映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2016年8月30日(火)午前11時50分より鑑賞。

フリーランスで定期仕事もあまりないオレだけに、何日もずーっと仕事がない状態の時がある。それって、はたから見れば完全に失業者である。そんなわけで、失業者の気持ちはフツーの人よりも理解できるような気がするのだ。焦り、苦しみ、絶望を繰り返して、どんどんいら立ちが募っていく。たまらんでしょうなぁ。

ステファヌ・ブリゼ監督による「ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015年 フランス)は、失業者が主人公の映画だ。この映画の主演のヴァンサン・ランドンは、フレッド・カヴァイエ監督の「友よ、さらばと言おう」(2014年)でも高い演技力を見せてくれたが、今回はそれを上回る素晴らしい演技である。

彼が演じるのは51歳のティエリー・トグルドーという男。もともとエンジニアだったが、長年勤めていた会社から解雇され、失業して1年半になる。冒頭のシーンは彼と職業安定所の職員とのやり取り。言われるままにクレーン操縦士の資格を取得したのに、いまだに仕事が見つからず、文句を言っている。それに対して職員の反応は、いかにもお役所的。ここから、もう息苦しいような、居心地が悪いような感じが襲ってくる。このトーンは映画全体を貫いている。

前半は、ティエリーの苦境が次々に描かれる。一緒にクビになり会社相手に裁判を起こしている組合の仲間との話し合い、スカイプを使った面接風景、ローン返済(彼は障害のある息子と妻を抱え、家のローンにも追い詰められている)についての銀行の担当者とのやり取り、トレーラーハウスの売却交渉、就職訓練で若者から厳しい指摘をされるシーン。

特徴的なのはほとんどが長回しの映像で、自然な会話が交わされること。もしかしてアドリブなのだろうか? まるでドキュメンタリー映画のようで、どれも重たく、息苦しいシーンばかりだ。特に手持ちカメラのアップを駆使して、ティエリーの姿をとらえていくところが印象的である。

ただ苦しいばかりでなく、ティエリーが妻とダンスのレッスンを受けたり、息子と3人で楽しく過ごす一家団欒のシーンなども織り込まれてはいるのだが、基本的なトーンは変わらない。ある意味、一本調子の映像ではあるがリアルなのは間違いない。おかげで、ティエリーの苛立ちや苦しみがひしひしと伝わってくるのである。

ヴァンサン・ランドンの演技が凄いのは、極端な表情の変化や大げさな行動が全くないことだ。たまに激しい言葉を吐いたりもするが、ほとんどは感情を包み隠している。それなのに、その端々から抑えきれない感情がにじみ出てくる。こういう役者こそ名優と呼ぶべきではないだろうか。

後半、ティエリーはスーパーの警備員の職を得る。それは買い物客だけでなく従業員も監視して、不正があれば会社に告発する仕事だ。そこで頻繁に登場する監視カメラの映像が、無機質で、冷酷で、心をざわつかせる。そして、その監視に引っかかって、ある従業員が告発され、ついに自殺してしまうのだ(ここの構成としては、会社がもっと悪辣な仕掛けをして従業員を陥れるというアイデアも考えられる。しかし、あえてそれをやらなかったことで、リアルさが高まっている)。

確かに従業員のやったことは不正だが、クビになるほど悪質かどうかは意見の分かれるところだろう。しかも、会社は従業員のクビを切りたくてうずうずしていたという背景もある。そして何よりティエリーは、一度クビになればなかなか再就職できない事情を身をもって知っている。

それだけに、彼は大いに苦悩する。その苦悩の深さを、彼の斜め後ろからの表情をとらえた映像で表現しているところが見事だ。それがあるから、ラストの彼の決然とした姿がなおさら観客の心に突き刺さる。あれは一筋の光明だろうか? 再度の苦難の始まりだろうか? その後のティエリーの人生が気になって仕方ない。

メリハリのあるドラマが好きな人には絶対におススメしない。ひたすら重苦しい映画である。それでも現代社会を鋭く切り取っていて、十分に観る価値があるとオレは思う。ヴァントン・ランドンの演技だけでも観応えがあるはずだ。

●今日の映画代1000円(テアトル系の会員料金。サービスデーで。)