映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「生きうつしのプリマ」

「生きうつしのプリマ」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2016年7月18日(月・祝)午後12時50分より鑑賞。

「誰でも自分にそっくりな人がいる。その人を見たら死ぬ!」という話が昔からある。これを「ドッペルゲンガー」という。2003年の黒沢清監督の同名の映画があるが、それはとりあえず置いておく。何にしても、怪談や都市伝説のたぐいだが、何となく気にしてしまう人も多いだろう。

だが、オレはまったく心配していない。なぜなら、こんな個性的な風貌のヤツが他にいるはずがないからだ。街で「あれ、あの人○○さんに似てるなぁ~」と思うことはたびたびあるが、「オレに似てるなぁ~」という人に会ったことは、いまだかつて一度もない。たとえオレが有名人になっても、オレのそっくりさんで商売できる人間はいないだろう。ザマーミロ。て、何の自慢だ?

ところで顔といえば、都知事選に出馬した小池百合子の厚化粧顔が、妖怪・砂かけ婆に見えるのはオレだけか? 何もあそこまで厚化粧しないほうが好感を得られると思うのだが。

てな余談も、とりあえず置いておく。さて、ドッペルゲンガー。瓜二つの人物である。それをネタにした映画が『生きうつしのプリマ』(2016年 ドイツ)だ。監督は実在のユダヤ人哲学者を描いた『ハンナ・アーレント』のマルガレーテ・フォン・トロッタ

ドイツに暮らす売れない歌手のゾフィ(カッチャ・リーマン)は、父親に呼び出され、ネットの記事を見せられる。そこには1年前に亡くなった母エヴェリン(バルバラ・スコヴァ)と瓜二つの女性が写っていた。彼女はメトロポリタン・オペラのプリマドンナのカタリーナ(バルバラ・スコヴァの二役)。カタリーナのことをどうしても知りたいという父は、ゾフィを強引にニューヨークへと送り出す。ゾフィはカタリーナに振り回されながらも、家族にまつわる意外な真実に迫っていくのだが……。

亡き母と有名なプリマドンナがなぜ瓜二つなのか。その謎をゾフィが探っていくドラマである。父の不審な言動、認知症のカタリーナの母の不可思議な話、古い写真、母の墓前の花といった細かなネタを積み上げながら、謎を増幅させていく仕掛けが秀逸だ。ドイツとニューヨークを舞台に、無駄なシーンを排除してポンポンと畳みかけるような構成も、謎を増幅させる。

それと同時に描かれるのは、ゾフィの惑いの人生。売れない歌手で、生活費を稼ぐために結婚式のプロデュースをして様々なカップルと接しているゾフィ。しかし、クラブをクビになり、恋人とも別れてしまう。そんな彼女が、ニューヨークで出会ったカタリーナのエージェントと恋に落ちるようすも、謎の追及話と並行して描かれる。

やがてゾフィが追っていた謎が、少しずつ明らかになっていく。そこには意外な家族の秘密が……。

描き方によっては暗くて重たくなりそうな話だが、そういう感じはしない。軽妙にユーモアを散りばめて描いていることに加え、単に家族の秘密をさらすだけでなく、様々な人々の人生模様を描いているからだ。

そこには良いことも悪いこともある。例えば、ゾフィのロマンスもそうだし、カタリーナの元夫や息子の現状もそう。ある兄弟の確執も大きく取り上げられる。さらにカタリーナと実父との絆や、ゾフィが仕事で接するカップルの微妙なすれ違いも描かれる。

それらを通して伝わってくるのは、「人生は思い通りにならないことや苦しいこともたくさんあって複雑怪奇。だけど、けっして悪いことばかりではない」という、作り手のメッセージである。70歳を超えるベテラン監督ならではの年輪を感じさせるような映画ではないか。単なるミステリーではない、人生の光と影、愛と確執が刻まれた深みが感じられる一品である。

ハンナ・アーレント』で主役を演じたバルバラ・スコヴァがゾフィの母とカタリーナの二役を演じ、『帰ってきたヒトラー』で視聴率至上主義の女性テレビ局長を演じたカッチャ・リーマンがゾフィ役を演じる。この2人の演技も観応え十分だ。また、この映画では、カタリーナが歌うオペラ、ゾフィが歌うジャジーな曲が効果的に使われるが、どちらの歌声も本人のもののようで、こちらも聴き応えがある。サントラ盤が欲しくなるぜ!

今日の教訓 どう考えてもオレにそっくりなヤツはいないと思う。

●今日の映画代1200円(意外に知られていないようだが、復活したYEBISU GARDEN CINEMAはユナイテッド・シネマ系列。なのでクーポンが使えたのだ。やったね!)