映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「愛がなんだ」

「愛がなんだ」
テアトル新宿にて。2019年4月26日(金)午後1時25分より鑑賞(C-11)。

~あまりにもリアルすぎる摩訶不思議な恋愛の様々な側面

昨年10~11月に開催された第31回東京国際映画祭で、阪本順治監督の「半世界」とともにコンペティション部門にノミネートされた日本映画が「愛がなんだ」(2018年 日本)である。それに対して、審査委員長のフィリピンのブリランテ・メンドーサ監督が、辛口のコメントをしていたのを記憶している。要は、社会性の薄い作品が映画祭のコンペ部門にノミネートされたことに疑問を呈したのだ。素晴らしい社会派映画を生み出してきたメンドーサ監督らしいコメントだが、考え方は人それぞれだろう。

何しろ「愛がなんだ」は恋愛映画である。直木賞作家・角田光代の小説を今泉力哉監督が映画化した。今泉監督は、これまでも「サッドティー」「パンとバスと2度目のハツコイ」などの恋愛映画を撮ってきた監督。いまさらメンドーサ監督に「社会性が薄い」と言われても、「何だかなぁ~」という感じではなかろうか。コンペに選んだのは主催者側なのだし。少なくともオレにとっては、コンペ云々を抜きにして単純に面白い映画だった。

というわけで、今度がその時に続く2度目の鑑賞となった。半年経って大方のシーンを忘れているのではないかと予想していたのだが、なんのなんの、ほとんどのシーンを覚えていた。それだけ良くできた映画なのだろう。

映画はイタい恋愛モードでスタートする。28歳のOLテルコ(岸井ゆきの)のところに電話がかかってくる。マモル(成田凌)からの電話だ。病気で寝ているから何か買ってきてくれないかというのだ。テルコは「今ちょうど会社から帰ろうとしてたところ」と言って、喜んで出かけようとする。

オイオイオイ! 嘘言うんじゃない。お前、もう自宅に戻ってるじゃないか。

そうなのだ。マモルにひと目ぼれして以来、テルコの生活はマモル最優先。いつもマモルからの電話を待って、呼び出されればどこにいようとすぐに駆け付けるのである。

こうしてマモルの家に行ったテルコ。途中で買ってきたのは食材に加え、洗剤など。マモルのためにうどんをつくると、今度は掃除を始めるテルコなのだった。だが、マモルは深夜にもかかわらず「もう帰っていいよ」と、テルコを追い出す。金も持たずに困ったテルコは、親友の葉子(深川麻衣)の家に向かう。

この冒頭の出来事を観ただけで、テルコのイタさがわかるだろう。葉子は、「そんな男やめておけ」と警告するが、テルコは耳を貸さず、マモル中心の生活に幸せを感じている。だが、テルコの熱い思いとは裏腹に、マモルにとってテルコは恋人ではなく、単なる都合のいい女でしかなかったのだ。そんなテルコに対して、オレは最初のうちイラついてしまった。「アホかお前は! 男に利用されてるのがわからんのか!」。

同時にテルコを好きでもないのに、いいように利用しているマモルにも腹が立ってきた。だいたい、コイツ、「33歳で会社を辞めてプロ野球選手になる」だの「象の飼育員になる」だのワケのわからないことばかり言う、いい加減なやつなのである。「お前なぞ、象に踏まれて死んでしまえ!」。

ところが、あ~ら不思議。観ているうちに少しずつ両者に対する見方が変わってきた。何やら自分の中にも、彼らみたいなところがあるように思えてきたのだ。思い込み一辺倒でストーカー一歩手前のテルコ。それはまあ極端なケースには違いないのだが、それでも多くの人が熱病のように、誰かにのめり込んだ経験があるのではなかろうか。恋愛には、冷静に理性で対処できない部分が必ず存在するのである。

一方、マモルはテルコの自分に対する過剰な気遣いに嫌悪感を持っている。テルコがマモルを気遣うのは、自分の思い込みのなせる業である。本当にマモルのことを考えているかと言えば、そうとばかりは言えない。マモルに対する自分の気持ちを満たすための行動と言えないこともない。マモルがそれに違和感を抱くのは、当然と言えば当然かもしれない。

要するに、テルコとマモルを通して、様々な恋愛の持つ様々な側面をリアルに描き出すのが今泉監督の真骨頂なのだ。おかげで、観ているうちに2人が自分と近い存在に思えてくるから面白い。「ああ~、ああいうのわかる、わかる」「自分もあれに近い気持ちになったことがある」。そんなふうに自分の経験と重ね合わせて、登場人物それぞれの恋愛の心模様に共感、ないしは理解していくようになるのである。

テルコとマモルばかりではない。口ではテルコに警告を発する葉子だが、実はカメラマンのアシスタントをしているナカハラ(若葉竜也)の自分に対する好意を利用して、彼を都合のいいように利用している。まるでテルコとマモルの関係の裏返しだ。そんな矛盾もまた恋愛の一つの側面なのだろう。

とまあ、ここまで読んだところで、何だか重たい恋愛ドラマをイメージするかもしれない。だが、実際は正反対。軽妙で飄々としてほんわかしたムードに包まれている。テルコの暴走と思い込みから生まれるユーモアも、あちらこちらに散りばめられている。今泉監督は、被写体に寄り添うのでもなく、完全に突き放すのでもなく、絶妙の距離感で彼らを描き出す。

ドラマは中盤で大きな転機を迎える。テルコがマモルの部屋に泊まったことをきっかけに、2人は急接近する。ようやく恋人らしき関係になれてテルコは歓喜する。ところが、そこで2人の心はすれ違う。そして、突然、マモルからの連絡が途絶えてしまう。それからしばらくして、再びテルコの前に現れたマモルは、すみれ(江口のりこ)という年上の女性と一緒だった……。

すみれは、テルコとは正反対のガサツで口の悪い女性。彼女を好きになるマモルの気持ちも何となくわかる。そして、テルコを振り回していたマモルが、今度は逆にすみれに振り回される様子が皮肉で面白い。

全体的にオーソドックスな描写が多い映画だが、ユニークなシーンもある。例えば、テルコがすみれの悪口をラップで吐き出し、そこにもう1人の自分とマモルが登場するシーン。あるいは幼い頃のテルコと今のテルコが遭遇するシーン。いずれも人物の心情をリアルに映し出す効果を上げている。

終盤もなかなか面白い構成になっている。ナカハラ、葉子、マモルにそれぞれ焦点を当てながら、終幕へとつなげる。それは、けっして大団円ではない。いったん別れたナカハラと葉子の新たな関係を示唆しつつ、テルコとマモルにも新しい人生を用意するかに見せる。だが、何のことはない。テルコはやはりテルコだったのだ。もはや完全に理屈を超えている。ドラマの前半に登場した動物園を効果的に使ったラストに思わず苦笑。恐るべしテルコ! ここまでくれば感服するのみ。それにしても恋愛ってやつは……。

主演の岸井ゆきのは、不思議ちゃん&不気味ちゃんをそのまま体現する見事な演技。その周辺の人物を演じた成田凌深川麻衣若葉竜也も良いが、ハイライトは何といってもすみれを演じた江口のりこだろう。そのたたずまいは、すみれそのもの。相変わらずいい味出してるよなぁ~。

とにもかくにも、あまりにもリアルすぎる恋愛模様を堪能できる作品だ。オッサンのオレでもそうだったのだから、テルコと同世代の女性なら、たまらんのではなかろうか。しかし、まあ恋愛って、よくわからん摩訶不思議なものである。それを再認識させられた作品でした。

 

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◆「愛がなんだ」
(2018年 日本)(上映時間2時間3分)
監督:今泉力哉
出演:岸井ゆきの成田凌深川麻衣若葉竜也、穂志もえか、中島歩、片岡礼子筒井真理子江口のりこ
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://aigananda.com/