映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「64 ロクヨン 後編」

「64 ロクヨン 後編」
@ユナイテッド・シネマとしまえんにて。6月11日(土)午後12時45分より鑑賞。

長尺の映画はあまり得意ではない。一昨年に膝を複雑骨折してからは、なおさらだ。長時間同じ姿勢でいると、膝やお尻が痛くなってくる。とはいえ、それも中身次第だ。「面白くてあっという間に終わった」という映画もあれば、「つまらなくて実際以上に長く感じた」という映画もある。前者なら、多少の痛みなど我慢できる。

今年観た長尺の映画といえば『ハッピーアワー』だ。アラフォー女性4人の友情と迷いを描いただけなのに、これが抜群に面白くて目が離せなかった。上映時間は実に5時間17分。途中で2回休憩が入ったが、それでも破格の長尺には違いない。だが、途中で嫌になることはなかった。

『ハッピーアワー』ほど長くはないものの、2010年の『ヘヴンズ ストーリー』も素晴らしい映画だった。殺人事件の被害者による復讐をテーマにした圧巻の一大叙事詩。上映時間は4時間38分。間に一度休憩が入るものの、こちらもかなりの長尺。それでも最後まで目が離せなかった。

その『ヘヴンズ ストーリー』の瀬々敬久監督が、またしても長尺の映画を撮った。横山秀夫のミステリー小説を映画化した『64 ロクヨン』。上映時間は4時間。ただし、前後編に分かれての公開で前編が2時間1分。後編が1時間59分。二つ合わせて4時間というわけだ。

先日公開になった前編についてはすでに取り上げたが、続いて『64 ロクヨン 後編』が公開になった。昭和64年に起きた未解決の誘拐殺人事件「ロクヨン」に関する警察庁長官の視察話を背景に、県警内部のバトル、県警VS記者クラブの対立と、その中で苦悩する広報官・三上(佐藤浩市)の姿を描いたのが前編。

そして後編では、新たな誘拐事件の顛末が描かれる。犯人は「サトウ」と名乗り、身代金2000万円をスーツケースに入れ、父親に車で運ぶよう要求するなど、事件は「ロクヨン」をなぞっていた。誘拐事件となれば記者クラブと報道協定を結ばねばならない。だが、捜査情報はほとんど提供されず、記者たちは一斉に反発する。業を煮やした三上は、刑事時代の上司・松岡が指揮を執る捜査車両に乗り込んでいく。

人間ドラマの比重が大きかった前編に対して、後編は誘拐事件の顛末をスリリングに描きエンタメ的な魅力を前面に出している。特に三上が捜査車両に乗り込んでからは、息をもつかせぬ展開だ。

同時に、その現在進行形の事件を通して、かつての未解決事件「ロクヨン」の真相が少しずつ明らかになってくる。そこには遺族、犯人、事件に翻弄された元警官などがかかわっており、彼らの様々な思いがスクリーンに渦巻く。

そしてこの映画の最大の特徴は、原作とは違うラストにある。「ロクヨン」の真相が見えたのに、それが十分に追及されない状況の中、三上はある行動に出る。それは映画的な魅力を持つ展開であるだけでなく、三上をはじめ事件にかかわった人々の情念を浮き彫りにする展開でもある。それを通して人間の心の闇と、犯罪の持つ複雑な側面が強烈にスクリーンに刻み付けられるのである。クライマックスの修羅場のあとの少女の絶叫が、いつまでも耳に残り、やるせない気分にさせられる。

スタートこそエンタメ的な面白さから入った後編ではあるが、最後まで観れば人間ドラマとしても見応えのある作品に仕上がっている。特に原作とは異なる後半の展開に、瀬々監督の並々ならぬこだわりを感じる。人間の心の闇と犯罪の不可思議さ、複雑さを描いたという点で、『ヘヴンズ ストーリー』と通底するものを感じてしまったのはオレだけだろうか。

最後に描かれるのは「どんど焼き」のシーン。それまで多くの人々を翻弄してきた「ロクヨン」が、ついに一つの終わりを迎えたことを示し、ほんのわずかながら希望の灯をともす心憎いエンディングだ。

前後編を通して、エンタメ的な面白さと人間ドラマが融合した、身応え十分の映画だと思う。豪華キャストの演技も含めて、日本のメジャー映画の最高峰に近い作品といえるのではないか。

惜しむらくは、前後編別々の公開だったことだ。『ハッピーアワー』や『ヘヴンズ ストーリー』はインディーズ映画だったが、今回はメジャー映画なので公開システム的に不可能なのだろうが、できれば一気に観てしまいたかった。おそらく、それでも少しも長く感じることはなく、オレの膝が根を上げることもなかったろう。それぐらいよく出来た濃密な映画だった。

今日の教訓 長尺の映画の時は体勢を時々変えたりして、リラックスして観るようにしようっと。

●今日の映画代1500円(ユナイテッド・シネマのクーポンって配信されてなかったっけ?メールをちゃんと保存しておかないと、後で痛い目にあうのだ)