映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」

クワイエット・プレイス 破られた沈黙」
2021年6月21日(月)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時35分より鑑賞(スクリーン7/D-9)

~「音を立てたらアウト!」というネタ一発で上出来の続編

まさか、まさかの大ヒットとなった前作「クワイエット・プレイス」。音に反応して人類を襲う「バケモノ」と、彼らと過酷なサバイバルを繰り広げる一家を描いたサスペンスホラーだ。

その続編となった今作「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」は、前作同様にエミリー・ブラント主演で、長女役のミリセント・シモンズ、長男役のノア・ジュプも続投。監督・脚本も前作同様、ブラントの夫の俳優ジョン・クラシンスキーが再び手がけた。ちなみに、役者としては今回は冒頭のみ出演。

前作の面白さは何といっても「音を立てたらアウト!」というネタ一発にある。映画にとって音は大事な要素。その音を発したら、たちまち命の危険にさらされるという理不尽さ。そこから生まれるハラハラドキドキ感が、最大の魅力だった。

前作のヒットで予算も潤沢になった今作。はたしてどんな映画になっているのか。

確かにセットなどはスケールアップし、大がかりになっている。しかし、基本は前作同様に「音を立てたらアウト!」のネタ一発映画だ。この手の続編にありがちな、新たな設定を前面に押し出すようなこともなく、身の程をわきまえたことが続編としての成功をもたらした。

それにしても、前作であれほどの極限状況に追い込まれ、夫を亡くし、農場の家も失ったエヴリンが普通にしているのはなぜだ? しかも、その夫が元気で活躍しているではないか……と思ったら、これは「Day1」。つまり、前作よりもさらに時間をさかのぼった、恐るべき“何か”が地球に現れた始まりの日なのだ。

まもなくドラマは現在地(「Day474」)に戻る。エヴリン(エミリー・ブラント)と耳の不自由な娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)、息子のマーカス(ノア・ジュプ)、そして生まれたばかりの赤ん坊が、新たな避難場所を求めて旅をしている。

そんな中、彼らは、逃げ込んだ廃工場で謎の生存者エメット(キリアン・マーフィ)に遭遇する。

何しろ今回も、音を立てたらバケモノがすかさず襲ってくるのだ。すさまじい緊張感がスクリーンを覆う。しかも、今回は赤ん坊連れである。油断したら、すかさず泣き出してしまう。前作同様にハラハラドキドキ感はかなりのものだ。

前作でもそうだったが、観ている観客は自分たちも音を立ててはいけないような気になってくる。バケモノを刺激しないように、ひたすら身をこわばらせる。緊張感あふれる静寂が映画館全体を包み、息苦しささえ感じるほどだ。

そして今回の最大の見どころは3つのハラハラドキドキが同時進行することだ。まず描かれるのが長女リーガンの旅。ある曲(ボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」というのが効いている)を流しているラジオ局の存在に気づいた彼女は、その発信源らしい島へと向かう。

そんな彼女をエメットが追う。リーガンが旅立ったのに気づいた母のエヴリンが、エメットに彼女を連れ戻すように頼んだのだ。心に傷を持ち、エヴリンに対しても負い目を感じているエメットは、リーガンに合流すると彼女を守って一緒に旅をする。

一方、エヴリンは、薬品や酸素ボンベを調達するために街に出かける。

さらに、マーカスは工場内を探検する。

リーガン+エメット、エヴリン、マーカス三者三様に襲い来る危機。それを同時並行で描き出す。そのスリルもまた3倍増である。

なにせ音を立ててはいけない設定だから、身振り、手振り、表情で多くのことを物語らねばならないドラマである。そこに手話が加わることによって、なおさら非言語表現の豊かさが際立つ。特に今回は一家の父に代わって、耳の不自由なリーガンが物語の中心になっているから、余計にそれが目立つ。

次々に現れる生存者たちの攻撃から逃れ、マーカスとともに島に渡ったリーガン。そこで、彼らはバケモノにとどめを刺すことができるのか?

ラストも秀逸。リーガンとマーカスが離れた場所で、それぞれが音に錯乱したバケモノに一撃を食らわせる。それは、彼らの成長を明確に刻んだ瞬間だ。彼らこそが、荒廃した地球を救う新世代なのだ。

というわけで、余計なことをせずに「音を立てたらアウト!」というネタ一発にこだわったことで、続編も濃密なスリルに浸れる映画になっている。もちろん1作目の驚きや新鮮さはないが、続編としては上々の出来だろう。

 

f:id:cinemaking:20210622213210j:plain

◆「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(A QUIET PLACE PART II)
(2020年 アメリカ)(上映時間1時間37分)
監督・脚本・製作:ジョン・クラシンスキー
出演:エミリー・ブラントキリアン・マーフィ、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ、ジャイモン・フンスー、ジョン・クラシンスキー、スクート・マクネイリー、オキエリエテ・オナオドワン
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://quietplace.jp/


www.youtube.com

「逃げた女」

「逃げた女」
2021年6月14日(月)新宿シネマカリテにて。午後2時35分の回(スクリーン1/A-8)

~解釈はあなた次第。ホン・サンス監督の独自の世界

韓国の巨匠、ホン・サンス監督の映画は独特だ。どの作品でも事件らしい事件は起こらず、登場人物の会話で構成される。それもとりとめのない会話ばかりである。そうかと思えば、突然カメラをズームしたりパンしたりして、観客の心を戸惑わせる。全てが何らかの意図を持っているようで、深読みしようと思えばいくらでも深読みできる。

第70回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を獲得した「逃げた女」も、ホン監督らしい映画といえる。

主人公ガミ(キム・ミニ)は、夫が出張に出て時間ができたので、友達に会いに行く。最初は郊外に住むヨンスン(ソ・ヨンファ)。彼女は離婚して同性の同居人と暮らしている。彼女との会話を通して、ガミは5年前に結婚して(相手は翻訳家であることがあとあと判明)、「愛する人とはずっと一緒にいるべきだ」という夫の言葉に従って、5年間一度も離れなかったことが明らかになる。

ガミとヨンスンは他愛もない会話を続ける。ガミの持参してきた肉を焼いて食べながら、「ベジタリアンになりたい」「子牛の眼がかわいい」などと語る。そうかと思えば、ヨンスンたちが野良猫に餌をあげることに隣人がクレームを付けに来る。あるいは夜になれば、別な隣家の娘がタバコを吸いに庭に現れて、ヨンスンが彼女の身の上を案じる。

2人目の友人は街中で1人暮らしのスヨン(ソン・ソンミ)だ。ピラティスの講師をしている彼女は、数年おきに創作舞踏の公演もしているという。これもまあ他愛のない会話なのだが、その中でスヨンが最近良い居酒屋を見つけ、そこで同じマンションに住む男と仲良くなったという話が明かされる。男は離婚間近らしい。スヨンはうきうきしている。

だが、次の瞬間、一気に彼女は不機嫌になる。酔って一晩だけ関係を持って振った男が現れて、復縁を求めたのだ。「あなたのやっていることはストーカーだ」とスヨンは拒絶するが、男は納得しない。

そして、3人目の友人ウジン(キム・セビョク)とは、彼女が働く映画館(ミニシアター的な)で偶然に再会する。ここでは両者の間に微妙な空気が流れる。どうやらウジンは昔ガミが交際していた小説家と結婚しているらしい。そのことを巡って、過去には相当に大きな出来事があったようだ。ウジンはガミの手を握り、「ごめんなさい」と謝罪するが、ガミは気にしていないと告げる。

その後、映画館で映画を鑑賞したガミは、再びウジンとトークを繰り広げる。そして、ウジンの夫である小説家と偶然再会する。2人の間に気まずい空気が流れる。

というわけで、相変わらずのホン・サンス節である。恋愛、仕事、人生をはじめ様々な話題のトークを映し出していく。動きの少ない場面を、固定カメラでとらえる手法もいつも通り。そうかと思うと、会話の途中でズームインして戸惑わせるのも常套手段。何やら意味のあるような、ないような。何らかの仕掛けがあるような、ないような。

ここに出てくる女性たちは、いずれも表面的に平穏な日々を送っているように見えて、危うい影も垣間見せている。話していることは本心なのか、それとも心は別なところにあるのか。

考えてみれば、ガミにしても奇妙といえば奇妙だ。「夫は、愛する人とはずっと一緒にいるべきだと考えている」とひたすら同じセリフを繰り返す。え? これって本当のことじゃないの?

そもそもタイトルにある「逃げた女」って誰のこと? ガミ? それとも……。

謎を観客に委ねたままで、映画は唐突に終わる。とりようによっては、どうにでも解釈できる映画だ。余白の多い映画というよりは、余白だらけの映画。観客それぞれが自分で物語を紡ぐしかない。

だが、それもこれもホン監督の思惑通り。悔しいけれど、毎回映画館に足を運んでしまう。観れば観るほどクセになる。監督の思う壺だ。今回も見事に術中にはまってしまった。

これは、もう観た人ごとにあれやこれやと自由に解釈するしかない。その答えは無数にある。これも映画なのだ。

最近はすっかりホン・サンス映画の常連になったキム・ミニの不思議な存在感が魅力的。「はちどり」でヨンジ先生を演じたキム・セビョクが顔を出しているのも嬉しいところ。

 

f:id:cinemaking:20210617202922j:plain

◆「逃げた女」(THE WOMAN WHO RAN)
(2020年 韓国)(丈衛時間1時間17分)
監督・脚本・編集・音楽:ホン・サンス
出演:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョク、クォン・ヘヒョ
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほかにて公開中
ホームページ http://nigetaonna-movie.com/


www.youtube.com

「クローブヒッチ・キラー」

クローブヒッチ・キラー」
2021年6月13日(日)新宿武蔵野館にて。午後2時より鑑賞(スクリーン3/C-3)

~父はシリアルキラーなのか?少年の疑念の行く末は……

クローブヒッチ・キラー」は、連続猟奇殺人事件を題材にした映画。ただし、直接的な猟奇描写はほとんどない。「自分の父親はシリアルキラーではないのか?」という疑念にとりつかれた16歳の少年の不安な心を描いた心理ドラマである。

保守的な田舎町に暮らす16歳の少年タイラー(チャーリー・プラマー)は、ある日、ボーイスカウトの団長も務め、町でも信頼の厚い父親ドン(ディラン・マクダーモット)が、いかがわしい写真を持っていることを知る。さらに、ドンの小屋に忍び込み、猟奇的なポルノや不穏なポラロイド写真を見つけてしまう。ドンこそが、未解決のままに終わった10年前の連続殺人事件の犯人“クローブヒッチ・キラー(巻き結び殺人鬼)”なのではないかと疑い始めたタイラーは、一人で事件を調べていた変わり者の少女カッシ(サマンサ・マシス)に協力を求め、一緒に事件の謎を追い始めるのだが……。

舞台となるのはケンタッキー州の小さな町。熱心なキリスト教徒が多く住む保守的な町だ。そんな町で起きた10年前の連続殺人事件は人々を震撼させ、その犯人は“クローブヒッチ・キラー”と呼ばれたが、未解決のまま今日まできている。10年前を境に、犯行はぴたりと止まった。

その町に住むタイラーは、ボランティア活動にも積極的に参加する模範的な少年だ。その彼が、父の車を拝借して女の子に会いに行ったら、車の中から SM緊縛写真が出てきたのである。何しろ父親のドンは、地元の名士で家族にも優しい人物(ちなみに家族はタイラーの他に母と幼い妹がいる)。それだけに大ショックである。

しかも、女の子はその写真がタイラーのものだと勘違いして、「タイラーは変態だ!」という噂まで流す始末。

さらに、タイラーがドンの小屋に忍び込んでみると、そこには猟奇的なポルノや不穏なポラロイド写真が……。その中には、10年前の事件の被害者のものらしき写真まであるではないか!

こうなればタイラーならずとも、疑念が疑念を呼んで収拾がつかなくなるところ。「俺の父ちゃんはシリアルキラーなのか?」という思いが頭を支配し、不安で仕方なくなるはず。これまでの日常が、根底から揺らぎだすだろう。

タイラーは、事件をずっと追いかけている変わり者の少女カッシと知り合い、相談をする。本心では、父親がシリアルキラーだなどとは信じたくないタイラーだが、一度芽生えた父親ヘの疑念は、もはや止めようがない。それどころかどんどん大きくなっていく。

これが長編2作目となるダンカン・スキルズ監督と、脚本家のクリストファー・フォードは、タイラーの揺れ動く心理をリアルに映し出す。同時に過去の陰惨な出来事を覆い隠してきた町に不穏な風を吹かせ、観客に危うい結末を予期させる。

タイラーの追求に気づいた父のドンは、意外な事実を彼に告げる。シリアルキラーは、自分ではなくタイラーの叔父だというのだ。その事実を知られた叔父は10年前に自ら交通事故を起こし、車いす生活になった。ドンが隠し持っていた資料の数々は、警察に引き渡すべきか、遺族に渡すべきか、決断がつかずにそのままになっていたというのである。

「なーるほど、そういうことか!」とタイラーは納得……できるはずもない。しかし、心のどこかに父親の無実を願う気持ちがあっただけに、一応はそういうことかと思い込むのだった。

だが、しかし、カッシはそんなことでは納得しない。彼女はドンが犯人であることを確信していた。ちなみに、彼女は実はある女性の娘であることが明かされる。なるほど、だから執念深く事件を追っていたわけか。

やがて転機が訪れる。タイラーは研修でしばらく家を不在にすることになる。また、タイラーの母と妹は実家へ帰ることになる。残されるのは父のドンだけだ。はたして、そこで何が起きるのか。

ここで驚くべき演出が飛び出す。ドラマの進行を一度止め、その視点と時間軸を切り替えて再度観客に提示するのだ。この手法の効果は絶大で、最後まで緊張感が途切れない。巧みな話術で観客を引き込む。

結局のところ、真犯人が誰かは伏せておくが、最後に待ち受けているのはほろ苦いラストだ。カタルシスとは無縁。けっして誰もがスッキリするようなエンディングではない。

ただし、主人公の苦悩こそがこのドラマの主題だとするなら、このほろ苦いエンディングはそれにふさわしいものと言えるだろう。大人への成長の通過儀礼と呼ぶにはあまりにも痛々しいが、タイラーはこの苦難を彼なりに受け止めたのだ。何よりも母と妹を守るために。

ボーイスカウトの団長に任命されたタイラーと、それを見つめるカッシの複雑な表情が多くのことを物語っている。

主役のチャーリー・プラマーは、「荒野にて」で注目を浴びた若手俳優。あの時の繊細な演技は今回も健在。揺れ動く主人公の姿を見事に演じていた。父親役のディラン・マクダーモット、カッシ役のサマンサ・マシスも、存在感十分の演技だった。

 

f:id:cinemaking:20210614203556j:plain

◆「クローブヒッチ・キラー」(THE CLOVEHITCH KILLER)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間50分)
監督:ダンカン・スキルズ
出演:チャーリー・プラマー、ディラン・マクダーモット、サマンサ・マシス、マディセン・ベイティ
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームぺージ https://clovehitch-killer.net-broadway.com/


www.youtube.com

 

「アオラレ」

「アオラレ」
2021年6月10日(木)TOHOシネマズ池袋にて。午前10時50分から鑑賞(スクリーン8/E-8)

ラッセル・クロウの怪演が光る。一級品のB級映画

あおり運転に遭遇すれば、誰しも恐怖感を抱くもの。そんな恐怖感を上塗りするような映画が「アオラレ」である。

映画の冒頭は恐ろしい事件の顛末が描かれる。ある男が別れた妻の家に押し入って、妻や家人を殺し、家に放火したのだ。完全なサイコパスである。犯行後、男は車に乗って静かに走り出す。

続いて、現在のストレス社会における感情の暴走ぶりを報じるニュースなどが流れる。あおり運転ももちろん、その一種というわけ。

そして、場面は一転して寝室へ。美容師のレイチェル(カレン・ピストリアス)が朝寝坊をしてしまう。あわてて息子のカイルを学校へ送るレイチェル。だが、道は大渋滞で苛立ちを募らせる。ちょうどその時、信号が青に変わっても前の車が動き出さず、レイチェルは思わず強めにクラクションを鳴らしてしまう。すると車の男(ラッセル・クロウ)は「運転マナーがなっていない」と言い、レイチェルに謝罪を要求する。その申し出を拒否して、レイチェルはカイルを学校に送り届けたものの、ガソリンスタンドの売店でさっきの男に尾けられていることに気づく。こうして男の恐怖の“あおり運転”がノンストップで始まるのだ。

このあおり運転男。誰あろう、冒頭の殺人&放火犯人なのだ。もちろんそんなこととは知らないレイチェル。イライラが高じて軽い気持ちでクラクションを鳴らしたのが運の尽き。地獄の底までこの男に追われることになる。

というわけで、車で追いかけまわされ、後ろから追突され、ありとあらゆる恐怖の波状攻撃にさらされるレイチェル。ノンストップのカーアクションが展開する。

車で追われる恐怖と言えば、スピルバーグ監督の「激突!」あたりを思い起こすが、こちらは車を離れての展開も用意されている。レイチェルのスマホを奪った男は、そこからカフェにいるレイチェルの離婚弁護士に「レイチェルの友達だ」とウソを言って接近し、残虐に殺害するのである。

さらに、スマホを介してレイチェルに、「今度は知り合いの誰を殺すか言え!」と無体な要求を突きつけてくる。指名した相手を殺すというのだ。レイチェルは恐怖のどん底に突き落とされる。

それにしても、このあおり運転男。普通の俳優が演じたら、さして魅力はなかったかもしれない。だが、何しろ演じているのはオスカー俳優ラッセル・クロウである。その風貌といい、体型といい、まるでクマ。ブチ切れまくりの怪演を披露している。もう二度と二枚目役はやれないのでは?と思わせるほどの壮絶な演技だ。サイコパスとはいえ、冷静な計算も働かせたりして、実に得体のしれない男である。

その後も、あおり運転男の残虐な仕返しは続く。仕返しといっても、クラクションを鳴らしただけである。それなのにこの仕打ち。

いや、まあ確かにレイチェルが朝寝坊しなければ、こんなことにはならなかったのだ。それでも、これはあまりにも手ひどいではないか。

あおり運転男の最後のターゲットは、レイチェルの息子カイルだ。彼を車に乗せたレイチェルと、再び車に乗った男が相対する。そこでレイチェルはついに覚醒する。息子を守るために必死で前を向く。そうか。これはダメダメな母親が、あおり運転の被害を機にスーパーヒロインに変身するドラマでもあったのか。

そしてラストは住宅街でのスリルあふれる追跡劇。レイチェル、男、カイルが三つ巴になってバトルを繰り広げる。あわや!の危機の後に最後に勝利したのは誰? ああ、ハサミが……。

前半の伏線もちゃんと回収されているし、細かなところまで気配りされている。ノンストップのアクションは見応えがあるし、規格外のラッセル・クロウの怪演ぶりは必見。

一級品のB級映画という感じの作品。もちろん、これは褒め言葉。上映時間も1時間半というコンパクトさ。な~んも考えずにハラハラするのには最適な映画である。

 


www.youtube.com

◆「アオラレ」(UNHINGED)
(2020年 アメリカ)(上映時間1時間30分)
監督:デリック・ボルテ
出演:ラッセル・クロウ、カレン・ピストリアス、ガブリエル・ベイトマン、ジミ・シンプソン、オースティン・P・マッケンジー
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://movies.kadokawa.co.jp/aorare/

「女たち」

「女たち」
2021年6月5日(土)TOHOシネマズシャンテにて。午後1時20分より鑑賞(スクリーン3/C-9)

~追い詰められる女の憔悴とむき出しの感情

奥山和由といえば、松竹元社長を父に持ち、順調に出世を重ねて松竹の専務取締役となったものの、1998年に突如解任され、それ以降は製作会社「チームオクヤマ」を設立して独立系プロデューサーとして活躍している人物。そのチームオクヤマ25周年記念の映画が本作「女たち」である。監督は「おだやかな日常」「ふゆの獣」の内田伸輝。

自然に囲まれた山あいの小さな町。40歳を目前にした美咲(篠原ゆき子)は、東京の大学を卒業したものの就職氷河期で希望の仕事に就くことができず、半身不随の母・美津子(高畑淳子)の介護をしながら地域の学童保育所で働いている。母は何かと美咲を否定し、罵詈雑言を浴びせ続ける。そんな美咲にとって、幼なじみで養蜂家の親友・香織(倉科カナ)が唯一の心の拠りどころだった。

そんなある日、美津子を担当する訪問介護士の直樹(窪塚俊介)が突然、異動する。美咲は直樹を恋人だと思い、結婚を夢見ていた。ところが、直樹の家に押し掛けた彼女は彼に妊娠中の妻がいることを知る。その騒動の最中に香織から電話がかかってくるが、美咲は満足に応対できない。すると、それからまもなく香織が急死する。

映画はこうして美咲がどんどん追い詰められていく様子を描く。その筆致には安易な希望も救いもない。手持ちカメラを中心に、どんどん憔悴していく主人公の心情をリアルに切り取っていく。アドリブのようなごく自然な登場人物のセリフも印象的だ。

内田監督の作品を観るのは今回が初めてだが、過去作も疎外された人物が苦悶する様子を、容赦なく描き出してきたらしい。本作でも、ことさらに寄り添うこともせず、かといって突き放すこともしない絶妙の距離感で主人公の苦悶を描き出している。

美咲のこれまでの人生はあまり語られない。父親が自殺したらしいことや、それが美津子との確執の原因の一つらしいことが明かされる程度だ。また、香織が死んだ理由もわからない。どうやら心に闇を抱えていたことが示唆される程度である。そのあたりの判断は観客に委ねている。

本作にはコロナの影響もある。テレビからはコロナのニュースが流れるし、登場人物も極力マスクを外さない。その息苦しさは美咲の今を象徴するかのようだ。それに相まって田舎の濃密な人間関係も彼女を息苦しくさせる。

中盤以降も美咲の苦しみは続く。直樹の代わりにやってきた介護士サヘル・ローズ)は親切で、最初は警戒していた美津子ともすっかり打ち解ける。だが、相変わらず美津子は美咲に罵詈雑言を浴びせ続ける。

また、美咲は急死した香織の後を継いだ彼女の妹を手伝うが、学童保育の仕事をクビになり、さらにトラブルに巻き込まれる。

極限まで追い詰められた美咲は、ついにむき出しの感情をぶつける。思いのたけをすべて吐き出す。そして美津子の首に手をかけ……。

とことんまで落ちていく美咲。ここまで救いのない展開から考えて、壮絶なラストを予想したのだか、意外にも感動物語で終わってしまった。そこは物足りない感じもしたのだが、どうなんだろう。観客の涙を誘う展開なのは間違いないのだが。それにしても、美津子の「お帰り」、美咲の「ただいま」の後のセリフはいらないのでは?

ただし、そのラストの篠原ゆき子高畑淳子の芝居は鬼気迫るものがあった。その演技が、ありがちな感動物語に堕するのを許さない。それ以外にも2人が対峙する場面は、ホラー映画のような壮絶さがあり、観応え十分だった。

「ミセス・ノイズィ」でも感じたのだが、篠原ゆき子は声が可愛らしい分、こういう追い詰められた役をやると独特の魅力が発揮される。一方の高畑淳子は、さすがに芸達者。言葉が不自由な役で聴き取りにくいセリフもあるが、あまり気にならない。

さらに香織役の倉科カナの演技も絶品。特に終盤で、彼女が死に至るまでを描いたシーンが素晴らしい。雨の降る中でワインを飲みパスタを食べ、薬を飲み、妹に電話をかけ、草に寝転がって歌う長回しのシーンは、彼女の心の闇を無条件に突きつけてくる演技だった。

ラストの急転には賛否両論ありそうだが、落ちていく人物を通して人間性の奥底を見ようという内田監督の意志は明確だし、何よりも俳優陣の熱演が光る一作だ。「茜色に焼かれる」などと並んで、女性の今を問う映画である。

 

f:id:cinemaking:20210607202720j:plain

◆「女たち」
(2021年 日本)(上映時間1時間36分)
監督:内田伸輝
出演:篠原ゆき子倉科カナ高畑淳子サヘル・ローズ、筒井茄奈子、窪塚俊介
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ https://onnatachi.official-movie.com/


www.youtube.com

「ジェントルメン」

「ジェントルメン」
2021年6月3日(木)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/C-5)

ガイ・リッチー監督の原点回帰。アクの強い犯罪映画

1998年の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」、2000年の「スナッチ」で一躍人気監督になったものの、歌手のマドンナと結婚して彼女を主人公に据えた「スウェプト・アウェイ」が大コケ。それでも近年は「シャーロック・ホームズ」「コードネーム U.N.C.L.E.」などのエンタメ王道路線で、それなりの存在感を発揮してきたガイ・リッチー監督。

今作「ジェントルメン」は原点回帰ともいえる一作。「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を思わせるアクの強い犯罪物語だ。

ドラマは、大衆紙編集長が雇った探偵フレッチャー(ヒュー・グラント)の語りで始まる。彼は麻薬王ミッキーにまつわる貴重なネタをつかみ、それを15万ドルで編集長に買ってもらうことになっていた。だが、ミッキーの右腕レイ(チャーリー・ハナム)に、2000万ドル出すなら売ってやると持ちかける。そこで披露されるネタがドラマの中心だ。

言うまでもなく、そのネタの中心にいるのは、アメリカ出身でイギリス・ロンドンの麻薬王ミッキー(マシュー・マコノヒー)だ。大麻ビジネスを展開して莫大な資産を築いた彼は、引退を考えてアメリカ人のマシュー(ジェレミー・ストロング)に商売を売り渡す交渉を始める。ところが、その噂を聞きつけたチャイニーズ・マフィアが横から割り込んでくる……。

おびただしい数の強烈キャラの人物が次々に登場し、上を下への大騒ぎをする。その過程を大量のセリフと映像で描く。メインとなるストーリーの大麻ビジネス絡みの話がけっこう複雑だし、脇道に脱線することも多いのだが、スマートでテンポの良い語り口と緻密な構成のおかげで、それほど混乱せずに観ることができる。

それにしても、出てくるのはワルばかりである。「ジェントルメン」というタイトルが皮肉に思えるほどだ。ミッキーは今でこそ紳士を気取っているが、ここまでのし上がってくるのに極悪非道の所業を重ねてきた。そして、今回の引退劇でもその本性を露わにする。

彼の右腕のレイも恐ろしい人物だ。大麻ビジネスに誇りを持ち、コカインなどの他の麻薬を毛嫌いするレイだが、邪魔なやつは容赦なくぶち殺す。本質は冷徹なギャングである。

本作で、唯一まともに見えるのはコーチ(コリン・ファレル)だろうか。下町のボクシングジムで、若者たちを鍛え更生させようとする。だが、何のことはない。若者たちが麻薬工場に押し入ったのをきっかけに、彼自身もミッキーやレイの悪事に協力することになるのだ。

探偵のフレッチャーにしてもゲスの極みだし、チャイニーズ・マフィアの連中も最低。しかも、みんなどこか抜けているから笑っちゃう。その笑っちゃう人物を、豪華俳優が嬉々として演じている。マシュー・マコノヒーチャーリー・ハナムヘンリー・ゴールディング、ジェレミー・ストロング、コリン・ファレルヒュー・グラントなどなど。こういう役を演じるのって、楽しいんだろうなぁ。

カンバセーション…盗聴…」はつまらない映画だった。コッポラ監督なのに……などという映画ネタも飛び出すなど、小ネタもあちこちに散りばめながら、ノンストップで映画は進んでいく。

中盤では、金に困った貴族の土地を大麻の秘密農園にしているミッキーが、その一人から麻薬漬けの娘を取り戻すように依頼される。ところがレイのちょっとした手違いから、ミッキーはロシア人マフィアに狙われるようになる(映画の冒頭の襲撃場面を終盤で回収)。

トラブルがトラブルを呼びどんどん状況が混乱していく。生き残るのは誰なのか。終盤に進むにつれてドラマは二転三転し、虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。

スリルや凄みには欠けるけれど、面白いのは間違いなし。さすがに、この手の映画はガイ・リッチー監督の得意分野。後に残るものはないけれど、2時間近くひたすら楽しい犯罪映画なのだった。

 

f:id:cinemaking:20210605202417j:plain

◆「ジェントルメン」(THE GENTLEMEN)
(2019年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:ガイ・リッチー
出演:マシュー・マコノヒーチャーリー・ハナムヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ドッカリー、ジェレミー・ストロング、エディ・マーサンコリン・ファレルヒュー・グラント
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.gentlemen-movie.jp/

「ペトルーニャに祝福を」

ペトルーニャに祝福を」
2021年5月31日(月)岩波ホールにて。午後1時より鑑賞(自由席・整理番号20)

~十字架を手にしたダメ女。男性優位社会に反旗を翻す

北マケドニア。と言われてもこれといったイメージが浮かばないのだが、前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つだそうだ。

その北マケドニアの小さな町を舞台にした寓話が「ペトルーニャに祝福を」である。2019年の第69回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、エキュメニカル審査員賞&ギルド映画賞を受賞。監督は北マケドニア出身の女性監督テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ。

主人公は32歳の独身女性ペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)。容姿端麗とは言い難く、ちょっと太め。大学で歴史を学んだものの仕事がなく、ウェイトレスのバイトをするぐらいで現在は無職。要するにダメ女である。

ある日、母親にせかされて就職の面接に出かけるが、待っていたのはセクハラ上司。何だかんだと文句をつけて不採用にされる。その帰り道、ペトルーニャは地元の伝統行事“十字架投げ”に遭遇する。司祭が川に投げ込んだ十字架を男たちが争って追いかけ、最初に手にした者には、幸福が訪れるというのだ。

ペトルーニャは思わず川に飛び込み、男たちより先に十字架を手に取ってしまう。だが、実はその行事は女人禁制。前代未聞の事態に男たちは怒り狂うが、ペトルーニャは十字架を持ち帰ってしまう。

その後は帰宅したペトルーニャをめぐる家族、友人の騒動が描かれる。テレビでそのニュースを知った母親は激怒し、十字架を返すように言うが、ペトルーニャは応じず家を出るという。だが、味方だったはずの親友は、彼女を泊めることを拒否する。

そうこうするうちに、警察がやってきてペトルーニャは連れて行かれてしまう。というわけで、途中からは警察署が舞台になる。

十字架を手にしたペトルーニャは無敵だ。強圧的な警察署長の取り調べにも屈することはない。十字架さえ返してもらえれば……という司祭の懐柔にも動じない。その自信に満ちた表情が力強い。

彼女は逮捕されたのか? いや、そんな法律など存在しない。女人禁制はただの規則にしか過ぎない。それも根拠不明の規則だ。どうして女ではいけないのか? そう問われたら、男たちは昔からそうだとしか答えようがないのだ。

だが、それでも男たちは必死で十字架を取り戻そうとする。十字架は今の男性優位社会の象徴なのだ。このまま渡すわけにはいかない。

それでも、ペトルーニャは毅然とした態度で要求を拒否する。そのたくましさよ!

警察署の前には、この事件で名を上げようとするテレビの女性リポーターとやる気のないカメラマンがいる。最初は自分のことしか考えていなかったリポーターも、次第に本気で男性優位社会を糾弾しようとする。だが、ペトルーニャはその思惑にも乗らない。

やがて、目の前でペトルーニャに十字架を取られた男たちが、大挙して警察署の前に押し掛けてくる。彼らは暴力と汚い言葉でペトルーニャを威嚇する。それでもペトルーニャは、騒ぎを尻目に悠々とふんぞり返る。そのたくましい姿は、もはや神々しくさえある。

本作は、性差別をはじめとする男性優位社会を批判する社会派ドラマであることは明らかだ。それでいてお説教臭さなどは微塵も感じさせない。オフビートな笑いを織り交ぜながら、主人公の奮闘ぶりをしなやかに、そしてしたたかに描いている。

ペトルーニャは自らの十字架を守り通せるのか。無事に警察署を出ることができるのか。

ラストには意外な結末が待っている。そこでのペトルーニャの輝いた表情が素晴らしい。彼女は戦いに勝利したのである。それは単に十字架を守ったということではなく、ダメダメでイケてなかった自らの人生が、この一件によって輝きだしたのである。ならば十字架など、もはや何の意味があるだろうか。

その戦いは言うまでもなく、彼女自身の戦いであるだけでなく、男社会に虐げられた全女性の戦いでもある。男性優位社会へ痛烈な一撃を食らわす一作だ。。

北マケドニアのドラマではあるが、日本にとっても無縁でないだろう。伝統という名の抑圧が、女性を縛り付けているのは日本も同じなのだから。

 

f:id:cinemaking:20210602195435j:plain

◆「ペトルーニャに祝福を」(GOSPOD POSTOI, IMETO I' E PETRUNIJA/GOD EXISTS, HER NAME IS PETRUNYA)
(2019年 北マケドニア・フランス・ベルギー・クロアチアスロヴェニア)(上映時間1時間40分)
監督:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演:ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカ、シメオン・ダメフスキ、スアド・ベゴフスキ、ステファン・ヴイシッチ、ヴィオレッタ・サプコフスカ、ジェヴデット・ヤシャーリ
岩波ホールにて公開中
ホームページ https://petrunya-movie.com/

 


www.youtube.com