映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「団地」

「団地」
@ユナイテッド・シネマとしまえんにて。6月6日(月)午前9時50分より鑑賞。

「老成」という言葉は嫌いだ。年をとって成熟するというだけでなく、守りに入るとか、保守的になるといったイメージをそこに感じてしまうからだ。年をとってもチャレンジングに新しいことをしたほうが、断然カッコいいではないか。

まあ、それ以前の話として、そもそもオレには老成する余地がない。「ものを書く」というだけなら、長年同じことをやっているのは確かだが、中身は支離滅裂といっていい。お堅い行政や企業のPR誌の原稿も書けば、おちゃらけた原稿も書くし、テレビやラジオの台本も書く。基本、仕事は断らない(ていうか、そうしないと食っていけないからね)。

そうやって手当たり次第に仕事をしてきたから専門分野がない。自称「定位置のないユーティリティプレーヤー」だ。一つの分野に的を絞って成長するなんてことは、ありえないこと。ただし、それは逆に、いくつになっても一つの場所に安住せず、自由に好きなことができるということでもある。だいたいフリーライターなんて「ライ」を取ればフリーターだからね。

映画の世界にも、たくさん実績を積みながら一つの場所にとどまらない人がいる。阪本順治監督もその一人だろう。赤井英和主演の『どついたるねん』を皮切りに、『KT』、『亡国のイージス』、『闇の子供たち』、『大鹿村騒動記』『北のカナリアたち』など、ジャンルも雑多なら手法も様々な映画を監督してきた。

そんな中で、藤山直美を主演に据えた2000年の『顔』は異色の犯罪ドラマとして高く評価された。オレも大好きな映画だった。そしいて、それから16年後の今年、阪本監督が再び藤山直美を主演に迎えたのが『団地』である。

三代続いた漢方薬局をたたみ、団地へ越してきた清治(岸部一徳)と妻のヒナ子(藤山直美)。ある日、かつての常連客・真城(斎藤工)が訪れ、清治に漢方薬を注文する。そんな中、些細なことから周囲に嫌気がさした清治は、「死んだことにしてくれ」と床下に隠れてしまう。姿の見えなくなった清治について、自治会長夫妻(大楠道代石橋蓮司)をはじめ団地の人々の間では、失踪説から殺人の噂まで飛び交うようになるのだが……。

阪本順治監督と藤山直美が再タッグとくれば、どうしても『顔』を思い出してしまう。そのイメージのまま今回の映画を観たら、アララララ……。予想外の映画にビックリである。

最初のうちはコメディー映画なのかと思っていた。とにかく、この映画、全編が笑いに満ちている。主人公の2人に加え、自治会長夫婦をはじめとする団地の人々、そして謎の青年などが、ギャグやダジャレ満載の会話を繰り広げる。いかにも大阪らしいテンポの良い会話で、オフビートな笑いとブラックユーモアがたっぷりだ。

さらに、それと同時に主人公2人には、息子の死という大きな傷があることもわかってくる。つまり、途中まではコメディーに加え、夫婦の過去の傷をめぐる人間ドラマの様相を呈しているのだ。

ところが、ところがである。その後は予想もしない荒唐無稽な方向へと走り始める。転機はある青年の依頼。真城というこの男は、かつての漢方薬局の常連客で、閉店後も特別に夫妻に漢方薬を注文していた。ただし、かなり怪しいヤツで、日本語がうまく使えない。「ごぶさたでした」を「ごぶがりでした」と言ったりして(これもギャグだけど)。うーむ、どこか外国からやってきたのだろうか?

と思ったら、なんとコヤツ、地球の人間ではなかったのだッ! というわけで、ここからはSFへと突入してしまう。この手のSFに登場しがちな「あの」アイテムまで登場する。ただし、本格的なSFというよりも、どこかチープな雰囲気のSFファンタジー。それが独特の味を出しているではないか。もちろん笑いは最後まで途切れない。「そんなアホな!」とツッコミを入れつつ最後まで見入ってしまったのである。

そしてラストは驚きの展開。あまりの唐突さに、あっけにとられる観客もいそうである。解釈は人それぞれだが、主人公夫婦の思いが投影されたラストなのは間違いない。そこに温かな余韻を残してくれる。

失意の夫婦の再生物語ともいうべきドラマを、これほど自由かつ大胆に描くのだから恐れ入る。ただ笑えるだけでなく、人間のおかしさや悲しみも伝わってくる。ベテランの域に達するようになっても、これほど遊び心満点の若々しい映画を生み出すのだから阪本監督は素晴らしい! 今後の作品にもまたまだ期待できそうである。

今日の教訓。いつまでも若々しい感性でいたいものだぜ。阪本監督のように。

●今日の映画代1500円(平日は自由席が多いこの映画館。今日も自由席で席の確保は早い者勝ち。今どきのシネコンにしては珍しい)