映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「紙屋悦子の青春」

紙屋悦子の青春
2020年4月18日(土)GYAO!にて鑑賞。

黒木和雄監督が三角関係と庶民の喜怒哀楽を通して描く戦争

すっかり観た気になっていたのに、実はまだ一度も観たことがなかった映画がけっこうある。黒木和雄監督の「紙屋悦子の青春」(2006年 日本)もそんな作品。公開時に(確か東京では岩波ホールにて公開)観に行こうと思ったのは間違いないのだが、記録によるとどうやら見逃してしまったようだ。特別企画「おウチで旧作映画鑑賞シリーズ」第3弾は、その作品を取り上げる。

黒木和雄といえば、「竜馬暗殺」や「祭りの準備」などATGを中心に数々の印象深い作品を送り出した監督。「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」の3作は“戦争レイクエム3部作”とされている。それに続く作品が本作だ。そして、2006年8月に本作が公開されるのに先立って、同年4月に黒木監督は死去している。つまり、本作は遺作となる作品なのである。

戦争レイクエム3部作と同様に本作も、市井の暮らしを通して戦争を描く作品だ。冒頭に登場するのは、病院の屋上の老夫婦。この2人が若き日を回想するスタイルでドラマが進行する。

敗戦の色濃い昭和二十年の春。 両親を失ったばかりの紙屋悦子(原田知世)は、鹿児島で優しい兄・安忠(小林薫)、その妻・ふさ(本上まなみ)と暮らしていた。悦子は兄の後輩である海軍航空隊の明石少尉(松岡俊介)に好意を持っていた。そんな悦子に兄が縁談話を持ってくる。相手は明石の親友・永与少尉(永瀬正敏)。明石自身も縁談の成立を望んでいるらしかった。複雑な気持ちで見合いに臨む悦子だったが……。

「父と暮らせば」は井上ひさしの戯曲が原作だったが、本作の原作も劇作家・松田正隆の戯曲。そのため舞台劇のような雰囲気が漂う。場面転換は少なく、ほとんどが悦子の家の中で会話を中心にドラマが展開する。

劇的なことは何も起きない。戦時中の日常が淡々と描かれるだけである。だが、そこでの会話から、登場人物の心の機微がそこはかとなく浮かび上がってくる。安忠とふさ夫妻の絆とすれ違い、悦子の明石への秘めた思いと永与に対する微妙な心理。そして明石と永与、それぞれの気持ち。

中でも悦子の見合いのシーンが印象深い。最初は明石少尉とともにやってきた永与少尉。だが、途中でお手洗いに行った明石は黙って帰ってしまう。気を利かせたつもりなのだ。そうやって2人きりになった悦子と明石。最初はぎこちないながらも、それぞれ少しずつ心を開いていく様子が繊細に描かれる。その媒介となる「おはぎ」も効果的に使われる。

ちなみに本作には「おはぎ」だけでなく、様々な食卓の料理が登場する。戦争末期の厳しい生活ゆえ、それらはいずれも粗末な料理ではあるのだが、そこから庶民のささやかな日常生活が垣間見える。

ユーモアも満載だ。実は、安忠の妻のふさは、もともと悦子の友人。そのため、「嫁に来たのは悦子と一緒にいたかったから」だと言ってしまい、「俺のことを好きだからじゃないのか?」と言う安忠ともめる場面がある。何ともたわいない夫婦喧嘩だが、ユーモラスで庶民の日常をリアルに表現している。そんなシーンがたくさんあるのだ。

冒頭の病院のシーンでの美しい夕景、戦時中の悦子の家の鮮やかな桜の樹など、映像的にも見応えがある。

終盤のハイライトは、明石の最後の来訪である。特攻隊に志願し、まもなく出撃する明石が、悦子に別れを告げるのだ。そこで2人が、それぞれの思いを胸に言葉を交わすシーンが胸に迫る。満開の桜の下を去っていく明石。その夜、たった一人で泣き尽くす悦子。もしも戦争がなければ、彼らはお互いの気持ちを素直に打ち明けられたかもしれない。それが何とも切なく哀しい。

その数日後、永与が明石の死を告げに来る。 明石が書き残したという手紙を永与から受け取り、封を開けずに握り締める悦子。そして、勤務地が変わることになった永与に対して、悦子は自分の今の気持ちを素直に口にする。

本作は戦争を描いた作品ではあるが、直接的にその悲惨さや愚かさを描いてはいない。そもそも戦闘シーンはおろか空襲の場面さえない(セリフでは出てくるが)。そこに不満を持つ向きもあるようだが、それはあえてそうしたことだろう。黒木監督は、庶民の喜怒哀楽や三角関係の恋愛話を通して、その背後にある戦争に焦点を当てることに専心したのだと思う。

思えば、アニメ映画の傑作「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」もまた、戦争中の庶民の暮らしを描くことで、その背景にある戦争に焦点を当てようとした作品だった。くしくも両者に共通するものを感じてしまったのだ。

とはいえ、さすがに全体に淡々とし過ぎている感じもした。終盤はもう少し盛り上がりがあってもよかったかも……。

原田知世永瀬正敏松岡俊介の3人が、それぞれに好演。会話劇ではあるものの、それとは裏腹だったりする微妙な心理を巧みに表現する演技だった。夫婦役の本上まなみ小林薫も味わいある演技。本上まなみって、こんなに前から素晴らしい演技を見せていたのだなぁ。

執念ともいえる思いで戦争と向き合った黒木監督の遺作として、観ておく価値は十分にある作品だと思う。

◆「紙屋悦子の青春
(2006年 日本)(上映時間1時間51分)
監督:黒木和雄
出演:原田知世永瀬正敏松岡俊介本上まなみ小林薫
バンダイビジュアルよりDVD発売中