映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「サラエヴォの銃声」

サラエヴォの銃声」
新宿シネマカリテにて。2017年3月26日(日)午後2時30分より鑑賞(スクリーン2/A-7)。

これまでに歴史関係の本をたくさん書いている。もちろんゴーストだ。オレの名前は本のどこを探しても出てきやしない。しかし、確実に原稿は書いている。なので、歴史の知識は豊富である。

というのはウソである。いや、確かに歴史本はたくさん書いているのだが、その都度資料に基づいて書いているだけで、終われば頭の中から消去される。たいしたことは覚えていない。ときどき昔書いた本を読み直しても、本当に自分が書いたのかどうか自信がない。歴史とは、そのぐらいいい加減な付き合い方しかしてこなかった。

そんなオレでも、1984冬季オリンピックの会場となったサラエヴォが、1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、メチャクチャなことになったのは知っている。そのサラエヴォを舞台にしたドラマがダニス・タノヴィッチ監督の「サラエヴォの銃声」(SMRT U SARAJEVU)(2016年 フランス、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)だ。2016年のベルリン国際映画祭銀熊賞審査員グランプリ)を受賞した。

第1次世界大戦勃発のきっかけとなったサラエヴォ事件から100年が経った2014年6月28日。その記念式典が行われようとしている「ホテル・ヨーロッパ」。屋上では、ジャーナリストが事件とその後の歴史についてインタビューしていた。客室ではVIPが式典での演説の練習をしていた。一方、ホテルの従業員たちは賃金未払いをめぐってストライキを企て、支配人はそれを阻止するべくギャングを動かす。やがてホテル内に1発の銃声が鳴り響く……。

というわけで、サラエヴォのホテルを舞台にした群像劇である。この映画を観るには、サラエヴォに関する多少の予備知識は必要だろう。まず、先ほど述べたように、1990年代には民族対立に起因したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の主戦場として、多くの人が犠牲になり街が破壊された。

そして、さらに歴史をさかのぼれば、サラエヴォでは1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が、プリンツィプという青年に暗殺された。これが第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォ事件である。

その事件から100年後のサラエヴォの「ホテル・ヨーロッパ」の屋上。そこではインタビューが行われている。ドキュメンタリー番組の制作の一環で、女性ジャーナリストが学者などにサラエヴォ事件とその後の歴史について話を聞いているのだ。ところが、そこにサラエヴォ事件の犯人プリンツィプと同名の男が現れて、「プリンツィプはテロリストではなく英雄だ」と主張する。それに反発したジャーナリストと大口論になる。どうやら2人の口論には、1990年代の内戦が強く影響しているらしい。それが両者をどんどん感情的にさせる。

その一方で、ホテルの客室では式典に参加するらしいVIPが演説の練習をしている。その模様が警備室のカメラに映されている。警備スタッフは本来は護衛を頼まれただけなのに、なぜか手違いで監視カメラを仕掛けてしまったという。

そして、このホテルでは従業員たちがストライキを計画している。有名人もたくさん泊まったこのホテルだが、今は経営危機で2か月も給料が支払われていない。それに抗議するためのストというわけだ。しかし、強圧的な支配人はこれを阻止すべく、ホテルの地下のバーにたむろするワルたちにストを阻止するように依頼する。その一件には、フロント係の女性と、その母でリネン室で働く女性も絡んで、大変なことになってしまう。

こんなふうに、ホテルを縦横無尽に移動しながら、長回しのカメラを中心にして、リアルかつスリリングな映像で様々な人物を描いていくタノヴィッチ監督。何やら不穏な空気が増幅していく。

やがて一発の銃声が響く。何が起きたのかはあえて伏せるが、100年前のサラエヴォ事件とリンクする出来事で、思わず息を飲んでしまった。そして、その後に映される無人になったホテルを見て、寒々しい気持ちにさせられたのである。

タノヴィッチ監督といえば、「ノー・マンズ・ランド」「鉄くず拾いの物語」、そして先日公開されたばかりの「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」など、明快で力強いメッセージで知られる。だが、今回はそうした明快さはない。

何しろ事態は複雑だ。表面的には平穏に見えても、ひと皮むけば民族同士の憎悪が渦巻き、ちょっとしたきっかけで恐ろしい事態に発展しかねない。それはサラエヴォだけでなく、ヨーロッパ全体、さらには世界中にあてはまることなのかもしれない。そんな事態に対して、簡単に処方箋など出せるわけがない。ましてタノヴィッチ監督は、ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれなのだから。

いまだに渦巻く民族同士の敵意や憎悪。それに対してどうすればいいのか。この映画にはその解答はないし、すぐに見つかるものでもないだろう。それでも、絶望的な状況を描いたこの映画が、解決への出発点になるのかもしれない。問われているのはこの映画の観客自身なのである。

●今日の映画代、1500円。先日観た同じタノヴィッチ監督の「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」の半券割引サービスでした。