映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「淪落の人」

「淪落の人」
新宿武蔵野館にて。2020年2月5日(水)午後12時15分より鑑賞(スクリーン1/A-9)。

~半身不随の中年男とフィリピン人家政婦の交流を繊細かつヴィヴィッドに見せる

アンソニー・ウォンと言えば、個人的には、ハリウッドでリメイクもされた名作「インファナル・アフェア」(2002年)の強面の警部役としての印象が強い。とはいえ、出世作の「八仙飯店之人肉饅頭」はスプラッタ・ホラーだったりするわけで、これまでに多彩な映画で様々な役柄を演じてきた。文字通り香港の名優である。

そんなアンソニー・ウォンが、脚本を気に入って、何とノーギャラで出演したというのが「淪落の人」(淪落人/STILL HUMAN)(2018年 香港)。半身不随の孤独な中年男と、フィリピン人家政婦との心の交流を、四季の中で描いたドラマである。

邦題にも原題にもある「淪落」とは何なのか。公式サイトによれば、「淪落の人」は、白居易の「琵琶行」の一節“同じく是、天涯淪落の人。何ぞ必ずしも、曾て相職らんや”がもとになっているらしい。淪落とは、「落ちぶれること。落ちぶれて身をもちくずすこと」を指す言葉である。

主人公のリョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)は、事故で半身不随となり、妻と離婚、息子とも離れて暮らす日々。孤独で夢も希望もない毎日だった。妹ジンイン(セシリア・イップ)との関係もうまくいかず、楽しみは唯一の友人である元同僚ファイ(サム・リー)との会話。そして、海外の大学に通いネットを通じて会話をする息子の成長だけだった。

そんなある日、チョンウィンの家に若いフィリピン人女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)が住み込み家政婦としてやって来る。広東語が話せない彼女に最初はいらつくチョンウィンだったが、片言の英語で会話をするうちに、次第に心が通い始める。

この設定自体は、日本でもヒットした(そしてハリウッドリメイク作が最近公開になった)フランス映画「最強のふたり」と似ている。ただし、あちらは大金持ちの半身不随の男のところに、やる気のない介護人の男がやっと来るというお話。それに対して、チョンウィンは団地住まいの庶民だし、エヴリンは最初から真面目に仕事をする。何しろクビにされたら彼女は国に帰らねばならないのだ。

この映画のミソは、チョンウィンもエヴリンも、お互いに心に傷を抱えていること。チョンウィンは突然の事故に加え、妻との離婚(しかも奥さんは再婚しているらしい)、息子との離れ離れの生活などに起因する怒り、後悔、孤独を抱えている。一方のエヴリンは愛のない相手との離婚訴訟に加え、実家への仕送りなど金銭的に苦境に立っている。

そんな2人の関係は最初のうちギクシャクしている。エヴリンは広東語が話せないためチョンウィンはいらつき、エヴリンも彼に対して疑心暗鬼になる。それでも片言の英語で会話をするうちに、次第に2人の心が通い始める。劇中で何度か登場する、チョンウィンとエヴリンが電動車いすに2人乗りするシーンがそれを象徴している。

脚本と監督を担当した新人女性監督のオリヴァー・チャンは、その様子を繊細かつヴィヴィッドに切り取っていく。感動の押し売りをしようと思えば、いくらでも可能な素材だが、そんなことはしない。全体を通して抑制的なタッチを貫き、登場人物の過不足ないセリフやほんのわずかな表情、しぐさなどでそれぞれの心理をあぶりだす。

過剰な説明も排除している。チョンウィンの事故に関しては、断片的な情報が提供されるのみ。彼と妹ジンインとの仲違いの原因についても同様だ。それが余白となって、観客の想像力を刺激する。

チョンウィンの回想などの使い方も絶妙だ。そして適宜笑いも織り交ぜる。劇中でエヴリンたちフィリピン人家政婦仲間が羽目を外す場面では、まるで「チャーリーズ・エンジェル」のようなド派手なシーンも登場する。

新人にしてこれだけツボを心得た脚本&演出。恐れ入ったものである。日本でも知られたベテランのフルーツ・チャン監督が製作に加わり、全面的なバックアップを受けたとはいうものの、今後が楽しみな監督なのは間違いない。

本作には障がいを抱えた人々の困難さや、フィリピン人家政婦たちの置かれた過酷な環境なども描き込まれている。けっして甘いだけの映画ではない。だが、それでも全体のカラーはポジティブだ。

そこで大きなテーマとなるのが夢である。実は、エヴリンは生活のために写真家の道を諦めた過去を持つ。それを知ったチョンウィンは、彼女の夢を叶える手助けをしようと考える。

終盤、写真コンテストを経て、エヴリンに“あるもの”を届けさせるチョンウィン。そこはわかっていても、自然に涙腺が緩んでしまった。さらに、その後のエヴリンが今度はチョンウィンの夢をかなえてあげる展開も感動もの。そして、ラストのバス停でのシーンでまたしても感涙。ここも仰々しさがない分、なおさら感動させられてしまった。

それにしても、アンソニー・ウォンである。チョンウィンの複雑な心の奥、微妙な心理の変化を見せる演技はさすがだ。第38回香港電影金像奨最優秀主演男優賞など数々の賞に輝いたのも頷ける。そして、これが映画初出演だという香港在住のフィリピン人女優のクリセル・コンサンジの自然体の演技も見逃せない。

ベタな話ではあるもののツボを心得た脚本&演出、役者たちの繊細な感情表現など見どころ満載。何よりも、作り手の温かな視線がこちらにも伝わって、心地よく映画館を後にできた。文句なしの良作!

 

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◆「淪落の人」(淪落人/STILL HUMAN)
(2018年 香港)(上映時間1時間52分)
監督:オリヴァー・チャン
出演:アンソニー・ウォン、クリセル・コンサンジ、サム・リー、セシリア・イップ、ヒミー・ウォン
新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://rinraku.musashino-k.jp