映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「この世界の片隅に」~東京国際映画祭(特別招待作品)

この世界の片隅に~第29回東京国際映画祭(特別招待作品)
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて。2016年10月26日(水)午前10時20分より鑑賞。

ここ数年東京国際映画祭の時期には、仕事をセーブして、睡眠時間を削り、一日2~3本の映画をはしごして観る。どこにそんな金があるのかと思うかもしれないが、金などない。オレが所属している団体が映画祭に関係していて、数枚のパスが発行されるので、それを使って関係者上映に参加しているのだ。つまり、タダで映画を観られるのである。これぞ猫に小判。飛んで火にいる夏の虫。いや、違うか。まあ、何にしてもオレにとってはありがたいことこの上ない。なので、この期間は映画ジャンキーになり切って、ひたすらTOHOシネマズ六本木ヒルズに日参するのである。

そして今年もやってまいりました。映画ジャンキーの日々。今年最初に鑑賞したのはアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年 日本)である。こうの史代の漫画を「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督が映画化した。

時代は戦前。主人公は広島に住むすずという女の子。ちょっとボーッとした少女だけれど、絵を描くのが好きな彼女は、父母や兄妹に囲まれてごく「普通の暮らし」をしている。その日常が生き生きと描かれる。幼なじみの男の子との初々しい交流などもある。

やがて18歳になったすずには縁談話が持ち上がり、呉に住む海軍で働く文官の男・北條周作のもとに嫁ぐことになる。すずは周作のことを知らなかったが、周作はやさしい夫で、幼い頃に出会ったすずのことが忘れられずにいたという(実は、その一件が冒頭近くで描かれるファンタジックな展開に関係している)。

そんな夫と、優しい夫の両親、そして少しして出戻ってくる夫の姉とその娘とともに、これまた「普通の暮らし」をするすず。ここまでは、そんな庶民の「普通の暮らし」を生き生きと明るく描き出している。つつましくも心豊かな日々が何とも魅力的だ。

ところが、そんなすずたちが次第に戦争の影に飲み込まれていく。戦況が悪化し、配給物資が減って食糧が足りなくなる。最初はまばらだった米軍による空襲も、少しずつ激しくなっていく。それでもこの映画はけっして暗さばかりを強調せず、明るさを失わない。例えば、すずは港の絵を描いているところを憲兵に咎められるが、そこも見事に笑いに転化してしまっている。

その一方で、情感漂うシーンもある。すずが夫の計らいによって、幼なじみの水兵と最後の語らいをするシーンは心にしみる。

そうした明るさや情感があるからこそ、昭和19~20年の状況が胸に迫る。そこではすず自身がとんでもない目にあう。何があったかは未見の人のために伏せておくが、空襲によってまさに人生をズタボロにされるのだ。そして、故郷に落とされた原爆……。そこでオレは言葉をなくした。悲しいとか、つらいとかいう次元ではない。そんなものをはるかに超越した未知の思いが胸にこみ上げてきた。

戦後になってもすずの苦難は続く。しかし、そこもけっして悲惨一辺倒には描かない。人生には光も影もある。その両面をしっかりと描き出していく。そして、最後にはかすかな希望の光も示すのである。

映像は最近の精密なアニメとはやや趣を異にする。どことなくノスタルジックで、温かみを感じさせる映像で、これもまたこの映画を魅力的にしてくれる。

主演のすずの声を演じているのは、能年玲奈改め「のん」。はたしてどんなものだろうと思ったのだが、これが実にピッタリのキャストだった。ボーっとした雰囲気ながら、健気にまっすぐに明るく生きるすずを、これほど的確に演じられるキャストはいないだろう。彼女の声も、この映画の大きな魅力だ。

声高な反戦映画ではない。しかし、だからこそ強い反戦メッセージが伝わってくる。キーワードは「普通の暮らし」。そう、あの生き生きとしたすずたちの「普通の暮らし」だ。戦争や原爆は、それを容赦なく奪い去っていく。普通に生きることすら困難にさせる。そんな戦争や原爆に対する憤りが、観終わってふつふつと胸に湧き上がってくるのである。個人的には「君の名は。」よりも、はるかに素晴らしいアニメだった。ぜひ観るべき作品だと思う。

ちなみにこの映画はクラウドファンディングで作られたそうで、上映の最後には寄付をした人々や団体の名前が延々と流れる。それが心を温かくしてくれる。こういうアニメを望む人が、こんなにたくさんいるのだという事実を忘れてはいけない。

●今日の映画代、関係者向け上映なので無料です。