映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「バーニング 劇場版」

「バーニング 劇場版」
TOHOシネマズシャンテにて。2019年2月8日(金)午前9時40分より鑑賞(スクリーン1/D-9)。

村上春樹の原則を大胆にアレンジした今の若者たちが抱える迷宮

いわずと知れた作家の村上春樹。その小説は過去にも何度か映画化されている。とはいえ、あの独特の村上ワールドを再現しようとして、あまりうまくいかなかったように思える作品もある。

シークレット・サンシャイン」「ポエトリー アグネスの詩(うた)」などで知られる韓国の名匠イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」(BURNING)(2018年 韓国)は、村上春樹の短編『納屋を焼く』の映画化。とはいえ、換骨奪胎ともいえる大幅なアレンジをして、独自の世界を構築している。

ちなみに、タイトルになぜ「劇場版」とあるのかと思ったら、昨年12月にNHKでドラマ版が放送されたらしい。ただし、それはこの映画を短く編集した吹替え版のようなので、こちらがオリジナルといってもいいだろう。

物語の主人公は、小説家を目指してアルバイト生活を送るジョンス(ユ・アイン)だ。彼は、同郷の幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)とデパートの前で偶然再会する。ヘミはキャンペーンガールのようなバイトをしていた。

再会したばかりの2人の会話が面白い。パントマイムを習っているというヘミは、そのコツを伝授する。それは、そこに“ない”ものについて、“ない”ことを否定するという主旨。何やら哲学問答のような会話だ。アフリカの“ハングリー”に関するユニークな話も飛び出す。原作は未読だが、会話自体は原作に沿ったものが多いというから、これもそうかもしれない。

なぜヘミがアフリカの話を出したかというと、彼女は近々アフリカ旅行に行くからだ。その留守の間、ジョンスに自宅に来て飼い猫にエサをあげてほしいと言う。その言葉に従って、ジョンスはヘミのアパートに通い猫にエサをあげる。とはいっても、人見知りするという猫は一度も姿を現さない。

実は、この「姿を見せない猫」という設定が終盤の伏線になっている。いや、伏線はそれだけではない。数々の伏線があちらこちらに張り巡らされている。ピンクの腕時計、無言電話、水のない井戸・・・。様々なメタファーも散りばめられている。そのあたりの構成が実に巧みな映画である。

そして、ヘミの留守の間も、ジョンスは彼女に対する思いを募らせる。2人は再会直後に関係を持ってしまうのだが、ヘミはともかく、ジョンスは彼女に完全に心を奪われているのだ。

半月後、ヘミは帰国する。連絡を受けて空港に迎えに行ったジョンスに、ヘミはアフリカで知り合ったという裕福そうな青年ベン(スティーヴン・ユァン)を紹介する。

ここからは微妙な関係の3人による日常が描かれる。ヘミに好意を持つジョンスは、ベンと彼女との関係を想像し、心穏やかではいられない。それでも、誘われるままに3人でお茶を飲んだり、ベンのオシャレなマンションで食事を楽しんだりする。こうして前半は、三角関係を中心にした青春映画の趣でドラマが進む。

そして、この映画には、若者を取り巻く現代の社会状況が投影されている。劇中では、韓国の若者の失業率の高さを伝えるニュースが流れる。また、トランプ大統領の演説なども流れてくる。そうした社会状況を背景に、3人の若者のキャラが位置づけられる。

ジョンスは定職もなく、おまけに母に捨てられ、畜産業に失敗した父は暴力沙汰を起こして裁判中だ。いわば孤独で、迷路の真っただ中にいる若者なのである。それとは対照的に見えるベンは、若者の中の勝ち組であり、それゆえなおさらジョンスの心はかき乱される。

一方、まるで鳥のように自由奔放に羽ばたくヘミだが、彼女にも暗い闇があることが後になって明らかになる。つまり、イ監督は、失業や格差、貧困といった若者を取り巻く社会問題を、明確にドラマの中に盛り込んでいるのである。それがこの映画の大きな特徴だ。

何とか微妙な関係を続けていた3人の関係が大きく変化するのは、ジョンスの実家での出来事からだ。3人は庭にテーブルを置いてワインを飲み、大麻を吸う。やがて大麻でハイになったヘミは、服を脱いで踊り始める。

このヘミが踊るシーンが実に美しい。夕焼けを背景にした幻想的、かつ退廃的な美に満ちたシーンだ。それ以外にも、美しい映像があふれんばかりに詰め込まれた映画である。

そして、この後、ジョンスはヘミに言ってはならない言葉を吐く。さらに、ベンはジョンスに「時々ビニールハウスを燃やしている」と告白する。彼の心にもまた闇があったのだろうか。

この後ヘミが姿を消す。後半は、彼女の行方をめぐるミステリー劇に転化する。破滅の予感を秘めた不穏なミステリー劇だ。ジョンスは彼女を必死に探す。ベンに疑惑を抱き、彼を付け回す。そこには、「ベンは本当にビニールハウスを燃やしているのか?」という疑念もある。

その果てに知る意外な事実。すべてを悟ったジョンスは、青春の終焉を自覚して大人への階段を上るかと思いきや、最後に待っていたのは、これ以上ないほどの衝撃的な出来事だった。ええ? まさか・・・。

しかし、冷静に考えれば、あの結末はありだろう。そこに至るまでの様々なことを考えれば、自然な結末ともいえる。ジョンスをいらだたせたのは、ヘミの失踪だけではない。家族をめぐる問題や自身の現状などが黒点となって集積し、心のうちの深い闇になっていたのだろう。そこにヘミの一件が加わって、一気に爆発したに違いない。それにしても燃えるのは、ビニールハウスだとばかり思っていたのだが。

ジョンスを演じたユ・アイン、ベンを演じたスティーヴン・ユァン(TVドラマ「ウォーキング・デッド」でブレイクしたとのこと)、そしてヘミを演じたチョン・ジョンソの3人のキャストが、いずれも適役だ。特に新人だというチョン・ジョンソは不思議な魅力がある。

村上春樹の原作を借りつつも、現代の若者の抱える孤独と葛藤を見せつけ、生きる意味とは何かという深遠な問いまで投げかけた衝撃作だ。さすがイ・チャンドン監督である。

 

*残念ながら画像(チラシ)がないので、ぜひ公式ホームページをのぞいてみてください。映像美をはじめ、この映画の魅力が伝わるはず。

 

◆「バーニング 劇場版」(BURNING)
(2018年 韓国)(上映時間2時間28分)
監督:イ・チャンドン
出演:ユ・アイン、スティーヴン・ユァン、チョン・ジョンソ
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://burning-movie.jp/