映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「バイス」

バイス
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年4月8日(月)午後12時20分より鑑賞(スクリーン9/E-11)。

~稀代の怪物政治家を複眼で描いた社会派エンターティメント

どこの世界でもトップの人間よりも、その下のナンバー2の方が権力を握っていたりするものだ。それを地で行ったのが、ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)政権で副大統領を務めたディック・チェイニー。彼を主人公に据えた映画が「バイス」(VICE)(2018年 アメリカ)である。タイトルの「バイス」とは、バイス・プレジデント=副大統領のことのようだ。

チェイニー副大統領が主人公の映画とくれば、普通は彼の伝記映画。だが、そうはいかない。なにせ監督は「俺たちニュースキャスター」「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のアダム・マッケイだ。伝記映画的な要素以外にも、コメディ、政治ドラマ、ドキュメンタリーなど様々な要素を持つ異色の社会派エンターティメント映画なのである。

青年時代のチェイニー(クリスチャン・ベイル)は絵に描いたようなダメダメ男。酒とケンカで名門大学を退学になり、しがない電気工をしていたが、そこでも酒とケンカでトラブルを起こす。そんな彼に対して、婚約者のリン(エイミー・アダムス)は最後通牒を突きつける。彼女に叱咤されてチェイニーは政界を目指し、やがて下院議員ドナルド・ラムズフェルドスティーヴ・カレル)のもとで政治を学ぶ。その後、紆余曲折はあるものの、チェイニーは次第にのしあがり、大統領首席補佐官、国務長官などを歴任する……。

ラムズフェルドのもとで働いていた時の印象的なエピソードがある。チェイニーが「理念は?」と尋ねると、ラムズフェルドは高笑いするのだ。要するに政治に理念など要らない。ただの権力ゲームというわけだ。それをそのままチェイニーが受け継いだことを示唆する場面だ。

もちろん人間だから、チェイニーにも苦悩や葛藤はある。だが、それを深く描くことはしない。したがって、人間ドラマとしての深みに欠けるのは事実である。だが、それが逆にピカレスク(悪漢)小説的な面白さを生み出す。どう考えても、チェイニーは狡猾なワル。そいつがのし上がるさまが、面白おかしく描かれているのだ。

同時に、こういう人間の台頭を許した当時のアメリカ社会の実像もあぶりだす。なぜアメリカがどんどん右傾化していったのか。それを様々な形で暴いていく。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画のような雰囲気の場面もたくさんある。マイケル・ムーアに負けず劣らずシニカルでユーモラスで、痛烈な視点がアメリカに対して向けられている。

とにかく様々な仕掛けが詰め込まれた映画である。中盤のハイライトはエンドロール。娘が同性愛者であることを知ったのを機に、チェイニーは政界を離れて大手石油会社のCEOとなり、家族と田舎で暮らす。「めでたし。めでたし」というわけで、そこでエンドロールが流れる。だが、実はこれはニセのエンドロールなのだ。

この仕掛けは、観客を楽しませるのと同時に、「本当にあのまんまチェイニーが引退していたら、アメリカはこんなにならなかった」と言っているかのようにも見える。

その後、チェイニーはジョージ・W・ブッシュサム・ロックウェル)に誘われて、副大統領候補になる。そこでもすぐに要請を受けるのではなく、あれこれともったいぶって、自分の権力を絶大なものにしようとする。それまではお飾りでしかなかった副大統領を、本物の権力者にしようとする策略だ。ブッシュの無能さを見越したうえでの行動である。

そのあたりではチェイニー夫妻にシェイクスピア劇を演じさせたり、レストランで悪だくみをするチェイニーらに、ウエイターが「法改悪」のメニューをおススメするというシュールでブラックな場面なども用意されている。

そしてついに副大統領の座に就き、ブッシュを巧みに操り、権力を自らの元に集中させるチェイニー。そこで起きたのが9.11のテロだ。それを利用して、チェイニーは強引にイラクへの戦争を仕掛ける。その過程でチェイニーは、でっち上げに近いことを平気で行い、どんなに汚い手を使ってでも戦争に突き進む。イラク戦争の背景として、石油会社とチェイニーの癒着も示唆される。

もちろんマッケイ監督は、そんなチェイニーを批判的に描いているのだが、ここまでとんでもないことが続くと、もはや冗談のようにさえ思えてくる。恐ろしさを通り越して不謹慎ながら笑ってしまうのだ。

それでも、やがてチェイニーの化けの皮が剥がれる。そして、その後のチェイニーが描かれる。そこでも予想もしない仕掛けがある。実は、この映画は全編がある人物によるナレーションで進められる。時々彼の姿が映るのだがその正体は謎のまま進む。最終盤になってその正体が明かされ、チェイニーの運命と絡むのである。

エンディングでは、チェイニーが行った愚策のせいで、どれだけの犠牲があったかが告げられる。それが今のアメリカ政治に影響を与えていることも指摘する。そして、チェイニーと妻は今も健在だ。

やがてエンドクレジットが流れる。今度こそ本当の終幕だ。だが、その途中でまたまだユニークな仕掛けがある。劇中のあるシチュエーションを使ってリベラル派と保守派のケンカを見せるのだ。それは、今のアメリカの分断を象徴するような場面である。

チェイニーを演じたのは、クリスチャン・ベイル。作品ごとに肉体改造をする役者といえば、「ダラス·バイヤーズクラブ」のマシュー·マコノヒーなども有名だが、こちらも負けてはいない。今回は体重を20キロ増力するなど、完璧に本人になり切った演技だ。写真を見れば一目瞭然。クリスチャン・ベイルと言われても、にわかには信じられない姿である。

その他にも、ラムズフェルド役のスティーヴ・カレル、ブッシュ役のサム・ロックウェル、パウエル役のタイラー・ペリーなどのなり切りぶりも半端ではない。チェイニーの妻役のエイミー・アダムスも好演だ。

単なる伝記映画ではなく、複眼的に楽しむべき映画である。ブラックでシュールで笑えるが、最後には権力の恐ろしさが伝わってくる。

それにしても、日本じゃこんな映画絶対にできないだろうな…。

 

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◆「バイス」(VICE)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間12分)
監督・脚本:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベイルエイミー・アダムススティーヴ・カレルサム・ロックウェル、タイラー・ペリー、アリソン・ピル、ジェシー・プレモンス
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
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