映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ファントム・スレッド」

ファントム・スレッド
新宿武蔵野館にて。2018年6月11日(月)午前10時15分より鑑賞(スクリーン1/C-7)。

「毎日毎日映画ばかり観やがって!」と言われそうだが、この日は本当は仕事のはずだったのだ。それが出かける直前になって中止になってしまった。屋内作業にも関わらず、だ。おそらく「台風が接近していて帰りの足が心配だから」ということなのだろうが、こちらはすっかり気が抜けてしまった。「さーて、ポッカリと空いた今日をどう過ごすか?」と考えたら、つい足が新宿武蔵野館に向いてしまった。この風雨の中をわざわざ出かけるのだから、まさに映画バカの愚行である。

鑑賞したのは、「ファントム・スレッド」(PHANTOM THREAD)(2017年 アメリカ)。オートクチュールのトップデザイナーと彼のミューズを描いた作品だ。一歩間違えば、下世話なスキャンダルめいた話になりそうだが、そこはさすがに「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「ザ・マスター」のポール・トーマス・アンダーソン監督。一風変わった魅力を持つ作品に仕上げている。

1950年代のロンドンが舞台。主人公は、英国ファッション界の中心的存在として社交界から脚光を浴びる天才的仕立て屋のレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)。最初の登場シーンが印象深い。ただヒゲをそったり、服を着たりして身支度をしているだけなのだが、そこから早くも彼の人となりが伝わってくる。

レイノルズは、有能で仕事はできるが神経質で自己中心的で気難し屋。どうやら亡くなった母親の影が今も彼を支配しているらしい。そして、彼のそばには姉のシリル(レスリー・マンヴィル)が常にいて、雑事を一手に取り仕切っていた。

結婚に縛られたくないレイノルズは独身だったが、自身の仕事のミューズとして若い女性をそばに置いていた。だが、時間が経てば熱が冷めるのは自明の理。今も一人の女性に飽きて、シリルが彼女を遠ざける算段をしている。

そんな時に新たに出会ったのが、アルマ(ヴィッキー・クリープス)という女性だ。朝食を食べるために入ったレストランでウェイトレスをしていた彼女に、レイノルズは心を奪われてしまう。

その時のレイノルズの満面の笑みときたら。普通の役者が演じたら、ただの女たらしに見えそうだが、何しろ演じているのは「マイ・レフトフット」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リンカーン」で3度のアカデミー主演男優賞を受賞している名優ダニエル・デイ=ルイスだ。それだけに、下世話どころか品格のようなものまで漂ってくる。アルマと朝食のメニューについて話しているだけなのに、それが2人の恋心をそのまま表してしまうのだ。

レイノルズがアルマのドレスを採寸するシーンも印象的だ。なまじのキスシーンやベッドシーンなどよりも、2人のロマンスを盛り上げる。官能的で、美しいシーンである。

こうしてアルマはレイノルズの新しいミューズとなり、彼の家に住むようになる。最初はお互いにラブラブなのだが、過去のミューズ同様に次第に関係がギクシャクしだす。レイノルズの愛は、あくまでも創作の源泉を求めるもので、その役目が果たせなくなれば愛も終わる。一種のゆがんだ愛ともいえるだろう。

朝食の時にアルマが大きな音を立てるのが癇に障るレイノルズ。そう。彼の自己中の根底には絶対に譲れない美意識や、厳格な生活のルールがある。それを侵す者は誰であろうと容赦なく否定するのだ。

こうしてアルマもまた、過去のミューズ同様に捨てられるのかと思いきや、おっとどっこい。そうはならない。アルマは敢然とレイノルズと闘うのである。2人がバトルを繰り広げる場面が用意され、両者がバチバチと火花を飛ばす。

そこで感心するのは、アルマを演じたヴィッキー・クリープスである。名優ダニエル・デイ=ルイスを相手に一歩も引けをとらない。2人の関係性の変化とともに、微妙に表情を変化させるあたりも見事な演技だ。

その後は、アルマが仕掛けた攻撃が誰の侵略も許さなかったレイノルズの領域を侵し、彼をぼろぼろにする。レイノルズの愛がゆがんだ愛なのに対して、アルマの愛もゆがんだ形で表現される。彼女が求めるのは普通の男女の愛だが、それを強烈に希求するあまりに驚きの行動をとるのだ。それによって、レイノルズとアルマの支配=被支配の関係が逆転する。

さらに、それ以降も二転三転のドラマが展開する。そこにはゾクゾクするような怖さが漂う。一見、突拍子もないように思える2人の愛の行方だが、2人が心の奥で抱える闇は、観客の誰かが抱いてもおかしくないものだろう。それゆえ、とても絵空事の物語とは思えずに、愛の困難さ、怖ろしさ、哀しさがリアルに伝わってくるのである。

この作品を深みのあるものに昇華させている原因は、クラシック音楽を中心にした格調高い音楽、そしてオートクチュールの世界を華麗に捉えたカメラワーク、ハリウッド黄金時代を意識したような映像にもある。それらも含めて観応え十分な作品だ。

ちなみに、ダニエル・デイ=ルイスは本作で引退を表明している。どんな役にも完全になりきる役者で、今回も徹底的にこだわった末の、やり切った感がそう言わせるのだろう。しかし、この人、確か以前にも一度引退宣言をしてしばらく消えていた時期もあったと記憶している。それだけに、またその気になったらぜひ復帰してもらいたいものである。

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◆「ファントム・スレッド」(PHANTOM THREAD)
(2017年 アメリカ)(上映時間2時間10分)
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ヴィッキー・クリープス、レスリー・マンヴィル、カミーラ・ラザフォード、ジーナ・マッキー、ブライアン・グリーソン、ハリエット・サンソム・ハリス、ジュリア・デイヴィス、フィリス・マクマーン、サイラス・カーソン、リチャード・グレアム
シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中
ホームページ http://www.phantomthread.jp/