「生きてるだけで、愛。」
シネ・リーブル池袋にて。2018年11月11日(日)午後2時35分より鑑賞(スクリーン2/G-5)
~生きづらさを抱えて苦悩する若者の姿をリアルに描く
劇作家で、演出家で、小説家としても芥川賞を受賞している本谷有希子。おい、その才能を少しでいいから分けてくれ(笑)。と言いたくもなるわけだが、その本谷有希子の小説を映画化したのが、「生きてるだけで、愛。」(2018年 日本)である。
この映画の主人公は、自ら「うつ状態」と「そう状態」を繰り返すと語っている。それは確かに彼女の言動に、大きな影響を及ぼしているように見える。だが、そうした病気との戦いを主眼に置いた映画ではない。それは彼女の一つの側面にしか過ぎない。
また、本作のPRコピーには「ラブストーリー」であることがうたわれている。確かに全体の構図は、男女のラブストーリーに違いない。だが、それもまた一つの側面にしかすぎないように思える。
ならば、何を描いた映画なのか? 不器用で生きづらさを抱えた現代の若者たちの姿こそが、この映画の最大の肝だと感じる。
寧子(趣里)は過眠症になり、引きこもり状態が続く。もちろん仕事もしていない。現在は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木(菅田将暉)の部屋で暮らすが、自分で感情をコントロールできず、津奈木に当たり散らす。
その当たり散らし方が尋常ではない。「自分が買ってあげた手袋をしていない」と津奈木をなじり、彼が手袋をすると「そんなわざとらしいことをするな」とまたなじるのだ。これだけを見れば、彼女はとんでもない女にしか思えない。だが、ドラマが進むにつれて、そんな単純な話ではないことがわかってくる。
その寧子を、津奈木はひたすら静かに受け止める。怒ることもなく、反論することもなく、寧子のわがままにつきあっている。何と優しく思いやりのある男なのだろう。最初はそう思ったのだが、こちらもドラマが進むにつれて、少し違う部分が見えてくるのである。
そんな中、寧子に変化が訪れる。ある日、彼女の目の前に津奈木の元恋人・安堂(仲里依紗)が現れる。安堂は津奈木とヨリを戻したいから、彼の家を出て行ってくれと寧子に要求する。そのために、寧子にカフェのバイトまで世話するのだった。
寧子は強烈なキャラだが、この安堂も同様だ。自分の思いだけでどこまでも突っ走る自意識過剰な女性。自意識過剰という点では、寧子と似たり寄ったりである。ここにも、現代の若者のひとつの姿が現れているのだろう。
安堂が世話したカフェでは、若者に理解のあるオーナー夫妻(田中哲司、西田尚美)や、元引きこもりのウェイトレス(織田梨沙)が、寧子のことを家族同様に思って接してくれる。もともと自分自身も「変わりたい」という思いを持っていた寧子は、失敗を繰り返しながらも少しずつ良い方向に向いていく。だが、ほんのちょっとしたことが、彼女を再びつまずかせる。
ドラマが後半に進むにつれて、最初はとんでもない女に見えていた寧子が、生きづらさと周囲との違和感を抱えて、もがき苦しんでいることが伝わってくる。それは、「うつ状態」や「そう状態」のせいだけではないだろう。「生きてるだけで、ほんと疲れる」。それは現代の若者、いや若者だけでなく現代に生きる多くの人が感じていることではないだろうか。それゆえ彼女の言葉に共感する観客も多いように思える。
それはオレに取っても同じだ。店のオーナー夫妻や同僚と食事している最中に、幸福感と感動を味わいつつ、次の瞬間にはほんの何気ない会話から違和感をぬぐえなくなり、ついには壊れてしまう寧子の姿は、とても他人事には思えなかった。ぼんやりした違和感。それを常に抱えて生きている自分に、改めて気づかされてしまった。
一方、津奈木は自殺者まで出しても平気でゴシップ記事を垂れ流す仕事に対して、「どうせすぐにみんな忘れる」とやり過ごしている。それは寧子に対しても同様だった。彼は寧子を受け止めていたのではなく、ただやり過ごしているだけだったのだ。だが、ドラマの終盤、津奈木は今までとは違う姿を見せる。
そんな2人のぶつかり合いが、クライマックスで描かれる。壊れた寧子は服を脱ぎ棄てながら街を疾走する。その後を追う津奈木。そして、初めて正面から向き合う2人。この一連の展開は、言葉にならないほど衝撃的で美しく、そして激しいものだった。
やはりこの映画は、単なるラブストーリーを超えた映画である。寧子、津奈木、さらには安堂。不器用で生きづらさを抱えた若者の姿をリアルに描いたところにこそ、この映画の真骨頂がある。しかも、あと味はけっしてシビアなだけではない。お手軽なハッピーエンドは用意されていないが、それでもジンワリと温かな風が吹いてきた。
映画の最後には、「わかり合えたのは一瞬だけかもしれない」という主旨の寧子の独白がある。そう。人間はそんなに簡単にわかり合えるものではない。ほんの一瞬だけでもわかり合えれば幸運かもしれない。大切なのは、わかり合えたかどうかではなく、わかり合おうとしたかどうかではないだろうか。そんなことを考えているうちに、「生きてるだけで、愛。」というタイトルの意味が少しだけ理解できた気がした。
この映画の関根光才監督は、CMやMVを中心に活躍してきたらしい。ハッとさせられるような鮮烈な映像など、その片鱗があちこちに見られる。脚本についても原作と本気で格闘したあとが見て取れる。
それにしても本作で何よりも素晴らしいのは、主演の趣里である。常に揺れ動く寧子の心理をセリフ、表情、しぐさのみならず全身で表現するその演技には脱帽だ。いや、もはやこれは演技の領域さえ超えているのではないだろうか。それほどリアルで自然体の演技だった。
これまではテレビドラマの出演が多いようで、映画では「勝手にふるえてろ」の金髪店員のイメージ程度しかなかったが、何だか空恐ろしい女優になりそうな予感がする。彼女の演技だけでも観る価値のある映画だと思う。今年の日本映画は、本当に充実している。
◆「生きてるだけで、愛。」
(2018年 日本)(上映時間1時間49分)
監督・脚本:関根光才
出演:趣里、菅田将暉、田中哲司、西田尚美、松重豊、石橋静河、織田梨沙、仲里依紗
*新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://ikiai.jp/