映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

志乃ちゃんは自分の名前が言えない
新宿武蔵野館にて。2018年7月16日(月)午後12時55分より鑑賞(スクリーン1/C-6)。

~コンプレックスを抱えた2人の少女の輝きと心の叫び

「青春映画鑑賞家」を名乗ろうかと思った時期がある。そのぐらい青春映画ばかり観ていた。日本はもちろん、アジアや欧米の青春映画もたくさん鑑賞した。青春映画は若者だけのものではない。むしろ青春がはるか遠くに過ぎ去ったオレのような人間だからこそ、そこにノスタルジーという特別な情感が加わるのだ。青春映画は永遠の存在なのである。

そんな青春映画に新たな秀作が加わった。「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(2017年 日本)だ。漫画家・押見修造によるコミックの映画化で、吃音がドラマの大きな要素になっている。それは、押見修造自身の体験がもとになっているという。

映画がスタートすると1人の少女が登場する。大島志乃(南沙良)。高校一年生の新学期に志乃は学校へ行く。それを前に何度も自己紹介の練習をする。だが、学校へ行って実際に自己紹介の順番が来ると、自分の名前さえうまく言えなかった。彼女は吃音で悩んでいたのだ。

独白などでは問題なく言葉が出るのに、なぜか人前ではそれができない。志乃はクラスメイトから笑われてしまう。それをきっかけに誰とも交流することなく、ひとりぼっちで過ごすようになる。

一方、志乃と並んでもう1人の少女がクローズアップされる。岡崎加代(蒔田彩珠)。彼女はいつも不機嫌そうで、影を感じさせる少女だった。実は、彼女にも大きな欠点があった。音楽好きでギターを弾く加代だが、残念なことに極度の音痴だったのだ。

お互いに悩みを抱えた2人は、ひょんなことから校舎裏で遭遇し、少しずつ距離を縮めていく。その過程で、加代は志乃に「2人でバンドを組もう」と誘う。吃音の志乃だが、なぜか歌はちゃんと歌えるのだった。加代がギター弾いて志乃が歌う。バンド名は「シノカヨ」。2人は文化祭を目標に猛練習を始める。

そんな志乃と加代の青春の日々が瑞々しく描かれる。青春映画らしいきらめきにあふれている。特に印象的なのは、舞台となる海辺の町の風景を生かした光にあふれた映像だ。ほぼ全編に渡って、時には過剰なほどの光がスクリーンに踊る。それが、2人の少女を躍動させる。

2人の若手女優の演技も素晴らしい。志乃を演じる南沙良は、言葉でうまく自分を表現できないもどかしさ、緊張、おびえなどを繊細に表現。自分の感情を爆発させるシーンでは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で渾身の演技を見せる。

そんな志乃を自然体で受け止める加代役の蒔田彩珠は、抱え込んだ孤独をぶっきらぼうな態度で覆い隠しつつも、志乃との交流で少しずつ心を溶かす。こちらも繊細な演技が絶品だ。彼女たちの見事な演技を引き出した湯浅弘章監督の演出も、なかなかのものだと思う。

加代の部屋での練習、遠い町での路上ライブなどを含めて(演奏されるのが『あの素晴らしい愛をもう一度』だったのするのが泣けてくる)、彼女たちの生き生きとした姿に、思わずこちらの心も弾んでしまう。海辺の町を2人が自転車で駆け抜けるシーンは、まさにそれを象徴するシーンだろう。

というわけで、前半は青春映画としてずば抜けた輝きを見せるのだが、後半は大きな転機を迎える。ある日、クラスのお調子者の男子・菊地(萩原利久)が強引にバンドに参加したいと言い出す。加代は「志乃がいいなら」と言い、志乃もそれに応じる。

ここで興味深いのが菊地のキャラだ。彼は志乃の吃音をからかった過去がある。それだけなら志乃が嫌うのも当然だが、実は彼自身も中学でいじめられていた過去を持っていたのだ。それがバンドに加入したいと言い出した理由だった。つまり、志乃、加代と同様に、彼も自分の居場所がなかったのである。

ありがちなドラマなら、この3人の孤独な魂が共鳴して、さらに力強い音楽を奏でることだろう。しかし、このドラマはそんな安直な展開には至らない。菊地の存在は志乃と加代の関係を大きく変化させ、志乃はバンドをやめると言い出す。

志乃は加代から離れ、以前にも増して自分の殻に閉じこもるようになる。いったい何が彼女をそうさせるのか。加代にも、菊池にもよくわからない。必死でその訳を探ろうとするが、それがますます志乃を頑なにしてしまう。その様子を見ている観客にも、志乃の内面が今ひとつ理解できなくなってくる。

そして迎える文化祭。志乃を失った加代は、自ら作ったオリジナル曲を力いっぱい歌う(『魔法』というこの曲も素晴らしい!!!)。その歌声が観る者の胸を強く打つ。もちろんそれが志乃の胸に響かないはずがない。彼女の痛切な心の叫びが会場の体育館に響き渡る。その叫びも、加代の歌声と同様に観る者の胸に響く。観客は志乃がなぜ自分の殻に閉じこもったのが、ようやく理解できるだろう。

このドラマに、明確なハッピーエンドやカタルシスは用意されていない。だが、志乃と加代のさりげないラストの表情から、2人がそれぞれに前を向き始めたことが示唆される。

2人が抱えたコンプレックスや悩みが、そう簡単に消えることはないだろう。それでも、きっと彼女たちは自分の足で前に進んでいくに違いない。そう思わせられる温かなラストだった。

吃音や音痴といった素材が扱われてはいるが、そこにとどまることなく、コンプレックスを持つすべての人の心に届く映画ではないだろうか。

考えてみればオレもコンプレックスだらけ。コンプレックスの塊といってもいいかもしれない。吃音ではないが、けっして話し上手ではないので、自分の気持ちがうまく伝わらずにもどかしい思いをすることもたびたびある。それだけにまるで我が事のように、志乃と加代の心の通い合いに心を躍らせ、そのすれ違いに胸が痛んだのである。

青春映画が永遠の存在であることを再認識させられた作品だ。数多ある青春映画の秀作に、また新たな1本が加わったのは間違いない。

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◆「志乃ちゃんは自分の名前が言えない
(2017年 日本)(上映時間1時間50分)
監督:湯浅弘章
出演:南沙良蒔田彩珠萩原利久、小柳まいか、池田朱那、柿本朱里、田中美優、蒼波純、渡辺哲、山田キヌヲ奥貫薫
新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.bitters.co.jp/shinochan/