映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「タクシー運転手 約束は海を越えて」

「タクシー運転手 約束は海を越えて」
シネマート新宿にて。2018年4月21日(土)午前11時35分より鑑賞(シアター1/D-12)。

1980年5月、韓国・光州市を中心に学生や市民が民主化デモを繰り広げたのに対して、軍は彼らを暴徒とみなして銃弾を浴びせるという弾圧事件が発生した。これが韓国の現代史における悲劇、光州事件である。

その事件を世界に向けて発信したドイツ人記者と、彼を光州に送り届けたタクシー運転手の実話をもとに作られた映画が「タクシー運転手 約束は海を越えて」(A TAXI DRIVER)(2017年 韓国)である。監督は、「映画は映画だ」「義兄弟 SECRET REUNION」「高地戦」のチャン・フン

なにせ韓国の歴史に残る暗黒の事件だけに、重たい映画なのかと思いきや、滑り出しは拍子抜けするほどのお気楽さ。ソウルの個人タクシーの運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)が、運転をしながらノリノリで歌を歌っているのだ。そうなのだ。彼は初めは英雄でもなんでもなく、ただの陽気な一市民なのだ。

おまけに彼は政治には無関心。その頃、軍事政権下の韓国では戒厳令が敷かれていて、ソウルでもそれに反対する学生デモが起きていたが、たびたび通行が妨害されることもあって、マンソプはそれを冷ややかな目で見ていた。そんな彼が光州事件に巻き込まれるのだから皮肉なものだ。

マンソプは妻に先立たれ、幼い娘と2人で暮らしていた。だが、金銭的に苦しくて家賃も滞納するほどだった(その家主から金を借りようとする笑えるエピソードもあるのだが)。そんな中で、たまたま彼は他のタクシー運転手が「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」ことを客と約束をしていると知り、その運転手を出し抜いてちゃっかり客を奪うのだった。

そうやってマンソプが乗せることになった客が、ドイツ人記者のピーター(トーマス・クレッチマン)だ。東京にいた彼は、光州で何か大変なことが起きているという話を聞き、極秘取材を敢行すべく韓国に来たのである。

こうしてピーターを乗せて出発するマンソプのタクシー。そこからは2人の珍道中が展開する。戒厳令下で当局が厳しい言論統制をしているだけに、マンソプは光州の詳しい事情など何も知らない。「こんな仕事は朝飯前」とばかりに、相変わらず陽気に運転をする。しかも、彼の英語はほとんど片言。ピーターも韓国語がわからないから、まともなコミュニケーションが成立しない。そのすれ違いが数々の笑いを生み出す。

まもなく、タクシーは光州に入る。しかし、すぐに検問に引っかかる。それでも、何が何でも金を稼ぎたいマンソプは、機転を利かせてそこを切り抜ける。その後、彼らは地元の学生たちと遭遇し、通訳として大学生のジェシクも同乗。そこからは3人による珍道中となる。

だが、やがて事態が深刻なことがマンソプにもわかってくる。中盤になって、それまでのムードが一変する。登場するのは、市民や学生たちの抗議活動の現場だ。熱気にあふれた彼らを軍は実力で押さえつけようとする。その現場をカメラに収めるピーター。そして、マンソプやピーターたち自身もあわやの場面に遭遇する。

このあたりはサスペンスとして破格のスリルに彩られている。陽気な滑り出しとはまったく違う映画のようだ。

こうした過酷な経験を通して、最初はギクシャクしていたマンソプとピーターは次第に理解し合う。そこにジェシクや地元のタクシー運転手たちも絡んでくる。あるタクシー運転手の自宅に招かれ、彼らは絆を深める。何ともほほえましくて、心温まる友情のドラマである。その過程では、マンソプの亡き妻との思いなども語られ、思わずホロリとさせられる場面もある。

ただし、娘のことが心配で危険な光州から早く立ち去りたいマンソプは、一度ソウルへ戻る。そこで、光州のことがまったく伝わっていない現実を見て、マンソプは悩み始める。はたして、このまま我関せずでいいのか、と。

マンソプを演じるのは、ご存知、名優ソン・ガンホだ。前半の軽妙な演技とは一転して、中盤以降はその演技はシリアスな色を帯びてくる。セリフ以外の表情やしぐさで、マンソプの苦悩や決意を表現する演技が絶品だ。特に、冒頭の楽しい歌と対照的に、悲しい歌を歌いながら涙するシーンが観客の心を突きさす。

一方、ピーターを演じるのは「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマン。こちらも地味ではあるが、渋い演技を見せている。

こうして再び光州に入ったマンソプを待っているのは、さらなる非道な出来事だった。軍は民衆に向かって銃を向け、無差別に殺戮を始める。その中でマンソプは、あまりの悲惨な出来事にカメラを回すことをやめたピーターを、叱咤激励してもう一度立ち上がらせる。さらに、殺戮の最前線に立ち他のタクシー運転手らとともに、命がけで傷ついた市民を救おうとする。政治に無関心で学生を非難していたあのマンソプが、である。

チャン・フン監督は、デモの主義主張などは一切描かない。そうした姿勢は、この映画にふさわしいものだと思う。なぜなら、マンソプの行動は政治的主張などによるものではなく、正義感や道義心によるものだからだ。平凡な一市民であるマンソプの魂が、光州の民衆の魂と共鳴し、それが世界を変えるきっかけになったのである。

ヒリヒリするような緊迫感に包まれ、多くの観客が息を飲むに違いない虐殺の場面。だが、ドラマの見せ場はまだ続く。光州からの脱出シーンでは、スリリングなカーアクションや銃撃戦まで飛び出す。何なのだろう。このテンコ盛り状態は。それでいてまったく窮屈さを感じさせないのだから見事なものだ。

マンソプと娘との再会、ピーターとの別れなどの感動の場面を経て、ドラマはその後の2人について語られる。そこで明かされる驚きの事実。いかにもマンソプらしいその後である。ラストの実際のピーターの映像が、深い余韻を残す。

笑い、スリル、涙、恐怖、感動などの様々な要素をバランスよく詰め込んで、見応えあるエンターティメントに仕上げた作品だ。だからこそ、光州事件という歴史的な悲劇が自然にスッと観客の中に入ってくる。韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したというのが納得の映画である。

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◆「タクシー運転手 約束は海を越えて」(A TAXI DRIVER)
(2017年 韓国)(上映時間2時間17分)
監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホトーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル、パク・ヒョックォン、チェ・グィファ、オム・テグ、チョン・ヘジン、コ・チャンソク
*シネマート新宿ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://klockworx-asia.com/taxi-driver/