映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」

「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2016年12月9日(金)午前11時35分より鑑賞

夫婦というものを経験したことがないので、その関係性というものがイマイチよく理解できない。とはいえ、周囲の夫婦を客観的に眺めていると、夫婦関係というのは様々で、百組の夫婦がいれば百通りの関係性があるようにさえ思えてくる。

そんなことをあらためて実感させてくれる映画が、「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」(FLORENCE FOSTER JENKINS)(2016年 イギリス)だ。第二次世界大戦中のニューヨークで、音痴のソプラノ歌手として知られた実在の人物フローレンス・フォスター・ジェンキンスを描いた伝記映画である。

1944年のニューヨーク。社交界で有名なマダム・フローレンス(メリル・ストリープ)は、音楽を愛し、財産を音楽家のために使ってきた。そんなある日、ソプラノ歌手になるというかつての夢を思い出し、フローレンスはレッスンを開始する。ところが彼女には自分では気づいていない大きな欠点があった。なんと想像を絶する音痴だったのだ。それでも夫のシンクレア(ヒュー・グラント)は、妻に夢を見続けさせるために奔走する。おかげでますます自信を深めていくフローレンスだったが……。

主人公のフローレンス夫人は富豪で音楽好き。親から引き継いだ財産で音楽家を支援している。映画の冒頭は、そんな彼女が主催する舞台の様子。夫のシンクレア(元大根役者の本領を発揮)が司会をして、フローレンスがド派手な演出で舞台を沸かせる。フローレンスと夫のキャラクターを端的に表現したこのシーンが秀逸だ。

その後、フローレンスはソプラノ歌手になりたいという昔の夢をかなえたくて、レッスンを始めると言い出す。そのために著名な指揮者に指導を依頼し、若いピアニストを雇う。そこで発覚するのが驚愕の事実。なんとフローレンスは自分では気づいていないものの、並外れた音痴だったのだ。

伴奏するピアニストは笑いをこらえるのに必死だ。しかし、指導する指揮者と夫のシンクレアは彼女の歌声を絶賛する。フローレンスは音楽界の有力なパトロンだ。あの世界的指揮者トスカニーニに資金援助するシーンも登場する。音楽関係者が彼女の歌声を持ち上げるのも当然だろう。おかげで彼女は調子に乗って、コンサートを開きたいと言い出す始末だ。

と、ここまでくれば爆笑のオバカコメディーにも思えてくる。フローレンスの歌を100人が聴いたら、100人全員が爆笑するのではないだろうか。それほど凄まじい音痴なのである。あるいは悲しいドラマという展開もあり得る。自分が好きで好きでしょうがないのに、残念ながらその分野の才能がないというのは、とても悲惨なことである。

だか、この映画は笑いの要素はたっぷりあるものの、至極まじめな、そしてポジティブなドラマになっている。

そのカギを握るのは夫シンクレアの献身ぶりだ。普通にコンサートを開いたら、彼女の音痴が知られてしまう。そこでシンクレアはマスコミを買収し、フローレンスの信奉者だけを集めてコンサートを開く。その努力ときたら涙ぐましいほどだ。いったいなぜ彼はそこまで必死になるのか?

当初は、やはりお金のためだと思えてくる。何しろ彼はフローレンスのサポートをする以外に特に仕事もしていない。おまけに別宅に住み、そこには愛人をかこっている。しかし、やがて、ただお金目当てでフローレンスに尽くしているのではないことがわかってくるのだ。

実は、フローレンスは最初の夫に梅毒をうつされ、50年以上もその後遺症に悩まされている。そのためシンクレアとは最初から男女の関係がないようだ。そうした様々な悩みを抱えつつ、音楽だけを心のよりどころにして生きてきたフローレンス。そんな彼女から音楽を取ったらどうなるのか。ましてフローレンスは、少女がそのまま大人になったようなピュアなキャラクター。誰が彼女を見捨てられようか。それを考えたら、シンクレアならずとも、彼女を応援したくなってくるわけだ。

そうやって観客が自然に彼女に感情移入していくことで、シンクレアの献身の背後に打算以外の何物かがあることが伝わってくる。シンクレアは今では男女の関係を超えて、人間として彼女を愛し、2人は強い絆で結ばれていることが、ドラマが進むにつれてわかってくるのだ。シンクレアは愛人と別れても、フローレンスを支えようとするのだから(このへんのエピソードは実話とは若干違うようですが)。

映画の終盤、自主制作したレコードが大評判になったフローレンスは、「カーネギーホールでコンサートを開きたい」と言って、自分で会場を予約する。シンクレアは今度もマスコミを買収するなど彼女の音痴がばれない工作をするのだが、さすがに大会場で……。

クライマックスのカーネギーホールのシーンは大いに盛り上がる。一度混乱した会場の雰囲気を変えるのが、かつてフローレンスを嘲笑したド派手な女性(誰かさんの後妻)だという逆転の仕掛けなど、細かなところまでよく考えられている。

そして、ラストはフローレンスとシンクレアの絆を再確認するシーン。温かな余韻を残してくれるエンディングである。

この映画で忘れてはならないのが2人の俳優の演技だ。フローレンス役のメリル・ストリープは、これまでも映画の中で何度も見事な歌声を披露してきただけに(「マンマ・ミーア!」「幸せをつかむ歌」など)、音痴の演技も堂に入っている。ただむやみに音をはずすのではなく、リアリティのある音痴を演じている。ラストの夢のシーンではちゃんとしたソプラノも披露。もちろん、フローレンスの微妙な心理を描く繊細な演技もさすがだ。

それに負けず劣らず印象的なのが、夫シンクレア役のヒュー・グラント。持ち前のプレイボーイ的キャラを生かしつつ、その奥にある深みをきちんと見せてくれる素晴らしい演技だ。これまであまり演技力が評価されることのなかった彼だが、今回はオスカー級の演技だろう。

ついでに、若いピアニスト役のサイモン・ヘルバーグのコミカルな芸達者ぶりもなかなかのものだ。

というわけで、この作品は夫婦の絆を描いた大まじめなテーマの映画なのだ。それもステレオタイプな夫婦愛ではなく、他のどの夫婦とも違うユニークな絆だ。それを笑いを込めて、誰でも楽しく観られるように描いている。「クィーン」「あなたを抱きしめる日まで」など多彩な作品でおなじみのスティーヴン・フリアーズ監督らしい熟練の演出のなせる業だろう。

●今日の映画代、1000円。ユナイテッド・シネマの毎週金曜の会員料金で