映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ウィッチ」

「ウィッチ」
新宿武蔵野館にて。2017年8月9日(水)午後12時5分より鑑賞(スクリーン2/C-5)。

映画「魔女の宅急便」やテレビアニメ「魔女っ子メグちゃん」のように、かわいらしい魔女もいたりするわけだが、だいたいのところ魔女といえば怪しくて怖い印象が強い。そのためホラー映画でも、魔女は格好のネタになる。

映画「ウィッチ」(THE WITCH)(2015年 アメリカ)も、魔女をネタにしたホラー映画である。タイトルの「ウィッチ」とは「魔女」のことだから、まさにそのものズバリというわけだ。

1630年、ニューイングランド。信仰に篤いウィリアム(ラルフ・アイネソン)は、教会と衝突して入植地から追放されてしまう。そこで彼は妻キャサリン(ケイト・ディッキー)と5人の子供たちとともに、森の近くの荒れ地に移り住み、自給自足の生活を送るようになる。

そんなある日、長女のトマシン(アニヤ・テイラー=ジョイ)が赤ん坊のサムを相手に「いないいないばあ」をしていると、サムが忽然と姿を消してしまう。サムは見つからず、ウィリアムは「狼にさらわれたんだ。あきらめろ」と言う。しかし、妻のキャサリンは大いに傷つき、トマシンにつらく当たるようになる。

本作は低予算のインディーズのホラー映画のはずなのだが、とてもそうは見えない。冒頭からラストまで見事な映像が続く。セットも衣装もチープさは全くなし。むしろ格調や荘厳ささえ感じさせる映像である。そして、それらを通じて醸し出される不穏な雰囲気が絶品だ。音も効果的に使われていて、ますます不気味で不穏な空気を煽っている。

魔女ネタの映画だけに、魔女の痕跡は早くから登場する。赤ん坊のサムがさらわれた時に現れる不可思議な映像。あれは間違いなく魔女による行動だろう。ただし、それが現実なのか幻覚なのかは、曖昧なまま進んでいく。このあたりのさじ加減も絶妙だ。

赤ん坊の消失だけでなく、一家には説明のつかない様々な不幸が続く。凶作が続き、獲物もなく生活は困窮し、夫婦は仲違いし始める。

そんな中、決定的な出来事が起きる。長男の失踪だ。姉のトマシンが奉公に出されると知った彼は、何か策があるらしく馬で町に行こうとする。しかし、トマシンは「自分も連れていけ」といい、2人は一緒に森に入り込む。そして、まもなく長男は姿を消す。

長男が姿を消す過程でも、魔女らしき人物が現れて彼を誘惑するのだが、それもまた現実なのか幻覚なのか曖昧な描写になっている。やがて戻ってきた長男は、何かに呪われたようにまったく違う姿になっており、まもなく奇怪な死を遂げる。

ここに至って、ウィリアムと妻は「これは魔女の仕業に違いない」と信じ込むようになる。おりしも、双子の子供たちは「魔女はトマシンだ!」と主張する。実は、トマシンは、言うことを聞かない双子の片割れに「私は魔女だ」と脅かしたことがあるのだ。

それを聞いた両親はトマシンを疑う。一方、トマシンは「双子こそが魔女だ!」と主張する。魔女が変身した黒ヤギと、双子が契約を交わしたというのだ。こうして、どんどん疑心暗鬼が渦巻き、カオスに突入していく一家。その末に待っているのは取り返しのつかない事態だった……。

当然ながらこの映画の本筋はホラー映画であり、ディテールまでこだわり抜いた仕掛けでホラー映画らしい怖さを生み出している。唐突に出現する魔女や、いかにも怪しげなウサギや黒ヤギなどの動物たちが、実に効果的な使われ方をしている。

ただし、単なるホラー映画を越えた魅力があるのが本作の真骨頂だ。それは何かといえば、人間の心理描写である。ウィリアム一家は強い信仰心を持ち、自分たちは罪人であるとして、すべてを神に委ねた生活を送っている。そんな彼らに災いが次々に降りかかることで、混乱ぶりが倍加され、異常な心理状態に陥っていく。信仰に対する思い、家族に対する疑念、得体の知れない恐怖、その果てに直面する絶望など、一家の人々による異常な心理劇が濃密に展開されているのである。

おかげで、チープなホラー映画のようなウソ臭さを感じることもなく、素直にその怪し気な世界に入り込んでしまうのだった。

考えてみれば、中世の魔女裁判を見ればわかるように、魔女を生み出したのは人間の心理そのものなわけで、それを再現したドラマといえるかもしれない。本当に怖いのは魔女よりも、きっと人間の異常な心理なのだ。

ラストシーンも意味深だ。トマシンは本当に魔女になったのか。それとも、あれもまたただの幻覚なのか。はたして皆さんはどう考えるだろうか。

そんなトマシン役を演じたアニヤ・テイラー=ジョイは、この映画で一気に注目されて、M・ナイト・シャマランの「スプリット」でヒロインを務めた。父親役のラルフ・アイネソンはじめ、その他の役者の演技もいずれも出色だ。アメリカのインディーズ映画を観ると、本当に役者の層の厚さを見せつけられる。

そして、この映画で第31回サンダンス映画祭の監督賞に輝いたロバート・エガース監督は、ホラー映画の古典的名作「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)のリメイク版監督に抜てきされたとか。そりゃあ、誰でも目をつけるでしょう。インディーズでこれだけの映画を撮ってしまうのだから。

とにもかくにも、ホラー映画好きならずとも一見の価値がある魅惑的な作品である。

●今日の映画代、1000円。新宿武蔵野館の毎週水曜のサービスデー料金で鑑賞。