「AMY エイミー」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2016年7月19日(火)午前11時30分より鑑賞。
エイミー・ワインハウスの歌を最初に聞いた時には、かなり年の行った人だと思った。あの歌い方は若い女性には絶対に無理だと思った。アクが強くて、こぶしが回っていて、年輪を感じさせる歌声。ところが、実際には20歳そこそこの娘だったものだから驚いた。実際の年齢よりはるかに上だと感じさせる歌声という点では、かつてのジャニス・ジョップリンと共通するものがあるかもしれない。
そのエイミー・ワインハウスは数々のスキャンダルの果てに、2011年7月23日に27歳の若さで急逝してしまった。そして、彼女の生涯を記録したドキュメンタリー映画『AMY エイミー』(2015年 イギリス・アメリカ)が登場した。アカデミー長編ドキュメンタリー受賞作だ。
映画のつくりはオーソドックスだ。ほぼ時系列に沿って、未公開フィルムやプライベート映像、関係者へのインタビューなどを通して、エイミーの人となりを描いていく。それにしても、よくもまあこんなに貴重な映像がたくさん残っていたものだ。まるで彼女の死後にこういうドキュメンタリーが製作されることを予想していたかのようではないか(もちろんそんなことはないだろうけど)。そのぐらい興味深い映像ばかりである。
では、エイミーとはいったいどんな人物だったのか。少女時代の彼女はただの歌好き。とはいえ、その興味が昔の歌、それもジャズに向いていたというのが実に興味深い。もちろん当時は有名になるとかそういうことは考えずに、「ただ歌えればいい」と思っていた。ごく普通の少女だったのである。
しかし、同時に精神的に弱い側面も持ち合わせていた。子供の頃に父が家を出た影響もあって過食症になるなど、壊れやすいハートの持ち主だった。それがやがて様々なファクターによって、どんどん追い詰められていくことになる。
2003年にデビューし、そのパワフルな歌声が絶賛されてスターとなったエイミー。その人気がイギリスにとどまっているうちはまだよかった。だが、その後、彼女はアメリカでも人気を獲得しスターとなってしまう。当初は自他ともに「ジャズ歌手」という位置づけだった彼女が、ここに至って世界的なポップスターとなってしまったのだ。
そんな中で、彼女の精神は次第に病んでいく。曲作りへのプレッシャー、常に彼女を追い回すパパラッチの存在、ヤク中のアホな恋人との関係、娘が売れたとたんにしゃしゃり出てきた困ったオヤジ。そして何よりも、巨大な金を生み出そうとするショービジネスの世界。それらが彼女をドラッグとアルコール漬けの状態にしてしまう。
今までにも、こうして破滅していったスターはたくさんいた。そういう定番の転落劇であるにもかかわらず、観客の目をくぎ付けにしていくところが、この映画の真骨頂かもしれない。『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』で知られるアシフ・カパディア監督は、エイミーを愚か者として批判するのでも、天才として持ち上げるのでもなく、ありのままの姿を見せようとする。そのリアルさが観客の心を揺さぶる。関係者のインタビューに関して、映像を映すことなく声だけ流す手法も、エイミーの実像に焦点を当てるという点で効果を上げている。
映画の終盤で、エイミーはあこがれのトニー・ベネットとデュエットして、「私はやっぱりジャズ歌手」と自覚する。まさに原点回帰の印象的なシーンだ。だが、もはや手遅れだった。亡くなったことがわかっているだけに、後半のシーンには切なさが漂う。もしもあの時、仕事を中断していたら。アホな男と別れていれば。リハビリに専念していたら。そんなことばかり考えさせられる。実際、立ち直りかけたことも何度かあるだけに、ますますもったいなく感じられる。
この映画では、もちろんエイミーの歌声もタップリ聞ける。それが私生活をネタにした曲ばかりで、スクリーンに歌詞が映し出されるものだから、ますます切なさが募ってしまう。結局、最初から最後までスクリーンから目が離せなかった。
売れないバンドでしか活動したことのないオレにとって、ショービジネス界で生きるプレッシャーなど想像することもできない。あんなに才能があるのだから、音楽に専念しておけばよかったのに……などと思うのはオレのような凡人の考えることだろう。
そういえば、奇しくもジャニス・ジョップリンが亡くなったのも27歳。そして原因はやはりドラッグ。残念だが、これからもこういうスターが登場しては消えていくのだろう。
今日の教訓 どんなに才能があっても死んだらハイそれまでよ。
●今日の映画代1000円(今日もテアトル系の会員料金です。しかもサービスデーで1000円。)