「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」
新宿シネマカリテにて。2017年3月12日(日)午後1時45分より鑑賞(スクリーン2/A-6)
セレブ生活とはどんなものなのだろう。貧乏生活を続けるオレには皆目見当がつかないのだが、それはそれでそれなりの苦労があるのかもしれない。自分の努力でのし上がったのではなく、運よくそうなった場合にはなおさら……。
「ダラス・バイヤーズクラブ」「わたしに会うまでの1600キロ」のジャン=マルク・ヴァレ監督による作品「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(DEMOLITION)(2015年 アメリカ)の主人公デイヴィスは、まさにそうした人物だ。義父、つまり妻の父のおかげでセレブ生活を送っている。ところが、ある日衝撃的な転機が訪れる。
映画の冒頭。主人公デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、妻の運転する車で通勤している。2人の会話は何となくすれ違う。そして次の瞬間、交通事故が起きて妻は亡くなってしまう。
妻が運ばれた病院の自販機でデイヴィスは、ナッツを買おうする。だが、お金を入れたものの商品が出てこない。彼は自販機会社に返金要求の手紙を書く。そこで自分の過去や現在の心境を吐露する。
それによれば、デイヴィスは義父フィル(クリス・クーパー)の銀行で働き、彼の薫陶を受け、その指示に従ったおかげで、かなりいい暮らしをしていた。しかし、妻を亡くしたことで生活が一変する。それというのも妻を失ったというのに涙も出ず、彼女を愛していなかったと感じてしまったからだ。
とくれば、これは西川美和監督の「永い言い訳」と同じシチュエーションである。あちらは本木雅弘演じる主人公が、妻の死を悲しく思えない自分に気づいた後、父子家庭と関わることで少しずつ再生していく。しかし、こちらはかなり様相が違う。
なんとデイヴィスは、「心の修理も車の修理も同じだ。まず分解して隅々まで点検し、再び組み立て直せ」という義父の言葉を思い出して、身の回りのあらゆる物を破壊し始めるのだ。最初は家の家電製品から。それがエスカレートして、解体屋を手伝って他人の家を壊しまくる。
何かにとりつかれたように破壊を続ける彼の姿は、何を物語っているか。おそらく義父の庇護のもとセレブな生活を送ってきたことなど、過去のすべてが妻の死とともに厭わしいものとなり、何もかもぶち壊しくなったのだろう。何ともワイルドな行為で常人には理解不能。感情移入はしにくい。
だからというわけでもないだろうが、この後いったん破壊行為は影を潜め、その後は苦情の手紙を通して知り合ったシングルマザーのカレン(ナオミ・ワッツ)とその息子クリス(ジュダ・ルイス)との交流が描かれる。2人もそれぞれに問題を抱えている。カレンは現在の恋人との関係に悩み、クリスも周囲のあれこれに違和感を持ち反抗している。
デイヴィスの心の軌跡が明確に描かれるわけではないが、ところどころに挟まれる妻との過去などで、少しずつ何かがほぐれていく様子が伝わる。また、カレンとクリスも、少しずつ変化していく。
そんな中、デイヴィスはクリスとともに、ついに自宅を破壊しまくる。これで完全に過去を断ち切ったのか?
しかし、ことはそれで収まらない。終盤はややバタバタした展開だ。妻がかつて妊娠していた事実を知るデイヴィス。そして交通事故を起こした犯人の出現。そうした様々な出来事を経て、ついに彼は心から涙を流し、妻との間に愛があったことを確認する。2人の思い出を確認するかのように、義父と和解してあることを成し遂げる彼の姿に、最後は心が温められた。
この映画を観る前に主人公の破壊行為のことを聞いていたので、もっと荒っぽい映画なのかと思っていたのだが、実際は抑制的で丹念な描写が際立つ映画だった。正直なところ、主人公の心は複雑で簡単に感情移入できるものではないが、あと味はなかなかのものだった。
複雑な主人公の内面を巧みに表現したジェイク・ギレンホール、そしてシングルマザー役のナオミ・ワッツ、彼女の息子役のジュダ・ルイス、義父役のクリス・クーパーなどの役者の演技も見応えがある。映像も音楽も素晴らしい。
喪失からの再生物語は別に珍しくもないが、一風変わった作品として十分に見る価値のある映画だと思う。
●今日の映画代、1400円。新宿伊勢丹会館のちけっとぽーとで前売り券購入。