映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「夜空はいつでも最高密度の青色だ」

「夜空はいつでも最高密度の青色だ」
テアトル新宿にて。2017年7月8日(土)午後1時45分より鑑賞(D-11)。

小説を映画化した作品は腐るほどあるが、詩集を映画化した作品というのはあまり目にすることがない。小説に比べて詩集は余白の多い世界であり、読み手の想像力に負うところが大きいだけに、映画にする場合にも作り手の工夫の余地がありそうだ。逆にそれがやりにくさにつながるのだろうか。

映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017年 日本)は、最近人気らしい最果タヒいう詩人の詩集をもとにした映画だ。監督・脚本の石井裕也は、「川の底からこんにちは」「君と歩こう」「あぜ道のダンディ」「ハラがコレなんで」「舟を編む」「ぼくたちの家族」など、様々なタイプの映画を監督してきた。その中でも、今回は異色作といえるかもしれない。詩集が原作という特徴を良い方向に導いて、かつてないほどに自由で大胆、そしてなおかつ繊細な作品に仕上げているのである。

この映画の骨格になるのは、美香(石橋静河)と慎二(池松壮亮)という男女の恋愛ドラマだ。2人は偶然出会い、その後も何度か再会し、少しずつ距離を縮めていく。ただし、この映画、ただの恋愛映画を越えた作品になっている。

美香は看護師をしながら、夜はガールズバーでバイトしている。慎二は建設現場で日雇いとして働いている。ある日、美香はガールズバーで、客としてやってきた慎二と出会う。2人は美香のバイトが終わった後に、渋谷の雑踏の中で再会する。さらに、まもなく建築現場で慎二の同僚が倒れ、そのまま亡くなってしまう。美香と慎二は、その葬儀の場で再び顔を合わせる。

この映画が、ありがちな恋愛ドラマにとどまらないのは、2人が心に抱えたものと大きく関係している。美香は空虚さと孤独にさいなまれている。その根底に彼女の個人的な事情があるのは間違いない。

ただし、それだけではない。彼女の空虚さや孤独には、「今の時代」「都会生活」という大きな要素が影を落としている。この映画で印象的なのは、都会=東京の風景の描写だ。喧騒と狂騒に包まれる中、そこに広がる虚無感や無機質さ。例えば、街の中で人々が集団でスマホに目をやっているシーンには、思わず胸の奥がザワザワしてしまう。そうした映像が、美香の心の奥底とダイレクトにつながってくる。

一方、慎二も不安と孤独を抱えている。彼は時々速射砲のようにしゃべるのだが、それは不安の裏返しに違いない。彼の周辺では、いわゆる社会の底辺の人々が過酷な生活を送っている。現場で急死した同僚の智之(松田龍平)、腰を痛めつつ何とか働き続ける中年男・岩下(田中哲司)、多額の借金をして実習生という名目でフィリピンから渡ってきた青年・アンドレス(ポール・マグサリン)・・・。慎二の周りには、いつも死の影がつきまとっている。彼の口癖は、「何か悪い予感がする」というものなのである。

死の影がちらつくのは美香も同じだ。彼女は勤務する病院で日常的に人の死を目にしている。また、どうやら彼女の母親は自殺したらしい。

そしてもう一つ、美香と慎二に共通するところがある。2人は、今の世の中の流れや世間の常識に押し流されそうになりながらも、それに何とか抗おうとしているのだ。例えば、慎二はアパートの隣人の独居老人と交流を持つが、それは彼が本質的に持つ他人思いの性格によるものであると同時に、隣人との交流などほぼ消えかけた現代社会に対する抵抗のようにも思える。

また、美香が恋愛に不信感を持つのも、元カレに捨てられた過去によるものであるのと同時に、安直にくっついたり別れたりを繰り返す、同世代に対する違和感の表明のようにも思えるのだ。

こうして様々な共通点を持つ美香と慎二は、ぎこちないながらも、少しずつ心を変化させて近づいていく。その様子を石井監督が繊細に描き出している。2人の悩み、苦しみ、かすかな喜び、絶えず変化する距離感などが手に取るように伝わってくるのである。

また、この映画では映像的にも様々な工夫がなされている。突然アニメが登場したり、慎二がつぶやく単語をそのまま文字にしたり……。それもまた、2人の心理をリアルに伝えるのに効果を発揮している。

終盤には、美香とヨリを戻そうとする元カレが登場したり、慎二の高校時代の同級生の女性が現れたりして、2人の心を揺さぶる。しかし、それを経て、慎二のまっすぐな思いが少しずつ美香の心をほぐしていく。

映画の最後で、慎二の悪い予感は、「きっととても良いことが起きる」というポジティブな予感へと変化して、ドラマは終幕を迎える。そこはかとない温かさと、清々しさを漂わせるエンディングである。

美香を演じる石橋静河は、石橋凌原田美枝子の次女。ほとんど笑わないその表情が、彼女が心の内を雄弁に物語っている。一方、慎二を演じるのは池松壮亮。個人的には、それほど好きな役者ではなかったのだが、今回の役はハマリ役だった。複雑な慎二の心理を巧みに表現している。

美香と慎二の恋愛の背景には、貧困、格差社会、独居老人、そして震災など、昨今の社会状況も見え隠れする。あくまでも不器用で、屈折した男女の恋愛を通して、今の時代と、都会という厄介な存在をあぶりだしてみせた石井裕也監督。この作品は、彼にとっての新境地といえるかもしれない。観る前に想像していたよりも、はるかに奥が深く素晴らしい映画だった。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金で鑑賞。