映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「太陽」

「太陽」
@角川シネマ新宿にて。5月11日(水)午前11時より鑑賞。

この間、休日に財布を見たら350円しかなくて焦った。いや、銀行に行けば微細ながら蓄えらしき物はまだ少しあるのではあるが、休日に金をおろすのにはどうも抵抗感がある。それというのも、昔はATMを利用すると手数料を取られていたからだ。最近は「休日も手数料無料」になったものの、つい昔の癖で一瞬躊躇してしまう。

そんな貧乏性が抜けないオレだけに、映画料金もできるだけ安く済ませるべく努力する。1800円の当日料金などめったなことで払いはしない。お得な会員制度があれば絶対に入会する。プレイガイドや金券屋を駆けずり回って安い前売り券をゲットする。もちろんサービス料金の日があれば仕事をサボってでも出かける。こら、その根性を別のところに使わんかい!! はい、すいません。

さて、そのサービス料金だが、毎週水曜日はなぜかレディースデーで女性のみ割引する映画館が多い。これはいかなる理由によるものなのか。女を呼び寄せれば、グリコのおまけみたいに男もついてくると思っているのだろうか。それとも女性は男性より平均収入が低いから、その分割引して客寄せしようというのだろうか。だったら、オレみたいな貧乏人に、「プアーデー」でも設けてくれればよさそうなものだが。

そんな女性優位な映画館の料金体系の中で、わずかながら「サービスデー=男女を問わず1100円」という男女平等のシステムを導入してくれている映画館がある。角川シネマもそのひとつだ。ありがたや、ありがたや。毎週水曜日は男女ともに1100円だぜ。ルンルン。これを逃す手はない!

ということで、本日角川シネマ新宿にて鑑賞したのは、「太陽」という映画だ。前川知大が主宰する劇団イキウメ(て、すげぇー名前だな)の舞台劇を『SR サイタマノラッパー』『ジョーカー・ゲーム』の入江悠監督が映画化した近未来SFだそうだ。

舞台はウイルス拡散で人口が激減した日本。そこでは新人類ノクスと旧人類キュリオが分かれて暮らす。ノクスは高次元の肉体と知能を持つものの、太陽の光を浴びられない。一方、キュリオは太陽のもとで暮らせるものの、ノクスに管理され、貧しい生活を送っている。

て、こういう設定よくあるよなぁ。近未来SFには。ただし、この映画が面白いのは、近未来社会に現代社会を強烈に投影させているところ。だって、超近代化されたノクスの都市に対して、キュリオの村はちょっと前の日本の農村そのものなんですもん。オレが子供の頃、ああいう村どこにでもあったよなぁ。そのへんから都市の繁栄と地方の閉塞感、貧富の格差、高度に管理された社会といった、現在社会の姿をそのまま落とし込んでいるわけだ。

そこで何が展開するかというと、キュリオの村の幼なじみの男女、鉄彦と結を中心にした青春ドラマだ。鉄彦は村に嫌気がさしてノクスの世界に憧れて、ノクスの駐在員の青年と親しくなる。それに対して結は、かつて母が父と自分を捨ててノクスに転換したこともあって、ノクスに憎しみを持っている。そんな中、10年ぶりにノクスへの転換手術の募集が再開され、鉄彦はすぐに応募。そして結は……。

青春ドラマといえば、さわやかな展開を想像したりもするが、この映画にはそんなものは微塵もない。「自分の居場所はどこなのか」をめぐって、もがき、苦しみ、なんとか前に進もうとする若者たちの姿が描かれる。結は本人の意思に関係なく、父親によってノクスへの転換申請書を提出され、さらに、今はノクスになっている母と会い、心が揺れ動く。一方、鉄彦はある男の出現によって、波乱の渦に巻き込まれる。

ラストも甘々ではない。結の変化を通して苦く重たいものを残す。ただし、それで終わることなく、鉄彦とノクスの青年の友情を通して、ほのかな希望も感じさせてくれる。

キャストもよい。主役は神木隆之介門脇麦。特に麦は素晴らしい! まあ、あの年齢だし瑞々しいのは当然だが、影のある役もよく似合う。今後が楽しみだ。脇役のベテラン俳優も存在感があるし、なかなかの映画である。

だが、気になるのは、いかにも舞台劇のようなシーンが目立つこと。必要以上に大声で喚くシーンなんて、完全に舞台風の台本と演出だし。原作の舞台がかなり高評価だったらしいので、それに引きずられる部分があったのだろうがもったいない。

最近は演劇や歌舞伎やオペラを映画館で上映するケースが多いけれど、基本的に映画と演劇は別物。それを徹底してくれたら、さぞや凄い映画になった気がするのだが。

今日の教訓。オレはキュリオも嫌だが、ノクスも嫌だ。第三の道を行きたいぜ。

●今日の映画代1,100円(角川シネマ新宿(有楽町も)は水曜男女とも割引!)