映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「菊とギロチン」公開スタート

菊とギロチン
テアトル新宿にて。2018年7月7日(土)午後2時10分より鑑賞(G-17)

瀬々敬久監督の構想30年の力作「菊とギロチン」がいよいよ公開になった。これまでにも何度か書いたが、本作は一般から製作資金を募り、オレもほんの少額をカンパさせてもらった。すでに6月18日に渋谷のユーロライブで行われた支援者向けの試写会で、完成した作品を一度観たのではあるが、やはり劇場でも観たいと思い、さっそく初日に足を運んだ次第だ。

この日は、舞台挨拶付きの上映。午前10時の回の上映後と、午後2時10分の回の上映前に舞台挨拶が行われた。オレが観たのは午後2時10分の回。舞台挨拶では、瀬々監督の紹介で次々にキャストが登壇した。木竜麻生、東出昌大寛一郎韓英恵・・・。総勢約30人。テアトル新宿の舞台挨拶の登壇者最多記録らしい。

この映画を観ればよくわかるが、有名無名にかかわらずすべてのキャストが一体となって、チームで作り上げた作品であり、それにふさわしい舞台挨拶だったといえるだろう。キャストたちが一言ずつ挨拶した後には、女相撲相撲甚句「イッチャナ節」が披露されて会場は大いに盛り上がった。

その後、いよいよ上映開始。一度試写で観た時にも感じたのだが、すさまじいエネルギーに満ちた映画である。その源泉は、人と人とのぶつかり合いにあるのではないだろうか。女相撲の力士たちのぶつかり合いだけでなく、様々な登場人物がぶつかり合う映画だ。それは敵同士だけではない。味方同士もお互いの考えや思いをぶつけ合い、激しく対峙する。そこから想像を超えたエネルギーが発せられる。

二回目の鑑賞だけに、ストーリー展開や結末はわかっている。だが、それゆえ見えてくるものも多い。一度目には気づかなかった細かな点が見えてきた。特に様々なエピソードの過程がていねいに描かれているのが印象的だった。アナキスト集団のギロチン社の面々が女相撲に影響を受けるあたりは、一度目以上に説得力が感じられた。

ギロチン社の連中の迷走ぶりも、ただデタラメなのではなく、社会を変えたいという強い思いはあるものの、閉塞感漂う社会の中で何をすればよいのかわからないという焦燥感が背景にあることが理解できた。

後半で急展開を見せる女力士・勝虎と従業員の三治との関係も、一度目にはやや唐突に思えたのだが、よく見るとちゃんとそこに至る前フリが描かれていた。

もちろん一度目に観て素晴らしかったところは、今回さらに輝いて見えた。ギロチン社の中濱と古田、女力士の花菊と十勝川が集った夜の海のシーンは特に忘れ難い。十勝川の壮絶な体験の告白、それに対する中濱の謝罪などがオレの心を直撃した。

まるで大正末期にタイムスリップしたかのような世界を現出させた美術にも、改めて感服させられた。そして、やっぱり役者たちの熱い思いだ。すべての役者の演技に気持ちがこもっているから、ウソ臭さがまったくない。どのシーンも、まぎれもない真実として胸に迫ってくるのである。

3時間9分の長尺ながらまったく、その長さを感じさせない濃密な作品。上映後に客席からは大きな拍手が巻き起こった。そして、エンドクレジットの自分の名前を見て、つくづくこの映画を支援してよかったと思った。

自分が支援したから言うわけではない。今年の日本映画の中でも有数の素晴らしい映画だと思う。ぜひ劇場へ!!

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