映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「怪物はささやく」

怪物はささやく
TOHOシネマズみゆき座にて。2017年6月22日(木)午後7時30分より鑑賞(H-6)。

子供向けの本をバカにしてはいけない。大人が読んでも引き込まれてしまう内容の本も多い。まして、それを映画化した作品ならなおさらだろう。

怪物はささやく」(A MONSTER CALLS)(2016年 アメリカ・スペイン)は、イギリスでベストセラーになった児童文学の映画化だ。監督は「永遠のこどもたち」「インポッシブル」のJ・A・バヨナ。

孤独な13歳の少年と怪物によるダーク・ファンタジーだ。主人公の少年コナー(ルイス・マクドゥーガル)は、母(フェシリティ・ジョーンズ)と2人で裏窓から教会の墓地が見える家で暮らしている。その母は難病で余命わずかだ。そのためコナーは祖母(シガニー・ウィーバー)の家で暮らすことを勧められるのだが、祖母とは気が合わない。コナーは学校でもいじめにあって孤独だ。そして、彼は毎晩悪夢にうなされている。

そんなある夜、コナーのもとに近くの丘にある大木の怪物がやって来て、こう告げる。「今から、私はお前に3つの物語を話す。4つめの物語は、お前が真実を話せ」と。その日を境に夜ごと怪物は現れ、物語を語りだす。

怪物の声を担当するのは、あのリーアム・ニーソンだ。彼はモーションキャプチャー(現実の人物や物体の動きをデジタル化してキャラクターの動きとして再現する)にも挑戦している。見た目がけっこうエグイ怪物なのだが、荒々しさと同時にぬくもりや優しさを感じさせるのは、キャストのおかげだろう。

その怪物が語る1つめの物語は、かつてこの地にあった王国の話だ。そこでは王の座をめぐって王子と魔女が戦いを繰り広げる。しかし、純朴な王子VS邪悪な魔女という構図で話を聞いていたコナーにとって、その結末は納得しがたいものだった。それは彼に、人生の複雑さや善悪が簡単に割り切れないことを示す物語だったのである。

一方、コナーの母親の病は進み、入院を余儀なくされる。コナーは仕方なく祖母の家に住むが、相変わらず祖母とはギクシャクしたままだ。

また、母と離婚した父親は外国で新しい家庭を築いている。その父親も訪ねてきて、「遊びに来い」と言うのだが、「一緒に暮らそう」とは絶対に言わない。学校でのいじめも続いたままだ。

こうしてますます過酷な現実に直面するコナーに対して、怪物は2つめの物語を語る。それは牧師と調合師(今でいう薬剤師)の話。これもまた単純な善悪を否定するとともに、人間の二面性を示すエピソードである。

コナーは母の快復を必死で信じ、何とか助かって欲しいと願う。それでも、思うようにならない現実に心が揺れ動く。2つめの物語の後には、無意識のうちにとんでもないことをしでかしてしまい、祖母との溝をさらに広げてしまう。

怪物が語った3つめの物語は、周囲から透明人間だと冷笑された男の話だ。正直なところ、他の2つの話に比べて浅薄な話で、あっという間に終わってしまう。それでもコナーに新たな行動を起こさせる引き金にはなっている。

そして、いよいよコナーが4つめの真実の物語を語る場面が訪れる。そこからは圧巻の展開である。怪物が迫り、大地が割れ、大切な人が危機に陥る中で、コナーはついに真実を語る。

それをきっかけに、母や祖母ともう一度しっかりと向き合うコナー。涙なしには観られない感動のシーンが続く。

さらに、ラストに用意されたサプライズ。詳しくは伏せるが、母とコナーとの絆を再確認させる叙情に満ちた仕掛けが用意されている。母子の愛情に涙するとともに、コナーが苦難を乗り越えて、たくましく成長していくであろうことを予感させる素晴らしいエンディングである。

全体のタッチは、いかにもダーク・ファンタジーらしい暗くて、ちょっと怖い感じ。その中で、現実と空想の世界を行き来しながら、コナーの葛藤と成長を描き出している。怪物が語る物語を描いたアニメーションも、独特の味わいがあって魅力的だ。そして、観終わって温かな余韻が残るのである。

主人公のコナー少年を演じたルイス・マクドゥーガルに加え、母親役のフェリシティ・ジョーンズ、祖母役のシガニー・ウィーバーの存在感も光る。

「児童書が原作だなんて」などと敬遠するなかれ。かつて少年少女だった大人たちの胸も熱くしそうな作品である。


●今日の映画代、1400円。事前にムビチケを購入。