映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「百花」

「百花」
2022年9月10日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時30分より鑑賞(スクリーン5/H-12)

認知症の母とトラウマを抱えた息子。原田美枝子の迫真の演技

映画プロデューサーを中心に小説家、脚本家などマルチに活躍する川村元気。映画好きならその名を知っている人も多いだろう。いったいなぜこんなにマルチに活躍できるのだ?1つのこともまともにできない身としては、うらやましすぎて憎いぐらいだ。

その川村元気が2019年に発表した同名小説を自ら映画化したのが「百花」。川村の長編監督デビュー作となる。今度は映画監督という肩書まで加わったのか。本当に憎らしいな(笑)。

レコード会社に勤務する葛西泉(菅田将暉)と、ピアノ教室を開き女手一つで泉を育てた母・百合子(原田美枝子)。だが、2人の関係には何やらぎこちないものがあった。泉の子供の頃に百合子が起こしたある出来事によって深い溝が生まれ、今もそれが埋められないのだ。

そんな折、百合子が認知症であることが判明する。泉は献身的に母を支えるが、それでも依然としてわだかまりが残っていた。

認知症が進行していく高齢の母と、それを見守る息子のドラマである。いったい2人の間に何があったのか。ここでバラしても特にどうということもないだろうが、これから観る人もいるだろうから伏せておく。とにかく泉にとっては衝撃的な出来事だった。

認知症が進行して、その記憶もろとも消えてしまうことが確実な百合子に対して、泉はずっとその嫌な思い出を抱え、時々トラウマとなって現れる。しかも、彼の妻はまもなく出産し、父親になることが予定されていた。はたして、トラウマを抱えたままの自分に父親の資格があるのか。泉は苦悩する。

この映画はワンシーンワンカットで撮られている。何でも川村監督は人間の脳の働きをそのまま映像化したかったらしい。人間の脳にカットはかからないので、すべてワンシーンワンカットにしたとのこと。途中まではそれがウザい感じもするのだが、後半に行くにつれてあまり気にならなくなった。そういう意味でかなり実験的な作品でもある。

構成的には現在進行形で起きている出来事と、過去に起きた出来事をリンクさせて描く手法が特徴的だ。現在と過去を混在させることにより、過去の出来事が現在の2人の関係にいかに深い影を落としているかを物語る。

百合子は過去の出来事について、今でも事あるごとに謝罪をする。しかし、彼女は謝りこそすれ、当時の決断に悔いはないという。その心理は複雑極まる。

それを懐の深い演技で表現するのが原田美枝子だ。この映画は原田美枝子の映画といっても過言ではない。認知症の演技も自然だし、失われていく記憶に翻弄される姿にもウソがない。様々に揺れる心が十二分に表現されている。

特に過去の出来事で大地震に遭遇した時に(たぶん阪神淡路大震災)、初めは別の人を心配するあまり疾走していた彼女が、やがて息子の泉の身の上を心配する心理に変わるあたりの演技が絶品。その絶叫がいつまでも心に響く。

ついでにいうと、若い頃を演じる時の若作りも堂に入っている。友人役の神野三鈴ともどもCGの力を借りたのかもしれないが、不自然さは感じられなかった。それも含めて素晴らしい演技。1人の女性の波乱の生き様を見事に表現していた。

終盤、施設に入った百合子は、「半分の花火が見たい」と不可解な言葉を口にするようになる。それは本当に存在するのか。だとしたら、どこで打ち上げられるのか。最後にその真相が明らかになり、親子の絆の強さを印象づけてドラマは終わる。

最後はそつなくまとめているが、いくつか中途半端に感じられるところもあった。例えば、泉と妻が勤務するレコード会社でAIを使ったバーチャルシンガーを育成するエピソード。過去の思い出と絡めて登場させているのだが、あまり効果的に使われているとは思えない。

また、過去に百合子が泥棒にあったという話も中途半端。その泥棒はアルバムなど住人の思い出を盗んでいくというのだが、居丈高な刑事とともに何だかとってつけた話のように感じられた。

とはいえ、そうした粗削りなところはあるものの、それなりによくできた映画だと思う。まあ、個人的にはちょっと期待しすぎていたので(だって山田洋次だの、ポン・ジュノだの、岩井俊二だの、錚々たる映画人が絶賛コメントを寄せているし)、やや物足りなさは残ったものの、普通に見れば初めての監督作品としては十分に合格点だろう。原田美枝子の迫真の演技だけでも観る価値はあると思う。

◆「百花」(2022年 日本)(上映時間1時間44分)
原作・監督・脚本:川村元気
出演:菅田将暉原田美枝子長澤まさみ北村有起哉岡山天音河合優実、長塚圭史板谷由夏、神野三鈴、永瀬正敏
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://hyakka-movie.toho.co.jp/


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「LOVE LIFE」

「LOVE LIFE」
2022年9月9日(金)シネマ・ロサにて。午後2時30分より鑑賞(シネマ・ロサ2/E-8)

~平凡な日常に潜む脆さを見せて、観客に問いを投げかける

カンヌ国際映画祭ある視点部門の審査員賞を受賞した「淵に立つ」や筒井真理子主演の「よこがお」など、深田晃司監督の映画には観客に鋭い問いを投げかけるものが多い。あなたが常識だと思っていることは本当に信じられるのか、と。

今回の「LOVE LIFE」でも、平凡な日常生活に潜む危うさを示し、観客の心をざわつかせる。モチーフになったのは矢野顕子の名曲『LOVE LIFE』だが、深田監督独自の解釈による変奏曲といった趣の作品だ。第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。

ドラマは、穏やかな家族ドラマの様相で始まる。妙子(木村文乃)と二郎(永山絢斗)の夫婦は結婚して1年。妙子と前夫との間の子、敬太とともに幸せに暮らしていた。

この日、家族は二郎の両親を招いたパーティーを準備中。だが、そこには早くも不穏な影がちらつく。二郎の元カノの存在だ。

そして、パーティーが始まると、息子と妙子との結婚を認めない父親は、妙子と目も合わせずに嫌味を言う。その場は母が取りなして収まり、再びパーティーは盛り上がる。そこで悲劇が起きる。

その出来事以来、夫婦の関係はギクシャクし始める。悲嘆に暮れる妙子の前には、何年も失踪していた前夫で敬太の父親でもある韓国人のろう者パク・シンジ(砂田アトム)が現れる。ホームレス支援のNPOで働く妙子は、公園で寝泊まりしているパクを放っておけず、身の回りの世話をするようになる。一方、二郎も両親の引っ越しを手伝いながら、元カノの山崎と会っていた。

「淵に立つ」では謎の男が平凡な家庭を壊したが、この映画ではある大きな悲劇が夫婦の関係を壊す。話の骨格自体はそれほど珍しいものではないが、深田監督らしさが全編にあふれている。

ストーリー的には唐突だったり、不自然に思えるところも随所に見受けられる。だが、それでもリアリティーを失わない理由は登場人物の心理描写にある。セリフはもちろん、それ以外の部分でも各人物の心情が繊細に描かれる。

特に、悲劇の原因が自分にあると自信を責める妙子の心理描写が圧巻だ。悲劇の現場となった風呂場の湯船に我が身を浸すなど、やるせないその思いがスクリーン全体を包む。自分と息子を捨てた元夫に対する怒りの情、それでも放っておけなくて救いの手を差し伸べる心理も余すところなく描かれる。

夫の二郎も同様だ。役所に勤める二郎と、パク、通訳を務める妙子が一堂に会するシーンがある。パクと妙子が手話で話をする。二郎にはそれが理解できない。自分が阻害されているような彼の複雑な心中が如実に表現される。

二郎の両親、元カノなど、その他の人物の心理描写も巧みだ。長回しの映像を使いつつ、リアルにごく自然にその胸中を映し出す。

そして面白いのは登場人物のすべてが複雑な表情を持つこと。けっして一面的なキャラクターとしては描かれない。二郎の父は妙子を嫌うが、その一方で彼女を気遣うそぶりも見せる。母親は妙子に比較的好意的だが、時折彼女を傷つけるような発言もする。

妙子も二郎もそうだ。お互いに常に優しさを見せるが、同時に予想外の行動をとり相手を慌てさせる。それが小さな亀裂となり、やがて大きな溝になる。

この映画を受け入れられるかどうかは、この点にかかっている。単純な善悪ではくくれない複雑なキャラクターの人物が生み出すドラマは、けっしてわかりやすいものではない。安易な感情移入も困難だろう。だが、それこそが人間という存在なのだ。そう思えばこのドラマがいっそう深いものに感じられ、現実世界を映し出す鏡に思えるはずだ。

終盤、なんと舞台は韓国に飛ぶ。悲しみの先で妙子はある選択をする。そして、それがもたらしたものとは……。

雨中の結婚パーティー。リズムに乗せて体を揺らす妙子の後ろ姿が印象的だ。あれは夢から覚めた瞬間なのだろうか。それとも日常と非日常という2つの世界の狭間で揺れ動く、彼女の心を物語っているのだろうか。

その後のラストシーンも心をざわつかせる。窓の外から映す妙子と二郎の部屋。そこからカメラが移動して公園付近の遠景へ。そこを歩く妙子と二郎の姿。この後2人はどうなるのか。その胸中は?

多くのことを想像させたところで、矢野顕子の『LOVE LIFE』が流れて映画が終わる。

この映画で心に残るのが「目を合わせない」という言葉だ。妙子を嫌う二郎の父は妙子と目を合わせない。そして、妙子と二郎もいつからか目を合わせない関係になってしまった。お互いに目を見て話せる関係が、いかに大事かを示しているのかもしれない。

というわけで、日常に潜む脆さをあぶり出し、それに直面した人間の苦悩を見せてくれる深田晃司監督らしい作品。今回も心がざわついてしまった。

俳優では木村文乃の演技が絶品だ。全身から妙子の様々な思いがにじみ出るような演技だった。夫役の永山絢斗、元夫役の砂田アトム(ろう者の俳優で手話表現モデル)、二郎の両親役の神野三鈴、田口トモロヲ、元カノ役の山崎紘菜も存在感を発揮している。

◆「LOVE LIFE」
(2022年 日本)(上映時間2時間3分)
監督・脚本・編集:深田晃司
出演:木村文乃永山絢斗、砂田アトム、山崎紘菜、嶋田鉄太、三戸なつめ、神野三鈴、田口トモロヲ、福永朱梨、森崎ウィン
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ https://lovelife-movie.com/


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「さかなのこ」

「さかなのこ」
2022年9月3日(土)シネ・リーブル池袋にて。午後1時50分より鑑賞(スクリーン2/H-4)

~「普通」を飛び超えて「好き」を貫くことの素晴らしさと困難さ

なに?さかなクンの自伝的エッセイを「南極料理人」「横道世之介」の沖田修一監督が映画化?主演はのん?

ワケがわからなかった。

予告編を観ても、のんがさかなクンを演じることはわかったが、それ以上はやはりモヤモヤしたままだった。

だが、実際に映画を観て疑問は完全に氷解した。

小学生のミー坊(のん)は魚が大好き。いつも魚のことばかり考えている。そんな我が子を父(三宅弘城)は心配するが、母(井川遥)は温かく見守り応援し続ける。やがて高校生になってミー坊の魚好きにはますます拍車がかかり、町の不良たちとも仲良くするなど楽しい毎日を送るのだが……。

子供の頃から魚が大好きだった主人公が、多くの人との出会いを通して、自分の好きなことを仕事にするまでが描かれる。物語の基本はさかなクンの半生をたどったものだろうが、沖田監督はそこに大胆にフィクションを組み込んでいる。

映画の冒頭、いきなり「男か女かは、どっちでもいい」というテロップ。堂々たるジェンダーレス宣言である。この映画では男も女も関係ない。一人の人間として主人公を描くのだ、というわけだ。その言葉通りに、主人公のミー坊が男か女かなどということは、観ているうちに全く気にならなってくるのだ。

序盤は子供時代のミー坊(西村瑞季)がユーモラスに描かれる。ひたすら「魚好き」を貫き通すミー坊。母の理解もあって、心ゆくまで魚を観察し、「お魚新聞」なるものを発行し、魚料理を食べる毎日。

そんな中、いかにも怪しそうギョギョおじさんなる人物が登場。なんとさかなクン自ら演じている。それもどうでもいいチョイ役ではなく、誰にでもある子供時代の怪しい体験をもたらす重要人物として登場するのだ。

続いて、高校時代のミー坊(のん)が描かれる。魚好きの道をまっしぐらに突き進み、常に魚とともに過ごす日々。カブトガニの人工ふ化に成功して、新聞に載ったりもする。ちなみに、ミー坊は学生服で登場する。

そこで時間を割いて描かれるのが、不良たちとの交流。磯村勇斗演じる総長率いる不良グループが、ミー坊に因縁をつけに来る。とはいえ、この不良たち、乗っているのはバイクではなく、スクーターや自転車。その言動も何となくユルい。そんな彼らとミー坊のやりとりは、オフビートな笑いに満ちている。

ミー坊が不良グループのメンバーからナイフを借りて、釣った魚をさばくシーンが傑作。「お前、ナイフぐらい持ってねえのかよ」という不良に対して、ミー坊が「持ってるよ。でも、クサくなったら嫌じゃない」。これには不良グループも形なしだ。

一方、そんな不良グループと対峙する地元の不良もこれまたユルい。率いるのはミー坊の幼なじみのヒヨちゃん(柳楽優弥)。不良同士の対決は迫力満点といいたいところだが、間が抜けていて自然に笑ってしまう。

ただし、この不良たちが後にミー坊の運命を大きく変えるのだ。

そして、ここでも母がミー坊の背中を押す。学校の進路相談で、先生から成績アップを求められると、「成績が良い子もいるし、そうでない子もいる。それでいいじゃありませんか」と反論するのである。この母がいたからこそ、ミー坊は魚好きを貫けたのである。

その後は、さらに時間を経たミー坊が描かれる。魚に関係した仕事として、水族館や寿司屋に努めるものの、なかなかうまくいかない。挫折の連続。そこで、彼女は幼なじみのシングルマザーのモモコ(夏帆)と彼女の娘とともに暮らすことになる。

モモコは海辺で言う。「こういうの普通じゃないよね」。それに対してミー坊は言うのだ。「普通ってなに?」。

というわけで、このドラマは世間の「普通」に疑問を提示する。普通であることを強いられ、多くの人が窮屈さを感じ夢を諦めている。その現状に「?」を突きつける。

終盤、ミー坊に手を差し伸べる人たちが現れる。それもこれもミー坊が徹底的に「魚好き」を貫いたからだ。ミー坊はついに夢をつかんだのだ。こうして好きなことを追求する大切さと同時に、その困難さも見せてドラマが終わる。

もちろん、すべての人がミー坊のように夢をかなえられるわけではない。それでもひたすら、「好き」に向かって突き進むミー坊を見ているうちに元気がもらえる。沖田監督らしい秀作だと思う。

のんはこういう役がハマリ役だ。彼女でなければなかなかできない役だ。幼なじみ役の柳楽優弥磯村勇斗夏帆もいい演技をしている。そして、母親役の井川遥のさりげない温かさが心に染みる。

◆「さかなのこ」
(2022年 日本)(上映時間2時間19分)
監督・脚本:沖田修一
出演:のん、柳楽優弥夏帆磯村勇斗岡山天音、西村瑞季宇野祥平、前原滉、鈴木拓島崎遥香、賀屋壮也、朝倉あき、長谷川忍、豊原功補さかなクン三宅弘城井川遥
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
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「天使の涙」4K レストア版

天使の涙」4K レストア版
2022年9月1日(木)グランドシネマサンシャインにて。午後1時30分より鑑賞(スクリーン6/f-17)

~「恋する惑星」のスタイリッシュさとポップな映像がさらにパワーアップ!

心臓の手術後半年を経て、あちこち不調はあるものの、退院直後の最悪の状態に比べればまだマシか。何にしても、万全のコロナ対策をして映画館へ。今回は、前回の「恋する惑星」の流れに乗って、同じく「WKW4K ウォン・カーウァイ4K」の中の1本、1996年に日本公開された「天使の涙」の4K レストア版を鑑賞。

孤独な殺し屋の男(レオン・ライ)と、そのエージェントを務める女(ミシェル・リー)。お互いに顔も知らず、仕事に私情を持ち込まない彼らだったが、その微妙な関係は揺らぎつつあった。そんな殺し屋に金髪の女(カレン・モク)が恋をする。一方、口がきけない青年モウ(金城武)は、夜ごと他人の店に入り込んで勝手に営業している。ある日、モウは失恋したばかりの女(チャーリー・ヤン)に出会い、恋心を抱く。

以上の5人の男女の物語である。この話は、もともと「恋する惑星」の3つめのエピソードとして予定されていたらしい。しかし、明らかに他の2つのエピソードとは異質で、独立した映画にしたのは正解だろう。

とはいえ、テイストは「恋する惑星」と同じ。「恋する惑星」のスタイリッシュさとポップな映像がさらにパワーアップしている。

クリストファー・ドイルによる映像が冴えわたる。殺し屋の銃撃シーンをスローモーションで描くというのは誰でも考えそうだが、この映画ではストーリー的にはどうでもいいようなシーンまで凝りに凝って撮られている。よくぞまあ、こんな映像を思いつくものだと感心するばかり。「恋する惑星」でも言ったが、これはもはやアートである。

そして、そんな映像から登場人物の心理も浮かび上がる。殺し屋から足を洗うと告げられて心乱れるエージェント、エキセントリックな女に初めて恋をしたモウのトキメキなどなど。ストーリー自体はどうということもないが(「恋する惑星」もそうだったけど)、ウォン・カーウァイクリストファー・ドイルの手にかかると、実に魅力的な映画に仕上がるのだ。

スタイリッシュではあるものの、そこはかとないユーモアが込められているのも「恋する惑星」と同様。今回、ユーモア担当はおもに金城武演じる口のきけない男モウ。そもそも彼が口がきけなくなった原因が、腐ったパイナップル缶を食べたからというのが笑える。「恋する惑星」で、金城武がしこたまパイナップル缶を食べたのを意識した設定だ。

そんなモウは人の店に勝手に入り込んで、勝手に営業をする。それは恐喝や押し売り紛いの商売である。その様子がひたすら笑える。改心したモウが働く居酒屋のオーナーが斉藤さんという人で、やたらに日本語が飛び交うのも面白い。

さらに、終盤はビデオカメラの映像を巧みに使って、映像に変化を持たせる。そればかりか、モウの親子の絆を描いてホロリとさせるのだ。

殺し屋とつきあう金髪女や、モウが好きになる失恋女の行状もまた、笑いを誘わずにはいられない。こういう笑いがあるからこそ、全編を貫くスタイリッシュなタッチがいっそう引き立つのだろう。

ストーリー展開は最後まで予想通り。しかし、そんなことはどうでもよい。モウとエージェントの女が出会い、バイクで疾走するラストシーンまでひたすらカッコいい。

ちなみに終盤で失恋女がCAの格好で現れるのも、明らかに「恋する惑星」を意識したものだろう。この映画を観る人は、事前に「恋する惑星」を観ておいた方が余計に楽しめると思う。

相変わらず音楽もセンスが良い。何だ?この曲は。よくもまあこんな曲を発掘してくるものだ。中国語の曲から英語の曲まで、それぞれのシーンにピッタリの曲が登場。エンディングでフライング・ピケッツの「オンリー・ユー」が流れ出した瞬間、またしても叫んでしまった(心の中でだけど)。カッコいいなぁ~。

そういえば「恋する惑星」の時に言い忘れだが、今回グランドシネマサンシャインでは、BESTIAとかいう最新式の映像&音響システムで上映されたので(その分200円高い)、映像はもちろん音の良さも際立っていた。

レオン・ライ、ミシェル・リー、金城武、チャーリー・ヤン、カレン・モクの俳優陣も素晴らしい。特にミシェル・リーの艶やかさがたまらない。金髪女のカレン・モク、失恋女のチャーリー・ヤンのエキセントリックな演技も見もの。

本作もまた映画のマジックを思い知らされる作品だ。今回4Kになったこともあって、旧さをまったく感じない。30年近く前にこんな映画を作っていたのは驚嘆に値する。新作といっても通用するぐらいだ。ついでにこの機に乗じてウォン・カーウァイ監督、本物の新作を発表したらいかがだろう。旧作でこれだけの入りなのだから、新作ならヒット間違いなしと思うのだが。

◆「天使の涙」(堕落天使/FALLEN ANGELS)
(1995年 香港)(上映時間1時間36分)
出演:レオン・ライ、ミシェル・リー、金城武、チャーリー・ヤン、カレン・モク
*シネマート新宿、グランドシネマサンシャイン、シネマシティほかにて公開中
ホームページ http://unpfilm.com/wkw4k/


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●ついでに前回リンクし忘れた「恋する惑星」の「夢中人」のPVを・・・。私の大好きな曲です。


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「恋する惑星」4Kレストア版

恋する惑星」4Kレストア版
2022年8月30日(火)グランドシネマサンシャインにて。午前11時20分より鑑賞(スクリーン6/f-8)

~スタイリッシュで鮮烈な恋愛映画の名作が今蘇る

1995年に日本公開された「恋する惑星」。たぶん劇場では見逃したと思う。そのうちに評判が聞こえてきて、友達がべた褒めしていたので、ビデオを購入して鑑賞。それまでの香港映画のイメージを覆すスタイリッシュなタッチ、鮮烈な映像、存在感たっぷりの俳優たちに完全にノックアウトされたのだった。これは名作、いや傑作ではないか!

そして、このたび4Kレストア版が登場。他のウォン・カーウァイ作品とともに「WKW4K ウォン・カーウァイ4K」として上映された。そしたらこれが連日ほぼ満席。ウォン・カーウァイ監督ってこんなに人気があったっけ?

そんな中、珍しく平日の昼間の上映があったので、いくら何でも満席にはならんだろうというので出かけてきた次第。とはいえ、さすがに満席にはならなかったものの、平日の昼間にもかかわらずかなりの入りだった。

どんな映画かというと2組の恋愛劇だ。1つめのエピソード。エイプリルフールに失恋した刑事223号(金城武)は恋人を忘れるため、知り合いの女の子を電話で誘うものの(その中の1人には日本語でアプローチする)、あえなく全滅。一方、麻薬取引にかかわる金髪の女(ブリジット・リン)は、雇ったインド人たちに逃げられ香港の夜の街を走り回る。そして、そんな2人がバーで出会う。

2つめ。小食店の新入り店員フェイ(フェイ・ウォン)は、店の常連である刑事633号(トニー・レオン)に恋をする。彼はCAの恋人にフラれて未練を抱えていた。ある日、フェィは刑事633号宛の手紙を店主から託される。それは元恋人のCAからの手紙で、彼の部屋の鍵が同封されていた。フェイは、その鍵を使って彼の部屋に忍び込む。

ストーリーだけ聞けば、どうってことのない恋愛ドラマだ。だが、これがウォン・カーウァイの手にかかると、とびっきり素敵でカッコいい映画になってしまう。全編を貫くスタイリッシュなタッチ。クールなモノローグ。ディテールへの半端ないこだわり。何度カッコいい!と叫びそうになったことか。

ただし、スタイリッシュとはいっても、気取っているわけではない。失恋した刑事223号は恋人とヨリを戻せると信じて、フラれた日から1カ月後の自分の誕生日までパイナップルの缶詰を毎日買い続けている。賞味期限が近付いたものは店から撤去され、それに猛然と抗議する。ホームレスにあげようとすると、「もう賞味期限だろ」と相手にされない。そして、最後は猛然と30個のパイナップル缶を食べるのだ。そこには刑事223号の必死さ同時に、そこはかとないユーモアも込められている。

2つめのエピソードもスタイリッシュな描写が目立つ。スタイリッシュすぎて、ブリーフ姿のトニー・レオンさえオシャレに見えるのだ。彼の部屋にフェイが忍び込むシーンも、実に洗練されていてテンポがいい。飛行機の模型、水槽の金魚、ぬいぐるみなどのアイテムも巧みに使われる。描きようによってはフェイはただのストーカーなのだが、センスの良い描写のおかげでそんなことを感じさせない。

そして、忘れてはならないのがクリストファー・ドイルによる映像である。冒頭では刑事223号と金髪の女が、それぞれ香港の街を疾走するシーンが描かれるが、そこからすでにドイルにしかできない独特の映像が炸裂する。鮮烈という言葉が陳腐に思えるほど鮮烈な映像。縦横無尽なカメラワーク。これはもはやアートといってもいいだろう。すべてのシーンがアート作品なのだ。今回4K映像になったことで、映像の凄みがますます際立った。

音楽の使い方も素晴らしい。インド音楽からオールディーズまで場面場面に合った音楽が流される。その中でもくどいほど流されるのが、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」。フェイがカリフォルニアに憧れているという設定ゆえに使われているのだが、その曲に合わせて彼女が身体をくねらせて踊るシーンが絶品。最初に見た時から今までずっと頭に残っているシーンだ。

そしてフェイ・ウォンが歌う「夢中人」。元歌はクランベリーズの曲だが、個人的にはこちらのほうが魅力的でもう何百回と聞いている。それはこの曲自体が持つ魅力以上に、この映画のシーンと見事にマッチしているからだろう。フェイの恋心のスパークがこの曲の出だしに見事に象徴されている。

夢のカリフォルニア」と「夢中人」が流れてくると、自然に「恋する惑星」のシーンが浮かんでくるのである。

俳優たちがみんな輝いて見えるのもこの映画の凄いところ。金城武の青さ、ブリジット・リンのミステリアスさ、トニー・レオンのカッコよさ、フェイ・ウォンのキュートさ。特にフェイ・ウォンのはじけ方が良い。彼女なしにこの映画は成立しないだろう。素晴らしい存在感。ラストのCA姿も可愛らしい。彼女こそ永遠のアイドルなのだ!

ちなみに、この映画は過去の映画作品へのオマージュにもあふれていて、例えば、フェイの髪型はゴダールの「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグを意識した髪型。ブリジットが扮した金髪にトレンチコート姿の女性は、ジョン・カサベテスの「グロリア」のジーナ・ローランズへのオマージュと言われている。この映画のカッコよさの原点は、そのあたりにもあるのだろう。

30年近く前の映画なのに、今回観てまったく旧さを感じなかった。ストーリーはベタな恋愛映画でも、これだけ素晴らしい作品になるという映画のマジック。それを見せてくれたウォン・カーウァイ監督。間違いなく、個人的には今まで観た映画の中で上位にランクされる名作である。

◆「恋する惑星」(重慶森林/CHUNGKING EXPRESS)
(1994年 香港)(上映時間1時間42分)
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオンフェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武、バレリー・チョウ
*シネマート新宿、グランドシネマサンシャインほかにて公開中
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「セイント・フランシス」

「セイント・フランシス」
2022年8月22日(月)新宿武蔵野館にて。午後12時10分より鑑賞(スクリーン1/C-8)

~人生迷走中の女性の子守体験を赤裸々に、そしてユーモラスに

ベビーシッターとナニーの違いがよくわからない。赤ん坊の面倒を見るのがベビーシッターで子供の面倒を見るのがナニーかと思ったら、どうやらそうではないらしい。ネットを見れば、ナニーは職業でベビーシッターはアルバイトという解説や、ベビーシッターはアメリカで行われている保育サービスの1つで、ナニーはイギリスで行われている乳幼児専門の職業という説明などもあるが、それでもイマイチよくわからない。

まあ、どっちにしても子守の仕事であることを間違いなさそうだ。というわけで、6歳の少女のナニーをすることになった女性を描いた映画が「セイント・フランシス」だ。

34歳のブリジット(ケリー・オサリヴァン)は大学を中退し、今はレストランの給仕係として働いていた。そんなある日、ブリジットは夏の間ナニーとして6歳の娘フランシス(ラモナ・エディス・ウィリアムズ)の子守をする仕事を得る。フランシスの両親はレズビアンカップル。彼らとの出会いを通して、ブリジットの人生が少しずつ変わっていく……。

人生迷い中の主人公が、子守をする子供や家族などとの交流を通して変わっていく。この設定自体はありがちなもの。それでもリアルかつ軽妙に物語を展開して、とても魅力的な作品に仕上がっている。
    
まず目を引くのが主人公ブリジットのキャラ。これが何ともリアルなのだ。

大学を中退して、これといってやりたいこともなく、その日暮らしをしている。親友は結婚して今では子どもの話に夢中。それに対してブリジットは独身で子供もいない。自分では一生懸命生きているつもりなのに、周囲からは同情の視線を浴びて身の置き所がない。それでいて初めて会った男と関係を持ったりする。彼との子供を中絶するのにも躊躇がない。まあ、かなり不安定な状況なのである。

そんな彼女が出会うのが6歳の娘フランシス。これがヒネクレた娘なのだ。ブリジットに懐かないばかりか、平気で反抗したりする。

前半はこの2人の交流が生き生きと描かれる。当初はフランシスに手を焼いていたブリジットだが、お互いに少しずつ変わっていき心を通わせていく。

一方、フランシスの両親はレズビアンカップル。当初は理想的な家庭のように思えたが、次第にカップルそれぞれの心の闇が見えてくる。ブリジットは図らずもそこに巻き込まれていく。

ちなみに、この両親の片方が熱心なカトリック信者というのが何とも皮肉。そのせいで宗教的な話題もけっこう出て来る。

こうした中でブリジットは様々な経験をする。そして、ある出来事をきっかけにフランシスや家族との関係が変化し、それが彼女にも好影響を与えるのだ。

といっても、シンプルにそういう話が展開するわけではない。年下の男性との関係に自信が持てない彼女は、年上のギター教師に入れ込んだりもする。行きつ戻りつしながら、少しずつ、そして確実にブリジットは変化していくのだ。

その描き方が自然体でバランスが良い。ユーモアもタップリ込められている。

印象的な場面がたくさんある映画だ。教会の告解室でのブリジットとフランシスのやり取り。花火大会前のひと悶着。学校でのブリジットとフランシスの別れのシーンなどなど。

ブリジットの両親とのエピソードも印象深い。そこで母親はかつてブリジットに対して抱いた気持ちを正直に打ち明けるのだが、それが実に自然でウソがない。

とにかく変な気負いがなく、良い意味で力の抜けた脚本と演出である。脚本を手がけたのは本作で主演を務めるケリー・オサリヴァン。等身大の演技も素晴らしければ、脚本も素晴らしい。監督は、彼女の私生活でのパートナーでもあるアレックス・トンプソン。これが長編デビューとなる。

フランシス役のラモナ・エディス・ウィリアムズの、小生意気と可愛さの同居した演技もなかなかのもの。

さて、本作でもう一つ言っておかなければいけないことがある。中絶、産後ウツ、生理、尿漏れなど、これまでの映画ではタブーとされてきた女性の事情が赤裸々に描かれているのだ。

とはいえ、それもバランスがいい。タブーを破るといった気負いがない。シリアスさと軽妙さが絶妙に配合されているので、男性の観客が見ても引くことはないだろう。

女性はもちろん男性も笑いながら共感して、感動できる映画だ。世間のしがらみや固定観念にとらわれるのではなく、自分の心のままに生きることの大切さが伝わってくる。なかなか見事な一作である。

◆「セイント・フランシス」(SAINT FRANCES)
(2019年 アメリカ)(上映時間1時間41分)
監督:アレックス・トンプソン
出演:ケリー・オサリヴァン、ラモナ・エディス・ウィリアムズ、チャリン・アルバレス、リリー・モジェク、マックス・リプヒツ、ジム・トゥルー=フロスト、メアリー・ベス・フィッシャー、フランシス・ギナン、レベッカ・スペンス
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネクイントほかにて公開中
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「ぜんぶ、ボクのせい」

「ぜんぶ、ボクのせい」
2022年8月19日(金)新宿武蔵野館にて。午後1時50分より鑑賞(スクリーン3/C-5)

~母の愛を求める孤独な少年と過去を持つホームレスとの交流

シナリオコンクールの審査員を務めることがあるのだが、応募作の中にはありがちなストーリーのものも多い。孤独な少年が風変わりな大人に出会って変わっていく……というのも、よくあるパターン。

松本優作監督の「ぜんぶ、ボクのせい」という映画は、まさにそのパターンだ。はっきり言って手垢のついた物語の感が拭えない。

児童養護施設で暮らす13歳の中学生・優太(白鳥晴都)は、施設にも学校にも居場所がなく、いつか母・梨花松本まりか)が迎えに来てくれることを心の支えに暮らしていた。そんなある日、偶然母の居場所を知った優太は、施設を抜け出し、母の住むアパートを訪ねる。しかし同居する男に依存して自堕落な生活を送る母は、優太を施設に戻そうとする。

絶望してあてもなく海辺を彷徨っていた優太は、軽トラで暮らすホームレスの男・坂本(オダギリジョー)と出会う。2人は行動を共にし、さらに裕福な家庭に生まれながら居場所がない少女・詩織(川島鈴遥)とも親しくなるのだが……。

先ほど手垢のついた物語といったが、それでもこの映画はなかなかよくできている。それは何といってもオダギリジョーの演技によるところが大きい。

彼が演じる坂本は、名古屋に行く途中で故障したという軽トラで暮らすホームレス。その生活はメチャクチャだ。優太の金を巻き上げたのを皮切りに、自転車を盗んでスクラップ屋に売り飛ばしたり、見知らぬ人から優太を使って金をゆすり取ったりする。

その一方で、海辺の風景を絵に描き、自らの生死感を語り、時々含蓄のある言葉を吐く。そして、何より彼は母親に虐待された過去を持つ。こうした多面性を持つ人間だからこそ、一緒に生活するうちに優太が心酔するわけだ。

こういう役はオダギリのハマリ役である。彼が演じることによって、坂本という人物がリアルに息づいてくるのだ。

松本まりかが演じる母親もいい。最初こそ突然再会した優太を優しく受け止めるものの、男に依存している彼女に選択肢はない。心にわだかまりを抱えたまま、結局は優太を突き放すのである。ああいう母親、ホントにいそうだもんなぁ。

前半は優太と坂本の交流の日々を生き生きと描く。そこで優太は少しずつ変わっていく。優太を演じる白鳥晴都はあまりしゃべらない役だけに、表情などでその心の変化を見せなければいけないが、それをうまくこなしている。特に目の光が印象的。最初は刺すような視線が次第に優しくなっていく。

中盤以降は、そこに詩織という少女が加わる。詩織を演じる川島鈴遥も存在感十分。キラキラした輝きと影を同時に表現。劇中で披露する歌(大瀧詠一の『夢で逢えたら』)もなかなかのものだ。優太が詩織に淡い恋心を抱くのも納得である。

ただし、詩織のキャラについてはイマイチ説得力がない感じもした。彼女は恵まれた家庭で暮らしながら、父の束縛が強いらしく、自分の居場所がないと感じている。幼い頃に亡くなった母の死への疑問もある。そのため悪い仲間とつきあったり、良からぬバイトをしている。

というのだが、優太や坂本に比べると詩織の影が薄いと思う。まあ、家庭に自分の居場所がないというのはわからんでもないが、だからといってああいう行動に出るのは理解し難い。心に闇を抱えているなら、それをもう少しわかるように見せて欲しかった。優太や坂本が母の育児放棄や虐待というわかりやすい問題を抱えているだけに。

この手のドラマは明るい結末や、そこまでは行かなくても微かな希望の光を灯す結末が多い。だが、実はこの映画の冒頭では暗い結末を予感させるエピソードが挿入されている。

案の定、ドラマは悲劇的な展開を迎える。安易な希望などない。「ぜんぶ、ボクのせい」というタイトルがここで大きな意味を持つ。エンディングにも大瀧詠一の『夢で逢えたら』が流れるのだが、ドラマの結末とその明るい曲調との落差が大きく、思わず言葉を失ってしまった。

もしかしたら松本監督は、あえて暗い結末を描き、その先の映画に描かれていない未来に希望の光を見出しているのかもしれない。絶望の向こうの微かな希望……だろうか。

というわけで気になるところはあるものの、ある少年の輝きと挫折を真摯に描く姿勢には好感が持てた。美しい海の風景や火を効果的に使うなど細部への配慮も怠りなく、ドラマの情趣を盛り上げている。

主役級以外に脇役も若葉竜也、仲野太賀、片岡礼子、木竜麻生らと充実。それぞれに持ち味を発揮しているので、そこにもぜひ注目を。

松本監督は1992年生まれの若い監督。秋葉原無差別殺人事件をテーマにした「Noise」が評判になったとのこと(未見だが)。今後に期待したい。

◆「ぜんぶ、ボクのせい」
(2022年 日本)(上映時間2時間1分)
監督・脚本:松本優作
出演:白鳥晴都、川島鈴遥松本まりか若葉竜也、仲野太賀、片岡礼子、木竜麻生、駿河太郎オダギリジョー
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://bitters.co.jp/bokunosei/


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