映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」

「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年6月8日(土)午後2時30分より鑑賞(スクリーン3/D-3)

~大人になれない父親としっかり者の娘の絆と自立を描く音楽映画の佳作

音楽映画には様々な名作がある。最近では、2015年の「シング・ストリート 未来へのうた」あたりが印象深い。そして、またここに素敵な音楽映画が誕生した。

ニューヨーク・ブルックリンの海辺の小さな街、レッドフックがドラマの舞台だ。そこでレコード店を営む元ミュージシャンのフランク(ニック・オファーマン)。だが、経営不振から17年間続けてきた店を閉めることにする。彼が男手一つで育ててきた娘のサム(カーシー・クレモンズ)は、ロサンゼルスの医大への進学が決まっていた。

というわけで父娘の物語である。その父娘のキャラクター設定が効いている。父のフランクはいまだに昔の夢を捨てられず、商売にも不熱心な大人になれない大人。一方、娘のサムは自分の進路を明確に見据えたしっかり者。大人と子供が逆転したような、この2人が巻き起こすあれこれをユーモアたっぷりに、シニカルなセリフなどを盛り込みつつ描いている。

やがて2人に転機が訪れる。フランクは以前から娘の音楽の才能を感じ、一緒にバンドをやりたがっていた。そして、ある夜、勉強中のサムの邪魔をして「セッションしよう」と誘うのだ。この時の2人の距離感が絶妙だ。サムはフランクに対して「やめてよ!」と迷惑がっている。だが、それでも最後は一緒に曲を作りレコーディングする。サムも本当は音楽が好きで、心の底で父娘がつながっていることをさりげなく示すエピソードだ。

そして、そこでレコーディングした曲をフランクは、勝手にSpotifyにアップロードしてしまう。すると、それが結構な反響を巻き起こしたのだ。それに気をよくしたフランクは、本気で娘とバンド活動をしようと考える。だが、サムはあくまでも街を出て医大に進学しようとする。

中盤以降は、こうした父娘の思いのすれ違い、対立を描いていく。そこにはサムの恋愛(同性が相手だというのが今どき)、そしてフランクと店の大家の女性との微妙な関係なども絡んでくる。彼らやフランクが通うバーの店主など、すべての登場人物が魅力的なのもこの映画の特徴だ。

そして何よりも、音楽映画は楽曲が良くなければ話にならない。その点、この映画の楽曲は素晴らしい。Spotifyにアップロードした曲、サムが恋人のことを思って作った曲、フランクがかつて事故死した妻とサムのことを思って作った弾き語りの曲など、いずれもが心に刺さってくる。それらの曲を聴くだけでも、この映画を観る価値があると思う。観終わってサントラ盤が買いたくなった。これまた素晴らしい音楽映画につきものの現象だろう。

ブレット・ヘイリー監督は、過去に日本公開作はないようだが、そうした楽曲を効果的に使いながら、音楽映画らしいテンポの良い鮮やかな手際の演出を見せている。

ドラマが進むにつれて様々なことがわかってくる。フランクはただの困った父ちゃんではなく、過去を引きずっているのだ。彼は妻とともにバンド活動をしていたが、サムが幼い頃に彼女は事故死してしまった。彼がサムとのバンド活動に執着する思考は、その延長線上にあるのだろう。そんなフランクにも悩みや苦しみがあり、同時にサムにも迷いがあることが伝わってくる。

クライマックスは閉店当日のレゴード店でのライブだ。この演奏が素晴らしい。フランクのギター以外は打ち込みなのだが、何よりもサムの歌声が圧巻。「さよなら、僕のマンハッタン」などに出演していたカーシー・クレモンズが、吹替なしで自分で歌っているというから見事だ。この子、歌手としても十分に売れるんじゃなかろうか。

フランク役は「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」などのニック・オファーマン。こちらも、味のある演技を披露している。その他にも、テッド・ダンソン、トニ・コレットなどの脇役が十分な存在感を示している。

ラストに描かれるさりげない後日談もよい。邦題通りにそれぞれの「たびだち」を印象付ける。父と娘の自立、そして何よりも2人の絆の強さをクッキリとスクリーンに刻み付けて、ドラマは終焉を迎えるのである。

音楽映画の新たな佳作の誕生だ。「シング・ストリート 未来へのうた」をはじめ、過去の音楽映画の名作に心を動かされた人なら、必見の作品といえるだろう。

◆「ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた」(HEARTS BEAT LOUD)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間37分)
監督:ブレット・ヘイリー
出演:ニック・オファーマン、カーシー・クレモンズ、テッド・ダンソン、サッシャ・レイン、ブライス・ダナー、トニ・コレット
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページhttp://hblmovie.jp/