映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「殺人鬼から逃げる夜」

「殺人鬼から逃げる夜」
2021年9月25日(土)シネマ・ロサにて。午前11時より鑑賞(シネマ・ロサ1/C-9)

~殺人鬼に追われる聴覚障害の女性。途切れない緊張感と破格の恐怖

何だかまた忙しくなって、10日以上も映画館から遠ざかってしまった。まだ少し仕事は残っているけれど、ようやく時間ができたから近場の映画館に行こう。

というわけで、池袋のシネマ・ロサにて鑑賞したのは韓国製スリラー「殺人鬼から逃げる夜」。何という身もふたもないタイトル。タイトルを見ただけでどんな物語かわかってしまうではないか。

そう。このドラマは、連続殺人犯と遭遇してしまった女性の恐怖の一夜を描いたドラマなのだ。だが、これがめちゃくちゃに面白かったのである。その理由は、主人公を聴覚障害を持つ女性に設定したことにある。

映画はいきなり殺人シーンから始まる。連続殺人鬼ドシク(ウィ・ハジュン)が冷酷に女性を殺害する(ただし、そのものズバリのエグいシーンは登場しない)。そして何食わぬ顔で目撃者を装って警察に通報する。彼がサイコパスであることを物語る出来事であり、そこで観客はすでに彼に異様な恐怖を感じてしまう仕掛けだ。

続いて映るのはお客さまセンター。聴覚障害を持つギョンミ(チン・ギジュ)は手話部門で働いている。だが、理不尽なクレームを言う客にブチ切れて、ビデオ通話を切ってしまう。さらに、みんなが行きたがらない会社の接待に自ら志願して出席し、他の出席者が手話を解さないのをいいことに、手話で思いっきり悪口を言うのだ。彼女は可愛い顔をしているが、やる時はやる女性なのである。こうした描写が、その後のドラマでの彼女への感情移入を促す。

そして、いよいよ運命の瞬間だ。会社からの帰宅途中、自分と同じ聴覚障害を持つ母親(キル・ヘヨン)と待ち合わせていたギョンミが、スーパーの駐車場に車を停めて路地へ出ると、若い女が血を流して倒れている。助けを呼ぼうとするギョンミ。だが、あっさりと犯人のドシクに捕まってしまう。それでも隙を見て逃げ出し、非常ベルを押す。しかし、聴覚障害の彼女は管制センターからの問いかけに答えられない……。

この映画の最大のポイントは、ギョンミが聴覚障害だということにある。そのため彼女は追いかけてくる犯人の足音も聞こえなければ、助けを呼ぶこともできない。すぐ後ろに犯人がいても気づかない(まるで「志村~!うしろ、うしろ~!」)。この設定がこの映画の緊迫感と恐怖感を倍加する。

しかも、ドシクは追跡そのものを楽しむかのような猟奇的な性質の一方で、狡猾な側面も持っている。その後、ギョンミと母は警察署に連れていかれるのだが、そこには目撃者としてスーツを着こなした若い男も同行する。

実はこのビジネスマン風の男こそが、連続殺人犯ドシクなのである。それまでギョンミが目撃していたドシクは、帽子をかぶり、マスクをして、眼鏡をかけ、服装もラフだったので気づかなかったのである。

こうして前半は警察署の中での出来事が描かれる。ただの目撃者をよそおい、警察官の目を盗んで、ギョンミと母を手にかけようとするドシク。そこに合コンに行った妹が帰ってこないと、ジョンタク(パク・フン)という男が駆け込んでくる。彼女の妹とは、誰あろうギョンミが目撃したケガをした女だった。

警察署でジョンタクはドシクの正体を暴き、彼が妹を襲ったことを知る。だが、狡猾なドシクは反撃し、警察署からの脱出に成功する。

中盤はギョンミの自宅での攻防が始まる。何度も言うが、ギョンミは聴覚障害で犯人が間近に迫っても気づかない。あわや危機一髪の場面。ドシクの魔手をギリギリのところでよけるギョンミ。執拗に詰め寄るドシクと必死で逃れるギョンミ。ここでは物音を探知するセンサーが巧みに使われる。特に光の点滅が不吉な予兆となる。

後半、ギョンミは家を脱出し、ドシクはそれを追いかける。ゴーストタウンのような無人の町を、必死の全力疾走で逃げるギョンミと迫り来るドシクの攻防。その破格の迫力から目が離せない。さらに、そこに妹を探すジョンタクも絡んでくる。

終盤、ギリギリの攻防はやがて繁華街へ。そこでギョンミが見せる渾身の思い。そして最後に彼女が取った意外な行動とは……。

上映中、緊張感が一瞬たりとも途切れなかった。時々わざと無音状態をつくり出して、耳が聞こえないギョンミの主観的な感覚を観客に疑似体験させる仕掛けも効いている。それによってますます観客は、彼女の恐怖をリアルに感じることになる。

実のところ映画が始まってから50分ぐらいのところで、「これはもう話が終わっちゃうんじゃないの?」と思ったのだが、心配は無用。そこからまた新たな展開を生み出して飽きさせない。冒頭からラストまで、一気呵成に畳みかけていく

基本になるのはギョンミとドシクの対決だが、ギョンミの母やジョンタクの絡ませ方も巧みだ。格闘バトルから全力疾走の逃走劇までアクションも満載。映像も音楽も効果的に使われている。

クォン・オスン監督はこれが長編デビュー作。こんな映画を新人が撮ってしまうのが、韓国映画界の奥深さだろう。レベルの高い新人監督が次々に出てくる。

そして主演のチン・ギジュの可愛らしさとたくましさよ。何でも彼女は韓国のサムスングループの社員だったが、その後民放の記者として活躍し、さらにモデルに転職して女優になったという変わり種だそうだ。殺人鬼に追われる恐怖の表情もいいが、最後に手話で啖呵を切る姿がカッコいい!

いかにも二枚目なのに、その端々から猟奇性を発揮する演技を披露したウィ・ハジュンも印象的な演技だった。ジョンタク役のパク・フン、ギョンミの母役のキル・ヘヨンなど脇役も素晴らしい。

韓国製スリラーはハズレがない。またしてもそれを実感させられた本作である。途切れない緊張感と破格の恐怖は特筆ものだ。

 

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◆「殺人鬼から逃げる夜」(MIDNIGHT)
(2021年 韓国)(上映時間1時間44分)
監督・脚本:クォン・オスン
出演:チン・ギジュ、ウィ・ハジュン、パク・フン、キル・ヘヨン、キム・ヘユン
https://gaga.ne.jp/satujinki/
ホームページ https://gaga.ne.jp/satujinki/

 


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「アナザーラウンド」

「アナザーラウンド」
2021年9月13日(月)グランドシネマサンシャインにて。午後1時20分より鑑賞(スクリーン11/F-11)。

~酒を飲めば仕事の効率が上がる!?酒飲み教師の大暴走

酒を飲むと快活になって、頭の働きも活発になり、思わぬアイデアが出たりする。それを裏付けるように「血中アルコール濃度を0.05%に保つと仕事の効率が上がる」という理論が存在するのだ。

その説をネタにした映画が「アナザーラウンド」である。デンマークのトマス・ヴィンターベア監督が、「偽りなき者」で起用したマッツ・ミケルセンと再び組み、アカデミー国際長編映画賞を受賞した。

のっけから高校生が酒を飲んで大暴れする様子が描かれる。なんとデンマークでは16歳以上は酒が買えるらしいのだ。

そんな国の高校の歴史教師マーティン(マッツ・ミケルセン)は、無気力な毎日を送っている。生徒と親からは、「これでは大学受験に受からない」と文句を言われる。家では妻のアニカが夜勤続きですれ違い、ろくに会話を交わすこともできない。何をやってもうまくいかない毎日なのだ。

そんな時、マーティンは同僚から「血中アルコール濃度を0.05%に保つと仕事の効率が上がる」という理論を聞く。そこで酒を飲んで授業を行ったところ、気力がみなぎり生徒の評判も上々だった。これに気を良くしたマーティンは、仲間の同僚3人とともに、論文にまとめるための実験と称して、勤務時間中に飲酒を実践していくのだが……。

要するにダメダメの男が、酒の力を借りて輝きだす話である。酒を飲まない人は、「そんなバカな」と思うかもしれないが、酒飲みならきっと覚えがあるはず。この物語の主人公のマーティンも酒の力でノリノリの授業をする。ルーズベルトチャーチルヒトラーを使ったその内容は、ユニークでユーモアに富み、生徒の大喝さいを浴びる。おまけに家庭に帰れば快活になり、ギクシャクしていた妻とも打ち解ける。

3人の同僚も同様だ。音楽の教師は生き生きと合唱指導をするし、体育教師は自信満々でサッカー指導をする。心理学の教師もまた然り。授業は大受けし、家族持ちは家族との歯車もかみ合い、実験は順調に進む。

ただし、これは「血中アルコール濃度を0.05%」を厳守した時の話。そうである。酒飲みの性癖。ほどほどではやめられないのだ。彼らはまもなく「アルコールの適量って人ごとに違うよな」などと言いだし、血中濃度を少しずつ上げていく。つまり、ほろ酔いから本格的な酔っ払いへと突入するのである。

こうなれば、もうダメである。その先に待ち構えているのは悲劇。転落していくのは泥酔者の常。あらららら……。

トマス・ヴィンターベア監督は、リアリズムを重視するデンマークの映画運動体「ドグマ95」の創設メンバー。今回もドキュメンタリータッチの映像が際立つ。手持ちカメラを中心とした映像で、特に顔のアップを多用しているのが特徴。それによって、登場人物の心理がリアルに伝わるのと同時に、酔っ払いの描写がリアルになる。ほろ酔いの様子から泥酔した様子まで実に真に迫っている。

あくまでも論文にまとめるためという趣旨から、その記述をテロップにして画面に表示したり、世界の著名人の酔っ払った醜態を映像で見せたり(エリツィンとか)といった遊び心を感じさせるところもある。

明確に何かを訴える映画ではない。酔っ払いを糾弾するわけでも、かといって礼賛するわけでもない。マーティンたちは酒によって救われ、酒によって破滅しかけるのだ。その悲しくも愚かな運命を、皮肉な笑いとともに描き出す。

終盤も一筋縄ではいかない。4人の男たちのうち、ある者は過酷な運命にさらされるが、その果てにおのれを取り戻し、明るい希望を取り戻す者もいる。マーティンにはかすかな光が差し始める。

とはいえ、ヴィンターベア監督も酒飲みなのだろうか。ラストは何とも騒々しく、陽気なパーティーシーン。そこで見事にキレキレのダンスを披露するマッツ・ミケルセン。そういえば、この人、元々プロのダンサーだったっけ。

酒飲みの愛らしさと、愚かさが同時に体験できる映画だ。やっぱり酒は怖いぞ~。

 

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◆「アナザーラウンド」(DRUK)
(2020年 デンマークスウェーデン・オランダ)(上映時間1時間57分)
監督:トマス・ヴィンターベア
出演:マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、マグヌス・ミラン、ラース・ランゼ、マリア・ボネヴィー、ヘリーヌ・ラインゴー・ノイマン、スーセ・ウォルド
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネクイントほかにて公開中
ホームページ https://anotherround-movie.com/

 


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「浜の朝日の嘘つきどもと」

「浜の朝日の嘘つきどもと」
2021年9月10日(金)新宿武蔵野館にて。午後12時25分より鑑賞(スクリーン1/C-5)。

~映画への思いが込められたタナダユキ監督の良作

「浜の朝日の嘘つきどもと」は、福島県相馬市に実在する映画館「朝日座」を舞台に、映画館の存続に奔走する女性の姿を描いた作品だ。監督・脚本は「百万円と苦虫女」「ふがいない僕は空を見た」「ロマンスドール」などで知られるタナダユキ

ちなみに本作は、福島中央テレビ開局50周年作品。何を隠そう福島県出身の私。高校までは同局を視聴していたのだ。懐かしいなぁ。

映画の冒頭、1人の若い女性が道に迷っている。ようやく探し当てたのは、福島県相馬市に実在する映画館「朝日座」。100年近くの間、地元の人々に愛されてきた。ところが、支配人の森田保造(柳家喬太郎)は厳しい経営状況から閉館を決断。一斗缶に放り込んだ35ミリフィルムに火をつけようとしていた。その瞬間、若い女性がその火に水をかける。茂木莉子(高畑充希)と名乗るその女性は、恩師との約束を果たすため、朝日座を立て直そうと東京からやって来たという。こうして茂木莉子は、森田を巻き込んで朝日座の再建に奔走し始めるのだが……。

のっけから茂木莉子(もちろん本名は別にある)と森田の丁々発止のやりとりが繰り広げられる。口の悪い莉子と飄々とした森田。そのやりとりはユーモラスで味わい深い。森田を演じる柳家喬太郎が落語家だから、というわけではないが、まるで落語のような会話である。

そして全編にわたって映画ネタが満載なのも本作の魅力。森田が焼こうとしていたフィルムは「東への道」。D・W・グリフィス監督による1920年公開のサイレント映画で、主演はリリアン・ギッシュリチャード・バーセルメス。マニアックだなぁ。その他にも、いろいろな映画ネタが出てくる。

一生懸命に閉館を翻意させようとする莉子。そのペースに巻き込まれながらも、そうはさせじと踏ん張る森田。

そんな現在進行形のドラマと並行して、莉子と高校時代の恩師の田中茉莉子先生とのエピソードが描かれる。東日本大震災後、あることから家族がバラバラになった莉子。その影響で高校で孤立していた。

彼女が校舎の屋上にいる時。茉莉子先生が現れる。自殺を考えていたらしい莉子をさりげなく止める。そのごく自然な感じがたまらなく良い。その後、茉莉子先生は莉子と一緒に校内で隠れて映画を観る。そして映画というものが残像現象を利用していることを教える。そしてこう言うのだ「100年後を考えてごらん。どうせ生きてないんだから」。そんな励まし方があるだろうか。だが、これが絶妙なのだ。莉子ならずとも素直に励まされてしまう。

その後、転校して東京に行った莉子が、家出して転がり込んできた時も優しく彼女を受け入れる。そのことで窮地にも陥るが茉莉子先生は気にしない。

男にだらしないのが玉に瑕(たいていフラれる)。そして風変り。だが、ひたすら優しい茉莉子先生。しかも、それが押しつけがましさのない、ごく自然な優しさなのだ。男にフラれるたびに茉莉子先生が、「喜劇 女の泣きどころ」を観て泣くのが面白い。

茉莉子先生役の大久保佳代子の魅力が十二分に発揮されている。彼女の女優としての力量をまざまざと見せつけられた。ある意味、この映画の主役といってもいいかもしれない。そのぐらい存在感がある。殊更にオーラを発していないのに、チャーミングで奥深い人柄がにじみ出てくる。そして、ひたすらカッコいい。

一方、現在進行形のドラマでは、森田もようやくその気になり、朝日座再興計画がスタートする。朝日座を救うクラウドファンディングが行われ、さらにマスコミにも朝日座のことが取り上げられる。地元の人々も温かく見守る。

莉子と森田、そして莉子と茉莉子先生は、それぞれが疑似家族のようだ。いずれもが家族を亡くしたか疎遠になっており、それを埋め合わせるように絆を紡ぐ。それがとても温かで心地よい。過去作でも不器用な男女を温かく見守ってきたタナダ監督らしい描写といえる。

こうして一時は朝日座の再建が現実のものとなるが、そこに難題が持ち上がる。2人の前に立ちはだかるのは、朝日座跡地の再開発を計画する開発会社の社長だ。

ここで感心したのは、敵役の開発会社の社長を悪人として描かないこと。この手の話ではわかりやすく、憎々しげな極悪人を出したりするものだが、そうはしない。こちらも地元のことを考えた上での再開発計画なのだ。それゆえに悩ましく、地元の人々を巻き込んでの大騒動に発展する。

そして、描かれる莉子と茉莉子先生との別れのエピソード。茉莉子先生は莉子に朝日座再興の願いを託す。そこで披露されるかつてのエピソードが笑える。朝日座を訪れた茉莉子先生は森田がセレクトした2本立てを鑑賞する。それは「トト・ザ・ヒーロー」と杉作J太郎監督作でタナダ監督が主演した「怪奇!!幽霊スナック殴り込み!」。いや、それは茉莉子先生ならずとも文句を言いたくなるだろう、というラインナップ。茉莉子先生の最後の言葉といい、湿っぽさは皆無。思わず笑っちゃうのだ。先生の恋人のバオ君もいい味を出している。

終盤は家族と血のつながりを問い、莉子と父との絆を描き、ラストへとなだれ込む。はたして朝日座の運命やいかに? 予定調和といえなくもないが、そこには映画ファンの願いが込められている。おかげで温かな気持ちで映画館を後にすることができた。

高畑充希の猪突猛進ぶりが頼もしい。柳家喬太郎ののほほんとした感じも良い。甲本雅裕吉行和子などの脇役陣の演技も見ものだ。

本作にはタナダ監督の映画への熱い思いが詰まっている。そこには単なる映画愛だけでなく、「みんな、映画館がいつでもあると思っているから大事にしないんだ」という言葉に代表されるように、映画界及び映画ファンへの警句も込められている。

そんな映画への様々な思いに貫かれた心温まる良作である。実に心地よい時間を過ごさせてもらった。

 

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◆「浜の朝日の嘘つきどもと」
(2021年 日本)(上映時間1時間54分)
監督:タナダユキ
出演:高畑充希柳家喬太郎大久保佳代子甲本雅裕、佐野弘樹、神尾佑竹原ピストル光石研吉行和子
シネスイッチ銀座新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://hamano-asahi.jp/

 


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「モンタナの目撃者」

「モンタナの目撃者」
2021年9月5日(日)新宿ピカデリーにて。午後12時20分より鑑賞(スクリーン2/F-16)。

~トラウマを抱えた消防隊員と少年の息詰まるサスペンス

土日のシネコンはけっこうな賑わいだ。ちょっと感染が怖いけれど、一席おきに空けて販売しているからまあいいか。というわけで、久々の日曜の映画館である。

鑑賞したのはアンジェリーナ・ジョリー主演の「モンタナの目撃者」。どうしてこの映画を見ようと思ったかといえば、監督のテイラー・シェリダンのデビュー作「ウインド・リバー」が良かったから。辺境の地で起きた殺人事件を巡り派遣されたFBIの新人捜査官の苦闘を描くクライム・サスペンスで、第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞した。

ちなみに、テイラー・シェリダンはもともとは脚本家で、「ボーダーライン」などの脚本を担当している。本作は、マイクル・コリータのミステリーを映画化したもので、脚本にはシェリダン監督も名を連ねている。

映画の冒頭はいきなり森林火災の場面だ。森林消防隊員たちが必死で消火に当たる。だが、急に風向きが変わって火が間近に迫ってくる。仲間の消防隊員が火だるまになり、少年たちも火に包まれるが、森林消防隊員のハンナ(アンジェリーナ・ジョリー)はなすすべがない。あまりにも凄惨な現場だ。

ただし、これは過去の出来事。主人公のハンナが、実際に体験した火災の現場を夢に見てうなされているのだ。それは彼女にとって忘れられない過去のトラウマだった。

そんなある日、森林を監視中の彼女は、たった一人で森の中をさまよう少年コナー(フィン・リトル)を発見し保護する。彼は、目の前で父親が2人組の暗殺者に殺されるのを目撃していた。暗殺者たちは、父から秘密を託されたコナーの命も狙っていたのだ。暗殺者から少年を守るために動き出すハンナだが……。

ウインド・リバー」もそうだったが、シェリダン監督は極限状況を描くのがうまい。本作でも序盤から異様な緊迫感がスクリーンを包む。その中で、絶体絶命の場面が次々に描かれ最後まで緊張が途切れない。

物語の構成も巧みだ。最初は主人公ハンナのやさぐれた姿を描き出すのだが、それと同時にコナー少年が森をさまように至る経緯を描き出す。地方検事の家が爆破され、身の危険を感じた会計士が息子コナーとともに逃避行に出る。彼は不正の証拠を握っていた。だが、2人組の暗殺者に待ち伏せされ、会計士は殺されてしまう。あわやのところで車から脱出したコナーは森をさまよう。

さらに、そこに街の保安官イーサン(ジョン・バーンサル)のエピソードが絡んでくる。彼はコナーの父が殺害された現場を発見する。しかも、彼はコナーの父親の知り合いで、2人がまもなく訪ねてくる予定になっていたのだ。

こんなふうに同時並行でいくつかのエピソードが描かれ、それが絶妙に絡みあい、1つの方向に向かっていく。鮮やかなストーリーテリングである。

絶望と戸惑いの中で、ハンナと出会ったコナーは当初は心を開かず、父から託された秘密を守ろうとする。だが、他に頼るものもない中で交流を重ねるうちに、少しずつ打ち解けていく。心の傷を抱えたハンナも少年を守ろうとする。その温かな交流が描かれる。

そして、この映画の大きな見どころは巨大な森林火災だ。暗殺者たちが人々の目をそらすために、放火したのだ、その火が燃え広がり、ハンナとコナーの行く手を遮る。つまり、ハンナとコナーは暗殺者と森林火災という2つの大きな敵に立ち向かうはめになるのである。

暗殺者たちの不気味さもこのドラマを引き立てる。ジャック(エイダン・ギレン)とパトリック(ニコラス・ホルト)の2人組だ。悪役がいいと主役が引き立つ。とはいえ、ふだんは完璧な仕事をこなす彼らが、自らのミスで逆に追い詰められるなどツボを押さえた展開も用意されている。

その暗殺者たちが、コナーの行方を追ってイーサンの自宅に押し入り、その流れでイーサンの妻アリソン(メディナ・センゴア)が、馬にまたがってさっそうと暗殺者たちを追いかける意表を突いた展開もある(アリソンは妊娠6か月!)。ここはさすがにやり過ぎ感もあったが、結局はそのエピソードも違和感なくストーリーに溶け込み、ドラマを盛り上げる役割を果たしている。

終盤は森林火災と暗殺者との最後の戦い。襲い来る猛火と、ひたすら銃をぶっ放す暗殺者を相手に、ハンナとコナーははたして生き残れるのか。

ラストで変に甘っちょろい後日談など描かずに、ハンナのさりげない言葉で閉めるあたりもなかなか心憎い。

それにしてもこのドラマ、主演がアンジェリーナ・ジョリーでなければ、ここまでの説得力はなかっただろう。これまでも数々のアクションを披露してきたが、本作が11年ぶりのアクション映画とか。敵と直接対決する場面は少ないものの、斧を手に戦うその姿は迫力満点。さらに20メートルほどの監視塔から飛び降りたり、雷に直撃されたり、パラシュートで危険な遊びをしたりと大活躍。そのたびごとに立ち上がるその姿が嘘くさくないのは、ひとえに彼女が演じたからこそ。さすがである。

張り詰めた緊張感の中、ハンナの再起のドラマと少年との温かな交流、迫力の森林火災シーン、アクションなどを巧みに配したサスペンス。シェリダン監督の前作「ウインド・リバー」と比較すれば大味な作品だが、その分エンタメとしての見応えは十分だ。

 

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◆「モンタナの目撃者」(THOSE WHO WISH ME DEAD)
(2021年 アメリカ)(上映時間1時間40分)
監督:テイラー・シェリダン
出演:アンジェリーナ・ジョリーニコラス・ホルト、フィン・リトル、エイダン・ギレンメディナ・センゴア、タイラー・ペリー、ジェイク・ウェバー、ジョン・バーンサル
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://wwws.warnerbros.co.jp/mokugekisha/

 


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「サマーフィルムにのって」

「サマーフィルムにのって」
2021年8月30日(月)新宿武蔵野館にて。午後3時30分より鑑賞(スクリーン3/C-4)。

~時代劇オタクの高校生の映画愛にあふれた青春の輝き

最近、日本映画ばかり観ているなぁ。まあ、話題作や評判の良い映画が相次いでいるので仕方なかろう。おすぎさんのように、「日本映画は観ない」というポリシーは私にはないので。ちなみに、おすぎさんはとても良い人です。以前、試写会場でエレベーターのドアの「開」ボタンを押して、「どうぞ」と言って、みんなを下ろしてから一番最後に降りる姿を目撃したのだ。

本日取り上げるのは「サマーフィルムにのって」。高校の映画部を舞台にした映画は、これまでもたびたびあったが(「桐島、部活やめるってよ」をはじめ)、本作はその中でも群を抜いてよくできている映画だ。

女子高生なのに勝新太郎の「座頭市」がお気に入りの時代劇オタクのハダシ(伊藤万理華)。映画部に所属する彼女は、時代劇の撮影を熱望するが、みんなの投票でキラキラ恋愛映画を撮影することになる。自分の撮りたい映画が作れずもやもやするハダシは、放課後に廃車のキャンピングカーで天文部のビート板(河合優実)、剣道部のブルーハワイ(祷キララ)とともに時代劇を見て過ごしていた。

そんなある日、名画座で自身が書いた脚本「武士の青春」の主役にピッタリな凜太郎(金子大地)を見つけ、出演を依頼する。嫌がる凛太郎を無理やり引き込んで、撮影を手伝ってくれる仲間集めに奔走し、打倒キラキラ恋愛映画を掲げて時代劇の撮影を始めるハダシだったが……。

この映画でまず感心するのが、登場人物のキャラクターが立っていること。主役のハダシはもちろん、友人のビート板、ブルーハワイ、そして凛太郎。いずれも個性的な人物だ。それ以外にも凛太郎の相手役のダディボーイは名前通りに老け顔だし、スタッフとして集められた駒田はド派手な自転車を操る。増山、小栗は特殊な聴力の持ち主といったように、どれもユニークなキャラばかり。彼らが演じるドラマが生き生きとするのも当然だろう。

そこには恋と友情のドラマが詰まっている。ハダシとビート板は凛太郎をめぐって、それぞれの純な恋心を見せる。それでもブルーハワイを含めた3人の友情は揺るがないし、2つの映画製作に関してライバルとの対立と和解という熱い友情のドラマも展開される。いずれも青春映画の定番とはいえ、ポップでテンポの良い筋運びで飽きさせない。

だが、それだけではない。凛太郎は初めて会った瞬間からハダシのことを「ハダシ監督」と呼んでいる。時代劇好きの彼だが、ところどころ受け答えには奇妙なところがある。なぜだ?

というわけで、彼の正体をめぐってSF的展開までが用意されているのである。あまり詳しく言うのはやめておくが「時をかける少女」的な世界が展開されるのだ(ちなみに、「時をかける少女」の話も劇中に出て来る)。

そして映画愛にあふれているのも本作の特徴。劇中には映画ネタが満載だ。ハダシの好きな時代劇のうんちくはもちろん、様々な映画の話が詰まっている。ディテールへのこだわりも半端でない。

ドラマの主要なパートは、いかにも高校生らしい映画製作の場面。そこは手作り感満載だ。十分な機材も予算もない中で(ハダシたちは引っ越しのバイトをして資金を稼ぐ)、紆余曲折ありつつの撮影が続く。そんな撮影風景も映画好きの心を湧きたたせる。

ハダシたちの目標は文化祭での上映会だ。そこでは映画部のキラキラ恋愛映画が上映されることになっていたが、それを乗っ取って「武士の青春」を上映しようというのだ。

だが、ラストシーンを撮影する合宿でハプニングが起きる。そこで両者は協力して、作品を仕上げることになる。映画部のキラキラ恋愛映画にはブルーハワイが出演することになり、ハダシたちの「武士の青春」は映画部の機材を使って撮影することになる。そこでハダシは戦わないラストシーンを選択する。

文化祭当日、上映会は映画部とハダシたちの作品の2本立てで上映することになる。そこでハダシはギリギリまで迷って、やっぱり自分らしいラストシーンに撮り直すことにする。それは単なるロマンスの枠を超えて、映画の今と未来をつなぐラストシーンだ。全編が映画愛に貫かれたこの作品の中で、最もそれを象徴するのがこのシーンではなかろうか。映画は終わらない。映画は続くのだ。奇跡のようなラストである。

恋と友情に彩られた青春映画に、SF的世界まで用意し、さらに映画愛までたっぷり詰め込むとは。松本壮史監督は、ドラマやCM、ミュージックビデオなどで活動しており、これが初の長編映画だが、ただものではないと感じた。

そして、若いキャストたちの演技が半端でなく良い。大人たちがまったくと言っていいほど出てこない映画だが、そんな中で彼らの瑞々しさが際立っている。特にハダシ役の伊藤万理華は、元「乃木坂46」のアイドルで、卒業後は女優としてドラマ、映画、舞台に出演してきたそうだが、素晴らしい演技だった。勝新の真似もいいし、ラストの殺陣もきまっている。彼女の存在感ある演技が、この物語を生き生きと躍動させ、抜群の説得力を持たせている。

ひたすら痛快かつ爽快な青春映画である。いつの間にかスクリーンに引き込まれて、夢中になってしまった。青春映画好きならずとも見逃せない。

 

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◆「サマーフィルムにのって」
(2020年 日本)(上映時間1時間37分)
監督:松本壮史
出演:伊藤万理華、金子大地、河合優実、祷キララ、小日向星一、池田永吉、篠田諒、甲田まひる、ゆうたろう、篠原悠伸、板橋駿谷
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://phantom-film.com/summerfilm/

 


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「ドライブ・マイ・カー」

「ドライブ・マイ・カー」
2021年8月27日(金)池袋HUMAXシネマズにて午後2時45分より鑑賞(シネマ4/D-9)。

~静謐で力強い傷ついた男の魂の救済劇

濱口竜介監督といえば、一般には「寝ても覚めても」(2018年)のイメージが強いかもしれない。しかし、私にとっては2015年の「ハッピーアワー」が断然印象に残っている。上映時間5時間17分。独特の演出と会話の妙で、全く長さを感じさせない傑作だった。

その「ハッピーアワー」を思い起こさせる傑作が「ドライブ・マイ・カー」だ。村上春樹の短編小説を濱口監督と大江崇允が脚色。とはいえ、原作を大胆に換骨奪胎して、オリジナル脚本といってもいいほど濱口監督のカラーを打ち出している。第74回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作である。

主人公は舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)。彼は、妻で脚本家の音(霧島れいか)と穏やかで満ち足りた日々を送っていた。序盤はその2人の幸福な生活が描かれる。家福は異なる言語が飛び交う芝居を演じている。音は2人のセックスの時に物語を語り、それが彼女の作品になる。

ところが、ある日、家福は音が浮気をしている現場を目撃する。それでも見て見ぬふりをして何事もなく生活を続ける。そしてまもなく、音がくも膜下出血で急死してしまう。

それから2年後。広島の演劇祭に招かれた家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を演出する。主催者側は家福が車を運転することを許さず、寡黙なみさき(三浦透子)が専属ドライバーとしてつくことになる。

様々な国の役者が集まったオーディションが行われ、キャストが決まる。その中には、音から紹介されたことのある人気俳優・高槻耕史(岡田将生)の姿もあった……。

傷ついた男の物語である。家福は幼くして娘を亡くし、妻も失ってしまった。しかも、彼には大きな後悔がある。そんな彼が自分の心と向き合うまでのドラマだ。

と書くと、ありふれた話に思えるかもしれない。だが、濱口監督の映画はひと味違う。「ハッピーアワー」でも見られたように、細かなディテールへのこだわりが、それぞれの人物のキャラクターをクッキリと浮き彫りにする。

そして何よりも会話が魅力的だ。セリフの一言一句まで無駄がなく、深い余韻を残す。会話の間人物は静止していることが多いのだが、微妙な表情の変化が様々なことを物語る。静かな外見と激しい内面の変化との対比が印象的だ。特に車の中での会話が印象深い。

会話だけではない。ドラマは重層的に展開する。家福は車の中で、妻がセリフを吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」のテープを聞く。それは家福がワーニャのセリフを練習するためのものだ。だが、彼は演劇祭で自ら演じることを拒否し、妻の浮気相手だったらしい高槻に演じさせる。そこに彼の屈折した心情が浮かび上がる。

家福が演出する「ワーニャ伯父さん」は多言語で展開される。様々な国の役者がそれぞれの国の言葉で演じるのだ。そこには韓国語手話まで登場する。彼らは徹底的に本読みをする。それは濱口監督自身の演出法とも通じるものがあるようだ。そのリハーサル風景などを通じて、独特の緊張感がスクリーンを包む。

初めは頑なだった家福の心。だが、次第にその心がほぐれていく。みさきとの心の交流が大きな影響を与える。当初は寡黙なみさきとほとんど言葉を交わさない家福。だが、車に同乗するうちに、みさきもまた暗い過去を抱えていることを知る。そして2人の魂が共鳴する。家福の死んだ娘も、生きていればみさきと同じ年だった。

そのみさきとの会話はもちろん、高槻との会話も味わいがある。特に、亡き音が紡いだ物語の先の展開を家福ではなく、高槻が知っていたといったあたりの会話は、スリリングで何とも不穏な感じがする。そこで高槻が言う「他人を見るには自分を徹底的に見つめるしかない」といった主旨のセリフは、このドラマで最も深いセリフかもしれない。

やがてある事件が起きて、家福は決断を迫られる。そこで、家福はみさきとともに彼女の故郷の北海道へと向かう。

そこから先の展開が秀逸だ。静かだが胸に迫る場面が用意されている。ちなみに、家福とみさきの心の距離を現す道具として、今どき珍しくタバコが使われる。タバコを持つ2人の手が、疾走する夜の車のサンルーフから伸びる。何とも心憎いシーンである。

そして、その後の公演風景では韓国語手話が効果的に使われる。口に出して話す言葉以上に、圧倒的な感動を与えてくれる。

俳優たちはそれぞれ素晴らしいが、その中でも三浦透子の演技は特筆ものだ。暗い影を背負ったドライバーが、家福の心に大きな影響を与える様子を説得力を持って演じていた。ラストシーンの彼女の穏やかなたたずまいも見逃せない。

上映時間2時間59分があっという間だった。濱口監督の静謐で力強い世界が、深く心に染みわたることだろう。

◆「ドライブ・マイ・カー」
(2021年 日本)(上映時間2時間59分)
監督:濱口竜介
出演:西島秀俊三浦透子霧島れいか岡田将生、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、アン・フィテ、ペリー・ディゾン、安部聡子
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://dmc.bitters.co.jp/

 


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「シュシュシュの娘」

「シュシュシュの娘(こ)」
2021年8月25日(水)シネマ・ロサにて。午後12時15分の回(シネマ・ロサ2/D-8)。

~これぞ自主映画!自由かつ大胆な社会派エンタテインメント

コロナ禍で厳しい状況に立たされたミニシアター。そのサポートを目的につくられた映画が「シュシュシュの娘(こ)」である。

製作・監督・脚本・編集を担当した入江悠は、「22年目の告白-私が殺人犯です-」「AI崩壊」などのメジャー作品で知られているが、もともとは自主映画「SR サイタマノラッパー」シリーズで注目された監督。それだけに、ミニシアターへの思い入れが強い。

入江監督は、3つの目標を掲げた。
①仕事を失ったスタッフ、俳優と、商業映画では製作しえない映画を作ること。
②未来を担う若い学生達と、新たな日本映画の作り方を模索すること。
③苦境にある全国各地のミニシアターで公開すること。

その方針のもと、「SR サイタマノラッパー」シリーズ以来、約10年ぶりに自主映画として製作されたのが本作だ。

25歳の鴉丸未宇(福田沙紀)は、地方都市で市役所勤めをしながら、一人で祖父・吾郎(宇野祥平)の介護をしている。ある日、彼女に優しく接してくれていた先輩職員の間野幸次(井浦新)が、市役所の屋上から自殺する。理不尽な文書改竄を命じられたのを苦にしたのだ。吾郎から「仇をとるため、改ざん指示のデータを奪え」と告げられた未宇は、市政に一矢報いるためひそかに立ち上がる……。

いかにも自主映画らしい作品である。スクリーンサイズは画角の狭いスタンダード。映像も音も技術の粋を尽くした最新鋭のものとはいかない(音はモノラル。序盤はセリフがよく聞き取れずに難儀した)。その代わり様々な制約を逆手に取った、自由かつ大胆な筆致が魅力的な作品である。

未宇の住む市では、移民排斥条例を制定しようとしている。間野が文書改竄を命じられたのはそのためである。元新聞記者だった吾郎は条例制定に反対するが、市長はじめ市役所の面々は条例制定を強行する。街には外国人に暴力をふるう自警団も組織される(鮮やかな揃いのジャンパーを着た、気のいいオジサンたちなのが逆に怖い)。

というわけで、移民排斥、文書改竄、自警団といった現実の社会状況が反映された社会派エンタテインメントである。ただし、そうした社会派の要素を前面に押し出しているわけではない。あくまでもエンタテインメントの枠内で面白おかしく描き出す。そのアンバランスさがこの映画の魅力でもある。

もちろん敵に立ち向かうのは未宇だ。ただし、普通に立ち向かうのではない。根暗で目立たないように生きてきた未宇は、祖父から自分がある家系の者だと聞かされるのだ。そのヒントは「シュシュシュの娘」というタイトルにある。

しかし、先祖代々伝わってきた文献の大半は戦争で焼けてしまったという。そこで彼女は自ら黒い生地を買い(友人はピンクがいいと言ったのだが)、オリジナルの衣装をしつらえる。靴はスニーカー。そして、ある技を持ちネタとするのだ(ただし、子供の頃に遊んだ記憶があるという程度なので頼りない)。

こうして未宇は市役所帰りに隠密行動とり、文書改竄の証拠をつかもうとする。その珍妙なスタイルが笑いを誘う。根暗で孤独な主人公がスーパーヒーローに変身するというのはよくある話だが、現実はそれほどカッコよくはない。リアルと絵空事、シリアスと笑い、入江監督はその間を自由奔放に行き来する。

それでも何とか証拠を入手する未宇。しかし、まもなくそれを敵に奪われてしまう。しかも祖父が敵に襲撃され、挙句の果てに亡くなってしまうのだ(その消え去り方がまた独特だ)。さらに、ある男の存在を巡って、仲の良かった親友とも仲違いしてしまう。

こうして一人ぼっちになった未宇は、しばらく姿を消す。再び現れた時には驚くべき姿に変身している。そして、いよいよ彼女は最終決戦に挑むのである。そこで映画のタッチはがらりと変わる。

まあチープと言えばチープ。あまりにも安直で何のヒネリもない。だが、そんなことは承知の上。徹底的に自主映画っぽさを前面に打ち出し、観客を楽しませる。移民排斥、文書改竄、自警団などのリアルさと、映画全体のチープさが何とも絶妙な味わいを生んでいる。

それにしても入江監督、よっぽどメジャーで嫌な思いをしてきたのだろうか。余計なお世話だけど。そのうっ憤を晴らすかのような自由闊達さである。

最終決戦はあっけないといえばあっけないのだが、それがまた独特の味になっていたりする。その後のラスボスとの対決も含めて、いかにも自主映画らしい。

そしてラストシーンに流れる音楽は、まるで西部劇の音楽。なるほど最終決戦のあたりからは、完全に西部劇だもんなぁ。そう思えばなかなか面白い。

主演の福田沙紀は、未宇の2つの顔をうまく演じ分けていた。特に目の演技が良い。80年代風音楽をバックに披露するダンスも魅力的だ。

入江監督の熱い思いが伝わってくる自主映画らしい作品だ。商業映画では絶対になし得なかっただろう。その思いを受け止めて、細かいことは言わずに楽しむべし。

 

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◆「シュシュシュの娘(こ)」
(2021年 日本)(上映時間1時間28分)
製作・監督・脚本・編集:入江悠
出演:福田沙紀、吉岡睦雄、根矢涼香、宇野祥平、金谷真由美、松澤仁晶、三溝浩二、仗桐安、安田ユウ、山中アラタ、児玉拓郎、白畑真逸、橋野純平、井浦新
ユーロスペースほかにて全国公開中
ホームページ https://www.shushushu-movie.com/

 


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