読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「わたしは、ダニエル・ブレイク」

「わたしは、ダニエル・ブレイク」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年3月20日(日)午後12時25分より鑑賞(スクリーン1/E-12)。

2014年11月に駅で転倒して膝蓋骨を複雑骨折した。救急車で運ばれて手術をして1か月近く入院した。退院してからも1年間リハビリに通うハメになった。その間、前のように仕事ができなくなり、収入が減ってしまった。このブログに「貧乏日記」とあるのには、そういう事情もあるのだ。

今も後遺症は残っていて、膝が痛くなったり、十分に曲がらないこともあるのだが、それでも何とか仕事をしている。だが、もしもドクターストップがかかったらどうなるのか。医療費や生活費をどうするのか。それを考えただけでゾッとするのである。

そんなオレにとって共感せざるを得ないのが、「わたしは、ダニエル・ブレイク」(I, DANIEL BLAKE)(2016年 イギリス・フランス・ベルギー)の主人公のダニエル・ブレイクである。

社会派の映画をたくさん撮り続けてきた名匠ケン・ローチ監督の作品だ。2016年の第69回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞した。ローチ監督作品にとっては、「麦の穂をゆらす風」に続く2度目のパルムドールだ。

舞台となるのは、イギリス北東部ニューカッスル。長年、大工として働いてきた59歳のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、心臓病を患い医者から仕事を止められる。仕方なく国からの援助を受けようとするが、複雑な制度と頑迷なお役所仕事に阻まれ、満足な援助を受けることができないでいた。そんな中、ダニエルは2人の子供を抱えたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)を助けたことから、彼女たちと交流を深めていく。だが、ダニエルとケイティたちは、さらに厳しい局面に追い詰められていく……。

ダニエルを苦しめる社会システムが何とも複雑怪奇だ。おまけに、応対する役所(といっても民間に委託されたりしている模様)の態度がどうにもヒドい。例えば、心臓病なのに「手が挙げられるか」とか「帽子がかぶれるか」とか、全然関係ない質問をして、その挙句に「不支給」の結論。それに抗議する電話をかければ、1時間以上も保留音が鳴り続ける始末である。

そこで別の手当てを申請しようとすると、受付はオンラインのみ。パソコンなど持っていないダニエルは困ってしまう。おまけに仕事ができないダニエルに対して、「求職活動をしないと手当は支払わない」というのだ。あまりにも理不尽ではないか。理不尽すぎて冗談みたいだ。だから、ついつい笑ってしまう。そう。この映画は深刻なテーマであるにもかかわらず、あちこちにユーモアがあるのだ。そこがいかにもローチ監督らしい。

そういえば、「ぜんざい公社」という落語の演目があったっけ。ぜんざいを食べるのに、いろいろ書類を書いたり、手続きしなくちゃいけないという冗談みたいな役所のシステムを皮肉った作品だ。思わずそれを連想してしまった。

さて、そんなダニエルは、まもなくケイティという若いシングルマザーと知り合う。彼女は2人の子供を抱えて、貧困にあえいでいる。見かねたダニエルは、救いの手を差し伸べる。

自分自身が大変なのに、それでも困っている人を見捨てられないダニエル。彼はそういう人物なのだ。権力には媚びないが、隣人には大いに手を差し伸べる。アパートの隣人たちとも、口では文句を言いつつも、親しく交流している。いわば役所などの硬直した社会システムとは、対極にあるような人物だ。彼が長い間亡き妻の介護をしていたという事実も、彼の実直さを示す。だから、観客は自然に彼に感情移入していく。「どうして彼のような人物がこんな理不尽な目にあうのだ?」と。

主演のデイヴ・ジョーンズはイギリスのコメディアンとのことだが、そんなダニエルにピッタリのキャストだと思う。

ダニエルはケイティや子供たちと交流を重ねる。そこにあるぬくもりもまた、理不尽な社会システムと対極をなす。そして、その社会システムが、彼らをますます苦境へと追い込んでいく。ダニエルは満足な手当てが受けられずに、家具を売り払って現金を調達する。一方、ケイティはフードバンクを頼るものの、それだけではどうにもならず、闇に足を踏み入れる。

そんなこんなで、ついにぶち切れたダニエルは、ある行動に出る。そこで登場するのがタイトルの「I, DANIEL BLAKE」の文字。それはアイデンティティさえ否定された彼の、誇りをかけた自己主張だ。そして、そんな彼に拍手喝采するたくさんの人々の姿。現実社会の理不尽さを嘆きつつ、けっして絶望せずに未来を信じるローチ監督らしいシーンだと思う。

結末はハッピーエンドとはいかないが、けっして絶望的なものでもないと思う。そこで読み上げられるダニエルのメッセージは、愚直ながら力強いもので、観客の胸を強く打つ。彼の思いが、いつか世の中を変えるのではないか。そんなことも考えてしまうのだ。

弱者が虐げられ、アイデンティティまで奪われてしまう今の世の中に対して、「これでいいのか?」と異議申し立てをしている作品だ。ただし、声高なメッセージではなく、庶民の日常を丹念に、ユーモアも忘れずに描き、わずかな未来への希望も示す。

今年80歳のローチ監督の熱い思いが詰まっていて、ズシリとした見応えがある。間違いなく、今年の上位にランクされる映画だと思う。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会