映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ヒトラーへの285枚の葉書」

ヒトラーへの285枚の葉書
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年7月20日(木)午後6時35分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

暑くてたまらない。油断すると熱中症になりそうだ。おまけに風邪まで引いてしまったらしい。

こんな時には爽やかな映画を……と思わないでもなかったのだが、諸般の事情により、ナチスものの映画を鑑賞してしまった。

ヒトラーへの285枚の葉書』(ALONE IN BERLIN)(2016年 ドイツ・フランス・イギリス)。

今までもたくさん作られてきたナチスをテーマにした映画。「もうネタ切れでは?」と思うかもしれないが、そんなことはない。この映画もなかなかユニークな映画だ。

1947年に出版されたドイツ人作家ハンス・ファラダの小説「ベルリンに一人死す」を俳優としても活躍するヴァンサン・ペレーズ監督が映画化した。とはいえ、まったくのフィクションではない。その小説は、ナチス時代のベルリンで実際に起きた事件の記録をもとに書かれたものだからである。

映画の冒頭では、1人の兵士が森の中で射殺されてしまう。何ともあっけない死だ。

続いて、舞台は戦勝気分に湧き立つナチス政権下のベルリンに移る。工場の職工長のオットーブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のもとに、出征したひとり息子ハンスが戦死したという報せが届く。そう、冒頭であっさり殺されたあの兵士だ。

夫婦は悲嘆にくれる。特にアンナの落胆ぶりは痛々しいほどだ。それに対して、オットーはアンナほど感情を表に出さない。しかし、実は彼の心の中は、悲しみと怒りが渦巻いていたのだ。

その思いをぶつけるように、彼は葉書にヒトラーへの批判を綴る。「息子はヒトラーに殺された」と。そして、その葉書を公共の場所にそっと置いてこようとする。オットーはそれを一人で実行するつもりだったが、アンナも協力を申し出る。こうして夫婦は危険な行為を続けていくのである。その数なんと285枚!

単に葉書を書いて置いてくるだけのシンプルな展開だが、これが意外に面白い。何しろ世間はナチス一色だ。もしも見つかったら大変だ。死刑は免れない。それでも夫婦は人の目を盗んで何とか葉書を置き続ける。まさにハラハラドキドキのサスペンスフルな展開が続くのだ。

そして、もう一つスリルを高めるのが、ゲシュタポのエッシャリヒ警部による捜査である。地図に旗を立てて葉書が置かれた場所を示し、犯人像をあぶりだし、真相に迫ろうとする。その経緯が緊迫感を煽る。

というわけで、スリリングで面白い展開ではあるのだが、これだけではナチスを描いた映画としては物足りない。やはり、そこには深い人間ドラマが欲しい。それがなければ、ナチスへの批判もうわっ滑りになってしまうだろう。

そんな思いを満たしてくれるのが、オットー役のブレンダン・グリーソン(「ハリー・ポッター」シリーズ、「未来を花束にして」など)とアンナ役のエマ・トンプソン(「ハワーズ・エンド」「いつか晴れた日」など)の演技だ。2人ともセリフはそんなに多くないのだが、それ以外の目の演技、手の動かし方などで多くのことを表現する。亡き息子への思い、ナチスへの怒り、夫婦愛などなど。抑制的でありながら味わいに満ち、極めて雄弁な2人の演技が、この作品を奥深いものにしているのである。

ちなみに、ナチスの映画であるにもかかわらず、この映画の言語は英語。最初は、やや違和感を持ったのだが、この2人の演技が、それを消し去ってしまっている。

それにしても恐ろしく哀しい話だ。権力者の批判をしただけで、罪に問われてしまうわけだから。その理不尽さが、スクリーン全体を支配している。前半では、ひっそり隠れて暮らすユダヤ人の老女が、死に追いやられるエピソードが描かれる。そこでは彼女を救おうとする判事なども登場するのだが、彼らにしても自分を曲げなければ生きていけない。

自分を曲げなければいけないのは、エッシャリヒ警部も同じだ。彼は有能な捜査官たらんとして捜査を続けるのだが、親衛隊の幹部はそんなことにお構いなく、理不尽で屈辱的な態度を示す。それによって、彼はある人物を死に追いやることになる。エッシャリヒ警部を演じたダニエル・ブリュール(「グッバイ、レーニン!」「僕とカミンスキーの旅」など)の存在感も見逃せない。

はたして、オットーとアンナにどんな運命が待っているのか。詳しいことは伏せるが、お気楽な救いなどはない。用意されるのは苦く、重たい結末だ。しかし、最後の最後には意外な展開が……。

自分の心に従って、愚直に小さな抵抗を続けたオットーとアンナの思いは、エッシャリヒ警部の心も打ち鳴らし、そして市民にも波及し始めたのかもしれない。そう信じたいラストシーンである。

二度とあの息苦しい時代に戻ってはならないという、作り手の強い思いが感じられる作品だった。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金にて。