019年 韓国)(上映時間2時間12分)
監督・脚本:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム、イ・ジョンウン、チョン・ジソ、チョン・ヒョンジュン、チャン・ヘジン、パク・ソジュン
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.parasite-mv.jp/

「エクストリーム・ジョブ」

「エクストリーム・ジョブ」
グランドシネマサンシャインにて。2020年1月5日(日)午後12時55分より鑑賞(シアター9/d-9)。

~麻薬捜査班がチキン屋に転身!? 無条件に楽しいエンタメ映画で初笑い大成功

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

さて、新年に何の映画を観るべきか。悩みに悩んで出した結論は「エクストリーム・ジョブ」(EXTREME JOB)(2019年 韓国)。いや、本当はたまたま上映時間と場所の都合が良かっただけなのだが。

加えて、いつもは重たい人間ドラマなど心を揺さぶられる映画が好きなだけに、新年ぐらいは何も考えなくても楽しめそうな映画も良いかなと思った次第。そして、その期待に見事に応えてくれたのだ。この映画、おバカです。笑えます。アクションも満載です。

班長(リュ・スンリョン)率いる警察の麻薬捜査班がドラマの主役。冒頭で早くも彼らは犯人摘発に乗り出す。ところが、窓から侵入しようとして宙づりになり、逃走した犯人を追走するものの自分たちでは捕まえられず、バスのおかげ(?)でようやく逮捕に成功する始末。要するに、この人たちはダメダメなのだ。日夜駆けずり回るものの、まったく実績をあげられず、麻薬捜査班は解体の危機に直面するのである。

そんな中、コ班長は出世争いで先を越されたライバルから、麻薬を密輸する国際犯罪組織に関する情報を得る。名誉挽回をもくろむコ班長は、チャン刑事(イ・ハニ)、マ刑事(チン・ソンギュ)、ヨンホ(イ・ドンフィ)、ジェフン(コンミョン)の4人のチーム員とともに張り込み捜査を開始する。

さて、その張り込み先が問題だ。それはフライドチキンを売るチキン屋。ちょうどその店は犯罪組織のアジトの前にあり、アジトから配達の注文も受けていた。これ以上張り込みに都合の良い場所はない。だが、なんとその店は営業不振で閉店を決めたという。困ったコ班長たちは、最終的にその店を買い取ることにする。しかも、不審に思われないために偽装営業まで始めるのだ。

ところがである。ただの偽装営業のはずだったのに、絶対味覚を持つマ刑事の思わぬ才能が発揮される。ひょんなことから、「ソース味のチキンを」という客の注文にカルビソースを出したところ、これが大受け。チキン屋は大繁盛してしまうのだ。

というわけで、このあまりにもユニークで奇天烈な設定だけで笑えてしまう映画である。どちらが本職かわからなくなり、まるで本物のチキン屋のごとく、料理や接客に精を出す警官たちを見ているだけで、自然に笑えてしまう。個性的な5人の警官のキャラを活かした笑いも満載で、最初から最後まで笑いが絶えない。それもマニアックな笑いではなく王道の笑いが中心だから、誰でも文句なしに笑えるはずだ。

こうしてメンバーは店の切り盛りに追われ、捜査どころではなくなってしまう。そのためせっかく敵のボスの姿を見つけたのに、店で忙しいメンバーはまったく気づかずに、車で張り込む刑事が一人で敵を追跡するハメになる。やれやれ。何をやってるんだ? この人たちときたら。

さすがに「これはまずい」と、中盤では店に客が来ないようにと努力するメンバーたち。だが、値上げをすれば高級チキンと評判を取るなど、何をやっても裏目に出てしまう。そのあたりのすったもんだも実に楽しいところ。

本作のイ・ビョンホン監督(といっても、あの俳優のイ・ビョンホンとは別人)は、「サニー 永遠の仲間たち」の脚本を手がけている。あちらはコメディー仕立てとはいえ、きちんとした人間ドラマを展開していたが、今回は下手な人間ドラマなど描かずに徹底して笑いを追求している。その潔さが心地よい。

わずかにコ班長と妻子との微妙な関係を通して、家庭より仕事を優先する男の人生の悲哀を感じさせたりはするのだが、それもあまり深入りせずに笑いにまぶして描く。映像もケレンたっぷりで、全体のテンポもメリハリがある。

後半は、犯罪組織の2人のボスの麻薬取引をめぐる争いに、麻薬捜査班のチキン屋の全国チェーン展開の話などが絡み、事態は思わぬ方向に進む。そして、やがて麻薬捜査班は本業に戻って敵との最終決戦に挑む。

全編に渡って随所にアクションが盛り込まれている本作だが、特に終盤は迫力のアクションが怒涛の如く押し寄せる。5人の警官たちそれぞれの過去を明かして、それを生かしたバトルを展開するのも面白い。さらに、ボスの側近のサイボーグのような女など、脇役キャラも効果的に使われる。とはいえ、そこも真面目一辺倒ではなく、あちらこちらに笑いが散りばめられている。

というわけで無条件に楽しいエンタメ映画の快作だ。当然ながらリアルさなど皆無だが、そんなことはどうでもよい。韓国で歴代興行成績No.1に輝いたというのも納得。よくぞ新年に日本公開してくれたものだ。おかげで初笑い大成功である。

 

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◆「エクストリーム・ジョブ」(EXTREME JOB)
(2019年 韓国)(上映時間1時間51分)
監督:イ・ビョンホン
出演:リュ・スンリョン、イ・ハニ、チン・ソンギュ、イ・ドンフィ、コンミョン、シン・ハギュン、オ・ジョンセ
*シネマート新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://klockworx-asia.com/extremejob/

 

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
丸の内TOEIにて。2019年12月29日(日)午前11時20分より鑑賞(スクリーン2/C-13)

*初回鑑賞~池袋HUMAXシネマズにて。2019年12月21日(土)午前10時50分より鑑賞(シネマ1/B-25)。

~戦時下の日常を丹念に描いた感動の名作が不滅の完全版に

2016年公開の「この世界の片隅に」は、こうの史代の同名漫画のアニメ映画化。公開後、幅広い世代に支持されて異例のロングランヒットを記録し、国内外で高い評価を得た。個人的には、文句なしにこの年のナンバー1映画だと断言できる。

その名作アニメの長尺版が、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年 日本)である。通常の長尺版、あるいはディレクターズ・カット版は、公開時にカットされていたパートを復活させるケースが多いのだが、本作は違う。30分以上の新たなシーンを追加しているのだ。

しかもタイトルも同じではない。わざわざ「(さらにいくつもの)」という言葉を付加している。前作をベースにしつつも、また新たな世界を構築したいという作り手の意図が表れたものなのだろう。

ストーリーの骨格は当然ながら前作と同じだ。広島で暮らす、いつもボーっとしている18歳の女の子、すず(のん)が、よく知らない周作(細谷佳正)という男性に見初められて、呉に嫁いでくる。そこで戸惑いつつ新たな生活を始めるすずだったが、戦況は次第に悪化し配給物資も満足に得られなくなる。それでも、すずは様々な工夫を凝らして北條家の暮らしを懸命に守っていく。

今回、新たに加えられたシーンは様々だが、主に描かれるのはすずと遊郭の女性リン(岩井七世)との交流である。前作でも、道に迷って遊郭に入り込んだすずがリンに助けられて、得意の絵を描いて彼女を喜ばせるエピソードが登場していた。だが、原作の漫画を読んだ人はわかると思うが、2人にはもっと複雑な因縁があったのだ。そこを今回はきっちりと描いている。

それはすずにとって、女性としての苦悩と葛藤を抱え込む出来事だった。その過程では、前作にはなかったベッドシーンも登場する(ベッドじゃないけど)。すずの心は大いに揺れ動く。

男女の関係性や心の機微を前面に押し出したシーンだけに、本作を反戦映画的な視点から見る人にとっては、このシーンは余計なものかもしれない。だが、個人的にはそうは思わなかった。このエピソードが付加されることにより、すずの人物像により厚みが出て、ドラマ自体にもさらなる深みが出たと感じる。

本作は単純な反戦映画ではない。すずや周囲の人々の戦時下での日常を生き生きと描き出す。そこには苦しみや悲しみだけでなく、喜びや楽しさもある。それらを丹念に描き出すことで、観客は自然に「戦争」というものについて思いを馳せることになる。そこが本作の最大の魅力ではないか。すずの人物像を膨らませた今作は、前作のそうした魅力をもさらに増幅させていると感じるのである。

すずとリンとの交流では、すずが自身の妊娠騒動について語る場面がある。それを通して出産が女性の義務であった当時の社会状況があぶりだされる。また、今作では、すずとリンとのエピソードに加え、同じく遊郭の女性テル(花澤香菜)とすずとのつかの間の交流も描かれる。瑞々しくも切なく悲しい場面である。それらを通して、貧困問題や女性が身売りされる悲しい時代もクローズアップされる。そういう点からも、本作は社会性が薄まるどころか、ますます強まった作品だと思う。

それ以外にも、本作には各所に新たなシーンが付加されている。それらが従来のシーンと違和感なく溶け込んでいるのに驚かされる。しかも、新たなシーンによって前作に新たな意味が加わる。例えば、冒頭近くですずたちが遊びに行った親戚の家に登場する「座敷童」の存在だ。そこには深いドラマが隠されていた。劇中で印象的に使われる口紅が誰のものなのかも明らかにされる。

後半に進むにつれて空襲が激しくなり、すずたちの生活はさらに過酷になる。そしてやがて悲劇が起きる。そこでは、すずや周囲の人々の傷心が手に取るように伝わってきて、胸が張り裂けそうになる。そうしたことを体験したすずの終戦時の悲痛な叫びも心を撃つ。

だが、ラストは温かい。悲劇の果てのある出会いが、エンディングとエンドロールのイラストで巧みに描かれる。このあたりの素晴らしさは前作同様。何度観ても涙が止まらない。

こうして名作は不滅の完全版となった。すずたちは、これからも観客一人ひとりの心の中で生き続けるだろう。前作を観た人もそうでない人もぜひ鑑賞して欲しい。歴史に残る傑作なのだから。

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さて、前作を観た時に悔しかったのがエンドロールに登場するおびただしい人名。前作はクラウドファンディングで作られたため、その協力者たちの名が記されていたのだ。「こんな名作に名を残せるなんてうらやましい!」と思っていたところに、今回の長尺版製作の話。今回も「応援チーム」という形で一般から資金を募ると聞き、さっそく協力した。

一度目に観た池袋HUMAXシネマズでの舞台挨拶付き上映の時には確認できなかったのだが、2回目の鑑賞ではちゃんと確認できました。パンフレットにも名前が載っています。素直にうれしいです!!!

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◆「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
(2019年 日本)(上映時間2時間48分)
監督:片渕須直
声の出演:のん、細谷佳正稲葉菜月尾身美詞小野大輔潘めぐみ岩井七世牛山茂新谷真弓花澤香菜小山剛志津田真澄京田尚子佐々木望塩田朋子、瀬田ひろ美、たちばなことね世弥きくよ
テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://ikutsumono-katasumini.jp/

「テッド・バンディ」

「テッド・バンディ」
渋谷HUMAXシネマにて。2019年12月28日(土)午後11時50分より鑑賞(D-8)。

~実在した稀代のシリアルキラーを揺れ動く恋人目線で描く

東京・渋谷にある渋谷HUMAXシネマという映画館に初めて足を踏み入れた。系列の池袋HUMAXシネマズが複数のスクリーンを持つシネコンであるため、渋谷もそうだとばかり思いこんでいたのだが、実際は単館系映画館だった。何やら宇宙船内を思わせる円形のユニークな形状のロビーにはカフェも併設されている。そこから階段をちょっと上がってスクリーンに向かうのだが、なかなか味わいがあって良い映画館だ。もっと早く行けばよかった。

そこで今回鑑賞したのは「テッド・バンディ」(EXTREMELY WICKED, SHOCKINGLY EVIL AND VILE)(2019年 アメリカ)。30人以上の女性を惨殺した実在の殺人鬼を描いた実録犯罪ドラマである。

1969年、ワシントン州シアトル。シングルマザーのリズ(リリー・コリンズ)はバーで出会ったハンサムな男性テッド・バンディ(ザック・エフロン)と恋に落ちる。やがてリズの幼い娘モリーと3人で幸せな家庭を築いていく。

て、そんなお手軽な展開があるのか!? と思うかもしれないが、観ていると納得してしまうのである。なにせこのバンディという男、「こりゃー、女の人が夢中になるのも当然だわ」という人物なのだ。ブルーの瞳、誰の心も開かせる魅力的な表情、巧みな話術など、好感度ランキング上位確実の男なのである。

それを演じるのは製作総指揮も兼ねるザック・エフロン。これまでは普通の二枚目というイメージがあったのだが、今回はまた違った雰囲気を漂わせている。「本物のバンディもこんなだったのでは?」と思わせられるほど、魅力と狂気を併せ持つ役柄を巧みに演じていた。本作は、彼にとって大きなターニングポイントになる作品かもしれない。

その後、1974年になって、若い女性の行方不明事件が多発していることが新聞で報じられる。そして、ある時、信号無視で警官に止められたバンディは、誘拐未遂事件の容疑で逮捕されてしまう。その前年にも女性の誘拐事件が起きており、目撃された犯人らしき男の車はバンディの愛車と同じフォルクスワーゲンで、新聞に公表された似顔絵はバンディの顔によく似ていた。こうして捕まったバンディは裁判にかけられることになる。

本作の大きな特徴は、おぞましいシリアルキラーのドラマにもかかわらず、犯行シーンをほとんど描かないこと。せいぜい女性に接近するあたりで寸止めする。

それがどういう効果を発揮しているかといえば、観客を疑心暗鬼にさせるのである。バンディは徹頭徹尾無罪を主張する。それに対して、「もしかしたらコイツの言っていることは本当かも」と思わせてしまう。とはいえ、実際の彼は疑いようのないシリアルキラーだ。それゆえ観客は常に不安定な状態に置かれてしまう。

同時に、それはリズの視点でもある。彼女は愛ゆえにバンディの無実を信じている。だが、その一方で「もしかしたら」という疑念が拭えない。やがて職場の同僚男性と親しくなったこともあり、バンディを拒絶するようになる。それでも裁判での彼を見れば、やっぱり心は揺れる。というわけで、彼女もまた不安定極まりない心理状態に置かれてしまうのである。こうして観客とリズの心理がシンクロするところが、本作の面白さの一つだと思う。

そして、もちろんバンディという規格外のキャラも浮き彫りにする。彼は捕まった後、二度も脱走を試みて成功させている。また、かつて法学部の学生だったこともあって弁護士の言うことを聞かず、自己の主張を貫く。そして、ついに自ら主任弁護人となって、派手なパフォーマンスで自己弁護を行う。その模様は全米にテレビ中継され、多くの女性ファンが彼に魅了される。

リズに拒絶されたバンディは、終盤になって元恋人のキャロル(カヤ・スコデラーリオ)とヨリを戻す。彼女は裁判中のバンディを必死に支える。これまたバンディという男の特質を表すエピソードである。彼女もバンディの妖しい魅力にハマった女性だったのだ。

後半のハイライトであるカリフォルニアでの裁判で、判事(ジョン・マルコヴィッチが存在感バツグン)は告げる。「極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣」。本作の宣伝コピーにもなっているが(チラシやポスターにタイトルより大きく書かれている)、この言葉がまさにバンディを言い表している。

ラストに描かれた後日談が印象深い。それはリズがバンディに面会するシーン。冒頭にもチラリと出てきたが、痛切で迫力に満ちたシーンだ。バンディに真実の告白を迫るリズ。その時バンディの胸に去来したものは何だったのか。

ちなみに、リズを演じたリリー・コリンズは、あの人気ミュージシャンの(と言ってもすでに引退したけど)フィル・コリンズのお嬢さん。2015年公開の「ハッピーエンドが書けるまで」で観た時は、まだ可愛らしい女の子だったけど、すっかり大人の女優になったものである。揺れ動くリズの心理を繊細な演技で見せていた。

本作の監督のジョー・バーリンジャーは、バンディの時代とその人物像に迫ったNetflix のドキュメンタリー「殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合」を監督している。いわばバンディを知り尽くしているわけで、それゆえ当時の記録映像なども織り交ぜた本作の描写には説得力がある。劇中のバンディの言動にはやや唐突なところもあるのだが、それも本物の記録映像を使ったエンディングできっちりと落とし前を着けている。

稀代のシリアルキラーの実像を恋人目線で描き、その心理を観客にも体験してもらうという面白い構成の映画だ。それを通して人間の複雑さや闇も浮き彫りになる。バンディのような人物が今また現れたなら、同じようなことが起きないとも限らない。そう強く思わされたのである。

 

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◆「テッド・バンディ」(EXTREMELY WICKED, SHOCKINGLY EVIL AND VILE)
(2019年 アメリカ)(上映時間1時間49分)
監督:ジョー・バーリンジャー
出演:ザック・エフロン、リリー・コリンズ、カヤ・スコデラーリオ、ジェフリー・ドノヴァン、アンジェラ・サラフィアン、ディラン・ベイカー、ブライアン・ジェラティ、ジム・パーソンズジョン・マルコヴィッチ
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://www.phantom-film.com/tedbundy/

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」舞台挨拶付き上映

先週土曜の21日に、池袋HUMAXシネマズで「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を鑑賞した。

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そう。あの、大ヒットアニメ「この世界の片隅に」の長尺版である。前作に40分弱の新たなパートが加わっている。その中心となるのは、前作でもチラリと出てきた遊郭の女性りんと、主人公すず、その夫の周作との関係だ。原作の漫画ではそのあたりがきちんと描かれていたのだが、片渕須直監督は前作では、時間の関係などもあってあまりそこに深入りできなかったらしい。

今回、それがようやく実現した。さらに、遊郭のもう一人の女の子も登場して、すずと心を通わせる。そのおかげで、すずの人物像により深みが出て、ドラマの陰影もさらにクッキリとしたと思う。単なる長尺版と違い、前作とは異なる色合いを持った映画といってもいいだろう。

前作の魅力は戦時中の庶民の日常生活を生き生きと描き、それを通して戦争をはじめ様々なテーマ性を、ごく自然に観客に届けたところにあると思う。強いメッセージ性を持っていたり、反戦を声高に叫ぶ映画ではないからこそ、じわりじわりと観客に様々な思考を促す作品だったのである。

今作はそれがさらに強まったと思う。にもかかわらず、「反戦の思いが薄まった」というようなことを口にする人がいる。実は、朝日新聞にも似たような記事が掲載された。だから言ってるでしょうが。前作も今作も単純な反戦映画じゃないのヨ。すずさんという主人公をはじめ、戦時下を様々な思いと共に生きた人々をリアルに描き出した人間ドラマ。だからこそ、戦争に対する様々な思いが観客の中で渦巻くようになるわけだ。

しかも今回は遊郭の女性たちを描いたことで、貧困であったり、女性差別であったり、そうしたことにも自然に思いが向くのではないか。そういう点で、前作以上に社会に対して眼差しを向けさせる作品になっていると思うのである。

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ちなみに、前作を観た時に悔しかったのは、エンドロールのクラウドファンディングの協力者たちの名前。「ああ、あの中に自分の名前があったら」と残念至極だったのだが、今回、その思いが解消しました! 最後に映る応援チームのおびただしい数の名前の中に、オレの名前もあるのだ。やったぜ! あ、名前さらしちゃった。まあ、いいか。

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実は、21日に足を運んだのは舞台挨拶付き上映。ということで、片渕監督に加え、主演ののん、尾身美詞潘めぐみ新谷真弓牛山茂が登場。前から2列目ということで、至近距離でのんを目撃したのですが、きれいだし舞台映えしますねぇ(こちらは撮禁なので写真ナシですが)。

なお、また改めて鑑賞する予定なので、詳しいレビューはその時にでも。

 

「家族を想うとき」

「家族を想うとき」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2019年12月18日(水)午後6時50分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~宅配便ドライバー家族を通して巨匠ケン・ローチの社会に対する強烈な問題提起が炸裂!

麦の穂をゆらす風」「わたしは、ダニエル・ブレイク」で二度に渡ってカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞するなど、イギリスの名匠として知られるケン・ローチ監督。過去作でも様々な社会問題を取り上げてきたが、今回はワーキングプアの実態をリアルに描き出している。

冒頭、面接の音声が流れる。主人公のリッキー(クリス・ヒッチェン)が、フランチャイズの宅配ドライバーになるための面接を受けているのだ。そして見事に合格。今まで様々な仕事をしてきたが、マイホームを手に入れるために、個人事業主として独立を決意したリッキーは意気揚々と新たな進路に踏み出す。

彼は介護福祉士の妻アビー(デビー・ハニーウッド)と16歳の息子セブ(リス・ストーン)、12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)と暮らしていた。アビーは車で介護の利用者宅を回って仕事をしていたが、リッキーはトラックを自前で用意する必要があるため、彼女を説得して車を売る。

ところがこれがつまずきの始まり。バス通勤を余儀なくされたアビーはますます多忙になる。元々利用者思いで、時間外まで仕事をしていた彼女は、家にいられる時間がさらに削られていく。

一方、宅配便ドライバーとなったリッキーはどうなのか。これがとんでもない実態なのだ。個人事業主とは名ばかりで、出来高払いのため過酷なノルマをこなす日々。時間に追われ端末に管理され、非情なボスがすべてを仕切る。休んだりトラブったら、そのまま自分に跳ね返る。

冒頭近くで同僚ドライバーが、リッキーにペットボトルを渡して「尿瓶だ」というシーンがある。リッキーは冗談だと取り合わないが、実はそれは本当だった。彼らにはトイレに行く時間さえないのである。

ある意味、これは時間のドラマといえるかもしれない。有限な時間をどう使うのか。本当ならそれは自分が決めること。だが、ワーキングプアのリッキーやアビーにはそれが許されない。有限な時間が仕事だけに絡めとられていく。

その影響をもろに受けるのが家庭生活だ。リッキーもアビーもこんな状態だから、セブもライザ・ジェーンにも変化が起きる。特にもともと学校をサボりがちで、ストリートアート(落書きネ)に興じるセブは、ますます道をそれていく。その後始末で仕事を休んだリッキーは、家族に当たりちらし、セブはますます反抗する。こうして、家庭はどんどん崩壊していくのである。

それにしても、経済合理性だけを追求して、フランチャイズと称して安いドライバーをこき使い、使い捨てにする宅配会社の悪辣さよ。悪辣なのはアビーが働く会社も同じだ。自分の親のように優しく、温かく利用者に接するアビーに対して、会社はこちらも経済合理性のみを追求する。

ケン・ローチ監督はそんな企業や、そこで働く人々を非難しているわけではない。彼らもまた仕方なくそうしているのだ。彼らをそうさせているこの社会の在りように対して、「なんか変じゃねえ?」「こんなんでいいのか?」と異議申し立てをしているのである。

終盤、事態はますますヒドイことになる。セブほどには変化がないように見えたライザ・ジェーンも、実はとんでもないことをしていたことがわかる。そして、リッキー自身にも悲惨な運命が待っている。こうして、どんどん転落していく彼らを見ていると、「これはある種のホラー映画かも……」とまで思ってしまったのだ。

多少の希望が見えかけたドラマだが、結局エンディングは救いがない。観ていて悲痛なほどの展開だ。これまたホラー的。悪い方向に進むとわかっていても、リッキーには選択肢がないのだろう。それほどワーキングプアが置かれた状況が過酷であることを示している。

過去のケン・ローチの映画の多くは、何らかの救いがあったと思うが、本作にはほとんどそれがない。それだけ彼の危機感が強いのだろう。「わたしは、ダニエル・ブレイク」で一度は引退宣言しながら今回復帰したのも、その危機感によるものに違いない。「こんな世の中に誰がした! これでいいのかみんな?」。そんな声が聞こえてきそうである。

もちろんそれはイギリスだけのことではない。世界で、そして日本でも、こうしたワーキングプアの問題は深刻だ。それだけになおさらグイグイと胸をえぐる映画なのである。

主要キャストはオーディションを中心に選ばれたという。リッキー役のクリス・ヒッチェンは、配管工として働いたのち40歳を過ぎてから俳優の道へ進んだという。アビー役のデビー・ハニーウッドもTVシリーズで小さな役を務めたのみで、映画は初出演。その分、足が地に着いた演技でリアルな本作を支えていると思う。

というわけで素晴らしい巨匠の力作なのだが、1つだけ文句を言うなら邦題。これは他の人も指摘しているが、原題は「SORRY WE MISSED YOU」。宅配の不在連絡票の言葉であり、家族の不在も示唆するタイトルだと思われる。この含蓄のある原題に比べて、「家族を想うとき」というのはねぇ。何か他に思いつかなかったのだろうか。

 

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◆「家族を想うとき」(SORRY WE MISSED YOU)
(2019年 イギリス・フランス・ベルギー)(上映時間1時間40分)
監督:ケン・ローチ
出演:クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター、ロス・ブリュースター
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://longride.jp/kazoku/