「ギミー・デンジャー」
新宿シネマカリテにて。2017年9月6日(水)午後2時30分より鑑賞(スクリーン1/B-10)。
著名な映画監督が音楽ドキュメンタリーを手がけるケースは珍しくない。例えば、あのマーティン・スコセッシはザ・バンドの解散コンサートを描いた「ラスト・ワルツ」や、ボブ・ディランを描いた「ノー・ディレクション・ホーム」を監督している。日本でも、「64-ロクヨン-」の瀬々敬久監督が、かつて314分という長尺の「ドキュメンタリー頭脳警察」を手がけている。
そんな中、「パターソン」が日本公開になったばかりのジム・ジャームッシュ監督による音楽ドキュメンタリーが、新たに公開になった。「ギミー・デンジャー」(GIMME DANGER)(2016年 アメリカ)である。
そこで取り上げられているのは、1960年代後半から70年代前半にかけて活動した伝説のバンド「イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ」だ。1967年に結成され、3枚のアルバムを出したのち、1974年2月のライブを最後に活動停止したバンドである。
もともとジャームッシュはイギー・ポップやザ・ストゥージズの大ファンで、イギー・ポップを自身の作品で役者としても起用している。そんなイギー直々の依頼を受けて制作したのが本作だそうだ。
映画の構成は基本的にオーソドックスだ。イギーをはじめメンバーなどの証言をもとに、昔の映像や写真も交えつつ描いていく。
両親とトレーラーハウスに住みドラムを叩いていた幼少時代のイギー。やがて高校生バンドなどを経てザ・ストゥージズを結成する。その経緯を当時の音楽状況を交えながら描いていく。その中でも面白かったのがバンド名の由来。アメリカのコメディーグループの「三ばか大将」(The Three Stooges)からつけたらしい。何とも人を食った話である。
そうやって結成されたザ・ストゥージズは、やがてレコード会社と契約を結ぶ。その前後の兄貴分的バンドMC5との関係なども興味深い。その後、ザ・ストゥージズは3枚のアルバムを制作する。その制作過程にも面白いエピソードが満載だ。かつてヴェルヴェット・アンダーグラウンドに参加したニコがバンド周辺に出入りして、何かとルー・リードと比較していたという話には思わず笑ってしまった(マニアックな話ですいません)。
しかし、やがてザ・ストゥージズは自然消滅してしまう……。
先ほどオーソドックスな構成と言ったが、そこかしこにはジャームッシュ監督らしいヒネリもある。例えば時系列で話を始める前に、いきなりバンド活動末期の行き詰まり状況を見せる。満足に金が稼げずに、客はやたらに暴れて問題を起こす。まあ、イギー・ポップ自身が過激なパフォーマンスで知られていたわけだから、客がそうなるのもわからんではないのだが。
また、この映画では、イギーたちの証言に合わせて、アニメだったり、昔の映画の一場面だったりをスマートに挟み込む工夫もある。「パターソン」では詩を文字にして映したが、同じように証言のキーワードを文字にして見せる場面もある。そのあたりから、ジャームッシュ監督独特のオフビートの笑いも生まれてくるのだった。
本作で特に印象深かったのは、クリエイティブな活動と商業主義とのせめぎ合いだ。当初のイギーたちは、サイケやジャズ、前衛音楽など色々な音楽に刺激を受けて、オリジナリティあふれる音楽を構築していた。しかし、それがセールス的に芳しくないと、レコード会社の圧力が日増しに強くなってくる。それが彼らの自由な創作活動を阻害する。
映画の中の証言で、イギーは、アメリカのアイドル・オーディション番組「アメリカン・アイドル」を強烈に批判しているが、エアロスミスのスティーヴン・タイラーがあの番組の審査員を務めるなど、いまやロックもビジネスと不可分の時代。ザ・ストゥージズは、その端境期にあったバンドと言えるのかもしれない。
ビジネスと言えば、ザ・ストゥージズの活動末期にデヴィッド・ボウイと関わる経緯も面白い。その後は、音楽的交流を深めていくイギーとボウイだが、映画の中の証言を聞いていると最初はいろいろと面倒なこともあったようだ。
もう一つ「時代だなぁ」と思ったのはドラッグの蔓延だ。当時、イギーはじめメンバーのほとんどはドラッグ漬けの日々を送っていた。今でも時々ミュージシャンの死とドラッグの関係が噂されたりするが、当時はそれが当たり前の世界だった。イギーにしても、ストーンズのキース・リチャーズにしても、そうした時代からのサヴァイバーというわけだ。
さて、この映画の終盤には感動的な話が綴られる。ラモーンズやダムド、セックス・ピストルズなどのパンクロック・バンドをはじめ、多くのバンドがザ・ストゥージズに影響を受け、曲をカバーしている姿が描かれる。カルト的な人気はあったものの、世間的な評価は低かったバンドが、のちに最高のバンドとして高く評価されるようになったのだ。
感動はそれだけではない。イギーは2003年にストゥージズを再結成する。活動停止後、バンド活動を続けながらも、金を稼ぐためにタクシー運転手など様々な職業を経験したメンバーもいる。そうしたメンバーたちが再結集(映画では再統一と表現されていた)して、活動を再開したのである。
その後も、ザ・ストゥージズは断続的に活動を行い、2013年には6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表している。そこでは、亡くなったギタリストのロン・アシュトンに代わり、ジェームズ・ウィリアムスンがギターを担当している。彼は、バンド解散後、大学で電子工学の学位を取得し、ソニーの技術部門の副社長まで務めている。まさに人生いろいろである。
その間、バンドは2010年にロックの殿堂入りを果たしている。そこでのイギーのスピーチが、なかなか味わい深い。
実のところ、この映画の制作期間中に、メンバーの3人(ロン・アシュトン、スコット・アシュトン、スティーヴ・マッケイ)が相次いで亡くなっている。もちろん、彼らの証言もこの映画に登場する。
そうである。まさにロックは人生なのだ。それをつくづく感じさせるドキュメンタリー映画が本作だ。
ちなみに、このオレも、さすがにザ・ストゥージズはリアルタイムで体験していないが、ソロになってからのイギーは好きなミュージシャンの一人だ。1998年のフジロックフェスティバルでは生のステージも体験している。会場(その年の会場は、諸般の事情により東京・豊洲地区の東京ベイサイドスクエアだった)には2つのステージがあり、大きなステージでは確かビョークが演奏していたはずだが、オレは迷わずイギー・ポップのステージに足を運んだ。それはそうだろう。だって、天下のイギー・ポップなんだぜ!
そんな個人的な思い入れもあって、なかなか感慨深い作品なのであった。イギー・ポップやザ・ストゥージズのファンならずとも、ロックに興味のある人にはぜひ観てもらいたい。
●今日の映画代、1000円。シネマカリテの毎週水曜のサービスデー料金にて鑑賞。