映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「誰がために憲法はある」

「誰がために憲法はある」
ポレポレ東中野にて。2019年4月29日(月・祝)午前10時30分より鑑賞(自由席/整理番号31)。

~名優・渡辺美佐子の生き様と地に足の着いた平和への思い

安倍首相が憲法改正を叫んでいる。それに対する賛否は人それぞれだろうが、気になるのは、国民がよく理解しないままに改正を進めているように見えることだ。改正しようがしまいが、問題は内容だろう。まさか何でもかんでも改正して、「憲法改正を成し遂げた偉大な指導者様だ!」という、どこぞの国みたいな称号が欲しいわけでもあるまいに。

そんな中、憲法や戦争、平和について考えるきっかけになりそうな映画が「誰がために憲法はある」(2019年 日本)である。監督はかつて若松プロに在籍し、「戦争と一人の女」「大地を受け継ぐ」などの監督や「止められるか、俺たちを」の脚本などで知られる井上淳一

滑り出しは一人語りから始まる。憲法を擬人化して、「70歳になります。リストラの危機にあります」と訴える芸人・松元ヒロの「憲法くん」だ。ただし、ここで語るのは松元ではない。今年87歳になる名優の渡辺美佐子である。もちろん、松元の語りはオリジナルだし、芸人らしいユーモアにあふれているのだろう。しかし、渡辺が演じることで、そこに重みと深みが加わる。

憲法には改憲条項がある。だが、変えていいところと変えていけないところがあるのではないか。憲法を変える理由は、現実に合わなくなったからだという。だが、理想を現実に近づけるよりも、現実を理想に近づけるのが本当ではないのか。そんな言葉の一つ一つが胸にジワジワと広がってくるのだ。

そこから話は渡辺たちが33年に渡って演じている原爆朗読劇に映る。制作団体が解散した後は、女優たちが自ら制作を買って出て公演を続けてきた。高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝……。いずれ劣らず、演劇や映像の世界で活躍し続けてきた名優ばかりである。

彼女たちのこの朗読劇に対する思いが語られる。関わったきっかけやその背景は人それぞれだが、いずれも平和への強い願いを持ち、この朗読劇に熱い思い入れを抱いていることがわかる。

なるほど、断片的ではあるが、映画の中に登場するその公演風景は圧倒的なものだ。原爆にまつわる当事者たちの思いが、ウソのない言葉で語られる。特に被爆した子供たちの叫びが痛烈に胸に迫る。「天皇陛下万歳、お母さん万歳」と言って最期を迎えた子供たちには、掛ける言葉もない。女優たちは、そうした声を魂を込めて演じている。

だが、そうだとしても、なぜ渡辺はこの朗読劇を執念ともいえる形で続けてきたのか。中盤ではその真実が明かされる。そこには、彼女の幼い頃のある思い出が存在していた。小学校時代の初恋の少年と原爆との関りである。戦後35年目にあたる1980年にそのことを知った渡辺の思いが、朗読劇の原点となった。このあたりの展開では、ややミステリー的な魅力も楽しめる。

渡辺が原爆ドームを訪れ、慰霊碑に献花するシーンは涙を誘われる。この映画は単に憲法や戦争、平和に対して問題提起しているだけではなく、名優・渡辺美佐子の波乱と感動に満ちた人生のドラマにもなっているのだ。その生き様そのものが、憲法や戦争の話とリンクするのである。

この映画のもう一つの大きな要素は「継承」である。戦争を直接知る世代が減る中で、渡辺たちはこの朗読劇を2019年限りで終えるという。そこには諸事情があるのだが、自分たちの活動を様々な形で受け継いでもらいたいという思いは、すべてのメンバーに共通している。

公演を終えた渡辺たち出演者と、中学生たちの対話の様子も登場する。そこに、次世代への継承の萌芽を感じ取ることができる(とはいえ、このシーンには裏事情があるそうで、それを聞いて愕然としたのだが)。はたして、彼女たちの思いは継承されるのか。それはすべての人々に課せられた課題だろう。

最後には、再び渡辺による「憲法くん」が登場する。改めて、渡辺の肉声で語られる憲法前文。それはまさに美しく、崇高な理想である。渡辺の人生や思いを知った後だけに、なおさら胸に迫ってくる。やはり憲法を考えるなら、この前文を原点にすべきではないのか。

また、本作の音楽は頭脳警察PANTAが担当し、自身の曲「さようなら世界夫人よ」とパブロ・カザルスの演奏で知られる「鳥の歌」をヴァイオリンの阿部美緒たちが演奏している。こちらの音楽も素晴らしい。

けっして声高な憲法反戦についてのメッセージを発した映画ではない。渡辺が語るのは「当たり前の日常」の大切さ、かけがえのなさである。そういう点では、こうの史代原作、片渕須直監督のアニメ「この世界の片隅に」と共通する要素もあると思う。渡辺の人生を通して、地に足の着いた平和への思いが伝わってくるドキュメンタリー映画だ。

ちなみに、本作は動員も好調なようで、鑑賞当日は入りきれない観客のために、2階のカフェで特別上映も行われたとか。ただし、憲法や戦争についての作品にありがちなのだが、今のところ本作の観客の年齢層は高めのようだ。ぜひ若い人にも観てほしい映画である。渡辺たちの思いを継承するためにも。

 

f:id:cinemaking:20190430210549j:plain

◆「誰がために憲法はある」
(2019年 日本)(上映時間1時間11分)
監督:井上淳一
出演:渡辺美佐子、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝
ポレポレ東中野ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.tagatame-kenpou.com/