映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「彼女がその名を知らない鳥たち」

彼女がその名を知らない鳥たち
新宿バルト9にて。2017年11月3日(金・祝)午後2時20分より鑑賞(シアター2/D-8)。

たいていのドラマには、誰かしら共感できる人物が登場する。それが観客の感情移入を促し、感動やカタルシスにつながる。だが、沼田まほかるの小説を映画化した「彼女がその名を知らない鳥たち」には、共感できる人物がまったく登場しない。こうした作品は極めて珍しい。

主人公は十和子(蒼井優)という女。彼女は下品で貧相な15歳上の男・陣治(阿部サダヲ)と暮らしている。自ら仕事をすることもなく、彼の稼ぎのみで生活している。それでいて、陣治に激しい嫌悪感を抱き、何かと悪態をついている。

そんな十和子は、8年前に別れた黒崎(竹野内豊)のことが忘れられずにいる。ある日、十和子は妻子ある水島(松坂桃李)と出会う。そして、黒崎の面影を重ねるように彼との情事に溺れる……。

本作の主要な登場人物は、みんな嫌なヤツである。十和子は映画の冒頭で、百貨店に対して電話でクレームをつけている。大阪弁の独特の言い回しもあって、その口調が実に憎たらしい。このシーンだけで十和子が、絶対に関わりたくないような嫌な女であることが一目瞭然なのである。

その十和子に徹底的に尽くす陣治も、お世辞にも共感できる人物とは言い難い。何よりもその下品さが際立っている。食事の最中に靴下を脱ぎ、足の指をいじる。十和子が「あんたみたいな不潔な男にそんな触られ方をしたら、虫酸が走る!」と罵倒するのも、思わず納得してしまうのだ(まあ、そこまで言わんでも……という気はするが)。

そして何よりも、彼の十和子に対する接し方は尋常ではない。劇中で、十和子が黒崎を思い出して身悶えする場面がある。陣治は自らの手を使って十和子に快感を与える。しかし、自ら快感を得ようとはしない。もはやストーカーという言葉さえも陳腐に聞こえてしまうほど、病的な執着ぶり、献身ぶりなのである。

8年前に十和子と別れた黒崎も嫌なヤツだ。甘い言葉で十和子を誘い込み、利用するだけ利用する。自分の利益のために、別の男に抱かせさえする。その挙句に、十和子に重傷を負わせてポイと捨てる。まさにサイテー野郎なのだ。

その黒崎の面影を重ねて十和子が深みにはまる水島も、例外ではない。妻子がありながら、巧みに十和子をその気にさせ、どんどん虜にする。女を手玉に取るロクデナシである。

この映画の監督は「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌。さすがにロクデナシを描かせたらピカイチだ。その破格の嫌さのせいで、観客は誰にも感情移入などできないのである。

だが、それで終わらないのがこの映画の面白いところだ。最初はただの嫌な女だった十和子だが、次第にその心の隙間が見えてくる。それは、どうしようもない目に遭わされても、裏切られても、まだどこかで黒崎に惹かれてしまう悲しい性である。水島との関係についても、すでに彼の行動や発言に破綻を感じ取っているにもかかわらず、それでも会いたいと押し掛ける。

そんな十和子の心理を、イメージショットなども使いながら表現していく白石監督。水島と過ごすラブホテルの天井から大量の砂が降り注ぐシーン、アパートの部屋のベッドから黒崎が佇むリゾート地の海岸へと突然転移するシーンなど、どれも鮮烈なショットである。

ドラマの転機は、突然の刑事の来訪によって訪れる。刑事は十和子に、黒崎が行方不明であることを告げる。十和子は、黒崎の失踪の背景を探るうちに、彼女の日常を監視していた陣治に対して疑念を抱くようになる。

陣治の告白によって事件は終わりを迎えるかと思いきや、その後には意外な展開が待っている。水島に対する暴力が、黒崎のそれと重ね合わされ、すべての真相が明らかにされるのだ。

最後に取った陣治の驚愕の行動。そして、その前後に映し出される彼と十和子との出会いから今日まで。はたして、陣治の行動を純愛と呼べるのか。あるいはゆがんだ愛なのか。いずれにしても、究極の愛の形には違いない。ロクデナシどものドラマが、最後には愛のドラマへと見事に転化したのである。

沼田まほかるは、「イヤミス」の代表的な作家といわれる。イヤミスとは、読んで嫌になる後味の悪いミステリーのことだ。沼田作品では、最近では「ユリゴコロ」が映画化されたが、あれも後味の悪い映画だった。しかし、今回はそれほど後味は悪くない。むしろ究極の愛の形に、心を揺さぶられる観客も多いのではないか。

俳優陣もいずれもなかなかの演技。特に蒼井優といえば、かつては“癒し系”の代表選手だったが、今では完全に脱皮して幅広い役がこなせるようになった。本作は、その中でも新たな側面を開いた作品といえるかもしれない。

●今日の映画代、1400円。だいぶ前にムビチケ購入済み。

◆「彼女がその名を知らない鳥たち
(2017年 日本)(上映時間2時間3分)
監督:白石和彌
出演:蒼井優阿部サダヲ松坂桃李村川絵梨赤堀雅秋、赤澤ムック、中嶋しゅう竹野内豊
新宿バルト9ほかにて全国公開中
ホームページ http://kanotori.com/