映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「さよなら、退屈なレオニー」

「さよなら、退屈なレオニー」
新宿武蔵野館にて。2019年7月14日(日)午後2時25分より鑑賞(スクリーン2/A-3)。

~閉塞感漂う街の不機嫌な少女のひと夏の屈折と輝き

国際映画祭というと、どうしても最高賞を争うコンペティション部門にばかり目が行くが、それ以外にも様々な部門があり、良質な映画が上映される。「さよなら、退屈なレオニー」(LA DISPARITION DES LUCIOLES)(2018年 カナダ)は、昨年の第31回東京国際映画祭の「ユース」部門で上映された。

その際に関係者向け上映であまり期待せずに鑑賞したのだが、これが意外にも心に残る青春映画だった。とはいえ、無名の監督、無名の役者による作品だけに、まさか日本公開されるとは思っていなかったのだが、予想に反して一般公開の運びとなった。なかなか目のつけどころが良い配給会社(ブロードメディア・スタジオ)ではないか。そこで、今度はちゃんとお金を払って、2度目の鑑賞となった次第。

ちなみに、東京国際映画祭上映時のタイトルは「蛍はいなくなった」。どうやら原題の「LA DISPARITION DES LUCIOLES」に沿ったタイトルだったようである。

ドラマの舞台となるのは、カナダ・ケベック州の海辺の街。主人公は高校卒業を1ヵ月後に控えた17歳の少女レオニー(カレル・トレンブレイ)だ。彼女はとにかく不機嫌でイラついていた。冒頭では家族が彼女の誕生パーティーをレストランで催す。だが、彼女はその場にいることが耐えられなくなって、途中で黙って姿を消してバスに飛び乗ってしまう。

いったい何がレオニーをイラつかせるのか。彼女は口うるさい母も、ラジオDJをしている義父も大嫌いだった。母親はレオニーが大好きな実父と離婚していた。実父は地元の工場で労働組合のリーダーをしていたが、リストラ騒動によって遠くの職場に飛ばされていた。しかも、その一件には義父も絡んでいたことが後に明らかになる。

そしてレオニーは閉塞感漂うこの街も大嫌いだった。だから、一刻も早く街を出たいと思っていた。だが、自分が何をしたいのかわからない。街を出るだけのお金もない。そういう中で、ひたすら窮屈な毎日を送るしかない。そんな彼女のイラつきを象徴するように、レオニーはひたすら歩き回り、動き回る。

まもなくレオニーは同級生たちと行ったダイナーで、ギター講師をしている年上のミュージシャンのスティーヴ(ピエール=リュック・ブリヤン)と出会う。彼に興味を持ったレオニーはギターを習い始める……。

このスティーヴとレオニーの交流が、ドラマの大きなポイントになる。今まで出会ったことのない不思議な大人と出会い、中古ギターを買ってレッスンに通うレオニー。その微笑ましい練習風景や、レオニーがバイトしている市営野球場でスティーヴがギターを弾きまくるユニークなシーンなどを積み重ねながら、2人の心の通い合いを描く。

また、久々にレオニーの実父もつかの間の休息で街へ戻ってくる。大好きな実父と一緒に過ごす時間も、レオニーの心を和ませる。

正直なところ最初に登場したレオニーの尋常ではないイラつき方には、違和感を禁じ得なかった。だが、観ているうちにその違和感は消えて行った。

もちろん特殊な家庭環境などはあるものの、彼女が感じるイラつきはあの年頃の少年少女が抱きがちなものだろう。自分が住む街や、家族をはじめとする周囲の人々を嫌悪し、一刻も早く現状から抜け出したいと思う。そんな気持ちを誰しも一度は持つのではないのか。そこにこのドラマの普遍性が見て取れる。

そして、何よりもセバスチャン・ピロット監督によるレオニーの心理描写が巧みである。基本となる描写は淡々としている。劇的な要素を極力排してレオニーの日常を描き出す。その中で、セリフはもちろん、それ以外の表情の変化などを通して、彼女の揺れ動く心の底をリアルにつかまえる。おかげで、観ているうちに自然に彼女の心情に寄り添うようになった。

音楽の使い方も巧みだ。冒頭でのストリングスの不穏な音楽から、アーケイド・ファイア、RUSHなどのロック、ポップスまで、その場にふさわしい音楽を使って、場の雰囲気を盛り上げる。

メインテーマではないものの、工場が縮小されて閉塞感漂う街の様子や、レオニーの義父による放送がいかにも右派のポピュリスト的な放送だったりするあたりに、今の時代を織り込もうとする監督の意図も感じられた。

この手の物語の多くは、最後には主人公の成長を見せて終わる。このドラマでもレオニーは成長する。だが、それはけっして劇的な変化ではない。相変わらずレオニーをイラつかせる義父は、聞きたくもない実父の過去を暴露する。

一方、とても良い関係に見えていたスティーヴに対しても、レオニーはイラつき始める。素晴らしいギターの腕を持つスティーヴだが、自宅の地下室にこもり、外部との接触を極力避けているように見えた。それもまたレオニーが望む生き方とは正反対に見えたのだろう。

終盤になってレオニーはブチ切れる。だが、そこからもうワンクッションが用意されている。スティーヴとの再びの心の交流を経て、彼女は新たな旅立ちをする。冒頭と同じようにバスに飛び乗ったレオニーの清々しい表情がすべてを語っている。彼女はほんの少し、だが確実に成長したのだ。

最後に映る野球場のシーンが余韻を残す。街から消えたはずの蛍の光が実に美しい。

主演のカレル・トレンブレイは、東京国際映画祭で若手女優に与えられるジェムストーン賞を受賞した。まさに17歳の少女の心理をキッチリと表現した等身大の演技だった。また、スティーヴ役のピエール=リュック・ブリヤンも、少ないセリフにもかかわらず、十分な存在感を示していた。資料には書かれていないのだが、確か彼は本物のミュージシャンだったはず。ということで、ギターの腕前も素晴らしかった。

若き日に、誰もが持つような心情を巧みに描き出した青春ドラマだ。青春の屈折と輝きが鮮やかに切り取られた佳作である。

 

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◆「さよなら、退屈なレオニー」(LA DISPARITION DES LUCIOLES)
(2018年 カナダ)(上映時間1時間36分)
監督:セバスチャン・ピロット
出演:カレル・トレンブレイ、ピエール=リュック・ブリヤン、フランソワ・パピノ、マリー=フランス・マルコット、リュック・ピカール
新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://sayonara-leonie.com/