「山河ノスタルジア」
@Bunkamuraル・シネマにて。5月6日(金)午前10時30分より鑑賞。
東急電鉄を核とした東急グループにはハイソなイメージがある。渋谷、代官山、祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布……と東急東横線の駅名を並べただけで、なぜかオレのような貧民が立ち入ってはならぬ異界のような気がしてくるから不思議である。
とはいえ、実際にそのへんに立ち入ったことはほとんどないので、実際のところはよくわからない。にもかかわらず、なぜに東急にハイソなイメージを持つのか。その大きな要因は、渋谷にそびえる東急百貨店本店&Bunkamuraにあるのではないだろうか。
東急百貨店本店。とくれば、見るからにおしゃれな上流婦人が、1個ウン十万円のアクセサリーなどをお買い求めになられている姿が思い浮かぶ。いや、よく考えてみたら実際に足を踏み入れたことはほとんどないのだから、ただの偏見ですけどね。まあ、それにしても入り口に立っただけで、貧民のオレは気圧され、足が凍り付き、前に進めなくなるのである。
というわけで、どんなに暑くて冷房の効いた場所を歩きたいときでも、オレは東急百貨店本店の店内を通ることなく、灼熱の表通りを通ってBunkamuraへと向かう。オーチャードホール、シアターコクーン、ザ・ミュージアム、ル・シネマ。ここなら、オレのような貧民でもなんとか受け入れてくれそうな気がする。チケットさえ購入すれば、どんな人間でも入場できるのだからして。ここは格差社会の日本にあって、四民平等を貫く理想郷なのか!?
だが、現実はそんなに甘いものではない。そのチケットがけっこうな値段だったりするわけだ。この間のオーチャードホールのボブ・ディラン公演なんて、一番安い席で1万3000円だ。そんな金があったら1週間は暮せるぞ。映画なら10本も観れるぞ。
というわけで、オレがオーチャードホールに足を運んだのは過去にたった1~2回、シアターコクーンに至っては一度も行ったことがない。せいぜいザ・ミュージアムの展覧会とル・シネマの映画にたまに足を運ぶぐらいである。やっぱり貧民と文化の間には、深くて渡れぬ川があるようだ。
そんなこんなで久々に足を運んだル・シネマ。観客の年齢層が圧倒的に高い! ジャ・ジャンクー監督の映画の観客層って、こんなに年齢が高かったかしら。いや、映画自体というよりも、この映画館の固定客かもしれん。最近主流のシネコンと違って、こういう映画館には固定客がしっかりついているからね。
さて、例によって北野オフィスが製作に参加したジャ・ジャンクー監督の新作「山河ノスタルジア」である。この映画の特徴は、1999年、2014年、2025年という3つの時代を、それぞれ違ったサイズの映像で描いているところ。
1999年。タオは炭鉱労働者のリャンズーと実業家のジンシェンの2人に好意を寄せられ、最終的にジンシェンと結婚。やがて息子のダオラー(米ドルからとった名前)が誕生。
続いて描かれるのは2014年の出来事。ジンシェンと離婚し、ダオラーの親権を奪われて1人で暮らすタオ。まもなく父が亡くなり、ダオラーが葬儀のために戻ってきて、つかの間の母子の再会。そこで、タオはダオラーがオーストラリアに移住することを知る。
最後は近未来の2025年。オーストラリアに移住して19歳になったダオラーは、中国語もできず父親との確執を抱える。そんな中、母親と同世代の中国語教師ミアと知り合う。
最初のパートでは、1人の女と2人の男の揺れる思いがスクリーンに刻まれる。次のパートでは、タオとダオラーの親子の絆が情感たっぷりに描かれる。ここまでなら、よくある三角関係&母子愛のメロドラマ。しかし、最後のパートがこの映画の白眉。母の記憶も薄れ、アイデンティティを見失ったダオラーの心の漂流と、ミアとの出会いによって変化する心理を繊細に描写。そして、ラストでは母子の奇跡のような共鳴が生まれ、2人の未来にかすかな希望の灯が……。
過去作同様に、経済成長、貧富の格差、移住者たちのアイデンティティの喪失など中国の社会問題を描くものの、それらを背景の枠内に塗りこめて、全体を普遍的なドラマとして昇華。どんなに状況が変化しても、けっして変わることのない親子の絆や母の思いなどを、美しい映像とともに描き込んでいる。
オープニングとラストを、ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」をバックに主人公タオのダンスで飾る構成。母子のキーになる音楽として使われるサリー・イップの「珍重」も心に残る。
デビュー作『一瞬の夢』の頃のゴツゴツした原石の手触りに代わって、円熟の境地を感じさせる作品である。
●今日の映画代1,500円(前売り鑑賞券購入済みで)