映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「残像」

「残像」
岩波ホールにて。2017年6月16日(金)午前11時より鑑賞(自由席/整理番号53)。

キネマ旬報社twitterで国会を批判した書き込みがあり、それに対して賛否両論があったそうだ。色々な意見があって当然だが、オレが気になったのは「キネマ旬報社は映画のことだけ語ってください」という主旨の意見があったことだ。オレは思う。映画と政治は無縁ではない。時には、映画メディアが政治を語ることがあってもいい。何しろ映画は政治をはじめ、社会の様々な様相を投影するものなのだから。

そんな折も折、ポーランドアンジェイ・ワイダ監督の「残像」(POWIDOKI)(2016年 ポーランド)を鑑賞した。「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の“抵抗三部作”で知られるワイダ監督は、2016年10月に90歳で他界した。そのため、本作が遺作となってしまった。

この映画は実在の画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの晩年の4年間を描いた伝記映画だ。第二次大戦後のポーランド。前衛画家のストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)はカンディンスキーシャガールらと交流を持ちながら、創作活動と美術教育に情熱を注いでいた。

映画の冒頭は、そのストゥシェミンスキと、彼が教授を務める美術大学の教え子たちが高原に来ている。そこに新しい女子学生が来る。ストゥシェミンスキは遠くの丘の上にいる。実は彼は戦争で負傷して片足を失い、松葉杖をついている。そこからどうやって、この場所に下りてくるのか。

なんとストゥシェミンスキは、ゴロゴロと丘を転がって下りてくるではないか。それを見た学生たちも同じように、ゴロゴロと丘を転がる。もちろんみんな笑顔だ。ストゥシェミンスキが自由な魂の持ち主で、しかも学生たちからどれほど慕われているかを端的に示したシーンである。

ところが、そんなキラキラした日々と対照的な暗い日々が訪れる。ストゥシェミンスキが自分の部屋にいると、突然部屋が真っ赤に染まる。当時のポーランドソ連の強い影響下にあり、全体主義化が進行しようとしていた。それを象徴するようなスターリンを描いた巨大な赤い旗が、ストゥシェミンスキが住む建物に掲げられたのだ。

ストゥシェミンスキは怒って、その旗を破る。それによって当局に連行された彼は、様々な迫害を受けることになる。

国は社会主義のPRのために、芸術を利用しようとする。すでに著名な画家となっていたストゥシェミンスキだが、そんなことはおかまいなしだ。いや、だからこそ当局はストゥシェミンスキを屈服させようとする。

権力側が求める芸術は社会主義リアリズム。社会主義を称賛するわかりやすい芸術だ。それに対して、ストゥシェミンスキは前衛的な作風の画家。そこには衝突が起きる。ストゥシェミンスキは権力に抵抗する。ただし、けっして体制転覆などを意図しているわけではない。彼は、ただ自分の心のままに芸術活動を行いたいだけなのだ。その信念を曲げるのは彼にとって自己否定に等しい。

それでも権力側は容赦しない。ストゥシェミンスキは大学をクビになり、画家の協会も除名される。生活のために描いたカフェの作品も破壊される。美術館に展示されていた作品も撤去される。それどころか、彼の教え子たちが開いた学生の作品展も当局によって滅茶苦茶に破壊されてしまう。

これでもかという権力側の弾圧ぶりを見ていると、どんどん暗い気持ちになってくる。息苦しささえ感じてしまう。それでもスクリーンから目をそらさないのは、ストゥシェミンスキの不屈の精神がそこに満ち溢れているからだ。

そして、彼を偉人としてではなく、一人の人間として描くワイダ監督の視点も魅力的である。ストゥシェミンスキは奥さんと別れている。その理由は明確に示されないが、病気の奥さんが「死んでも知らせるな」と言ったところから考えて、相当なことがあったに違いない。

そして彼女との間にできた娘との関係も、何やらギクシャクしている。母が死んだ娘は父であるストゥシェミンスキと一緒に暮らすが、すぐに反発して出ていってしまう。そこには、ストゥシェミンスキに思いを寄せる若い女子学生の存在もある。

というわけで、人間的には欠点だらけのストゥシェミンスキだが、芸術家としての信念は揺るがず、自らの芸術理論(「残像」という邦題にも関係する)を書き残すことに執念を燃やす。

しかし、満足な仕事に就くこともできず、貧困にあえぎ、さらには重い病にもかかってしまう。そして……。

自らも全体主義の圧政に苦しんだ経験を持つワイダ監督だけに、訴えかける迫力が違うのである。圧政への怒りが静かに燃え盛り、観客の心を熱くする。同時に映像には若々しさが感じられる。全体的に暗い色調の中で、スターリンの旗や娘のコートなどの赤色を鮮烈に見せる映像は、とても90歳の監督の作品には思えない。

遺作にふさわしい作品だという気持ちと同時に、「まだまだ良い作品が作れたのでは?」という残念な思いもオレの胸に去来した。

この映画で描かれるのは今から70年近い時代だ。しかし、ワイダ監督が訴えかけるメッセージは、今の時代にも十分に通用するはずだ。国民を監視し統制しようとするのは、権力の常。それは日本にも無縁ではないだろう(そういえば共謀罪ってものが成立したっけ)。だからこそ、なおさら観ておくべき映画だと思うのである。

●今日の映画代、1500円。事前に鑑賞券を購入済。