映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「運命は踊る」

運命は踊る
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年10月7日(日)午後2時5分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~運命の不条理さを社会への疑問とともに描く

運命があらかじめ決められた避けようのないものなら、それは不条理極まりないものといえるだろう。人は運命に翻弄され、大きく人生を狂わせられる。

運命は踊る」(FOXTROT)(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)は、そんな運命の不条理さを描いた映画だ。「レバノン」で第66回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したイスラエルサミュエル・マオズ監督の8年ぶりの長編。本作も、ヴェネチア国際映画祭審査員グランプリを獲得した。

映画の冒頭、一台の車が荒れ地の中の道を走っている。実は、これがラストの種明かしにつながってくる。

続いて一軒の家を軍人たちが訪ねるシーン。そこに住むのは、ミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻。軍人たちは、彼らの息子ヨナタンが戦死したことを知らせにきたのだ。

ダフナは兵士たちを見た瞬間に、ショックのあまり気を失う。それに対してミハエルは平静を装うが、次第に苛立ちを募らせていく。軍人たちは、表面的には彼らに同情する態度を見せるが、まるでルーチンワークのように次々と指示を出す。気を落ち着かせるために、決まった時間に水を飲めなどと言って、タイマーまで設定するのだ。それによって混乱していくミハエル。

ミハエルを混乱させるのは軍人たちだけではない。夫妻の親戚たちの行動も彼を刺激する。ひたすら泣きわめく者、あちこちの親戚縁者に連絡をする者など。ミハエルは認知症気味の母に知らせるために施設を訪問するが、母はミハエルの話を理解しているのかいないのか要領を得ない。

そして、ついにミハエルはブチ切れる。自ら蛇口の熱湯に手を差し伸べて、その熱さに耐えるまでに精神的に追い詰められた彼は、葬儀の詳細について話しにきた軍の聖職者を怒鳴りつける。息子の遺体の存在に関して、相手が曖昧な答えを繰り返したことが原因だった。

こうして混乱と怒りの渦中に叩き落された、ミハエルの心情を示す映像がユニークだ。ゆっくりと左右に振られるカメラ。アップの多用。それも顔だけでなく、足など様々なアップが登場する。そして、何よりも印象深いのが、ミハエルを頭の上から映した映像だ。この頭上からの映像は、他の人物についても使われる。

そして、こうした映像が、サスペンスフルで不穏な空気を生み出す効果も発揮する。何やらこの先に、とてつもなく良からぬことが起こりそうな、そんな雰囲気が漂うのだ。

まもなく衝撃的な出来事が起きる。なんと息子ヨナタンの戦死は誤報だったというのだ。戦死したのは同姓同名の別人だったというのである。

それを聞いて母のダフネは心から安堵する。だが、ミハエルは怒りをぶちまける。あとでわかるのだが、彼は過去の出来事によって心に傷を負い、それが感情のコントロールを難しくしていたのだ。ミハエルはヨナタンをすぐに呼び戻すよう要求する。さらに、コネを使って自ら軍に働きかける。

さて、では当のヨナタンは何をしているのか。ここからはヨナタンの日常が描かれる。彼は国境の検問所で、仲間の兵士とともに任務に就いていた。そんな彼らの前を歩いて検問を通るのは、なんと一頭のラクダではないか。何が起こるかと緊張していた観客は思わず脱力するはず。つい笑ってしまうシーンだ。

その後、ある兵士はトロットダンスという踊りを踊る。この踊りは、1910年代はじめにアメリカで流行した社交ダンスらしい。そのステップは「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」。つまり、どうしても元の場所に戻る。この映画の大きなテーマである運命が、どうあがいても逃れられないことを示唆しているようなステップである。

というわけで、ヨナタンは、戦場の緊迫感からは程遠い閑散とした検問所で、間延びした時間を過ごしていたのだ。そんな中で、自分たちが何のために何と戦っているのかわからなくなってくる。前線で必死で戦うわけではなく、こういう場所にいるからこそ持つ疑問だろう。

そんなヨナタンたち兵士を描く映像も、相変わらずユニークだ。彼らの様々な思いを一風変わったショットで映し出す。同時に、不穏さも失わない。徐々に傾く彼らの住居のトレーラー、調子の悪いラジオなどのアイテムも、効果的に使われる。

そうした不穏さは、やがて現実のものとなる。ある夜、彼らは国境を越えようとする一台の車をチェックする。兵士たちの任務の中で、唯一といってもいい緊張する場面だ。だが、今まではすべて問題がなかった。今回も簡単な取り調べのはずだったのだが……。

その後、ヨナタンは帰宅の途に就く。その車中で、彼は自らが描いた漫画を取り出す。その漫画がひとしきり物語を紡ぎ出す。だが、そこから一気に場面は飛ぶ。またしても何かが起きたのだ。それを受けて、ミハエルとダフネの関係も変化している。

この終盤の夫妻の演技が圧巻だ。まるで濃密な舞台劇を見ているかのように、重厚で、スリリングで、緊迫したシーンである。ミハエルとダフネ、それぞれの思いがぶつかり合う。そこでは、これまでずっとミハエルの心の傷となっていた過去の出来事も暴露される。

この一件に加えて、息子ヨナタンの戦死をめぐるあれこれ、そしてヨナタンに起きたもう一つの異変は、すべて運命の不条理さを示す出来事だ。父、母、息子。遠く離れた場所で、3人の運命は交錯し、すれ違い、元に戻ってしまう。やはり運命は避けられないものなのか。

ドラマの最後には、ヨナタンに起きたもう一つの異変が描かれ、運命の不条理さをいっそう強く印象付ける。

「運命」というテーマを追求した作品ではあるが、同時にこの映画には、イスラエルの現状に対する疑問と批判、ひいては世界の現状に対する疑問と批判がクッキリと刻まれている。そのせいか、イスラエルの右寄りの政治家たちは、この映画を非難したらしい。やれやれ。

誰もが満足するような、わかりやすい映画ではない。観る人によって評価も大きく分かれそうだ。だが、それでも、ありきたりの映画にはない不思議な魅力を持つ作品なのは確かである。

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◆「運命は踊る」(FOXTROT)
(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラーヨナタン・シレイ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.bitters.co.jp/foxtrot/