映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」

「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」
シネマカリテにて。2018年3月14日(水)午前10時15分より鑑賞(スクリーン2/A-5)。

けた外れに変わった映画をつくる監督がいる。いわゆる「怪作」というやつだ。ギリシャのヨルゴス・ランティモス監督も、そんな監督の一人。前作「ロブスター」(2015年)は、独身が罪とされる未来世界を舞台にした奇妙なSFラブストーリー。ブラックな笑いとシニカルな視点が満載で、「この監督、相当に底意地が悪いんじゃないの?」と思わせられるような作品だった。

そのランティモス監督の新作「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(THE KILLING OF A SACRED DEER)(2017年 イギリス・アイルランド)は、タイトルも奇妙なら中身も奇妙。またしても怪作と呼べる作品である。

何しろ冒頭からビックリさせられる。荘厳なクラシック音楽が流れる中、映し出されるのはドクンドクンと脈打つ人間の心臓。どうやら心臓外科医である本作の主人公スティーブン(コリン・ファレル)による手術シーンらしいのだが、いきなりこんなキモイ映像を登場させるとは何というアクの強さ!

その後、スティーブンはマーティン(バリー・コーガン)という16歳の少年と会う。腕時計をプレゼントするなど、日頃から何かと気にかけている様子。ということは、彼の息子なのか?

いやいや、そうではないようだ。スティーブンは郊外の豪邸で美しい妻(ニコール・キッドマン)と2人の子どもと暮らしていた。幸せな暮らしのように見える。マーティンとは、家族に内緒で会っているらしい。それじゃマーティンは何者なのだ? もしかして隠し子? それとも年の離れた同性愛カップル?

まもなくマーティンの正体がわかる。スティーブンは手術中に患者を死なせた過去がある。その患者の息子がマーティンなのだ。

それにしても、なんとまあ不穏で、謎めいた世界なのだろう。様々にアングルを変えるカメラや変幻自在な音楽&効果音で、観客の心をささくれ立たせる。例えば、冒頭近くの家族の食卓シーン。ただ普通に食事をしているのだが、どこか奇妙な風を吹かせる。「コイツら本当はヤバイ家族なんじゃないの?」と感じさせてしまうのだ。

やがてスティーブンはマーティンを自宅に招いて、家族に紹介する。それをきっかけに、マーティンはストーカー的な行動をとるようになる。スティーブンの病院にアポなしでやってきたり、長女のキムに接近したり。とくれば、これはもうどう考えても復讐劇だろう。マーティンが父を死なせたスティーブンに復讐するのに違いない。

案の定、彼は復讐を開始する。だが、その構図は想像を超えるユニークさだ。マーティンはスティーブンに恐ろしいことを告げる。「父親を殺したのだから、自分の家族を1人選んで殺せ。でないと、スティーブン以外家族は全員死ぬ」。その言葉通りに、長男のボブは突然立てなくなる。食欲もなくなる。その後は目から血を流して死ぬことになる。マーティンはそう予告していた。

スティーブンはマーティンの予告を否定しようと必死になる。だが、今度は長女のキムが立てなくなってしまう。このまま家族全員が亡くなってしまうのか?

これはもはやオカルトの世界だ。いったいどうしてスティーブンの子どもたちがそんな状態になったのか。マーティンは超能力者なのか。そうしたことに関する説明は一切ナシ。強引な展開にも思えるが、それこそがランティモス監督の思う壺だろう。そうやって観客を混乱させるのは彼の常とう手段。あえて狙ってやっているはずだ。

そして、その常識外れの展開を通して描かれるのは、1人の少年の出現によってガラガラと崩壊していく家族のもろさである。スティーブンは家族の誰か1人を選んで殺さないと、全員を死なせてしまうというギリギリの状態に追い込まれる。そして誰を選択するかで大いに悩む。一方、家族は選択権を持つスティーブンにすり寄ったり反発する。その間に、強い絆で結ばれているように見えた家族が、どんどんバラバラになっていく。

そんな家族を見つめるランティス監督の視線は冷徹だ。誰にも寄り添うことなく、醒めた視点で見つめ続ける。それがまた不穏で、不快で、謎めいた世界を増幅させていくのである。

ジリジリするような緊迫感の中で、家族は追い詰められていく。はたして、スティーブンはどんな選択をするのか。その結末には賛否両論ありそうだが、いずれにしても後味の良いエンディングではない。もちろん安易なハッピーエンドなどはない。それでもラストのレストランでの全員集合シーンが、独特の空気感を醸し出し、あとあとまで心に残ってしまうのだ。

コリン・ファレルニコール・キッドマンバリー・コーガンがいずれも素晴らしい演技を見せている。平板なセリフが多く、それ以外のところで雰囲気を出さねばならないドラマだけに、なおさら彼らの演技が光っている。ヘタな俳優が演じていたら、B級ホラーで終わっていたかもしれない。

ジャンル分けすれば、オカルトチックなサイコサスペンス&ホラーという感じの映画だろう。だが、そんなジャンル分けはどうでもいい。観客の心に嫌な感じを刻み付けて、いつまでも忘れさせない怪作だ。安易に誰にでも勧めはしないが、怖いもの見たさでいっぺん鑑賞してみてはいかが?

「また、こんなん作ってしまいましたけど。どうでっしゃろ?」(何で大阪弁なのだ?)。ニヤリと笑うランティモス監督の顔が思い浮かぶ。やっぱりこの人、相当に性格の悪い監督なのかも……。

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◆「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(THE KILLING OF A SACRED DEER)
(2017年 イギリス・アイルランド)(上映時間2時間1分)
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:コリン・ファレルニコール・キッドマンバリー・コーガン、ラフィー・キャシディ、サニー・スリッチ、アリシア・シルヴァーストーン、ビル・キャンプ
*シネマカリテほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.finefilms.co.jp/deer/