映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ダゲレオタイプの女」

「ダゲレオタイプの女」
シネマカリテにて。2016年10月18日(火)午後1時より鑑賞。

黒沢清監督の作品で最初に観たのは何だったろうか。初期の成人映画の「神田川淫乱戦争」だの「ドレミファ娘の血は騒ぐ」あたりは観ていないし、メジャーデビュー作の「スウィートホーム」も記憶にないから、1997年の「CURE キュア」かもしれない。その後は最近の「岸辺の旅」「クリーピー 偽りの隣人」に至るまで何本も鑑賞しているのだが、いくら観ても違和感がぬぐえない。いや、それは否定的な感想なのではなく、何となく居心地の悪さを感じてしまうのだ。そこで描かれるのは、オレたちの生きる普通の(というか普通に思える)世界とは、何かが違う世界なのである。

さて、そんな黒沢監督の最新作「ダゲレオタイプの女」(2016年 フランス・ベルギー・日本)は、オール外国人キャスト、全編フランス語で撮りあげた初の海外作品だ。日本よりも先に海外(特にヨーロッパ)で高く評価された監督だけに、こういう展開はむしろ遅すぎた気もするけれど。

この映画でカギを握るのは、「ダゲレオタイプ」という世界最古の写真撮影方法だ。これは、銀板に直接ポジ画像を焼き付けるもので、長時間の露光が必要な技法。そのため人間の被写体は、数十分にわたる露光の間、けっして動いてはいけない。そのためモデルは、全身を特殊な拘束器具で固定される。うーむ、これだけで何やら怪しい感じがするではないか。

主人公はジャン(タハール・ラヒム)という青年。彼は写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)の助手に採用される。ステファンはダゲレオタイプという技法を用いていた。かつては妻をモデルにしていたステファンだが、今は娘のマリー(コンスタンス・ルソー)をモデルにしていた。しかし、マリーは父の束縛を逃れて自立することを望んでいる。そんな中でやってきたジャンは次第にマリーに心惹かれ、父親の芸術の犠牲になっている彼女を救い出したいと思うようになる……。

というわけで、基本的には写真家のアシスタントと写真家の娘によるラブストーリーである。ただし、ただのラブストーリーではない。黒沢監督の過去の映画同様にホラー的な要素が色濃く見える。冒頭のステファンの屋敷のシーンから、不気味さが満点だ。ドアがギーっと開いただけで、何やらこの世のものではない存在を感じさせるのだ。それもそのはず、実はステファンの妻は首つり自殺しており、ステファンは妻の亡霊を恐れていたのである。

全体のタッチはひたすら静謐だ。その中で、西洋屋敷の内部や拘束具を使ったダゲレオタイプの撮影の様子が効果的に使われ、不穏な空気が増幅していく。青いドレスを着た女(ステファンの妻?)が移動してくるシーンなども、一歩間違えばチープな幽霊映画になりそうだが、けっしてそうはしない。美しく、怪しいムードを漂わせる。途中では音楽の使い方なども含めて、ヒッチコックを連想させるようなシーンも登場する。

いったいなぜステファンは亡き妻を恐れているのか。そのヒントは途中で示されるが、すべてが明確になっているわけではない。それでも、写真に残すことで永遠を求めるステファンの狂気を背景に、かつては妻が、そして今は娘が犠牲者となっていることを強く印象付ける。

同時に、最近の黒沢作品同様に、この映画も生者と死者の境界線が曖昧だ。死者が生者のごとく現れたり、突然姿が消えたりする。特に後半は、それがさらにエスカレートしていく。父から自立したい娘のマリーだが、ある時、不可思議な事故に遭う。そして、そこから先は、描かれているのがリアルな現実なのか、あるいはこの世ではない別の世界なのか、それさえよくわからなくなってくるのである。

そんな中でも、ひたすらマリーとの幸せをつかもうとするジャン。そこでは屋敷の売却話と、それに絡むジャンの欲望もフィーチャーされる。

ラストは、ある程度予想可能な展開だが、それでも衝撃的だ。生者と死者が区別をなくして、その情念だけが交信する。美しくも切ないエンディングである。

今回も、リアルな現実世界とは異質な世界を描いた黒沢監督。今回もオレは背筋がゾクゾクするような居心地の悪さを感じてしまった。マリー役のコンスタンス・ルソー、ステファン役のオリヴィエ・グルメの演技も見ものだ。

とはいえ、オレのように過去の黒沢作品を観ていない人は、物足りなさを感じるかもしれない。なぜなら、ラブストーリーにもホラーにも徹しきれていないからだ。男女の愛情物語という点では「岸辺の旅」のほうがはるかに深いし、ホラー映画なら「クリーピー 偽りの隣人」のほうがよほど怖いだろう。

だが、それでもヨーロッパの古い屋敷をはじめ、絶好の素材を得て、黒沢監督らしさが発揮された作品なのは間違いない。そういう点で、観る価値は十分にあると思う。

●今日の映画代1500円(前売り券購入。ヒューマントラストシネマ有楽町なら、もっと安く観られたのだが、諸般の事情により)