映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「パターソン」

「パターソン」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年8月26日(土)午後2時10分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

ユニクロで買った「ダウン・バイ・ロー」のTシャツをしばらくの間愛用していた。単にデザインがカッコよかったからだ。実のところジム・ジャームッシュ監督の「ダウン・バイ・ロー」を観たのは、1986年の日本初公開から30年近く経った数年前のことなのだ。恥ずかしながら。

そんなわけで、けっしてジャームッシュ監督の熱心なファンではないオレだが、それでも数えてみたら7~8本の作品は鑑賞していた。そして、そのどれもが独特の世界観を持つ、捨てがたい味わいの作品ばかりだった。

新作「パターソン」(PATERSON)(2016年 アメリカ)も同様だ。実は、この映画には起伏のあるドラマはまったくない。にもかかわらず、スクリーン全体から独特の味わいがジワジワとにじみ出るのである。

舞台となるのは、アメリカ・ニュージャージー州のパターソンという街だ。そして主人公の男の名前もパターソンという。この設定も、いかにもジャームッシュ監督らしい。

パターソン(アダム・ドライヴァー)は、路線バスのバス運転手をしている。毎朝同じ時間に妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)の隣で起きてキスをする。そして同じメニューの朝食をとり、仕事に向かう。夜は愛犬マーヴィンの散歩をして、途中でバーに立ち寄り1杯だけビールを飲む。そんな彼の一週間を描いたのがこの映画だ。

はた目には単調な日々ではあるものの、そこには微妙な違いもある。例えばバスの窓から見える街の風景。あるいは乗客たちの会話。気に入った女の子の話から、昔この町に住んでいたというアナーキストの話まで、様々な乗客たちの話を聞いてパターソンは少しだけ表情を変える。また、行きつけのバーでは、マスターや常連客と日々違った会話をする。

そして、何よりも日々の生活を彩るのが奥さんのローラだ。アートに興味があるのか、部屋のカーテンをはじめインテリアに斬新なデザインを施し、市場でカップケーキを焼いて販売し、うまくいったらビジネスにしたいと目論む。さらに、突然ギターを購入して、いずれはカントリー歌手になりたいと言い出す。かなりかっ飛んだ奥さんである。

そんな日々の中から、パターソンは詩を創作し、それをノートに書き留めている。ローラは「発表しろ」と勧めるが、本人にはその気がないらしい。

この映画のユニークなところは、パターソンが作った詩をスクリーンに映し、彼自身が朗読するところだ。それは、妻への愛をはじめ日々感じたことをモチーフにした日常の中から紡ぎ出される詩だ。パターソンの日常と詩の世界がリンクして、何ともほほえましく穏やかな気持ちになってくる。

それ以外にも、コインランドリーで自作のラップを練習する男、詩を作る少女など、詩は様々な形でこの映画に登場する。

ユーモアもタップリだ。いつも「最低だ」と身の回りの出来事をぼやくバス会社の社員、変わった料理を作ってパターソンを困らせるローラ、そして何よりもブルドックのアーヴィンの人を食ったような行動が笑いを誘う(郵便ポストの一件は特に爆笑モノ)。

冒頭でのローラの「双子の子供ができた夢を見た」という発言を受けて、それ以降、何度も双子が登場するというのも、ユーモラスであるのと同時に独特の世界観を感じさせる。パターソンが気に入っているマッチ箱、毎日持参するサンドイッチと妻の写真入りのランチボックスなど小物へのこだわりも特徴的だ。

映画の後半では、パターソンとローラが、2人でアボットコステロの昔の映画を観に行く。かつての人気お笑いコンビアボットコステロの片方は、この街の出身なのだ。ノスタルジックで温かな気持ちにさせてくれるシーンである。

ところが、その後にはこの映画で最大の波乱が起きる。それまでも、バスが故障してストップしたり、バーで男が玩具の拳銃を出してパターソンが勇敢に制止するエピソードなどはあるのだが、パターソン自身にとってはこの出来事が最もショッキングだったろう。

その証拠に虚ろな表情で、滝に面した公園のベンチに座るパターソン。そこで登場するのが永瀬正敏演じる日本から来た詩人だ。彼の存在がパターソンを救い、最後は再び穏やかでほのぼのした空気感のままエンディングを迎える。

パターソンを演じたアダム・ドライヴァーの演技も味わいがある。「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」や「沈黙 -サイレンス-」とは違い、市井の人の微妙な感情の動きを繊細に表現している。

また妻ローラ役は、アスガー・ファルハディ監督のイラン映画彼女が消えた浜辺」で注目されたゴルシフテ・ファラハニ。キュートな奥さんを魅力的に演じている。

市井の詩人の日常を淡々と切り取った作品だ。これほど何も起きないのに、これほど温かな心持にさせられる映画はめったにないだろう。ジム・ジャームッシュ監督ならではの映画といえそうだ。


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