映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「凪待ち」

「凪待ち」
池袋シネマ・ロサにて。2019年6月30日(日)午後2時40分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

香取慎吾が全身で体現するあまりにも弱い男の転落と微かな希望

人間は弱い存在だ。「こうしなければ」「こうすべきだ」と頭ではわかっていても、なかなかその通りに行動できるものではない。挙句は、自分の思いとは裏腹に、どんどん転落していくことだって珍しくない。「凪待ち」(2019年 日本)は、まさにそうした人物を描いたドラマである。

冒頭、主人公の木野本郁男(香取慎吾)が自転車をこいで川崎の街を走る。向かった先は競輪場だ。彼はいわゆるギャンブル依存症なのだ。彼にはシングルマザーの亜弓(西田尚美)という恋人がいて、彼女の娘の高校生の美波(恒松祐里)とともに暮らしていた。だが、ギャンブルの費用を亜弓の財布から黙ってくすねるなど、けっして褒められた生活は送っていない。仕事もうまくいかないようで、勤めていた印刷会社も首になってしまう。

それでも、彼とて今の生活が良いと思っているわけではない。何とか抜け出したいという思いは持っているようだ。郁男、亜弓、美波の3人は、亜弓の故郷・石巻に移り住み、人生をやり直す決意をする。実家では末期がんに侵されながらも漁師を続ける亜弓の父・勝美(吉澤健)がひとりで暮らし、近所に住む小野寺(リリー・フランキー)が何かと世話を焼いていた。

郁男は小野寺の世話で印刷会社で働き新生活を始める。だが、ある日、亜弓と衝突した美波が夜になっても戻らず、心配でパニックになった亜弓に罵られた郁男は、彼女を車から降ろし、置き去りにしてしまう。その夜遅く、亜弓は何者かに殺害され遺体となって発見される。

実のところ、亜弓の死の前から郁男の新生活にはすでに黒い影が差していた。印刷会社の同僚が競輪好きで、ノミ屋に通い詰めており、それにつられて郁男も再びギャンブルに手を染め始めていたのだ。そして起きた恋人の殺害事件。「もしも自分が車から降ろさなければ」という自責の念に駆られた郁男は、自暴自棄になっていく。

本作には殺人事件を巡るミステリーの要素がある。「亜弓を殺したのはいったい誰なのか?」という謎を巡る話だ。ただし、これに関して個人的には、早いうちから犯人の目星はついてしまった。それ以外にも、登場する刑事やヤクザがいかにもステレオタイプな描き方がされていたり、都合がよすぎる展開などもあって、違和感を持ってしまったのは事実である。

だが、それでも最後までスクリーンに引き込まれてしまった。なぜなら、ここにはまさしく“人間”がキッチリと描き込まれているからだ。冒頭に述べた弱い人間である郁男は、けっして悪人ではない。亜弓の娘の美波に対する態度を見ていれば、それがひと目でわかる。しかし、同時に彼は自身も言うように「ろくでなし」でもある。その狭間で揺れ動き、結局は転落への道をたどっていく。

郁男の言動には何度も揺り戻しがある。前に進むかに見えて、また元の道に戻ってしまう。亜弓の死以降は、無理解な周囲とも大きな軋轢が生まれ、ますます彼の心を乱す。そして堰を切ったように暴発してすべてを台無しにする。祭りでの派手なケンカ、ノミ屋への無鉄砲な襲撃、印刷会社での大立ち回り……。

その立ち居振る舞いはすべてがリアルだ。「なるほど、彼ならそう考えてそう行動するのも仕方のないところだ」と納得させられてしまう。「凶悪」「孤狼の血」などでおなじみの白石和彌監督に加え、脚本の加藤正人も人間を描くことには定評がある。それが見事に脚本、演出に発揮されている。

だが、何といっても特筆すべきは香取慎吾だろう。ぶっきらぼうで控えめなセリフはもちろん、わずかな表情や視線の変化、しぐさなどから、郁男の抱えた闇や屈折した心理がダイレクトに伝わってくる演技だった。特に印象深いのが後ろ姿である。そこに郁男の過去と現在がそのまま凝縮されているような何とも言えない雰囲気をたたえている。本作で何が一番の見どころかと問われれば、文句なしに香取の演技を挙げたい。

この映画では、郁男の周囲の人間たちも弱さやダメさを抱えている。勝美は震災の津波で妻を亡くしていた。また、若い頃には相当な不良だったようだ。亜弓の元夫の村上はDV男だし、彼の娘でもある美波は長い間、引きこもりだった。

だが、郁男をはじめそうした弱い人々に対する白石監督の視線には、温かさが感じられる。彼らを断罪するようなことはしない。むしろ彼らに対して、微かながら希望の灯をともす。

その灯は郁男にもともされる。自暴自棄になり、転落していく郁男に対して、勝美は救いの手を差し伸べる。美波もまた郁男に温かく接する。2人はけっして郁男を見捨てない。一度はそれに逆に耐え切れなくなった郁男だが、最後には少しだけ前を向く。美しい海でのラストシーンが、明確な再生ではないものの、今後の郁男の人生に微かな光を示す。彼にもようやく「凪」が訪れるのかもしれない。

心地よさや楽しさとは無縁の映画だが、終始スクリーンから目が離せなかった。人間という存在の奥底に迫った力作である。

 

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◆「凪待ち」
(2019年 日本)(上映時間2時間4分)
監督:白石和彌
出演:香取慎吾恒松祐里西田尚美、吉澤健、音尾琢真リリー・フランキー、三浦誠己、寺十吾、佐久本宝、田中隆三、黒田大輔、鹿野浩明、奥野瑛太麿赤兒不破万作宮崎吐夢、沖原一生、江井エステファニー、ウダタカキ、野中隆光、岡本智礼、本木幸世
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
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