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映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「64 ロクヨン 前編」

「64 ロクヨン 前編」
@ユナイテッド・シネマとしまえんにて。5月7日(土)午後1時30分より鑑賞。

だいぶ前だが、瀬々敬久監督と酒席をともにしたことがある。そこでオレが何気なく、「近いうちにずっと会っていなかった昔の女友達と会うんです」と言ったら、瀬々監督は「で、その女とは寝るんですか?」といきなり聞いてくるではないか。

そんなこと露ほども思いつかなかったオレは、面食らった。なるほど、かつてピンク映画四天王と呼ばれ、一般映画に移っても奇才ぶりを発揮する映画監督は、そういうところを直撃するわけか。そこが最も気になるわけなのね。

オレなんぞ昔のトレンディードラマばりに、つい表面的なことばっかり書いてしまうのだが、もっとドロドロした人間心理みたいなものを突き詰めないと、一流の表現者にはなれないのかも・・・と柄にもなく思ったりしたわけだ。

それから数年後、瀬々監督は『ヘヴンズ ストーリー』を完成させた。実に4時間半を超える長尺で、殺人事件被害者の心理をリアルに描き切った傑作だ。これを観てオレは、あらためて瀬々監督の凄さを思い知ったのである。

こうして自主企画の映画を製作する一方で、瀬々監督は『感染列島』『アントキノイノチ』などのメジャー作品もコンスタントに撮り続けている。メジャーという制約ゆえか、まあ、正直なところ作品によっては物足りないところもけっこうあったりするわけだが、それなりのレベルに仕上げているところはさすがである。特に人間ドラマをしっかり描こうとする意図は、常に明確だ。

そんなメジャー作品の最新作が公開された。2013年「このミステリーがすごい!」第1位を獲得するなど知名度の高い横山秀夫の警察小説「64(ロクヨン)」の映画化。前後編2部作の第1部である。

冒頭に描かれるのは少女誘拐殺人事件。天皇崩御によってわずか7日間で終わった昭和64年、少女が誘拐殺害され、身代金が奪われる。

続いて14年後の平成14年。「ロクヨン」と呼ばれるようになったかつての事件は未解決で、時効が1年後に迫る。当時刑事として捜査に関わった主人公の三上は、今は警務部の広報官。私生活では娘が行方不明というトラブルを抱える。

そんな中、警察庁長官がロクヨンの捜査陣の激励のため視察に来ることになり、三上は被害者の父親との面会を調整するよう命じられるが難航する。さらに、ある引き逃げ事件の匿名報道に記者クラブが反発し、長官視察の取材をボイコットする。

原作はミステリーだが、人間ドラマにかなりの力点を置いている。瀬々監督はそれをさらに加速させた。警察内部の対立、広報VS記者クラブのバトル、未解決事件ロクヨンにまつわる奇妙な謎、私生活でのトラブルなどを背景に、主人公・三上の苦悩と葛藤、刑事として人間としての矜持を力強く、そしてスリリングに描く。しかも、彼の肩には常に「昭和64年」がのしかかっている。その影もクッキリと見せる。さすがに瀬々監督である。前後編あわせて4時間という長尺も、『ヘヴンズ ストーリー』を監督した経験から言って苦にならないだろう。

さて、問題は三上を演じる佐藤浩市だ。今や日本映画になくてはならない存在だが、この人が登場する作品は良くも悪くも“佐藤浩市色”に染まってしまう。特に原作モノでは、原作の人物のイメージと大きくかけ離れてしまうことがある。今回のキャストに対しても、そのあたりを危惧したのだが、いや関係なかったですね。あれだけの熱演をされてしまったら、イメージの違いとか関係なし。記者クラブの連中に対して、ある被害者の人生を静かに語るシーンなんて凄まじい迫力で、胸が熱くなりますもん。

あえてこの映画の欠点を言えば、警察上層部や新聞記者たちの人物造詣がややステレオタイプなところでしょう。ホントに今もあんな人たちばっかりなの?

とはいえ見応えは十分。ロクヨンを模した新たな誘拐事件の発生で幕を閉じるエンディング。後編に大いに期待を抱かせる。

ところで噂によると瀬々監督は『菊とギロチン』なる自主映画を企画中だが、資金繰りが大変らしい。巨額の製作費のメジャー映画と超低予算の自主映画。その落差も、いかにも瀬々監督らしい。誰か出資してやれ! オレは金がない。

今日の教訓。後編公開まで、前編を忘れないようにしなくっちゃ。

●今日の映画代1,500円(ユナイテッド・シネマの会員料金)