映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「海辺のリア」

「海辺のリア」
テアトル新宿にて。2017年6月8日(木)午前11時30分より鑑賞(E-11)。

映画を追いかけるので精いっぱいで(それでも追いかけきれていないし)、演劇のほうまではとても手が回らない。知り合いが関係している舞台をたまに観る程度だ。それでも映画の中の役者の演技を観て、「この人の舞台を観てみたいなぁ~」と思うことはたびたびある。

今日鑑賞した「海辺のリア」(2016年 日本)での仲代達矢の演技は、まさにそう思わせるものだった。日本を代表する名優の1人、仲代達矢小林政広監督と組むのは、「春との旅」「日本の悲劇」に続いてこれが3度目となる。

シルクのパジャマにコートをはおり、スーツケースを引きずって歩く老人が最初に登場する。何やら悪態をついている様子だ。誰なんだ? こいつは。

続いて、住宅から夫婦らしき人物が喧嘩しながら出てきて車に乗り込む。どうやら老人の家族のようだ。

その後、海辺に現れた老人は若い女と出会う。何やらこの女もワケありふうだ。

というわけで、謎めいた滑り出しの映画だが、サスペンスやミステリーではない。まもなく、その老人は桑畑兆吉(仲代達矢)という元スター役者であることがわかる。役者として半世紀以上のキャリアを積み、かつては映画や舞台で活躍した兆吉。しかし、今は認知症になり、長女・由紀子(原田美枝子)とその夫・行男(阿部寛)に裏切られ、遺書を書かされた挙句に、老人ホームに入れられてしまう。

そんなある日、兆吉は施設から脱走し、パジャマにコートをはおり、スーツケースをひきずり、あてもなく海辺をさまよう。まもなく彼は、妻とは別の女に産ませた娘の伸子(黒木華)と突然の再会を果たす。

つまり、先ほどの夫婦らしき人物は、兆吉の娘の由紀子とその夫の行男。そして、兆吉が海辺で出会った女は、妻とは別の女に産ませた娘で、由紀子の腹違いの妹である伸子だったのである。

彼らの関係は複雑だ。兆吉は由紀子と行男に裏切られたといったが、その首謀者は実の娘である由紀子らしい。行男は彼女にコントロールされる一方、経営を任された会社は借金まみれで苦境に陥っている。しかも、由紀子は謎の運転手と不倫関係にある。

一方、伸子はかつては兆吉たちと一緒に住んでいたが、彼女が私生児を生んだのをきっかけに、兆吉と由紀子は伸子を家から追い出してしまったのだ。さぁ、こんなドロドロの愛憎関係にある人々が、いったいどんな出来事を起こすのだろうか。ワクワク。

などと期待してはいけない。とりたてて何も起きないのだ。あちこちさまよう兆吉。そのそばで恨みつらみを吐き出す伸子。兆吉を探す行男。ドラマの基本はそれだけだ。ただし、彼らの会話や独り言の中から、それぞれの屈折した胸の内がジワジワとにじみ出てくるのである。

実はこの映画、観始めてすぐに違和感が湧いてきた。例えば、大仰なセリフや説明ゼリフが多いところ、場面転換がほとんどなく同じシーンが長く続くところなど、映画というよりは舞台を観ているような気がしたのだ。

だが、これは作り手の意図通りなのかもしれない。いや、きっとそうだ。仲代達矢といえば、映画はもちろん舞台でも名優としての実績を持つ俳優だ。そんな舞台俳優としての魅力を、この映画の中でいかんなく発揮させようとしたのではないだろうか。

そうやって観ると、さすがに素晴らしい演技である。認知症という役柄でありながら、そこには一面的ではない様々な表情がある。時には重厚に、時には軽妙に、元スター俳優の心情を十二分に表現している。

そのハイライトは、やはり終盤の海辺での一人芝居だろう。「海辺のリア」というタイトルにあるように、シェークスピアの「リア王」を演じながら、伸子にリア王の娘であるコーディーリアの幻影を見る。そのシーンが圧巻だ。そして、そこから兆吉自身の人生に思いをはせていく。この場面だけでも観る価値がある映画だと思う。

同時に、彼を取り巻く伸子役の黒木華(こういう蓮っ葉な役は初めて見ました)、行男役の阿部寛ともに、舞台の実績があるだけに、こちらも素晴らしい演技である。伸子の海辺での独白、行男の車の中での長い一人芝居など、印象的な演劇風のシーンが用意されている。

彼らの様々な感情がぶつかり合い、揺れ動き、抑えきれない心情が爆発する様子を見ているうちに、大仰だったり説明的だったりするセリフも、それほど気にならなくなり、むしろこの映画にふさわしいものに思えてくるから不思議なものだ。

ラスト近くの車の中のシーンで、娘の由紀子の隣で兆吉は自分の人生を振り返る。それはまるで、仲代達矢自身の役者人生を語っているかのような錯覚さえ起こさせる。そういえば仲代達矢無名塾で多くの俳優を育ててきたが、兆吉も俳優養成所を主宰していたという設定になっている。そのあたりも、意識して両者の役者人生をリンクさせたのかもしれない。

それにしても、蛍の光とともに観客への感謝まで述べてしまう仲代、いや兆吉。まさか、これって仲代の引退作のつもり? などとあらぬことまで考えてしまったのだが、現在84歳ながら今後も演技し続けるようなので一安心。

これはやはり、そんな仲代達矢を観に行く映画といっていいだろう。そのぐらい見事な演技である。ラストの海の中の兆吉と伸子の姿が、いつまでも心に残る。

ところで、この映画の出演者は5人のみ。仲代達矢黒木華原田美枝子阿部寛に加えて、謎の運転手役の小林薫だ。その小林薫はセリフがほとんどないのだが、最後に原田美枝子演じる由紀子に向かってたったひと言だけ言い放つ。「悪党!」と。その絶妙なセリフに思わず笑ってしまったのである。

●今日の映画代、1000円。先日、TCGメンバーズ会員に入会した時にもらった割引券を使用。